-Chapter3-

AWARENESS

「――と、璃々亜さんが鬼の形相で叫んだのさ」

 太陽と月が二三度往復してからやっと、この事件を当事者以外の人間に話せるだけのゆとりを持てた。

「……待ちなさい。今、庵さんの見た夢の話をしているの?」

 但し、増井璃々亜という人間を予め知っている者は猶更困惑する物語であり、週始めの憂鬱な朝に偶々訪問してくれた純玲ちゃんを自室へ招き入れた際、経緯を述べても冷笑されるばかりであった。

「嘘のような本当の話なんだ」

「そう……だったら、貴方が愚劣な男女の集まりに参加したことを咎める必要があるけど?」

「あ」

 迂闊だった。抑々そもそも、純玲ちゃんには禁句となるエピソードだった。

 斯くして、垂水純玲先生に依る小言の濁流に溺れては、純真とは何ぞやと云う難渋な思弁を展開されてしまい、時計の長針が一周するまで僕はひたすらに耐え凌ぐ外になかった。

「庵さんはぜんっぜん解っていないわ。そんなんだから、在りもしなかった純文学の栄光を引きずっちまっているのよ。貴方は限界を覚えてしまっているの。だけど、それは単なるまやかしであって、無意義な独り相撲で無駄な苦労を背負っているのだわ。ある意味で純粋な心を庇護している庵さんの優しさと直向きさが顕現されているのには悪く言えないけど、駄目なのは自分自身を低く見積っていることなのよ。本来の庵さんはわたくしの叱責が無くとも、屹度上手くやっていける小説家に違いないわ。それがどうして不純たる場にてアトウイオリの名を傷附けられてしまい、どう仕様もない惨めな顛末になるとか云えば……」

「ご、ごめん。ごめんなさい……。悖徳の過ちを以後反省するからさ、取り敢えずは話の焦点を璃々亜さんへ戻させていただけますでしょうか……」

 やっとの思いで純玲ちゃんの口撃を止めさせ、彼女も興味を示すであろう増井璃々亜の変貌を語りたく思うのだ。

「そうね。庵さんへの弾劾は後回しね」

「まだ続くのか……」

「当たり前じゃないの。で、璃々亜さんは結句、どうなったのかしらん」

「そのD’……いや、大東さんの顔面に刺身のつまをブチ撒けて、怒り心頭のまま退室してしまったよ。合コンは完全な御通夜となって、予定時間より二十分前倒して解散したんだ」

「……恐怖ね。それまで御機嫌で快活な女の子が癇癪かんしゃくを起こしてしまったもの。璃々亜さん……一体どうしちまったのかしら。庵さんと私の状況を一つの線にすると、彼女ったら大人しくなっては極度に元気になって、最終的には癇癖かんぺきの強い女の子に移り変わってしまったわ」

 常日頃、僕が起臥きがしているベッドに腰かけている純玲ちゃんは(ちなみに僕は彼女の威厳に委縮していた為、自分の私室にもかかわらずフローリングの上で正座していた)頭を擡げて、常軌を逸した友人の気狂い振りを深く憂慮していた。

「若くして凄く専門的な学問に挑戦されているから、精神的に参ってしまったの……? ああ、とても不安だわ。璃々亜さんが何かに四苦八苦されて、情緒が不安定になっていくなんて……ねえ、庵さん。貴方はわたくしよりも多分、執筆活動を介して璃々亜さんの内面により接近しているはずよ。心当たりは無いの?」

 僕は唇を横一直線にして、断言が難しいことを提示した。

 が、数秒の時を挟んで、非現実に近しい仮現のバックボーンを自らの言葉で表したく思えたし、現実に寄与される超越的未来を覚悟していたのだ。

「――原因は<SCTE>のオートリライト……被転写体の物語と、開発者其物が連関するその脳波にある……そんな、純玲ちゃんは許せるだろうか?」

「何ですって?」

 目を丸くさせた純玲ちゃんの表情は、昨晩の僕のと丁度一致しているであろう。

「昨日、オートリライトしてもらった小説を見て……一つの係累が浮上したんだ。それを含めて、僕は璃々亜さんと直接会って確かめたい。恐らく……彼女が開発した<SCTE>には、僕の頑迷な創作を救う以外の目的があるんだ」

