6-7.双子と祖父

「……どう思う?」


 アリトラはレースの手袋に包まれた右手で、サロンの扉を指さした。リコリーは傍のスツールに腰を下ろして、まだ痛む腰を擦りながら口を開く。


「ちょっと変だね」

「もしかしたら、あの人が?」

「その可能性はあるけど……どうやって落としたかが問題だよ。だってあの人は、ベルセ老人が落ちた時に現場にいなかったんだから」

「現場にいなかったなら、何処にいたんだろう」


 少し冷めてしまったハーブティーを飲んでから、アリトラは話を続けた。


「シトラムさんとは食堂車で出会った。その後、アタシ達は列車の中を見物するために、二号車から十号車まで歩いて行った。その間、一度もシトラムさんには会わなかった。車両の中には通路が一つしかないんだから、違う道を通ってすれ違うことは出来ない」

「お手洗いに行っていたのかもしれないよ。各車両にあるんだし」

「うん。きっとシトラムさんもそう言うと思う。お爺さんが落ちて、女の人が悲鳴を上げて、その後でシトラムさんはやってきた。でもそれが嘘だとしたら?」

「嘘?」

「犯人だと思われないための、嘘」


 リコリーの隣に腰を下ろしたアリトラは、慣れない上等なスカートの裾を左手で弄りながら、思考を巡らせる。


「さっき食堂車で話した通り、お爺さんが一人で身を乗り出して落下したとする「事故」には無理があると思う。同じ理由で「自殺」もあり得ない」

「うん。それに自殺ならバルコニーへの扉を閉めたほうがいいよね。誰かに止められちゃうかもしれないし」

「じゃあ「殺人」だと仮定してみる。バルコニーにはお爺さん以外に人はいなかった。アタシ達が見たのは、ストッパーが下ろされていない車椅子と、金時計だけ。どうやってお爺さんをバルコニーから突き落としたんだろう?」


 バルコニーには誰もいなかった。扉が半分閉じていたとは言え、車椅子がかなりの幅を取っていたので、姿を隠すスペースは限られる。もし誰かいたとしても、老人を掴んでバルコニーから落とすという一連の動作を何の滞りもなく出来るとは考えにくい。

 リコリーは悩みながらアリトラの疑問に答えを返す。


「何らかの仕掛けを用いてベルセ老人を落としたと考えるのが、妥当かな」

「魔法?」

「……と言いたいところなんだけど、それも不可能なんだよね」


 リコリーは肩を竦めた。


「魔法を遠隔操作したり、あるいは何かしらの装置のようなものを作るには魔法陣が欠かせない。魔法の影響範囲を広げることは出来ても、発生地点を変更することは出来ないんだよ」

「もう少し易しく」

「僕が此処で氷を作って、十メートル先に投擲することは出来るけど、五メートル先でその魔法を起動して、そこから十メートル先に氷を飛ばすなんて芸当は出来ないわけ」

「要するに魔法陣を使わない場合、魔法の発生地点は常に自分ってこと?」

「そうそう。というか基礎中の基礎だろ、こんなの」


 リコリーの言葉にアリトラは首を横に傾げた。


「いつも勘でやってるから、わからない」

「勘で魔法使わないでよ。目を閉じてナイフ使うようなものじゃないか。まぁ兎に角、シトラムさんはサロンにいなかった。でも、僕がバルコニーを見た時に魔法陣は発見出来なかった。そもそも、発見者の女性が入ってくるタイミングで魔法陣を発動させるなんて不可能に近い」

「不可能かな? 例えば扉とバルコニーに魔法陣を描いておいて、扉を開いた時に最初の魔法陣が起動。その魔法陣でバルコニー側の魔法陣を動かすことは出来る気がするけど」

「魔法陣はどうやって消すの? シトラムさんは後からサロンにやってきた。目撃者や僕たちが魔法陣を見てしまったら、すぐにわかっちゃうよ」

「あ、そっか」


 アリトラは難しい表情を作って考え込む。魔法陣は魔力を利用して描くため、どんな素材を使っても「魔力」がそこに残ってしまう。アリトラはともかくとして、リコリーがそれに気づかないのは不自然だった。


