九話 作戦を開始する
作戦は四日後の日曜日に決行することに。それまでに華子の風邪は完治した。
ゲンさんの家で落ち合って、それから実加子さんの家――つまり華子の本来の家へと向かう。
華子は機嫌が悪かった。
「まだイヤなの?」
兄貴の助言を採用するのが気に入らないのだ。いちおう事前に承諾は得てるのにな。
今日の華子はTシャツ、デニムパンツ、スニーカー、全部を白で統一していた。肌が白いから本当に真っ白だ。
長い黒髪はうなじの辺りでひとつにまとめていた。
「浜口行道の手を借りるなんてね。この、私が!」
地面に唾を吐く真似をする極上の女。
……いや、あんたのためなんだよ?
実加子さんの家のインターホンを鳴らす。
華子の声を聞いた途端、実加子さんは不機嫌になる。俺たちを家へ上げるのを露骨にメンドくさがった。
どうにか上げてもらっても飲み物は出てこない。
さすがに娘だけあって華子はこの仕打ちを予想済み。持参したペットボトルのお茶をテーブルの上に置いた。
「で、なにさ?」
超絶メンドくさそうに実加子さんが言う。
華子が高飛車な態度で応えた。
「あんたの愛しい浜口行道の秘密を教えてやるわ。快人、スマホを見せてやりなさい?」
言われたとおり実加子さんにスマホを渡す。兄貴と協力して撮影した動画がすぐに見られるようになっている。
実加子さんがちらりと画面に目をやった。
すぐにテーブルの上を滑らせて俺に返してくる。
「いやいや、ちゃんと見てくださいよ」
俺が焦って言う。まさか見もしないなんて思わなかった。
「見る必要ないよ、そんなウソ動画」
「ええ?」
思わず声を出す俺。
華子も焦りながら言う。
「て、適当な言いがかりつけないでよ」
「適当じゃないよ。その静止画見たら偽物だって分かるじゃない」
すぐ動画を再生できる状態にあるスマホの画面には、動画の最初の場面が表示されている。
兄貴の部屋の中を、扉を薄く開けてスマホで盗撮しているという場面だ。
中にいる兄貴は立ってスマホを耳に当てていた。
動画が再生されると、兄貴が本命の女の人と結婚詐欺の相談をしているところが映る。
子供ができてしまった。計画を早めよう。などという話だ。結構酷いことを言っていた。
「な、なんで偽物なんて言うんでしょうか?」
声を上ずらせながら俺が聞く。結構苦労して撮影したんですが?
「なんで私があんたらに教えてやらないといけないの?」
「え? でも……」
実加子さんはどこまでも底意地が悪い。見下すような視線を向けてくる。
「まぁいいや、教えてやる。ユキが自分の部屋で立って電話してるってことは、そこそこ緊迫した話ってことでしょ? 気楽な話ならそこら辺に座るなりしてするもんね。そんな話をするのに、部屋の扉を開けっ放しにするなんてユキの場合は考えられない。こっそり開けたなら、警戒してるはずのユキが気付かないわけがない。だからこの動画は、ユキもグルになって撮影された偽物ってことになる」
「ぐぅ……」
文字通り、ぐぅの音しか出てこなかった。
実加子さんが頭の後ろに両手をやる。
「ユキがグルねぇ……。なんだろ? 浮気してるシーンとかそういう下らない内容かな? そんなのすぐにバレるのに」
まぁ、バレるのは想定内だ。
そうか、まだまだフェーズ・ワンは失敗したとは言えない。想定内だ。
「バレるのはユキも分かってるはずだ。ウソ動画は軽いジャブで、ユキも華子の味方をしてるって分からせたいだけか。それくらいでこの私が焦るとでも思ってるのかな?」
あれ、焦らないの? 焦らせるのが、フェーズ・ワンなんだけど?
「目的目的……と。……病室で華子に『お前は黙ってろ』って言ったら、華子は逃げ出したよね? あの後、ユキとゲンちゃんがぐだぐだ文句付けてきたんだよ。『もっと華子ちゃんの気持ちを考えてあげなよ』とかどうとか。そんなの知ったこっちゃないっての」
さらっと酷いことを言う。
やっぱりこの人に華子の想いを届けるのは大変なんだ。
「華子の気持ちとやらを私に分からせるのが目的? 私をあれこれ揺さぶって弱らせたところで、華子に好き勝手言わせる気なのかな? 『華子! あんたってばそんなこと思ったの!』『そうなのよ、お母さん! 分かってくれた?』 感動の和解。ユキならそういうぬるいことを考えそうだ」
なんですぐにここまで気付くの?
「和解もなにも、私たち母娘の間にはなんの問題もないのにね」
……本人は自覚なしなんだからタチが悪い。
「ユキに文句付けとこうかな?」
と、実加子さんが自分のスマホを取り出す。
……ここで兄貴が結婚指輪の話を持ち出せば、実加子さんはたちまち有頂天になる。それがフェーズ・ツー。
まだいける。まだいけるはず……。
「やーめた。私がユキに電話するのはあいつも想定してるはずだ。わざわざ乗ってやることないよね」
あれ?