 僕がシュルレアリスムの世界から離れられないように、彼女にも何物にも代え難い大事な信念が内在されている。気質が流転しているのに、彼女の中心には一本の堅強な軸が貫通せられている。

「そう。わたくしも一度は増井家の研究所に御邪魔させていただきたく思っている処だったわ。好都合ね」

 目には見えない矛盾を好む僕の妄想に過ぎないとは言わず、生真面目な稟性で僕の傍について着てくれる純玲ちゃんが、とても頼もしかった。同じ不安でも、一人より二人で共有した方がまだ光は強く灯されている。


             ■    ■    ■


 (仮題) 続・三位一体なる冥園 第四話


 わたし達は会っては別れ、別れては会っての反復を存在意義とする離接的共存在でありまして、G庭園の海岸で何十回若しくは何百回目に及ぶ危機に瀕しておりました。

「銃火器ヲ武装スルナ。アノ二人ニ撃チ殺サレル道具ニナル」

 わたし達を包囲する部隊に向けて拡声器で警戒を促す刑事にも、凄まじい既視感を覚えております。

「糞が。私とRが何をしたと云うの。そうやってあなた達<園民>は毎度……無辜の民に罪を擦り附けているのを忘れているの。その矮小な脳味噌に語りかけても、屑同然の頽落者には何も響かないのかしら」

 諦念を交え乍らも、Sは頬をトマト色に染めて心から叫んでいます。わたしは、彼女の背中に隠れているだけであります。

(中略)「容疑者Sガ被害者Rヲ射殺スル迄、後七十三マイルと八十五秒」

 機械音声の特質を目立たせて、刑事は平板にコールしております。

「無意味なカウントダウンは止めて頂戴」

「世界ハ変ワラヌ。未来乃至過去改変プログラムヲ看過シナイ限リハ、Sノ凶悪犯罪モRノ悲劇モ確定ト為ル」

「それが理不尽だって私が「容疑者Sガ被害者Rヲ射殺スル迄、後五十哩と九十九秒」怒っているんじゃないの。どうして「後八秒と三・八次元」解らないのよ。何で私が愛する人を「後十一日と五曜日」この手で殺さねばならないのよっ!」

 彼女の怒号は無視されまして、読点を打つように刑事の宣告が続きました。


 夢現の街、冥園……改めれば<MEI-EN>。一時は平和を受諾しても無前提の不運に依り私達三人を再度引き裂いた世界には、譴責けんせきを打破した悪意で埋め尽くされている。


             ■    ■    ■


<SCTE-ND:42.8>

<Remake Transcription-Ⅰ>

 タイトル:パーリーピーポー・イン・アキハバラ・マスト・ダイ 4th Stage


 未来は、変えられなかった。

 西暦二〇六七年より秋葉原を侵食するパーリ―ピーポーの群れは、青春期の甘い果実となる性行為を都市伝説だと信じて已まない陰キャなる俺らを嘲り笑う。

「マジでオタクって棲息してんだしー超キモいしー」

「ありえねえっしょ。少子化に足引っ張ってんじゃあねえしー」

「うわっ、レオったらクッソ頭良さそうな言葉使うじゃん。キャラメってんな」

「当然っしょ。キャラメなきゃ損っしょ」

 ナイトクラブを住処にしているような奴らがオタクの聖地で蔓延している今を、五十年前の日本人が果たして予期していただろうか。

 秋葉原ヒルズが建てられてから街並みは一転し、田舎者が躊躇うような洒落た雰囲気になってしまった。定番デートスポットとなるイルミネーションやカフェがあちらこちらで犇き合い(実際にはもっと色んな店舗や施設もあるのだが、縁の無い僕が知り得る単語はその二つで限界だった)、元からあった電気機械部品の小売や中古ゲーム屋などは潰れているか、パーリ―ピーポーの邪魔にならないよう街の角に追いやられた。

