DEATHPOINT

DEATHPOINT 1

 緊張に張り詰めていた息を吐き出す。


 学生用の寮も多い、三日月型校章の有名私立学院大学のほど近くのマンションの七階にある、自宅の扉の前にジンはいつしか立っていた。

 件の大学、偏差値こそ高いのだが、交通ルールは全然守らず、道のど真ん中でタラタラ歩くのは周辺住民にとっては頭が痛く、総ての学生がそうとは言わないが、成績の優秀さと人格は別物と感じてしまう。


 生態認証機能のついた電子鍵のスキャニング面に掌を当てると、上部から下へかけてセンサー光が読み込みを開始する。同時に、電子鍵は脳内チップにアクセス。電子鍵は即座に読み取り情報を登録された解錠権限を持ったユーザー生体情報とチップシリアルを照合し、結果を導き出す。


 全く普段通りの行程――にもかかわらず。彼の鼓膜に届いたのは、期待されていた解錠の音ではなく、すげないエラー音だった。当然、ジンの生体情報はユーザー登録されているのだが。


「うるせ、二秒で開けろ」


 ぶつぶつ不平を言いながら、再度試してみるも、結果は変わらず。


 結局、持ち歩いてはいるものの、滅多に使わない物理鍵を使用して扉を開ける。



 部屋の中は暗かった。ジンは両親と三人暮らしなのだが、まだ誰も帰ってきていないらしく、人の気配は無い。

 時刻は三時に差しかかっていた。


「……ふぅ」


 リビングのソファに身体を沈ませ、冷蔵庫に入っていた150mlミネラルウォーターを飲み干す。

 相当渇いていたようで、身震いする心地よさと共に、冷たい水が喉から身体に染み渡る。


 二度寝にも似た頭の鈍りに身を任せ、ジンは溜め込んでいたものを吐き出す。


「一体、なんなんだよ。意味分かんね。ゼクスヴァンってなんだよ! ロボットに乗って戦うなんて、アニメか! ジャパニメーションか! そもそも、追跡者あいつらはナニモンだよ。こえーよ! ホラーそのものですやん! あんなバケモン、また暗いとこから出てきたら失禁する自信あるわ! がちがちがちがちがちがちがち、がちがちがちがち……。子供が一番怖いわ。卒倒もんだわ、和田だわ。ところで、和田って誰やねん!」


 明かりを点けるのも忘れて、ジンは思いの丈を誰ともなくぶちまけるも、外から差し込む街灯や信号機の色、そしてリビングに飾られた家族の写真以外には聞くものはいない。だが、この場に誰か居合わせていたならば、次第に勢いが無くなっていく声に気がついただろう。


「いきなりいてた転校生も訳わからんし、大体――あの――屍体、だって…………」


 現実から離れて沈んでいく意識に、言葉が途切れ途切れになっていく。瞼はより雄弁で、抵抗に震えているも重力に負けて、ほとんど閉じられている。


 激動に張り詰めていた糸が切れたか、単純に通常は寝入っている時間帯だからか、もしくは両方か。無意識の海に引きずり込まれ、ジンは眠りの世界へ墜落していった。




 陽光を透かして、光線を薄紅色に溶かして桜の花びらが舞い落ちる。校内に植えられた満開の桜たちは、初々しさを隠しきれぬ新入生にも、青春を謳歌する二年生にも、そして僅かに残された日々を憂いる三年生にも等しく覆うように降る。


 月曜日特有の憂鬱さからくる倦怠がそうさせるのか、欠伸混じりに降り注ぐ花弁を見上げながら、真木永人まきなジンは昇降口へと向かう。


「オーーッス、マキナ!」

「うぉっ!」


 突然背中を圧す力に、完全に油断を突かれたジンは倒れそうなところを寸前で踏みとどまった。


「オガか!」


 挨拶と共にジンの肩によりかかってきた、健康的なイメージの男子生徒はオガ――小笠原達也は賑やかし屋なジンのクラスメイトだ。日がなモテたいと公言し十代男子のリビドーを持て余している彼だが、少し短めの頭髪を立てた爽やかなイメージな見た目に反して恋人ができないのは、その性格のせいに間違いないとジンは確信している。


