PHOENIX 2

 肝を冷やすドライブが終焉を迎えた。


 目的地に到着した途端、前方の扉が開かれるや、ジンと柏田が這々の体でまろび出た。二人とも顔色が土気色だ。ジンは当然柏田の危なっかしい運転に、柏田は数年ぶりに運転した緊張感からだ。


 安堵の溜め息を吐き出す両者を尻目に、後部座席から悠々と美琴が下車した。


 ――こいつ、寝てたな。……そういえば、こいつはそういう奴だったな。


 ジンは気づいた。美琴の目尻に溜まった涙と、欠伸を噛み殺した口の形に。


「到着したわね。あら? どうして二人とも跪いているの? 私、そんな趣味ないわよ?」


 幸せに惰眠を貪っていた美琴に恨みの眼を向けたが、彼女はジンの瞳に篭められた思いの丈に全く気づかない。


「さ、行きましょ? こっそりと密やかに、太陽に背を向けた闇に棲む夜の眷属のように」

「お前、それって吸血鬼って事じゃねえのか?」

「……………………気のせいよ?」


 ジンの突っ込みに、妙な間を置いた美琴の答え。


 ――絶対、何も考えずに言ったな。


 時間が経つにつれ、何故か美琴の扱いに慣れてきた感がある。なんとなく無表情の中に潜む感情の色が垣間見え、こうして喋った過去があたかもあったみたく……。


「ようやく、足が言うことを聞いてくれるようになってきました。お待たせしましたねェ。では、レッツラゴン」


 柏田の声に我を取り戻す。


 ジンは眠気を払うように頭を振って、山麓に佇む高層建築物を見上げた。




 ジン達三人は高層楼閣ビル内に侵入した。奇妙な話だが、以前にぞろぞろと吸血鬼の群れを排出したとは思えぬほどに、建物内は静寂が横たわっている。喩えるなら、打ち捨てられた神仏不在の伽藍に似ている。


 ちらりと視界に入った建物名は甲山XANADUとあった。


 ――ザナヅ? って読むのか?


 規模に反して、セキュリティはかなり甘い。守衛もおらず、監視カメラの類も存在していないらしい。杜撰に過ぎる警備体制だが、そもそも脆弱なニンゲン風情に警戒する必要などないという自負故だろうか。尤も、侵入する側にとってはありがたい話だが。


 ジンが露払いを努め、美琴が続き、柏田が殿だ。不意の接触に即座に対応できるのは、ブラッドテイカーたるジンのみだ。後方を警戒する柏田は拳銃を保有している。安全圏を確保していれば、如何な吸血鬼でも鉛の銃弾に遅れは取らないものの足止めにはなる。


「ここよ」


 虎の穴に潜るのもかくやといった覚悟をもって飛び込んだ割に、至極容易に地下へ続く昇降機に辿り着いた。勿論見つかるよりは遥かにマシだとはいえ、緊張感の無駄遣いをした感はあった。


 金の唐草が絡まった柩の意匠をした昇降機の扉は、見た目も相まって如何にも死者の国へとつながっているように見える。


 美琴が昇降ボタンを押すと、しばらくした後に扉が開く。中の照明は青白く、おおよそ温かみが感じられずに寒々しい。


 左右を確認して滑り込めば、昇降機が上向きの慣性を道連れに階下へと降りていく。吸血鬼という亞人種はよほど骨董趣味らしく、昇降機のかご内部も一世紀か二世紀ほど過日のタイプライターに似たボタンに、艶を与えられた黒壇らしい木材が多用された優美な意匠をしていた。


「なんちゅうか、たっかそうなエレベーターですねェ」


 柏田も同意見だったらしく、感心したような馬鹿にしたような溜め息をつく。


 金属製の目盛りがついた棒より箱状の部品が降りていく。部品は中抜きになっており、中で矢印が、階ではなく深度で表されている目盛りを刻んでいる。


 三十秒ほどもしただろうか、昇降機が目的の座標の近くに達したらしく、深度表示の示す速度がゆっくりとしたものへと変化し、そしてやがて完全に静止した。


 再び扉が開くと、以前見た姿そのままに青白い照明に照らされた広大なカタコンベが現れた。一度来たとはいえ、透明の柩に老若男女が収められている様は、見ていて気持ちの良い物ではない。監視するようにそこらかしこに設えられたヒトの顔をした彫像が、それに輪をかける。