「で、華子ってば、なんでさっきから家の電話をちらちら見てるの?」
「えっ!」
華子が焦った声を出す。
「あれにかかってくる電話で華子に関係するのは……うわ、母上だ」
途端に顔をしかめる。
やっぱり母上――つまりは華子のお祖母さんのことが苦手らしい。
ていうか、先読みしすぎでしょ?
「仕方ねぇ、こっちからかけてやるか」
立ち上がった実加子さんが固定電話を手に取って操作する。
「母上、ご無沙汰しております。実加子です。……はい、近いうちにまたご挨拶にうかがいます。……はい……はい。それでですね、先だって、うちの行道が不躾な願いごとなど申し上げませんでしたでしょうか? ……華子ですか?」
実加子さんが華子を見る。
「はい、大変お恥ずかしい話ですが、現在家出なんてものをしでかしております」
「えっ!」
華子が大きい声を出す。
いきなり暴露してくるとは俺も思わなかった。童貞でもないのに馬鹿正直に答えちゃうの?
「……はい、まったく監督不行き届きと心得ております。……はい、私と行道が交際している件が気に入らないなどと申すのです。……はい、私は心を砕いて説明に努めているのですが、まだまだねんねでして、大人の恋愛などというものに理解を示さないのです」
説明に努めてるとかはウソでしょ?
「……はい、仰るとおり、私のしつけが行き届かなかったと反省しております。これからは、母上の孫として恥ずかしくない子になるよう、一層手綱を引き締めてまいります。……はい……はい。今ちょうど、華子がここにいるのです。大変心苦しいのですが、母上からもご叱責のお言葉をちょうだいできないでしょうか?」
「ええっ!」
華子が、がたっと立ち上がる。華子もお祖母さんが苦手らしい。
「……はい、ありがとうございます。しばらくお待ちくださいませ」
実加子さんが電話口を押さえてから華子を手招きした。
華子は首を横に振って拒絶する。
「母上をお待たせするな、華子」
渋々といったふうに華子が固定電話まで行く。そして受話器を受け取る。
隣で実加子さんは悪魔みたいにニヤニヤしてる。……そうか、やり返されたのか。
「は、華子です。ご無沙汰して大変申し訳ありません、お祖母様。……い、家出……と申しますか……抗議……と申しますか。……は、はい、華子は今年で十七になります。……は、はい、大人と申し上げていい年齢とは心得ております、一応。……い、いえ、甘えてなど! ……は、はい、母一人、子一人、支え合わねばならないとは心得ております。でもですね……。く、口答えなど滅相もありません! ……はい、もっと大人に、ですね。……は、はい、分かりました。近日中に家に戻ります。……い、いえ、今日すぐにとは」
しどろもどろになってる華子を楽しげに眺めている実加子さん。この人になにか仕掛けようとしても、今の華子みたいにやり返されるだけなの?
ふいに華子の声が大きくなる。
「……えっ! おいでになる!」
途端に実加子さんが目を
「ご、ご、ご心配には及びません。ご足労いただくなんてとんでもない。……だ、大丈夫です。私達母娘は心の中では深く結び付いておりますので、お祖母様に仲裁の労を取っていただかなくても……。……い、いえ、邪険になど。……は、はい、こちらからうかがいます。……は、はい、母娘でうかがいますので。……今日! ええっと、今少し取り込んでおりまして……。……は、はい、お夕飯頃には。……は、はい、楽しみにしております。では、後ほどまた」
華子が電話を切った。身体ががくがく震えている。
「ちょっとあんた! なに勝手に会いにいく約束なんてしてんのさ!」
華子の肩を激しく揺さぶる実加子さん。
「し、仕方ないでしょ? ああしないとこっちに来るんだから!」
「ぐぬぬぬぅ……。お父さんは今日はいるって?」
「うん、二人で待ってるって言ってたわ」
「それなら……それなら、まだマシか……」
実加子さんがよろよろと自分の席まで戻る。イスに腰を落とすと、テーブルに両ひじをついて頭を抱えてしまった。
そこまで会いたくないの?
華子もふらふらになりながら元の席へ。
「よくもやってくれたね、華子!」
顔を上げて華子をにらみつける実加子さん。
「わ、私の案じゃないわ」
「ゆーきーみーちー!」
地獄の底から響いてきたみたいなうなり声を出す。
……これってフェーズ・スリーは成功なのかな? とにもかくにも実加子さんのお母さんを使って弱らせたもんね。
どうなるかと思ったけど、結果オーライだ。後は実加子さんが話し合いに応じてくれるかどうか。
……でも、この人ってば、怒り狂ってるよね?
どうするの?
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