4-15
クリスタルはたたみかけるように、あるいは呪文を唱えるように、あたしの耳元でささやいた。あたしはうつむいてその言葉を聞いた。
「君は変わりたいと思っているだろう? 現状の自分から脱却したいと望んでいるだろう? この世が変わることで、君も変わる。君が変わって、君の力を存分に発揮すれば、この世はさらに変わる。その向上のスパイラルほどに望ましいことがあるかい? 地球の未来を、この社会の構造を、君自身の力で変えたいとは思わないか?」
「……」
「そのためには、ロウシールドの消滅が必要なんだ。でなければ君たちは死者のまま、この世界にアクセスすることができないからね」
「ロウシールドの消滅が……」あたしはオウム返しに答えていた。ジンジャーエールの炭酸が、コップの中でぷちと弾けて、あたしはその呪文の束縛から解けた。
「うまい話にはウラがある……って」
「そう思うか?」
あたしは顔を上げてクリスタルの顔を見た。
「損得をいうのもヘンな気がするけど、あたしたちを祭り上げて、ロウシールドを破壊させて、あんたは何か得するのか?」
クリスタルはうなずいた。
「まぁ、言い方を変えれば裏切りを推奨しているわけだからな。……そうだな、君たちに都合のいいことばかり言っていると悪徳商法の勧誘みたいで不安だろうから、こっちの立場も正直に言っておこう。
俺たち精神体の価値観は人間とは違う。それはわかると思う。今は人間の体を持ち合わせているから、多くの部分で人間と同化しているが、やはり本質は違う。たとえば俺たちには命がないから、長寿や健康に関する情報のプライオリティは限りなく低い。精神体には精神体の快楽ってものが別にあって、そして俺は快楽主義者なのさ」
「精神体の快楽?」
「崇拝だよ」クリスタルはにやりと笑った。「君たちはヘンな宗教と思ってくれればいい。それ以上のものじゃない。だが俺たち精神体にとって、麻薬のような快感をもたらすもの、それは崇拝だ。あらゆる概念を超えて、絶対的な信頼、服従、依存、すべての行動基準として選択されることなんだ。俺は、ローズフォースを地球上に覚醒させる、英雄の創造者になることが、地球全人類にとって崇敬の対象になるものと信じて疑わない。ひとつの惑星すべての住民の尊敬と羨望と信頼のまなざしを、己が身一点に集めてみたいのさ。
現時点の俺が、地球の資源を狙う悪党になっているのもそれが理由だ。目的はモノやカネじゃない、そんなものいくらあったって精神体には何の価値もない。しかし、資源貿易の先駆者になれば、物欲に駆られた異星人どもが俺を崇拝の対象にするってわけさ。
だが正義の味方の方が断然おもしろそうだ。どうだ、俺を信じてみないか。そして、俺を悪党から正義の味方に変えてみないか? ……ブルーローズなどは禁欲的で、こういう考え方を唾棄すべきだというがね」
「それなら、なんであたしたちを……自分で自分の兵隊を作ることも、あんたならできるんだろ?」
「君らをメンテナンスするくらいの技術は持っているがね、何か有効な製品を作り出すというには、俺にはまだまだ能力が欠けているようだ。必要に迫られたから試しにモーリオンを作ってはみたが、どうも醜悪でいけない」それは老人の体はプログラミングしにくいという意味だったのか、単に素材が悪いという意味だったろうか。「下位精神体の能力はふつう上位精神体を超えないのだが、たまにサンフラワーのような逸材が出てくる。彼は驚くほど優秀だよ。ブルーローズが俺と敵対することには変わりないからな、能力をそぐという意味でも、見事なできばえのその完成品をちょっとお借りしたいと思ってこうして誘っているわけだ」
なるほど。……彼には彼なりのメリットがあるわけだ。
あたしはジンジャーエールに口をつけた。甘い。炭酸が抜け始めていて、もう泡は数えるほどしか浮かび上がってこない。
方向性はかなり違うが、悪意の異星人から地球を守るという原則は変わっていない。ブルーローズからクリスタルへ上役がすげ変わるだけ、といえなくもなかった。リスクの少なさという意味でも、クリスタルの申し出は魅力的だったし、彼もそれを承知で話しているんだろう。
「どうすればいいんだ? あたしは何をすればいい?」あたしの口から自然とその言葉が出た。「ロウシールドってのは、そもそも壊せるモノなのか?」
「君たちならば」
クリスタルは真顔で答えた。
「ロウシールドユニットがどこにあるか、どのようなしくみなのか、それは我々にも伝えられてはいない。ロウシールドを設置したり変更したりする権限は精神体でもごく一部にしか与えられておらず、俺やブルーローズにはその権限がない。当然、俺たちより下位の精神体でもムリだ。
権限がなければ、ロウシールドユニットの場所やしくみがわかっても俺たちにはどうしようもない。直接アクセスしたり、調査したりすることは許されない。できるのは、情報をもとに推論し、『言葉に表現する』ことまでだ。
