第二十三話 いつか、雨はやむ

「アルス……よかった。無事だったのか……」


 アルスに近づき、オズが発した第一声はそれだった。アルスは眉間にしわを寄せた。


「フン……英雄サマのおかげでな」


 嫌味ったらしい口調で返事を投げるアルス。


「いや、セナにも言われたけど……英雄ってのはやっぱ恥ずかしいな……」


 気恥ずかしく感じて頭をかく。しかしその態度が気にさわったらしい。アルスはいっそういらだった顔つきになった。


「……なにヘラヘラしてんだよ」

「え?」

「勘違いしてんじゃねぇよ。街の人間はどいつもこいつも、お前がこの街を救ったとかぬかしやがる。……だがよぉ、バルダ・リトヘンデがお前をかばって死ななければ、突然変異体ミュータントを倒したのはアイツだったはずだ。アイツなら、大勢の犠牲が出る前にカタをつけてたんじゃねぇのか?」


 オズは力なく笑った。アルスの言葉はまさにそのとおりだったからだ。


「……そうだな。俺が弱かったから、父さんは死んだ。そのせいで多くの犠牲をだしてしまった。俺は自分の弱さを痛感したよ。だから、俺はもっと強くならなきゃいけない」

「――ハッ。きれいごとはいくらでも言えんだよ! 英雄だァ? 笑わせんじゃねぇ! てめえはなあ! 英雄どころか人ごろ……」

「――やめて!」


 アルスの言葉をさえぎったのは、オズの隣に立っていたセナだった。


「オズくんは、わたしたちのために命をかけて戦ってくれた。なのに……どうしてそんなひどいことを言うの?」

「うるせぇ、折れた耳ブロキンゴア!」


 興奮したようにアルスが叫ぶ。これにはさすがのオズもキレた。


「おい。セナをそんな風に呼ぶのはやめろ」


 オズは一歩前に出た。アルスは馬鹿にしたようなそぶりで両手を上げると。


「おお、怖え怖え……英雄サマは、お怒りですってか?」


 アルスのそんな様子を見て、オズの胸に憐れみさえ湧いてくる。


「……アルス。どうしてお前は、いつもそうやって周りに噛みついてばかりいるんだ? そんな生き方をしてどうなるんだよ?」

「――うるせえ! わかったような口きくんじゃねぇよ! いいか! わかってないのはてめえらの方だ! てめえらはいつも! なにもかも、ガイムがすべて悪いみたいな顔をしやがる!」

「……なにが言いたいんだ?」


 オズはいぶかしんだ。アルスの言葉の意味がよくわからなかった。


「――ハッ。そうだ……悪いのはてめえだけじゃねえ、あのリトヘンデの野郎もだ! なにが、Aランクバスターだ! てめえみたいな予備生をかばったせいで、多くのバスターがガイムの腹ん中だ! アイツ、戦いの前に言ってたよなあ? “サクッと倒してやる”ってよ。……それがなんだァ? 大口叩いてたくせに、ザマぁねえ! バスターをやめて、花屋なんておままごとにかまけてたから――ぶふっ!?」


 アルスがすべてを言い終わらないうちに、オズの右手が飛んでいた。顔面を殴られ、アルスは地面に崩れ落ちる。


「俺のことはなんと言ってくれてもかまわない。……けど、父さんやセナのことを侮辱することは、許さない」


 アルスは、唇から流れ出た血をぬぐいながら立ち上がった。そして、憤怒のまなざしでオズを見返す。


「やんのか? あ゛ぁ゛? ちょっとばかし強くなったからって、調子にのってんじゃねえぞッ!」

「――ぶっ!」


 瞬間、アルスから拳が飛び、オズは吹き飛ばされた。レベルが15になったとはいえ、それでも受験資格ギリギリのレベル。オズと同じくプロを目指すアルスは、それ以上のレベルとみて間違いなさそうだ。新しく目覚めた能力も、無暗に使えるものではない。


「――オズくん!」


 セナが駆け寄ってくる。だが、オズは手をかかげそれを制した。立ち上がり、アルスを見据える。


「アルス……お前にはいつか借りを返そうと思ってたんだ。――セナ、止めるなよ!」

「――ハッ! 上等!」


 瞬間、オズとアルスはそれぞれ飛びかかった。


「――ちょっと! オズくん!?」


 少女の叫びも聞かず、雨の中、少年二人は殴り合いを始めた。



 * * *



 ルーク・ブレアは、仕事を終えて診療所への道を歩いていた。ガイムの猛攻によって大部分が削られた城壁。降りしきる雨の中、その修繕を彼は手伝っていた。幸い城壁の素材となるガイストーンは潤沢にある。ガイムの襲来から一日がすぎ、西門の城壁は元に戻りつつあった。

 オズの様子はどうなったのだろう。治癒師によれば、時期に目を覚ますとのことだから、そこまで心配はしていないが。それよりも姉のことが心配だ。オズの元から離れようとしないのだから。


「――んん?」


 診療所の前に人だかりができているのを発見する。

 まさか、オズの身になにかあったのか――!?

