1-9.精霊瓶の中身

「七番目?」

「情報屋っていうか便利屋っていうか…。そいつも変なことに詳しいから、話してみたんだよ。そいつも傷の位置を気にしてたな」

「変な名前。本名じゃないよね?」

「通り名さ。俺達みたいな人間は、表に出ている情報や物だけじゃ何かと不便なんでな。そういう手合いも必要になる」

「その人は何か言っていた?」

「そいつは魔法を使ったのか、って」

「使ったの?」

「あれって使うと瓶の中の液体みたいなのが減るんだよな?」

「液体じゃなくて魔力。精霊持ってないと色がつかないけど」


 大陸全土に普及しているマズル魔法は、自分の体の外に魔力を保持することを基礎とする。

 フィン国ではそれが精霊瓶という形になっており、魔法使い達はそこに自分の魔力を溜めこむ。

 精霊が宿るとその魔力が属性の色を帯びて、初めて自分がどれほどの魔力を持っているかわかる。

 同じ精霊持ちでも、精霊の足元にしか魔力がない者から、溢れそうなほど入っている者まで様々だが、少なくとも制御機関の人間は魔力が多い。


「使うと、自分で魔力を補填しない限り減ったままだから……」


 アリトラは説明しかけて、しかし自分が空瓶のため眉を下げる。

 実際には目に見えない魔力が入っているはずだが、精霊がいない以上、それを確認することは出来なかった。


「マスター、精霊瓶貸してー」


 カウンターの中に呼びかけると、面倒そうな声と共に赤く輝く瓶が宙に放り投げられた。

 慌ててそれを受け止めたアリトラは、両手で大事そうに抱えて、カレードの元に持ってくる。

 瓶一杯に詰まった赤い魔力の中に、一匹の赤い蛇が入っていた。瓶口には錆止めの黒い塗料を塗られた鎖がついている。


「これが今、使ってない状態。使うと、瓶の下の方から透けていくんです」

「下からなのか?」

「そう。だから一番上はいつも変わらなくて、そこに魔法刻印が入ります」


 赤い瓶をよく見ると、魔力の上辺に沿って銀色の輪が刻まれていた。


「ふーん……、そういう仕組みか。確か死んだ奴の瓶は底の方に銀色の線があったが、そこまでしっかり黄色い魔力が満ちてた」

「じゃあ使ってないんだ……」

「ということだな。七番目は魔法使いじゃないから、ちょっと自信なさそうだったけど」

「まぁマズル魔法の中でも瓶使うのはうちの国だけみたいですしね」


 あ、とアリトラは思い出したようにカウンターを振り返った。


「マスター! ライチのところにチーズ取りに行ってくる!」

「お前が忘れてるんじゃないかと思って俺はひやひやしたよ。気を付けて行ってこいよ」

「はーい」


 アリトラはエプロンだけ外し、黒いワンピース姿となって店を出て行った。

 カレードはそれを見送った後、残された赤い精霊瓶に視線を注ぐ。中に入っている蛇が首を傾げるようにしているのが愛嬌があった。


「制御機関の人間っていうのは、皆このくらい魔力があるもんなのか?」

「どうだかね。少なくとも魔力が瓶の半分しか溜まらない奴が制御機関に合格したのは見たことがない」


 皿洗いの音に交じって、瓶の持ち主が答える。


「マズル魔法ってのは何なんだ?」

「俺達が使う魔法の総称さ。大陸の九割以上の魔法は、マズルという大魔導士が作った魔法律によって構成されている。同じ剣士でも使う剣は様々だが、どれも刃がついているだろう? 同じことさ。大陸の魔法にはどんな形であれマズルの考案した式が入っている」

「残りの一割は?」

「さぁ。俺はそこまで知らないね。ただ教本にはそう書かれているからな」

「魔法に関しては俺はさーっぱりわからないからピンと来ないんだが、指を鳴らしたりするだけで地震を起こしたり、雷を落としたりなんてことは出来るのか?」

「出来ないね」


 否定ははっきりと返された。


「マズル魔法は詠唱により魔法律を制御する。お前さんが言っているのは、この大陸に蔓延している「自然魔力」と呼ばれる物を使えば可能だろうが、自然魔法を使えるのは、この建物にある巨大な魔法陣だけだ。しかもそれを使って出来るのは、各家庭の食品冷却装置やオーブンの動力供給だけと来ている。とてもじゃないが一人の人間の手には負えない」

「流石、元制御機関のお偉いさんが言うと説得力があるね」


 やめろよ、とカウンターの中から不満そうな声が聞こえ、瓶の中の精霊もそれに応じるように牙を剥いた。





「あぁ、靴屋の二代目だろ? 知ってるよ」


 包装されたチーズの塊をアリトラに渡しながら、まだ若い男はそう言った。

 夕方前の商店街は人通りも少なく、幼い子供の遊ぶ声が何処かからか聞こえてくる。


「二年前に親父さんから跡継いだばっかなのに可哀想だよな」

「ライチは会ったことある?」

「こっちは商人、あっちは職人。色々なところで繋がりはある」


 ライツィ・ニーベルトは双子の幼馴染であり、ニーベルト商店という食品店を営む若き社長でもある。

 双子より二つ年上の二十歳だが、その商売における情熱と手腕は古参の商人たちからも一目置かれており、商店街の青年団のリーダーにも抜擢されている。

 くすんだ灰色の髪が実年齢より少々年嵩に見えることと、意思の強さを表すような吊り上がった眉が印象的な男だった。


「殺されるような理由はあったのかな。怨恨とか」

「ないと思うぞ。超真面目で家族仲も良かったし、少なくともこっちの商店会で悪く言う人はいなかった。それに変な言い方だが、あまり商売欲のない人でさ。値段吊り上げたりとか、他の靴職人と揉め事起こしたりもしなかったし。通り魔にやられたんだろうって、こっちじゃもっぱらの噂だ」

「職人街って治安悪いの?」

「貧民街に比べたら、全くといっていいほどだな。そりゃ血の気の多いのはいるが、酒に酔って殴り合うとか、その程度だ。少なくとも通り魔なんて聞いたことない」


 ふーん、とアリトラは少し考え込み、ふと店頭に出されている黄色いパプリカを見て職人の持っていたペンのことを思い出した。

 ライツィにそのことを尋ねると、太い眉が顰められる。


「あぁ、あれは親父さんから貰ったもんだと思うぞ。俺は前の親父さんには可愛がって貰っててな。それでよく覚えてる。新作が出来ると、それが長時間歩行とか急な速度の変化に耐えられるか自分でテストするんだってさ。それで気付いたことを書くためにいつでもあのペンを持っているって言っていた」

「へぇ。ありがとう、ライチ」

「おう……って何でお前そんなこと聞いたんだ?」


 店に背を向け、元来た道を戻ろうとしていたアリトラは、首だけで振り返って「なんでもない」と答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る