「なんとも手間暇こさえたセットですねェ」


 軽口を叩く柏田だが、声に圧感の感情が孕んでいるのは、ジンのみならず美琴も気がついたことだろう。


「こっちに来て」


 美琴の案内で五分ほど歩くと、それまで天井が見えぬほどの高さであった硝子柩のカタコンベが途切れ、壁面にぽっかりと空いた孔があった。ヒトが一人通れる程度の孔は通路となっており、先には割れた硝子柩があった。牢獄といった様子の阻害された硝子柩の間は、天井も二メートル半程度と今までの途方も無い高さの天蓋に慣れた身としてはかなり低く感じる。頭上から降る青白い光を、割れた硝子が複雑に反射している。


「これは、俺が入っていた硝子柩か?」


 脳裏によみがえる、ブラッドテイカーの記憶遡行のはじめ、この手が硝子柩の殻をいともたやすく破った感触が存在を主張してきた。


「ええ。以前まえのあなたが目覚めた硝子柩。因果律が呼び寄せたのか、ヒトとして誕生するはずが、絶対零時の住民として産まれた、最初のヒト。彼を産み落とした硝子の胎盤よ」

以前まえ?」


 どことなく訝しい修飾語に眉をひそめたジンに向き直り、美琴は二本指を立てて説明する。


「答え③つ目」更に一本指を立てる。「吸血鬼はヒトの血中に含まれる情報伝達酵素を糧にしている。でも、これは完全に自由意志を無くしたヒトの血には何故か含まれないの。そこで、閉塞された世界とはいえ、ある程度の変化を促すよう、乱数による〝ゆらぎ〟を与えている。そして、〝ゆらぎ〟がもたらしたのが、突然変異の吸血鬼ブラッドテイカー」


 立てられた、美琴のすらりと伸びた細い指が四本に増えた。


「答え④。そして、ブラッドテイカーゆらぎは今回で二回目。奇しくも二度とも真木永人まきなジンと定義されたヒトがブラッドテイカーに裏返っていた」

「ちょっと待て。俺が二人いたって?」

「ええ。この匣庭は何度も輪廻している。ある時点で同じような過程を踏むことで、継続して繰り返される仕組みなの。閉じたリングと同じ。基準を設けたところから進んでも、元の位置まで戻っちゃう。当然、あなたもおじさんも、過去に何人か同じ名前と記憶をもったヒトがいたって事」


 頭を掻き毟り、刑事が溜め息混じりに笑った。


「もうびっくりですわ。アタシが何人もいたって?」


 頷いた美琴は言葉を重ねていく。


「そう。そして、前のブラッドテイカーとなったジンは柩の王と戦って敗北。忠誠の証として名前を変えて、砂を噛んで雌伏の時を耐え忍んでいたのよ。――彼の名前は、ヴェドリ=マーヴェリック」


 ヴェドリ=マーヴェリック。ゼクスヴァンのプロトタイプとでも言うべき、夜水景を駆る最大最強だった敵の名前を聞いたジンは、にわかに湧き立つ鳥肌を抑えきれなかった。


「……街のヒトは過去に記録されたN市の人間が再生されたもの。ただし、あなたは正確には違う。真木永人は本当の真木永人ではない。ヴェドリという前世をもつ真木永人、それがあなた」


 ヴェドリ。かつて、真木永人だった男の生涯が記憶として蘇る。ジンが産まれる前に刻まれた前世の記憶と言っていい、遠くて色褪せた記憶。擦り切れ薄れ、穴だらけの記憶だったが、そこにあった感情の色だけは現在のジンに重なっていた。


「かつて、ヴェドリは夜水景を駆って柩の王に挑んだ。ゼクスヴァンに乗った時に懐かしい感じは無かったかしら? 何故だと思う? ゼクスヴァンは夜水景を発展させて建造された吸血機だからよ」

