8-6.何かが違う部屋

「双子ちゃん」


 不意に声を掛けられた二人は、その低い声に恐る恐る振り返った。

 そこにはカレードが不思議そうな表情で立っていた。


「兄貴のほうは兎に角、なんで妹のほうまでいるんだ?」

「あ、その、えっと」

「偶然会ったんです」


 嘘ではないものの、何となくきまり悪い様子で二人が言うと、カレードは疑わし気な視線を向けたが、それ以上は何も言わなかった。


「ラミオン軍曹はどうして? 三階にいたんじゃないんですか?」

「兄貴のほう探してたんだよ」

「僕を?」

「さっき、現場を保管する魔法かけただろ? 死体弄ったか?」

「まさか」

「でもなんか変なんだよ。最初に見た時と違うんだ。ちょっと見てくれるか?」


 カレードにそう言われて、リコリーは諮詢した。


「またあれ見るんですか……」

「いってらっしゃい」

「一緒に来てよ」

「頑張れ、エリート。応援してる」


 弱音を吐くリコリーを、アリトラは無情に切り捨てた。

 制御機関でも軍でもない一般人が、殺害現場に入るわけにはいかない。リコリーも理性では理解しているのだろうが、それでも心細い様子で、カレードの後についてその場を離れた。


「双子ちゃんっていつも一緒にいるんだな」

「そういうわけじゃないんですけど……。寧ろ一緒にいる時のほうが少ないですよ」

「そうかぁ?」

「だって僕、何度か一人の時にラミオン軍曹を見かけたことあるけど、気付かれなかったですし。単に二人でいると目立つんじゃないですか?」

「あー、それはあるかもな」


 年頃の兄妹にしては仲が良いとは言え、四六時中一緒にいるわけではない。内向的なリコリーと社交的なアリトラでは行動範囲も違うし、趣味も違う。

 そのため平日は顔を合わせない日すらあるのだが、休日に偶に出かけると、一人でいる時より周りに声を掛けられる。恐らく皆が、双子は一緒に行動していると思い込んでいるせいだった。


「それより現場がどうかしたんですか?」

「さっき見た時と違う気がするんだよ」

「気がする?」


 それはカレードにしては曖昧な言葉だった。

 瞬間記憶能力を持つカレードは、一度見たものは完璧に記憶する。何かが動かされていたりしたなら、それを的確に指摘できるはずだった。


「わからないってことですか?」

「うーん……。ミソギに相談しようとしたけど、入ってくるなって怒られたし。一応あいつ、上官だから従わないといけねぇんだよな」

「それは当然じゃないかと……」


 三階に戻ると、野次馬の数は減っていた。

 リコリーの上司にあたる魔法使いが、難しい表情をして待ち構えていた。


「セルバドス。中の物に触れたのか?」

「お言葉ですけど……あんな血まみれのものを平気で触れるなら、刑務部に行きます」

「それもそうか。まぁ念のため確認して来い」


 部屋の中に入ると、そこには依然として死体があった。

 リコリーはなるべく視界に入れないようにしながら、部屋の中を見回す。


「うーん……。魔法は解除されていませんし、特に変わったところもないですけど」

「なんか違うんだよなぁ」


 金髪を片手で掻きながら首を傾げるカレードを見て、リコリーは考え込む。カレードの言う違和感は、恐らく大きな変化ではない。もし椅子の位置が変わったとか、血痕の数が増えたとかであれば、カレードにはわかるはずである。


 いつだったか、双子が一緒に買い物に行った帰り道にカレードに会ったことがあった。立ち話をしていたら、近くで遊んでいた子供の投げたボールが飛んできて、二人の持っていた紙袋に直撃した。

 袋が破れて中の物が散らばってしまい、量り売りで買ったオレンジが転がっていってしまった。双子は慌ててそれを集めたものの、元の数がわからないので、全部集めたか確信がなかった。


 困っている双子に、カレードはオレンジを見せるように促した。一つずつ確認した後にカレードは「一個足らない」と言って周囲を探し、植え込みの中から残った一つを見つけ出した。

 オレンジが散らばった時に全ての特徴や大きさを記憶しており、それを基に双子が持っているオレンジと照らし合わせたのだと、双子は暫しの呆然の末に悟った。


「ラミオン軍曹、物が紛失したわけではないですよね?」

「あぁ。それならわかる」


 確認のために尋ねると、予想通りの言葉が返ってきた。

 カレードは学はないが、決して愚かではない。愚かな軍人が戦場で生き残れるはずもない。数が数えられないカレードが、自分の記憶を応用して、足りないオレンジを見つけ出したことが、その証明である。


 カレードが記憶出来るのは視覚で捉えたもののみ。つまり、カレードが感じた「変化」は目に見えるものではあるが、明確な変化ではなく、非常に軽微なものと推測出来る。

 改めて中を確認したリコリーは、その部屋を形成する一つ一つに目を凝らした。


「念のため一つずつ確認します。床の遺体ですが、この位置は?」

「変わってない」


 顔の潰れた遺体は、それを曝け出すように仰向けになっている。首にかかったロケットペンダントは、元は金色だったのだろうが、血に塗れて斑模様となっていた。

 頭を出入り口と逆に向け、両手は無造作に投げ出されている。足は、右足が中途半端に膝を曲げた形になっているが、それは倒れた時のものと考えて良さそうだった。その証拠に、履いている靴には汚れが少ない。カーペットは血まみれであり、もしこの上に倒れた後で足を動かしたのだとすれば、靴に血の痕が付着する。


「家具の配置はどうですか?」

「同じだ」


 血を浴びたテーブルと椅子は、リコリーは詳しく覚えていないが、特に配置は変わっていないように思えた。

 テーブルを挟んで、入り口側と奥に椅子が一脚ずつ置かれている。特に目立つ傷などもない、至ってシンプルなものだった。テーブルの上の途切れた血痕も、先ほど見た時と変わりない。


「壁や床などはどうですか?」

「うーん……、違和感があるのはそこなんだよな。でも、何か無くなってるわけじゃねぇし……」


 壁に飛び散った血は、茶色く乾き始めている。

 床のカーペットは安い素材を使っているようで、毛玉がいくつも出来ているが、その殆どが血を吸い込んで膨らんでいた。


「どう思う、兄貴の方。俺の気のせいかな?」

「いえ。そうとは言えないようです」


 リコリーはゆっくりと上を見上げた。

 そこには嵩のついた照明が、天井から吊るされて佇んでいる。室内用とは言え、直視すると眩しいそれを見て、リコリーは三白眼気味の目を細めた。


「変わったのは室内ではなく、明度です」

「メ?」

「明るさです」


 最初にリコリーが商談室に入った時、カーペットの表面は血塗れなことがわかるだけで、表面の細かいところまでは見えなかった。だが今は、表面の毛玉まで見えるようになっている。

 商談室に窓はない。光源は天井の照明だけである。つまり、先ほどと比べると照明が明るくなっていると考えられた。


「そう言われれば、確かにそうだ。壁は全体的にもう少し暗い色だった。配置が変わってるならすぐにわかっただろうけど、明るさってのは気付かなかったな」


 カレードは碧眼を天井に向けて、感心したように何度か頷く。それから、大きな手を伸ばして、リコリーの頭を仔犬か何かを愛でるように撫でまわした。


「兄貴の方は賢いな」

「うわっ」


 リコリーは驚いて飛びのいた。カレードからすれば謝辞と親愛のつもりでも、一応十八歳の成人であるリコリーにとっては気恥ずかしい。そもそも、カレードは力が強すぎるために、頭を撫でられただけでも相当の振動が来る。

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