 ルークは傘を放り出し、慌てて走り出した。雨に濡れるのもかまわず駆け寄り、人混みをかき分けていく。目に飛び込んできたのは――


「お前のそのへらずぐち、俺が黙らせてやるッ!」

「っざけんな! くたばりやがれ!」


 オズとアルスが殴り合いをしていた。鼻血を噴き出し、雨粒に濡れながら、熱い戦いを繰り広げていた。ルークの心配をよそに、オズはぴんぴんしている。


「な、なんでこんなことになってんの?」


 ルークは姉の姿を探した。人混みを見渡し、すぐにその姿を発見する。彼は姉に駆け寄った。


「――姉さん! なにボーっと見てんのさ! はやく二人を止めないと! オズは病み上がりみたいなものなんだし!」

「ルーク、とめちゃダメだよ」

「……え? 姉さん、なに言ってんの!?」


 こういう場合、真っ先に止めそうなのはセナである。だが、セナは微動だにせず二人の戦いを見続けていた。


「オズくんって、不思議な力があるの。人のあり方を変えるような、なにかが」

「……?」

「わたしね、オズくんに出会ってから変わったの。毎日がすごく楽しくて、生きるのってこんなにすばらしいことなんだなって思えるようになったんだ。わたしだけじゃない。あのバルダさんがオズくんのことを息子とまで言ったのも、なにか感じるものがあったからだと思う。……ルーク。アルスくんの顔を見て?」


 姉にうながされ、ルークは半獣人デミ・ライカンの少年に目を向けた。鼻血を出し、殴り殴られながら、なにかに食らいつくような――そんな表情。


「こんな風に、だれかにまっすぐぶつかってくるアルスくんを見たことがある? いま、アルスくんは変わろうとしてる。オズくんに出会って、アルスくんのすさんだ心も動かされたんだ。――だから、とめちゃダメ」


 確信を映した瞳で、殴り合いの行く末を見つめるセナ。それを見て、弟はうなずいた。


「おーけー。姉さんがそこまで言うなら、ボクも二人を見守るよ。アルスがどんな風に変わるのか、楽しみだなあ。――あ、傘どっかいっちゃったから、入れてよ姉さん」

「ヤダ。わたしの隣は、オズくんのためにあけたスペースだから」

「え……ひどい……」



 * * *



 オズが殴れば、アルスが殴り返す。二人は迫りくる拳をかわそうともしなかった。そこには、男の意地があった。

 アルスのパンチは重かった。大柄な見た目のとおり、一発一発にこめられた威力はすさまじい。口から血を流し、雨でずぶ濡れになりながら、オズは殴り返した。

 アルスの顔はひどいことになっていた。鼻から血を流し、口は切れ、顔はあちこちが赤黒くはれている。髪の毛はびしょびしょで、服は泥だらけ。きっと、自分も似たようなものだろう。

 いつか借りを返してやろうとは思っていた。だがそれよりも、バルダが死んだやりきれなさを、どこかにぶつけたかったのかもしれなかった。

 そして。殴り合ってわかったことがある。アルスの拳に、迷いがあることに。言いたいことがあるのに、言うことができない。胸にため込んだ思いが喉元まで出かかって、今にもあふれ出しそうになっている。歯を食いしばった彼の表情から、重い拳から、オズはそこまでわかってしまった。目の前の少年の拳は、態度や口調とは打って変わって、あまりにも素直だったから。

 オズは拳を握りしめ、叫んだ。


「言いたいことがあるなら、言葉にして言え!  男のくせにうじうじしてんじゃねえよ!」


 そして、渾身の力でアルスを殴り飛ばした。顔面を強打され、アルスは吹き飛ぶ。


「くそが……」


 アルスは起き上がらなかった。濡れた地面に爪を立て、悔しそうに。


「なんでだよ……バルダ・リトヘンデは、お前の大切な人間だったんじゃねぇのかよ……」

「……? そうだ。バルダは――父さんは、俺にとってかけがえのない存在だった」


 膝をついたアルスは顔を上げ、オズを見た。


「わかんねぇよ……。お前のせいで死んだのに、どうしてもっと自分を責めねえんだよ。てめえ、言ったよな……もっと強くなんなきゃいけねえって……。どうして、そんなことが言えんだよ!? ――もっと自分を憎めよ! もっと自分をうらめよ! なんでてめえは、そうやって前を向けるんだよ!?」


 アルスが顔をゆがめて叫んだ。オズは拳を震わせる。


「ふざけんなよ……自分が憎くないわけがないだろ! 俺のせいで、父さんは死んだんだから……! でもだからこそ。父さんの死を無駄にしないためにも、強くならなきゃいけないんじゃないのか!?」