 そんな信じ難い未来を書き換えるべく、僕は未来改変プログラムを駆使して、本来あるべき秋葉原を守ろうとしたのに……現実、いや結局の未来はこうして、猥雑な若者達に指をさされて笑われる受苦を味わったのだった。

「いつまでも落ち込んでんなよ。あんたにはさほど期待していなかったら、これくらい想定内さ」

 だが、救いはまだあった。未来改変プログラムを与えてくれた秘密警察の彼女――コードネーム:Sの刺々しい声が聞ければ、安心できる。

「お……路地裏にいるあいつら、クスリやってんな。ちょっと待ってろ」

 Sは、味方の僕が恐れるほど頼りになった。外套の懐から拳銃を取り出した彼女は、建物と建物の間隙で白い粉と一万円札の交換を行っていた男二人に向かって躊躇いなく四五発撃った。

 全弾頭部に命中し、男二人が力無く斃れたところを確認したSを中心とした半径五メートル以内にいた僕以外の存在者は、戦き霧散した。

「ほら、あんたが言わないと合法的射殺が成立しねえんだよ」

「あ……そうか。えっと、只今の殺人はあくまでフィクティシャス・バレットによる架空性射殺でありまして、死の恐怖で……い、いましめられた愚者達は真人間として後程蘇生されますのでご安心ください」

 たどたどしい口調でSに教えてもらった決まり文句を何とか言い切った。これで発砲が正当化されてしまう社会に、僕は今一つ適応していない。

「じゃ、今の私は機嫌悪いからパーリ―ピーポーをどんどん殺すぞ」

(中略)今度は居酒屋の入口前でたむろしているチャラい大学生の集団を、迷惑防止なんとか罪の適当な言い分でSは一人残さず殲滅した。

「調子乗ンなよクソガキ共が! ここはお前等の世界じゃあねえんだよ!」

「只今の殺人はあくまでフィクティシャス・バレットによる架空性射殺でありまして、死の恐怖で警められた愚者達は真人間として後程蘇生されますのでご安心ください」

(中略)挙句の果てには、私を軽く睨んだからと彼女は言って、汚い金髪に染めたすれ違いのカップルの背中に多数の銃弾を埋め込んだ。

「理由は無いけど、とりあえず死んどけ」

「只今の殺人は以下略」

 どちらが悪なのか迷うこともある。しかし、立ち止まっていては僕と彼女の善を損ねてしまう。だから、どんなに世界の様相が常軌を逸していても、僕らの願望を捻じ曲げてはならないのだ。

</SCTE-ND>

</Remake Transcription-Ⅰ>


「ふむ……今回は何方も過激なストーリーね」

 純玲ちゃんは僕が愛用しているタブレットで二作品を読み、眼を擦り乍ら感想を呟いた。僕等二人は家を出て大学には向かわず、一駅過ぎた処にある増井の研究所に足を運んでいた。予定した講義が准教授の都合で休講になったので、丁度良いタイミングとなった。

「貴方としては被転写体……<SCTE>のオートリライト作品をどう評価しているの? もう四回目だっけ?」

「第二話は二回リライトしてもらったから正確には五回目だけど、僕としては意外と悪くないジャンルだと思う。登場人物の性格の軽さに目を瞑れば、ライトノベルとシュルレアリスムの融合には多少成功していると見做せるかな」

「そうねえ……でも、これくらいの癖があったら、却って庵さんの力で書けそうなテイストじゃあないかしら」

「どうだろう。五十年後のパリピが言う台詞を考えるだけで片頭痛を引き起こしそうな気がするね」

「やっぱり貴方って真面目ね」

 真面目な純玲ちゃんに断言されたのだから、僕は相当な堅物なのだろう。彼女と並んで歩く路の先を茫然と見通し乍ら、被転写体を考察した。

「僕の思念が拒否しても。この<SCTE>が有能だから何とかなるさ。原作で適役として割り振った刑事を味方側に切り替えて、未来乃至過去改変プログラムの転釈でストーリーラインを再構築したのは上手いやり方だ。それに、敢えて第四話で登場させなかったIについても反映してくれた」

