Procedure 3 カナリー バード

3-01

 運用開始といっても、事件が起きるまでは───サンフラワーに言わせると「イベントの発生」までは───待機だ。


 マンションの九階で、四つの死体の奇妙な共同生活が始まっていた。サンフラワーから渡された金子はほんとうに生活費にぎりぎり足るだけしかなく、あたしたちはそれで暮らしていくことになった。


 その金の出所はさっぱり謎だったが、些末なことだった。考え出すときりがないことは山ほどあり、また一方で、食事だとか睡眠だとかの日常もまた日常でそこにあった。新しい生活に対する違和感をひとつひとつ、慣れというなんとなくうさんくさいもので埋めていくので精一杯だった。


 家事一切はゆきのが名乗りを上げた。とにかくやってみたかったそうである。当番制にせねばなるまいなと思っていたあたしは驚喜した。こんなうぜぇこと(失礼!)を好きこのんでやってくれる人間がいるんだから、甘えてしまえというのがあたしの結論だった(だがこの甘えによって、家計簿も彼女に任せた結果、財布の紐が完全にゆきのに奪われる結果となった。共同生活の中でそれぞれが涙ぐましい苦労を強いられることになるのだが、その話はまたいずれ)。


 しばらくは四苦八苦していたようだ。洗濯物は色落ちさせるわ、はたきは使えないわ、鍋は焦がすわ、まるで新婚家庭を描いたドラマそれもテレビが白黒だった時代のものを見ているような有様だった。お手伝いにはかなり熱心であったらしいめぐみを、師匠と呼んで敬服していたほどである(それはそれで、あたしとさおりがいかに何もできなかったかという事実も示している。嗚呼)。


 が、継続は力なり。頭のめぐりの速いゆきのはすぐにコツをつかんで、なんでもてきぱきこなすようになった。ただ食事の味付けだけはいつまで経っても、病院か寺か京懐石かとうめくほどの薄味で、それをおいしいおいしいとか健康にいいんですよとか言ってほおばるので、ゆきの以外の全員がマイしょうゆを常備しなければならなかった。


 実のところ、あたしたちの体には食事が不要だった。脳の活動のために必要な、サンフラワー謹製の糖錠剤の瓶が、台所の戸棚にどんと鎮座ましましていて、それをかじっていれば十分なのだった。しかし、「生活の一環」として食事が必要だと、みな感じていた。


 それに限らず、あたしたちはまず、人間の生活を維持することで一致していた。そうでない生活を想像できなかった。汚れなくても掃除洗濯は毎日したし、必要なくてもニュースは毎日見た。生きている頃は、つまらぬつまらぬと言って無視していた季節の風景の映像が───たとえば、今日はどこそこで祭りがあって古式ゆかしき何とやらに沿道の観衆はどうのこうのとか、今日は例年より暖かく何月並みの陽気で公園の噴水では子供の戯れる姿がうんぬんとか───やけに歯がゆくてしかたがなかった。


 そんな日常が、始まっていた。




 しばらくいっしょに暮らすうちに、だいたいお互いのことがつかめてきた。


 めぐみは、まだときどき悪夢にうなされているが、気を張って年上の三人に溶け込もうとしていた。ゆきのが家事をめぐみに教わったというのは、めぐみの精神安定のためにもだいぶよかったようだ。


 小野田家は聞いててあきれるくらいハッピーな家庭だったらしく、育ちの良さでは圧倒的だった。実年齢では確かに年下だが、精神年齢や多様な経験値という観点では、その差はぐっと縮まり、なくなり、あるいは逆転までしてしまうというのがホントのところだ。


 家事はお手伝いのレベルながらオールラウンドにこなし、アイロンがけの手際など他の三人は足元にも及ばない。ピアノにそろばんにキッズ向け英会話、日舞もやっていて着付けが自分でできるというから恐ろしい。いい嫁さんになるぜベイベーってなもんで、それゆえに死という形で愛すべき生活から引き離された痛みは大きいのだろう。


 ただ、めぐみがもし足を踏み外したならさおりのようになるんだろう、という気はした。さおりはあまり昔のことを語らない。忘れちゃったァ、ととぼけているのもほんとうか嘘かわからない。根は純粋で優しい面もあるし、もしかしたらめぐみ以上にいいところのお嬢さんで、家族との折り合いや男運の悪さが原因で安定路線からは遠く外れてしまった、と考えた方が腑に落ちる。


 もっとも、彼女はめぐみと違ってほんとうに頭が弱い。よっぽど悪いものを食ってきたとしか思えない。キャベツと白菜の見分けがつかないだとか、さんずいの漢字といってなんのことかわからなかったとか、箱根県ってなかったっけと言い出すとか、枚挙にいとまがない。できるといえば、高校を出た後は経理の専門学校に籍を置いていたそうで(ワイドショーに出てきた写真は、この学校の学生証用の写真が流用されたのだ)、テンキーを叩く速さはそれなりのものを持っている。もちろん計算をするのは本人ではなく、電卓だ。パソコン全盛の時代に電卓が速くても何の自慢にもならんと思うが、本人はこの能力と美貌があればOLはいつでもできるとうそぶいている。あー、電卓叩くだけの仕事をやっていけないってのは、いったいどういう人間だろう。


 ただ、彼女は自分の脳みその出来をおおよそ自覚している。それゆえ歳の浅いあたしたちに何の尊敬も求めないさっぱりした振る舞いと、五秒で忘れるチョー鳥頭は、我らがよきムードメーカーとして機能していた。とにかく悩むことと難しく考えることが嫌いなのだ。カワイイかダメダメかの二元論は、ことあるごとに生前のあれこれと比べてしまって暗い顔になる他の三人を救ってくれた。いけ好かないといって全否定してははじまらない、あたしはリーダーの自覚が強いわけじゃないけれど、彼女みたいなのをうまく役立ててこそリーダーなんだろうな、とは思う。


 よくわからないのが、ゆきのなのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る