「危ねーだろ。コケると思ったわ」

わりわりぃ」

「あらぁん? お二人さん、おはよん」


 後方からかけられる、十代後半の男性と考えても高めの声。どことなく女性おネエっぽい響きに思い当たる人物は一人しかいない。


「ゴンゾ、おはよ」


 振り返ると、みるみる内にふくれっ面になっていく、中性的な顔立ち――というには女性寄りな、男子生徒がいた。


 制服もそこそこに手を入れており、よくよく見ればラメやらデコレ(というらしい)が安っぽく光を反射している。爪もよく手入れしていると主張するようにつるりとした質感と、慎ましやかだが飾りつけがされている。


権蔵ごんぞうじゃない! あげはだよ、あ・げ・は!」

「でも、戸籍に極楽地権蔵ごくらくちごんぞうって載ってるだろ?」


 そう、見た目はそこいらの女性よりもかわいらしい男子生徒の名前は極楽地権蔵という。彼はこの名前を嫌っているらしく、自分で付けた名前を通そうとしているのだが――むしろ、自分のそういった行動が自分の名前を誇張しているという事実に気づく気配は、未だ無い。


「それは親が付けた仮の名前! ボクが付けた魂の名前は極楽蝶鳳ごくらくちょうあげは!」

「親が付けたんならそれが本当の名前だろ。自分で付けたってハンドルネームじゃあるまいし」

「オガちぃ~ん、マキナがいぢめるよ~」

「えーい。うざいぞ、八百屋の息子。青臭いんだよ」

「オガちん、ボクとの事は遊びだったの?」

「お前、ホントに何言ってんだ!」


 男性同士という倒錯的な嗜好を持った女子生徒が「やっぱりオガ×ゴンよ!」「そこはオガのへたれ攻めよ!」などという、意味不明なつぶやきが春風を微妙に腐らせる中、ジンは無関係を気取って先を急いだ。巻き込まれてはかなわん。


「ジン、お前助けろよ!」


 去っていこうとするジンに気づいたらしい。自分の顔に唇を寄せようとする権蔵――ただのじゃれ合いと思いたいが。心底……いや、マジな話――を両手で阻止しながら、オガが叫ぶ。


「チッ。そのままイチャついてろ。どうぞ、お気になさらず……」

「オガちぃ~ん、子供は何人欲しい?」

「え~い、寄るな触るな近づくな~! ひょっとして、お前のせいで恋人できないんじゃねーのか? は~な~れ~ろ~!」

「オガちんには恋人ボクがいるじゃない。大丈夫、オガちんに近づく腐れ牝犬どビッチ達は全員始末するからね!」


「そら見ろ。あとはお若い二人で――」

「助けてくれ、お願いします。昼飯おごるから~」

「残念だが断る」


 魅力的な提案だったが、ジンは即断した。


「儂は巻き込まれとうない!」


 サァーという音が聞こえそうなほど、見る見るうちにオガの顔色が青く変化していく。そこに、先ほどまでには確かにあったはずの、爽やかな雰囲気の欠片も残されてはいなかった。


 見捨てられた彼はあらん限りの大音声だいおんじょうで朝の大気を震わせた。


「はくじょーものォォォォォォ…………」



 上履きに履き替え、教室の自分の席に座る。


 ホームルーム前の教室はそれなりに賑やかしいが、それも致し方なきことかな。一年を通じて高校にも慣れ、早い者は準備しているだろうがまだ受験を意識している者の方が少ない、一番気楽な二年生の教室だ。


 特にヤンキーと呼ばれる素行不良者がいないと言っても差し支えないイチニシでは、始業前の教室の活気に水を差すものはチャイムくらいなものだ。


「い~から離れろ!」

「やだやだ、オガちぃん」


 教室の外から近づく、ある意味で不良とも言える男子生徒の声。

 ほどなく、二人の男子生徒が教室に入ってきた。先ほど昇降口付近で別れたオガと権蔵だ。


 オガはジンを認めると、まとわりつく権蔵を剥がしながら近づいてきた。何か言いたそうな顔をしていたので、ジンは白々しく問いかけた。


「おう、どうした。親友よ」


(オガちん、ほら、これ見て。アメリカの元知事が昔出てた映画でさ――)