「…………」


 無言のままのジンに美琴は言葉を重ねていく。


「ヴェドリは待ち続けたの。自分の後を継いで、今度こそ匣庭の世界からヒトを救う救血鬼を。彼は、硝子柩から偶然誕生した吸血鬼だった。でも、再び偶発的に硝子柩で吸血鬼が誕生する確率は――おそらく天文学的に低い数字だわ。そこで、ヴェドリは自分が誕生した状況を再現して、何度も挑戦した。自分という人格を生じさせるために、硝子柩での育成期間中に自分の記憶を刻んでね」

「じゃあ、今の俺はヴェドリと同じなのか?」


 答えを期待してではなく、自然に口をついた疑問に美琴はかぶりを振った。


「いいえ。皮肉な話だけど、何度行っても吸血鬼の属性をもつ真木永人は誕生しなかった。吸血鬼に裏返ったのは、ほとんど記憶を引き継ぐことができなかった……ヴェドリと違う人格を獲得したあなたのみ。ヴェドリがいない今、ここからは推測になるけれど、ヴェドリは自分の記憶を持たない真木永人が世界を救えるかを見極めるためにあなたと戦ったのだと思うわ? 自分が建造したゼクスヴァンを本当の意味で託すに値するか、確かめるために」

「ヴェドリが、ゼクスヴァンを建造したのか?」

「そうよ。予定されている未来から――正確には記録にある街の歴史の流れから、大きく逸脱した時のために強引に世界をリセットするために建造されたのが吸血機。吸血鬼が建造した機械仕掛けの吸血鬼ダイアス・エクス・ラーミア。他の吸血鬼たちの眼を盗んでヴェドリが開発した、夜水景を参考に独自解釈と吸血鬼狩りに最適化した吸血機。それこそ闇夜に曙光をもたらす八咫烏、ゼクスヴァン。尤も、柩の王にはお見通しだったようだけれども」


「ハハッ」にわかにジンが吹き出すと、はにかんだ顔で謝罪した。「悪かったな、月夜視。厨二病なんて言ってさ。荒唐無稽もいいとこだが、感情まで見通されたら認めるしかないわ。ところで……君とヴェドリって恋人とかだったりしたのか?」


 きょとんとした表情は、感情の色の出にくい彼女には似つかわしくなかったが、歳相応の可愛らしさがあった。一拍置いて、みるみるうちに白い相貌に血が通い、桜色に染まっていく。


「な、な、ななな。そんな事はない。彼は父親みたいなものよ。そう、ゼクスヴァンの電脳とは乖離した中枢として機能開放と吸血鬼にとって猛毒の黄金粒子を緩和する酵素を操者に献血するために産まれたのが私であって彼は優しかったし時々見せるはにかんだ笑顔が意外と優しくてでも私の事は良くも悪くも娘としてしか見てなかったのであって!」


 自分で気づいていないだろう。わたふたして感情を吐露し続ける美琴の姿は、人形然とした美しさと表情をくるくると変えるヒトらしさの二律背反が入り混じり、ジンの心に響いた。


「まあ、なんというか。ヴェドリ自身は親としてかはわからないが月夜視を好きだったようだぜ。記憶としては全然残ってないが、感情だけは俺の中に残っていたようだ。少しずつ蘇ってきていたらしい。……俺はヴェドリと違って、同じくらいのとしだけどな」

「どおいう意味?」


 動転したままの美琴は察しが悪かった。ジンは気恥ずかしさを紛らわすために婉曲的に伝えたつもりだったが、どうやら今の彼女には直裁的に伝える他ないようだ。


「だからァ!」顔に熱が集中しているのを意識しながらジンは叫ぶ。「一回しか言わねえぞ! お、俺は! 月夜視美琴のことが……好きになってしまってたんだよ! 二秒で分かれ!」

「…………え? もう一回言って?」

「一回しか言わん!」


 腕組みしてそっぽを向いたジンの耳は、青白い照明の下でも赤々としていた。


 ――アタシャ、完全に忘れられてるようですねェ。


 二人だけの世界に入った彼らを、柏田は遣る方無い様子で見つめていた。

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