だが、法で制限されているということは、物理的には可能ということなんだ。地球の法律上も宇宙の法律上も物品に過ぎない君たちが、自由意志でなすならば……」
「そうか……あたしら自身が、法の抜け穴のカタマリなんだ」サンフラワーは、そういう抜け穴を突くのが好きなタイプだよな。あいつの方が悪党は似合ってるかもしれない。「だったら法に遵う立場、法に遵わない立場のどちらに立ってもかまわない、と。犬は飼い主の命令通りに動くだけ、って理屈か……」
「そんなに犬でいたいか?」
クリスタルはあたしのおとがいにそっと手を当てて持ち上げた。くすぐったい。さすがに手ではねのけた。クリスタルは軽く肩をすくめただけで、意にも介さずに続けた。
「確かに最初はそうだ。だがそれを利用して、君たちは人に戻ることができる。
ロウシールドユニットを破壊するんだ。俺がロウシールドユニットのあると思われる場所の情報を提供する。そうしたら、君たちはその場所に飛んでいき、ロウシールドを探し当て、破壊する。
空振りもあるだろうし、ときには降下してくる別の異星人と戦うこともあるだろう。何より、ブルーローズが別の部隊を作るか、精神体を作るかして、妨害してくるのは間違いない。
戦いは続く。そしていつかロウシールドを破壊したならば、そこからがほんとうの戦いになるだろうね。それに、不死身の体のまま戦い続けることが苦痛であるのなら、その苦痛は続くよ。生き返るといってもそれは法律的な話で、君たちの体がクラス7オブジェクトであることには変わりないんだ。しかし、兵器のままでいるのと、人間に戻り地球を救うために戦うのと、どちらがいい?」
「戦っていないときは、どうなる?」
「今まで通りでかまわない。メンテナンスは俺がする。金ならモーリオンの会社から出させる。サンフラワーが作った住民票は当面利用させてもらおう、好きな暮らしをするといい。そしていつか戸籍を取り戻したあかつきには、残るも家族のもとへ戻るも自由だ。
あのマンションはブルーローズが用意したものだから引き払ってもらうことになると思うが、似た部屋くらいいくらでも提供する。よければ私の住まいに来ないか、シトリンやアメジストも一緒だがね。これまでは敵味方で戦ったから、すぐに仲良く、というわけにはいかんだろうが、ま、なんとかなるさ。あいつらは俺の下位精神体なんだから、困るようなら俺が言って聞かせる」
シトリンの名が出て、はっとゆきののことを思い出した。
ゆきのはこの申し出を喜ぶだろうか。もしクリスタルがあたしではなく先にゆきのに声をかけたとしたら、彼女は何と答えただろう。
地球が滅びることを知って、クリスタルの元へ行こうと最初に言い出したのは彼女だ。でも彼女は、学校へ行くことを選んだ。彼女にとって最良の選択肢を、サンフラワーが差し出したから。
クリスタルの元で地球を滅亡から救う道を探れて、学校へも行けて、しかも今は友人であるシトリンが一緒だ。その上、あたしたちを人間として扱ってくれるのなら……それは彼女が選びたかった未来そのものじゃないのか?
「……クリスタル、ひとつ訊く」あたしは尋ねた。
「何だ?」
「あたしたちが兵器でなくて人間だっていうなら、モノとして扱われることはないんだな? つまり……不良品だから、弱くて役に立たないからといって廃棄されることはないんだな?」
「当然だろう?」クリスタルは答えた。
すべてがよい話のような気がしてきて、あたしは少し興奮した。
踏み込む価値のある、素晴らしいチャンスじゃないか。
あたしはジンジャーエールをもうひとくち飲んだ。疲れて閉じがちだった頭の中に糖分が溶け込んでいく。
「……悪くない話だな」
「だろ? ……どうだ、返事を聞かせてもらえるか?」
「そうだな……」
気を持たせるような返事と裏腹に、糖分に満たされた脳内には空間がいっぺんに広がっていた。
人間に戻る……か。
あたしたちは死者から生者に還ることを目指す。宇宙法下のモノでなく地球法下の人間として、自分のことは自分で決める、未来は自分の意思で変えるというイニシアチブを、当たり前に自分の手元に取り戻す。その後には、地球が地球自身の意志を決める未来に参画する。その事実を有効に扱えるかともかく、それは人生の目的となりうると思った。
あたしは人間に戻る。ひとりの日本人として、日常そのものを変えていく。素晴らしい未来になるかどうかはわからない。でも、未来に対する漠然とした不安は取り除かれ、ぼやけただけだったものが確実にかたちになる、あたし自身がかたちにしていく。刺激的で、発展的に塗り替えられた世界へ、心強い仲間たちとともに、向かっていくことができる。
世界が、変わるんだ。その決断をあたしが下す。そのために必要なのは、クリスタルにイエスと伝えることだけだ。
───世界を変える、決断だ。
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