 アルスは再び視線を落とした。


「……ハッ。しょせん、てめえも自分のことしか考えてねえんだな……」


 オズはアルスに歩み寄る。水たまりの泥水が、バシャバシャと音を立てて跳ねた。アルスの胸ぐらをつかみ、オズは顔を近づけた。


「言いたいことがあるなら、言えって言っただろうが! アルス! お前は、なにが言いたいんだよ!?」


 アルスは歯を食いしばる。悲痛な表情で、自らの心情を吐露し始めた。


「俺には、わからねえ。自分がなんのために剣を握ってんのか……。なあ、教えてくれよ? てめえはなんのために戦うんだ? 人間を守るためか? ――けどよ、人間を守る価値なんてあんのかよ!? 俺の兄貴は、人間の不注意とおごりによって死んだんだ! 兄貴を殺したのは、ガイムなんかじゃない……人間なんだよッ!!」


 今から数年前、護衛を雇わず〈ライン〉を進む人々がガイムに襲われた。そこへ助けに入ったのが、バスター予備生であったアルスの兄。彼は人々を守ることに成功したが、代わりに命を落としたのだった。


「俺は……ッ! 人間が、憎くて憎くてたまらないんだ……ッ!!」


 アルスの目じりから、ひとすじのしずくがつたい落ちる。オズはアルスの胸ぐらから手を離した。どさり――とアルスは膝をつく。

 目の前の少年は、唯一の肉親の死をいまだ引きずっていた。兄が死んでから、アルスの時間は止まったまま。


「アルス……お前が好きだったお兄さんも、人間だったんじゃないのか」

「――ッ」


 オズがポツリとこぼすと、アルスはわずかに身じろいだ。


「お前のことを心配してる孤児院の院長さんだってそうだ。街を守るために戦って、命を落としたバスターたちも。たった今、お前と殴り合ってた俺も。それから、お前自身も。……みんな、人間じゃないか」

「……てめえがなんと言おうと、もう兄貴はこの世にいねぇんだ」


 オズは静かにうなずいた。


「……そうだな。死んだ人はもう戻ってこない。……父さんもだ。父さんは、もう戻ってこない。あの優しい笑顔は、もう見ることはできないんだ。――でもな、父さんは決して無駄に命を散らしたんじゃない。父さんは命をかけて、俺に大切なことを教えてくれた」


 アルスは顔を上げ、オズを見た。そして、次の言葉を待った。

 オズはゆっくり口を開く。


「父さんは、俺を守って命を落とした。……俺も、どうせ死ぬんなら、だれかを守って死にたい。この自分の命、守りたいものを守るために使ってやる。――父さんのおかげで、そう気づくことができた。……だから、俺はガイムバスターになる。それが、俺の戦う生きる意味だ」


 アルスはしばらくの間、呆然とオズを見つめた。オズの言葉を噛みしめるように。


「お前のお兄さんも、バスターを目指してたんだろ? お兄さんは、なんのために戦ってたんだ?」

「――兄貴は……兄貴は…………うぐっ」


 アルスの目から、涙があふれ出す。


「あぁ……思い出した。てめえのせいで……思い出しちまった! くそっ、兄貴と似たようなこと言うんじゃねえよ……ッ! そういうクセえセリフを言ったのはなぁ……兄貴の方が先なんだよ! ――“命の危険は百も承知。それでも人々みんなを守るんだ”――それが、兄貴の口ぐせだった……ッ!!」


 雨の中、アルスは声を上げて泣いた。恥も外聞もかなぐり捨てて、少年は涙を流した。長い間孤独に閉じ込められていた悲しみや寂しさを、吐き出すように。心の弱さをさらけ出した少年は、年相応で、等身大だった。

 オズの言葉が、止まっていたアルスの時間を動かした。アルスは、見失ってしまった大切なものを取り戻したのだ。

 しばらくして、オズは手を差し出した。

 アルスはごしごしと目をこすり、ぶっきらぼうに言う。


「なんだよ……」

「立てよ、アルス。――知ってるか? 人は支えあって生きてくものなんだぜ。……お前がまた道に迷ったら、俺がお前のことを殴ってやる。だからお前も、俺になにかあったら、遠慮なくぶん殴ってくれ。……どうだ? なかなか悪くない話だろ?」


 アルスが今までしてきた行動の数々は許されないことだ。しかし、オズはそれを水に流そうと思った。

 アルスは、もう以前のアルスではないと思ったから。

 そしてなにより、目の前の少年とはよい友だちになれる気がした。


「……フン。よくそんなクセえセリフを吐けるもんだな」


 アルスは泥だらけの顔で鼻をかいて。そして、オズと目を合わせた。すさんでいた瞳が、澄んだ瞳に変わっていた。


「てめえのその話、のってやる。……けどよ、吠え面かくんじゃねえぞ。もしその時がきたら、てめえのことを……ボッコボコの、ギッタギタに殴り倒してやるからなッ!」


 アルスはオズの手をバシリと握りしめ、立ち上がった。アルスを引き起こしながら、オズはニヤッとした。


「――望むところだ!」


 いつの間にか雨はやみ、空は晴れ始めていた。雲の切れ間から光が射し込み、握りあう二人の少年の手を照らしていた。

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