MUTATION

 前回と同じファミレスで週末、例の三者面談が行われた。木津さんには確実な進捗が得られてからと慎重に言っておいたが、璃々亜さん側が編集者との面会を前向きに希望されたので手早く約束をした次第であった。

 自己紹介を交えた簡単な挨拶を済ませ、いつも通り清ました顔でいる木津さんが、

「増井さん、煙草吸います? 禁煙席でよかったかしら」

 と、平明な声を発した。

「逆に訊きますけど、璃々亜さんが吸うような人だと何で思いましたか?」

 彼女の返答を待たず、僕は嘴を挟んだ。

「それは、外見からして清廉な未成年は喫煙する可能性がゼロだと言い切る庵君の意見ですか」

「僕の卑見と云うより、世間の総意かと」

 二人して静かに笑った。無駄話は兎も角、既に僕の胸裡で一つの懐疑が警鐘を鳴らしていたのだ。

「だ、大丈夫です……吸わないので……」

 右傍に腰かけている璃々亜さんの様子が、これまでと違った。

「やっぱり? 無粋なことを訊いてごめんなさいね」

「い、いえ……」

 肩を縮め歯切れ悪く話す彼女は、双眸を素早く転がすように視線をあやふやにさせた。初対面の木津さんに緊張しているのだろうか。でも、菅野家の朝食に溶け込んでいた時の彼女は、僕の母や妹と自然に接していたのに? 

 人見知りとは思えなかった璃々亜さんに何か心変りがあったのでは、と訝しげに詮索してしまう。

「事情は庵君から教えてもらいました。あなたの開発したプログラムで、彼の純文学小説をポップなラノベに創り変えてくれるらしいそうで、そのリライト作品も拝見しました。私はラノベ編集者としては歴が浅いけど、充分に通用するレベルだと評価させてもらいましたので、是非とも今後、庵君と協力して話題になるような小説を提供してもらえたらとお願いする所存です」

 無論、増井さんのお仕事に見合った収入も払わせていただきます、と木津さんは謙仰けんよくに附け加えたが、璃々亜さんの反応ははっきりせず、狼狽うろたえているようだった。

「小説に僕……アトウイオリの個性と璃々亜さんの了承さえ揃えば、<SCTE>のオートリライト作品は出版できると木津さんは承諾しました。製作期間は来年一月末……二月の猶予がありまして、その間に璃々亜さんには僕の理想に叶うような<SCTE>のプログラム調整を――」

 改めて概略を僕から補足説明しているのだが、やはり彼女の饗応は乏しい。

「璃々亜さん? 元気ありませんね。風邪でもひきましたか」

「……あ、ああ。ごめんさない、

 ――菅野くん? 本当にどうしちまったんだ。

 あなたから下の名前で呼んでくれって頼まれて僕は遂行しているのに、何故にこのタイミングであなたからよそよそしくなる必要がある?

「どうも、凄く不安になってしまいました。<ND-LILY>の研究を挫折してしまった私に、<SCTE>も失敗に終わる未来が待っていそうで……」

 僕ら二人に共有された過去の憶出とは不整合な事象は、更に続く。情報工学に関して自負心の強い研究者・増井璃々亜は

「急にどうしたのですか。自信を無くすようなことがあったのですか。でも、つい昨日も僕の小説をオートリライトしてもらったじゃあないですか。まだ完璧とはなりませんが、着実に質が上がっているようには思えましたよ」

 そう、僕は『続・三位一体なる冥園』の続きをまた書いて、璃々亜さんに提出していた。これで作品全体の半分を書き終えた。

「私も同意見です。随分と形が整って来ているというのが率直な感想でして……これ、ですよね」

 木津さんはテーブルに用意していたノートパソコンを開き、文章作成ソフトウェアを起動させた。僕がメール送付した基の小説と<SCTE>の被転写体を、再読させてもらった。


             ■    ■    ■


 (仮題) 続・三位一体なる冥園 第三話


 素心蝋梅そしんろうばいの花が咲く坂道に帰一したわたしは、物語をやり直せる確信を懐きました。此処こそ、始まりの地。凡ての現実即非現実を収斂しゅうれんする一点であります。眼下に拡がる紅の街へ、わたしの存在を知らしめる叫喚を轟かせました。町はひび割れ、その傷よりあかい血を噴きだしております。わたしの帰還に対し、大いに歓んでいるようでした。

