七話 手付金を寄こせ
ゲンさんが小さく笑い声を出す。
俺と華子が見ると、片手で謝ってきた。
「ゴメンゴメン、ドギマギしたりギクシャクしたり、二人とも人生初めてのお付き合いを満喫してるなぁって、微笑ましくってね」
「ちょっとゲンちゃん!」
華子がゲンさんを叱りつけた。こいつが怒るのも無理はない。
「ゲンさん、俺はともかく華子が初めてのお付き合いってことはないですよ。華子はケーケンホーフなんですから」
「ちょっとあんた!」
「へぇ、ハナちゃんは経験豊富なんだ? なんの経験?」
ゲンさんがにやにやと華子を見る。俺は知ってるとおりを語る。
「セックスですよ。自分でセックスの経験は豊富だって言ってました。それって誰かと付き合ってたってことですよね?」
「やめなさいって!」
「いててて!」
華子が思いっきり俺の腕に爪を立ててきた。俺をにらむ目には涙が浮かんでいるようにも見える。
あんだけ自慢げに語ってたくせに、なんでそんなに嫌がるの?
「そうなんだ? ハナちゃんが誰かと付き合ってたって話は初めて聞いたなぁ」
ゲンさんはあいかわらず楽しそう。
ここで俺は勘違いに気付いた。
「もしかして華子ってば……」
「な、なによ」
華子はあいかわらず俺をにらんでいるが、いつもの力強さがない気がする。
俺の想像通りだとすると確かにゲンさんには聞かせたくないかもしれない。
このまま黙っていた方がいい?
……いや、ちゃんと確認しておく必要があるだろう。いろいろと問題があるからな。
「華子ってば、付き合ってるわけでもない男と取っかえ引っかえセックスしまくってるの?」
華子、ド鋭いビンタ。
「ぎゃふぅっ!」
床に倒れ伏す俺。
で、でも……重要な話だよ? 不特定多数の人間とセックスしてたら性病の感染リスクが……。
「あんた、失礼にもほどがあるわよっ!」
「でないと……ケーケンホーフの説明が……」
よろよろと起き上がる俺。
ゲンさんが当たり前のように言う。
「まぁ、経験豊富かどうかなんて見れば分かるじゃない」
「ですよね? 見るからにケーケンホーフですよ」
「ん?」
「はい?」
ゲンさんと顔を見合わせて首を傾げ合う。
ゲンさんが華子に顔を向ける。
「どうなの、ハナちゃん? 経験豊富っていうラインは守るんだ?」
華子が黙りこくる。
ゲンさんに話しかけられたのに、見つめる相手は俺。その視線はいつもの厳しいものだった。
さっき暴力を振るわれたばかりなので俺は少なからず身の危険を感じる。
おふぅ! 不意に視線が艶めかしくなった! 華子のこの目はたまらんものがある。
「そうよ、私はケーケンホーフよ。ゲンちゃんが知らないところで、ちゃーんとお付き合いとかしてきたから」
「やっぱ、そうだよな」
「でも、取っかえ引っかえじゃないから! そんな女じゃないから!」
「ゴ、ゴメン……」
取っかえ引っかえは言いすぎた。
それにしたって何人の男と付き合ってきたのかはあいかわらず不明。性病か……ま、ゴムしてたら大丈夫だろう。(注:そうとは限りません)
「そうか、ハナちゃんは経験豊富だったんだ」
「そ、そうよ」
背を反らせる華子。
ゲンさんが楽しそうに俺に話しかけてくる。
「快人君、確かハナちゃんはキミを利用してお兄さんの悪事を暴き立てるつもりなんだよね?」
「そうですよ。だから付き合おうなんて言ってきたんです」
「報酬なんかはあるの?」
「ありますよ。全部が終わったら俺の童貞を捧げることになってます」
「ちょっと! そんなのゲンちゃんに言わなくていいでしょ?」
そうなの? ゲンさんには秘密だったの?
でも仕方がない。俺は正直な童貞なのだ。聞かれたことにはちゃんと答えてしまう。
「へぇ、さすが経験豊富なハナちゃんだ。大胆な報酬だね」
「ケーケンホーフケーケンホーフって言いすぎよ、ゲンちゃん」
口を尖らせる華子。
そうか、ゲンさん相手には体裁があるのか、今気付いたけど。
「でもさ、快人君。散々利用された挙げ句、報酬は踏み倒されるかもしれないよ?」
「その危険は俺も感じてるんですよ」
「そんなことないわ。快人の……童貞は後でおいしくいただくから」
ホントかな~? 今だって俺から視線を外してるじゃん。
ゲンさんが明るく言う。
「こういう時は報酬の手付金を支払ってもらうべきだよ、快人君」
「手付金?」
よく分からないことを言い出した。報酬のいくらかを前払いしてもらうことだよね?
「ち、ちょっと、よけいなこと言わないでよ、ゲンちゃん」
「大丈夫大丈夫、ハナちゃんが余裕でできる手付金にしとけばいいんだよ」
「例えばどんなのですか?」
先っちょだけとか?
「キスだよ」
「キス!」
俺より先に大きい声を出したのは華子。
「キスくらい余裕でしょ? 経験豊富なハナちゃんなら」
頭を軽く左右に傾けながらゲンさんが言う。
キス……華子とキスか……。
「ちなみに快人君、キスの経験は?」
「キスですか? それは当然」
胸を張る俺。
「……ありません」
しょんぼりうなだれる、見栄を張ることすらできない童貞の俺。
「よかったじゃない。この際ハナちゃんでファーストキスはすませときなよ」
「そうですね、この際華子ですませときましょうか」
「ちょっと待って! なんで『この際』『すませとく』なの? ファーストキスをなんだと思ってるのよ!」
華子が激高する。
俺のファーストキスをここまで気にしてくれるとは意外だ。
とはいえ、俺は童貞を捧げることにこだわりはあるが、キスについてはそれほどでもない。一足飛びに童貞を捧げることに全てを賭けるのが、童貞という生き物なのだ。
ゲンさんも軽い調子で言う。
「それくらい気楽なのでいいじゃない。手付金代わりに、チュッ。経験豊富なハナちゃんなら余裕でしょ?」
「でも……キス……こんな奴と……?」
華子が眉間に深い深いしわを寄せる。そんなに嫌?
いやいや、俺たちセックスするんでしょ?
俺は言わずにいられない。
「あのさ、なんでキスくらいでそんな嫌がるの? やっぱり童貞を捧げさせてくれるっていうのはウソなの?」
「ウ、ウソなわけ訳ないわ……童貞は……おいしく頂くわ? でもだからって、今キスなんて……」
ホントかよ~? 手を握るだけでもかなり嫌がったしなぁ。
どうしても華子を見る目がじとーっとしたものになる。
「な、なによ、その目? 私の言うことが信じられないの?」
「うん」
正直にうなずく俺。
「……くっ!」
「いいじゃない。キスしてあげなよ、ハナちゃん。キース、キース、キース」
小学生みたいにはやし立てるゲンさん。
華子がゲンさんを見る。
俺を見る。
目を固く閉じる。
口をへの字にする。
くわっ! と見開く。
「やってやろうじゃない! キスなんてヨユーよ!」
よし、まずはファーストキスをクリアだ。
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