第7話 +Ruined country[亡国]

7-1.怪盗再び

「怪盗Ⅴがまた何か予告を出したらしいよ」


 トーストをかじりながらリコリーは眠気の取れない口調で言った。昨日遅くまで本を読んでいたために朝寝坊をしたが、元々休日前だったがための行動なので、遅刻などの心配はない。

 このところ仕事が忙しく、買った本も読めない状況が続いていたリコリーは、昨日は早々に自室に入って読書に没頭した。寝起きの様子から見て、明らかに真夜中まで起きていたことをアリトラは見抜いていた。


 アリトラも今日は休みだったが、特に夜更かしをしたわけでもなく、日付が変わる頃には夢の中にいた。そのため既に朝食は済ませている。一週間前から取り掛かっていた編み物を完成させようと、その手に持った編み棒を規則的に動かしていた。


「怪盗Ⅴ? あぁ、あの変な人」

「変な人って……」

「で、今度は何を盗むって?」

「それがね、中途半端な書き方をしてるんだよ」


 リコリーは新聞を半分折り返して、アリトラにも読めるように差し出した。一面には王城公園の写真が大きく張り出され、その上に写真に見合う大きさの文字が書かれている。アリトラはそれを口に出して読み上げた。


「『フィン王国の象徴を頂きに参上する 怪盗Ⅴ』『怪盗の狙いは王城か!?』……なにこれ?」

「だから、「象徴」を盗むんだって」

「意味不明。象徴って概念でしょ? 宝石やお金みたいには盗めないじゃない」


 アリトラはそう言いながら、編み棒の動きを一度止めた。

 落ち着いた赤色の毛糸で編まれていたのは大きなストールで、花をいくつも連ねたような模様をしている。編み物や裁縫が得意なアリトラは暇さえあれば何か作っているが、最近だと半年前にスカートを縫ったきりで、これほど大きなものを作るのは久しぶりだった。


「これぐらいでどうかな」


 ストールの両端を持って、アリトラは体を前方に傾ける。テーブルの下にいた白い獣の背にそれを宛がい、体をすっかり覆い隠せるのを確認すると、満足そうな声を出した。獣は大型犬よりも更に二回り大きい。その体に見合うストールともなると、小さな子供ぐらいは包み込めそうだった。


「丁度いい大きさ。これで縁も作っちゃお」

「ソルの毛布?」

「うん。父ちゃんに毛糸沢山貰ったんだけど、この色あまり似合わなくて」

「ふぅん」


 リコリーも体を椅子の上で屈めて、テーブルの下を覗き見る。純白の美しい毛並みをした獣は、リコリーに応じるように長い尻尾を振った。ある時からセルバドス家に訪れるようになった幻獣は、餌を貰う代わりに双子にその毛皮を撫でることを許可していた。

 今日は朝からやってきて、アリトラに餌を貰ったあとは二人の足元でマットのように寝転がったまま動かない。試しにリコリーが一度呼んでみたが、立ち上がることすら億劫だと言わんばかりに大欠伸をしただけだった。


「そういえば、何で父ちゃんはこの幻獣をソルって名前にしたんだろう?」


 アリトラがストールの端を編み込みながら首を傾げる。名前を付けたのは父親だが、ある日気付いたらそう呼んでいたので、双子も従ったに過ぎない。

 双子が見ている限り、ホースルは常に幻獣とは一定の距離を置いていて触れ合おうともしないし、寧ろ避けている節すらある。動物が苦手なわけではなく、あくまでソルのことが気に入らない様子だった。


「リコリー、知ってる?」

「知らない。でも長ったらしい名前よりいいかもね」

「白いもふもふって呼ぶよりはね」


 双子の呑気な会話を、幻獣であるイーティラ・ナ・ソルは複雑な気持ちで聞いていた。ナ族の気高き戦士である自分が、人間に餌を貰うのは別に良い。自分で餌を取るよりも効率的だし、気に入らなければ食べなければ良いだけである。だが、「白いもふもふ」呼ばわりは気に入らないし、ソルと気安く呼ばれるのも本当は拒否したいほどである。


 だがその主張とて、リンに逆らってまで押し通すものでもないとソルは考えていた。かつて自分が付き従った大魔導士マズルの弟にして、預言書における「剣の弟」。本来人間と関わるべきでない存在は、今やその身の全てを双子に捧げているらしい。恐らくソルが双子を甘噛みしたが最後、その歯が炭になるまで焼き尽くされるか、骨片も残さず切り刻まれるに違いなかった。