「魔法じゃなくて原始的な装置を使ったとすれば? サロンの扉からバルコニーに糸を渡しておいて、その先を車椅子の車輪に引っかけておく。扉を開くと車椅子がひっくり返って、お爺さんを外に放り出すような仕掛けがあったとか」

「結局糸は残っちゃうし、もし車椅子をひっくり返したいなら、ストッパーを使うと思うんだよね。だって固定出来ないじゃない」


 反論を述べるものの、リコリーもそれ以上の案は思いついていなかった。状況から考えれば、事故で片づけるのが一番理に適っているように思われる。だが、シトラムの数々の言動が、双子にはどうしても奇妙に見えてならなかった。

 悩みながら飲み物を飲んでいた二人だったが、そこに誰かが入ってきた。真っ先にそちらに顔を向けたアリトラは、明るい声を出す。


「お祖父様」

「此処にいたのか」


 ギルはそう言いながら、サロンを見回した。


「いい場所だ。ガラス張りというのが少々近代趣味に過ぎるが」

「どうしたんですか、お祖父様」

「アタシ達を探してたの?」


 双子が尋ねると、ギルは小さく頷いた。


「そろそろケーキが出来上がるそうだから、呼びに来たところだ。……そこが、ベルセ老人が落ちたというバルコニーか」


 閉められた扉を見てギルが呟く。


「今後、外に出ることが禁じられそうだな。どれ、見ておくか」


 双子の前を通り過ぎ、ギルはバルコニーの扉に手を掛ける。


「お祖父様」


 リコリーが立ち上がってそちらに近寄り、アリトラもそれに続いた。


「気を付けてくださいね」

「落ちちゃうかも」

「安心しろ。軍人上がりの足腰を甘く見るんじゃない」


 谷底からの風が線路の枕木の間を通って、上空へと舞い上がる。列車の音も大きい上に風で体感温度は低い。あまり長居する場所とも言えなかった。


「自殺をするなら最適な環境だな。ただ死ぬだけなら鉄柵を掴んで頭を柵の向こうに下げるだけでいい」

「お祖父様は自殺だと?」

「いや、仮に自殺だとすれば、人がいる時には決行しないだろう。此処の扉は半分開けたままだった。ご婦人が入ってきたのに気付いた筈だからな」

「目や耳が弱っていたら?」

「だったらそれこそ、人目に付かないように扉をしめ切って飛び降りるべきだろうな。閉めてしまえば、人がそこにいることはわからない」


 ギルは手すりの表面に目を向ける。いくつかの擦り傷はあったが、それは少なくとも一か月以上前についたもののようだった。塗装が剥げて錆が浮かんでいる。それを暫く見ていたギルだったが、ふと気付いたように振り返ると、バルコニーの端から身を乗り出して、車体の下部に目を向けた。


「ほう、なるほど。補強はされているんだな」

「補強?」


 アリトラがその横から顔を出す。車体の下部には幅二十センチほどの金属板が突き出していて、一定の間隔で小さな金具の輪が設置されている。細い鉄線がそれぞれに縛り付けられて、屋根の上へと伸びていた。


「鉄線を網のように張ることで、外部から衝撃が加わった際のダメージを軽減しているようだ。昔の戦車で使われていたものだな。なかなか古風で良い」

「ガラス張りなんて危ないもんね」

「いや、恐らく九号車も同じだろう。美術品が多く飾ってあるからな。……そろそろ戻るか。冷えてきた」


 双子は素直にそれに従う。リコリーはバルコニーを出る時に再度扉を閉めて内側の留め金を落とした。その音が妙に寒々しくサロンに響き渡った。

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