「お前は、親友の危機を見て見ぬふりして逃げる奴なのか?」


(男が妊娠して子供出産するんだって)


「まさか。君のピンチにはいつでも駆けつけるさ」


(信じれば、ボクらもできるかもしれないね! さあ、オガちん! 一緒に事象の地平へ旅立とう! いざいざいざいざァァア!)


「……調子のいい奴――って、うるせえ!」


 カエルが池に飛び込むが如く体勢で向かってきた権蔵をピンポイントで狙い撃つ、オガの右ストレート。

 女生徒さながらの華奢な権蔵の身体が、拳がめり込んだ柔らかそうな頬を起点に、そのまま向かってきた勢いとストレートのそれを加算した衝撃に浮かぶ様。

 ジンは、衝突安全ボディ採用の自動車の宣伝であった、スローモーション再生された車輌の衝突実験映像のダミー人形が吹き飛ぶ様子を思い起こした。当然、比較用の衝突安全ボディ非採用の方だ。


「アッブフェオ! …………ブヘェン!」


 最後の潰されたカエルのような声(想像)は、机の一つに『着地』した圧力で権蔵の肺から吐き出された空気が喉を通過した証だ。


「くらくらくらふわ~」


 力なく机でくの字になった権蔵の顔を上げてみると、完全に眼を回している。彼に襲いかかった衝撃の程が見て取れるというものだ。


 権蔵から手を離し、ジンはふとオガに話しかけてみた。ちなみに、人の手から離れた権蔵は再び何の抵抗もなくこうべを垂れた。


「なあ、オガはかわいい子好きだよな?」

「おう!」

「多少残念なところがあっても、かわいい子が好き?」

「むしろ、チャームポイントだろ」

「なるほど。残念なところが一つあるんだけど、かわいくて、植物関係のバイトしている子知ってるんだけど?」

「な、なァァァァにィィィ? それは真か、親友よ」

「真も真。拙者、嘘偽りは申しておらぬ。サムラーイ、ウソツカナーイ」

「おお、お侍様。魚心あれば水心……ここは一つ」


 ノッてきたオガはブレザーの内ポケットから食券を出し、頭を垂れて掲げる。山吹色のお菓子に見立てているわけだ。


「ほっほっ、小笠原屋。そちもワルよのぉ?」

「いえいえ、お代官様こそ……」


 若干設定が変わっている上にいい加減すぎる言葉遣いだが、馬鹿なやり取りは続く。


「して、小笠原屋よ。くだんの者は髪は短めであるが、不満はなかろうな?」

「不満など、あろうわけがありませぬ」

「よかろう。それでは、紹介してつかわす。これ、権蔵よ」


 幽世かくりよに旅立っていた権蔵だが、いつの間にか現世うつしよに戻っていたらしく、ジンの柏手に応じた。

 一旦跳躍して片膝を付いたのは、忍びに成りきって、何もない空間から忽然と姿を顕す様をイメージしているのだろう。


「殿、そばに。――ちなみに、あげはにてござる」

「よいよい。して、権蔵よ。小笠原屋が…………お主を見初めたいようであるぞ?」

「ハァ?」

「オ、オガちぃ~ん! ぐへへへへへへ」

「待て! 待て待て待てい! 詐欺だろ。なんで、ここで権蔵なんだよ」

「よく考えろよ。多少残念なところもあるけどかわいい、植物関係のバイトしている――まあ、見た目『だけ』はかわいいだろ? 更に八百屋の息子だぞ?」

「多少どころか、多々というか、残念なところがデカすぎるだろ。男だぞ!」

「大丈夫大丈夫。傍から観てる『俺は』面白い」

「俺は面白くないんですがね~お代官様ァ?」


 小笠原屋――もといオガは、首根っこに抱きつく権蔵を払い除けようとする気概すら手放してしまったようだ。権蔵は、女形でも充分通用する顔つきを台無しにし、やたら危険な表情でオガに迫って口づけしようとしている。