「予告状には何て書いてあったの?」


 アリトラが再び話を戻す。リコリーは新聞を手元に引き戻して、紙面の文字を読み上げた。


「『来たる白い杯、翡翠を傾けし日 我が腕は王城公園にて、滅びし王朝の象徴を掴む』だってさ」


 その予告状の写しの下には、以前に怪盗が出した別の予告状も掲載されていた。『我が太陽の名の元に、玻璃の城の照らし夜、封じられし女王の冠を盗む』という文体は、今読み上げたものにそっくりだった。


「白い杯と翡翠というのは、間違いなく王朝最後の王である「翡翠王」のことだね。魔法の力に溺れて国を傾け、最後は革命軍によって殺された」

「白い杯って、翡翠王の肖像画に描かれているやつでしょ?」

「代々の国王が所持していたものらしいけど、結局見つからなかったらしいね。翡翠王が自分で壊したという説が有力だ」

「翡翠を傾けし……っていうのは?」

「処刑日のことだね。つまり今日ってこと」


 リコリーは当然のように言ったが、アリトラはきょとんとしたままだった。


「そうなの?」

「そうだよ。毎年この日には王城公園で鎮魂祭が開かれるじゃないか」

「あ、いけない!」


 突然アリトラが大声を出して立ち上がったので、リコリーは驚いて目を見開いた。


「な、何?」

「鎮魂祭のバザーに行かなきゃ。北区のスラン・シロップはそこでしか手に入らないもん」

「スラン?」

「お花のシロップ。珈琲や紅茶に入れると良い匂いがするの。毎年飲んでるでしょ」

「あぁ……あれ、そうだったんだ」


 アリトラは編み物を続けながら、嬉々とした表情で続けた。


「あのシロップを使って花の形のパイを作ると、噛む度に上品な花の香りがするの。紅茶と一緒に食べると、もう絶品なんだから」

「美味しそうだね」

「美味しそうだね、って」


 何気なく言ったリコリーだったが、アリトラはそれに気分を害して眉を寄せた。


「去年作ってあげたのに、覚えてないの?」

「去年の今頃だろ? 僕、多分勉強に追われてたよ」

「毎日部屋に籠って勉強してるから、ちょっと外に出してあげようと思って作ったのに、単語帳読みながら食べて、そのまま戻っちゃって」

「仕方ないだろ。制御機関の試験はアカデミーに次ぐ難関なんだから」

「そりゃそうだけど」


 アリトラにとって去年はあまり楽しくない年だった。剣術部を引退するまではまだ良かったが、その頃からリコリーが試験勉強に追われて構ってくれなくなった。リコリーの小さい頃からの夢を邪魔するつもりは微塵もなかったし、実際、試験が終わるまでは静かにしていたが、もう少し構って欲しかったと思うのも事実である。


「今年はちゃんと食べるよ」

「じゃあバザー一緒に行こうよ。どうせ暇でしょ」

「……僕、まだ眠いんだけど」


 気乗りしない声を出すリコリーの手から、アリトラは新聞を取り上げた。


「外出れば目も覚める。それにバザー行ったことないでしょ? 掘り出し物見つかるかもよ?」

「掘り出し物って、例えば?」

「去年はご近所のバーシュラーさんが、ラスレ帝国時代の魔導杖を買ったって」


 その言葉を聞いた途端に、リコリーは目を見開いた。

 今は東ラスレと西ラスレに分断されてしまったが、かつては大きな領土と長い歴史を持つ帝国だった。そこで非常に短い間作られていた魔導杖は市場にも殆ど出回らない逸品であり、多少壊れていてもいいから欲しいという者が後を絶たない。制御機関やアカデミーでは、目下流行のアンティークであり、基本的に流行りものには興味がないリコリーも、学術的関心から欲しいと思っていた。


「本当?」

「うん。だからいい物見つかるかもよ」


 行く? ともう一度アリトラが尋ねると、リコリーは大きく頷いた。


「じゃあ準備しないと。ソルも行こうよー」


 テーブルの下でその会話を聞いていた白い獣は、やる気もなく尻尾を左右に振ってから、仕方なさそうに立ち上がった。

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