 だが……あの日を境に、被転写体自体の物語から逸脱した陰影が、不気味に濃くなってしまった。

「璃々亜さんのテクノロジーで書かれた小説と璃々亜さん自身の異変に、貴方はどういう連関を思いついたの?」

「何だ、まだ気附いていないの? 純玲ちゃんらしくない鈍感だね」

「む……」

 僕に挑発された彼女は難しい顔をして熟考しているようだが、集中し過ぎて足元の小石に躓いて危うくコケそうになってしまった。

「前方不注意になるくらいに見失わない方が良い。意外と物事は複雑ではないんだ」

「複雑にしているのは自分自身だ、という箴言を引き合いに出しても、よく解らないものは解らないままだわ」

「だったらそれでも構わない。どのみち、答え合わせは直ぐ其処で為されるから」

 会話を重ねている裡に、重厚な創りをしている研究所へ到着した。ドアベルを鳴らして中に案内されると、この前と同じように璃々亜さんの母親である松菜さんが玄関で出迎えてくれた。

 が、異なる点は日時に加えて松菜さんの様子も該当していた。

「菅野さん……と、其方の女の子も娘の御友達でしょうか?」

 艶美な笑顔を消した松菜さんの声は、冬の張りつめた空気に負けて通りが悪くなっていた。

「はい。垂水純玲と申します。突然の訪問で恐縮ですが、是非とも璃々亜さんにお会いしたく参りました」

「え、ええ……折角御越しいただいておりますので断る訳にはいきませんが……」

「が?」

 語尾を濁す松菜さんに対し、アーモンド型の瞳を大きく見開いて訊き直す純玲ちゃんだった。決して純玲ちゃん側は威圧するつもりは無いのであるが、凛々しく率直な情意を表に出す彼女の力強さに、松菜さんの返答はそれなりの間断を要した。

「娘ったら……最近、おかしいんです。情緒が不安定で、上手く話が出来なかったら……御二人にも御迷惑をかける恐れがありますけど……」

 再度語尾を曖昧にさせた松菜さんに、全然問題ありませんと僕は言い切った。母親の憂慮は当然の反応であり、娘の明確な異変を知らないままでいる親の方がどうかしている。

 中に通してもらった僕等は、松菜さんの前を進む。璃々亜さんの私室もとい研究室に繋がる回廊のルートを僕が覚えていたのもあるが、悄げていた松菜さんの足取りが重かった理由もある。

「璃々亜さんのお母さん、相当落ち込んでいるようね」

 僕にそっと耳打ちをした純玲ちゃんも、どことなく不安そうな表情をしており、そのマイナスの符号は僕の心にも伝染した。

 扉の前まで来て、ノックをした。二回目の音に合わせて室内の声が重なった。

「誰だ?」

 そのぶっきらぼうな返しに、合コンの記憶が蘇る。彼女はあの時の彼女のままだった。慎重にドアを開けて、純玲ちゃんと二人して会釈した。

 彼女は脚を組んで座っていた。馬蹄型の脳波測定器を首にかけており、キーボードの打鍵音を止めては振り返る。

「おう、庵と純玲じゃん。おっはよー」

 違和感が凄まじい相手側の挙措に、改めて純玲ちゃんは辟易している。

「土日を挟む間、また性格が変わってしまったのね」

「性格が変わった? 何を言っているんだ純玲。私は私のままだっつーの」

 当たり前のように告げる彼女は、どうやら自身の変化に於いて自覚症状を有していないらしい。純玲ちゃんと顔を見合わせ、心の中で互いに溜息をついた。

「これで解った?」

「ええ……やっと違和感の裡に潜む既視感を得られたわ」

 立っているのですらしんどいかのように、僕の肩に体重を預けた純玲ちゃんの悲しげな目線は、異変の塊である研究者に突き刺さる。


「――璃々亜さん、小説内=存在の性格を演じていたのね」

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