「さあ、オガがついに王座を明け渡す日が来たのか! 攻める権蔵! 口端から垂れる一筋のヨダレがなんとも言えませんな~」


 炊きつけておきながら無責任に実況を始めだしたジンの頭上から始業のチャイムが鳴った。



 朝のホームルームの時間。

 平素ならば、担任教師の連絡事項を告げる声が眠気を誘うのだが――。


 ぺし…………ぺし…………ぺし…………。


 ジンの後頭部に、一定の間隔ごとに細かく千切った消しゴムのつぶてが当たる。痛みなど感じはしないが、流石に鬱陶しい。そう思っているとまた一つ、ぺし、と後頭部に弾力性の感触。おそらく、後頭部は髪に引っかかった消しゴムのつぶてが、白い雪かフケかのように積もっていることだろう。


 振り向けば、恨みを込めた表情でオガが隠す気もないらしく、爪弾つまはじいた消しゴムの欠片が頬を軽く叩いた。


 口パクで(うっとおしいぞ)と告げると、(恨んでるぜ)と大気を介さない返事が戻ってきた。


 ため息をつくと、ジンは前席の男子生徒の影に隠れながら、ノートを一枚破り、朝に賄賂として収められた食券を包んだ紙飛行機にすると、教師の視界から外れるタイミングを見計らって、オガへと投げた。


 狙い能わず、紙飛行機はオガへと届いた。こちらの意図は分かるはずだ。読み終えるだろう時間を見計らって、オガの方を盗み見ると、紙面を覗いていた彼は視線に気づき親指を立てる。


 同時、マナーモードにしていた携帯のバイブレーションが着信を告げる。バイブレーションのパターンからコミュニティアプリのメッセージ受信だ。

 ポケットの中で畳んでいた携帯を開く。携帯の蝶番が鳴らす、パカッとした音はズボンの生地に殺され、本人以外に携帯が開かれた事実は隠されている。


 巷ではスマートフォンを使っている者も多いが、ボタンを押しこむ確かな操作感と、見ずとも文面が打てることから、ジンはフューチャーフォンを重宝していた。


 最新のメッセージとして、ログの最下に『Ogasawara_彼女募集中』という、誰か一目瞭然で判るユーザーの書き込みが表示されていた。


『そういや、今日、女子転校生が来るらしいぜ』


 何故、転校生の頭に女子の文字を入れるのかは理解できない。


『ふ~ん』


 机の下に携帯を隠して、ブラインドタッチで返事をすると、即座に携帯が震える。こっそり覗き見て、水面下のやり取りを続けていく。


『醒めてるなぁ』

『いや、だって美人とかだったら分かるけど、まだ全然何も分かってない状態でテンション上げても仕方なくないか?』


 >『鳳@gokurakucho』さんがログインしました。


『お二人さん、ここに絶世の美女がいますよ~』


 ユーザー名、発言共に個人を特定するのはたやすい。


『うるせ、あおくせーんだよ。権蔵は青汁でも飲んどけ。こちとら、転校生が』


 どうやら、転校生の紹介の段となったらしく、奇しくも、途中で送信してしまったらしいオガの発言と同時に教室の扉が開いた。



 朝日に溶けそうな、少女だった。

 色の失せた肌膚きふも、遠間からは薄紅色に見える血色と白の混じった瞳も、薄く赤みがかった白髪も、生命感の希薄な冷たい美貌も、日光に晒せば儚く消えてしまいそうで、存在の在処を夜に委ねたようで――ジンは、一瞬だけ意識を奪われた。


 臙脂えんじ色のブレザーを纏った彼女は、黒板に書かれた『月夜視美琴』の文字の前で一礼すると、落ち着いた声――または温度の低い声で自己紹介を始めた。


月夜視美琴つくよみみことです。右も左も分かりませんが、早く馴染めるよう頑張りますのでよろしくお願いします」

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