 果たしてこれが元通りの世界なのかしら、と坂の頂上にいるわたしが呟ききました。大仰に息を切らせてなだらかな斜面を登攀しているわたしは対して、屹度そうですと答えました。

「いや、そうじゃなくってさ」わたしはわたしに冷笑します。

「どうされましたか」わたしはわたしに訊き返します。

「前はこんな分裂なんて、無かったじゃあないの」わたしは訝しげに首を傾げます。

「そうでしたっけ」わたしはわたしの挙措を真似します。

「忘れたの? わたしはM駅であなたと合流する手筈よ」

「あなたとは、誰のことですか」

「あなたはあなたよ」

「じゃ、あなたは」

「わたしはわたしよ」

(中略)今になってようやく気附いたことでありますが、わたしという存在は時空間の規律を撃ちこわした多層的非連続的性質をくみしていたのです。わたし乃至ないしSの自宅に御邪魔して、わたし若しくはSの入院記録を読ませてもらいましたことで、世界的構造について頓悟とんごいたしました。

「Iと再会されないのは、何かが違っているままであることを意味しているようですね」

 わたしはSに話しかけたつもりでしたが、彼女はいつの間にか和室から姿を消しておりました。端無くも視線を露台へ向け、半開きになっている硝子戸と、其処から侵入してくる冬風に靡かれる緞帳に既視感を覚えました。


             ■    ■    ■


<SCTE-ND:-67.9>

<Remake Transcription-Ⅰ>

 タイトル:Destination Truth Girl 第三章


 南へと向かう旅の途中、マオとリターニャは清澄せいちょうなる湖のほとりで休憩していた。<世界の頽落者>となったIを追う旅路はまだまだ長く、それがかえってのんびりとした観光旅行的な気分を漂わせていた。

「ねえ、マオさん! 今ね、ロレッタ国の第十七地区にいるんだけど、すぐそこにあるステーションからモノレールに乗ればディスティニーランドに行けるの。もしかしたら、Iはそこに逃げ込んでいるかもしれないわ!」

 プロジェクションマッピングの如く空間上に浮いているマップを閲覧していたリターニャはまさしく、嬉々とした観光客足り得る闊達無碍かったつむげな感情を言葉にしていた。

「そのディスティニーランドってもしかして、国内最大級の規模を誇る遊園地だったりしますか?」

 対照的にマオは、冷静沈着な声音をそっと響かせた。湖面に映る彼の顔は、透明感ある白い肌をより綺麗に引き立てられていた。

「ご名答! 楽しいわよーマオさんみたいに可愛いキャラクターがたっくさん出てくるの!」

「僕が可愛いかどうかはともかく、そんなテーマパークに<世界の頽落者>が果たしていますかね……」

「もー、マオさんは真面目だなあ」

 空間上をフリックしてマップを消したリターニャはほっぺたをリンゴのように膨らませて、マオの腕を取った。

「<Destination Truth Girl>としての仕事も大事ですけど、異世界より召喚されたマオさんにロレッタ国の観光案内をするのも重要な使命だわ! ささっ、モノレールに乗りましょ!」

 元気よく提案するリターニャの行動規範に、マオは適応しつつあった。リターニャ・ガードレッドと出会ってまだ半月足らずであるが、国家上重要な肩書をもらっている割には緊張感に欠ける彼女の扱いにも彼自身楽しみを覚えている。

「しょうがない人ですね。ご自分がメルヘンなコーヒーカップに乗りたいくせに、都合の良い自己弁護の仮面を被るんだから」

「そんなことないの。結局は仕事のため、ロレッタ国の文化に不慣れなマオさんのためだわ」

「少女の可愛らしい感性を隠すガードレッドさん、可愛いですね」

 得意気な表情をするリターニャを茶化した彼だった。

「私は可愛くない! 生意気言わない!」

「ふてくされるガードレッドさん、もっと可愛いー」

「……バカ―!」

(中略)こうして、紅潮するリターニャと振り回される彼の光景も、日常という名のフォトグラフで固定される想い出になるのだった。なお、比喩表現のみならず、駅のホームにてリターニャは手持ちのデジカメでモノレールを背景にマオとの2ショットを収めた。

「まるで恋人気分ですね」

「違うし! マオさんと私は同僚の関係! これも仕事!」

 彼の言葉を必死で否定している間に発車したモノレールを、口惜しそうにリターニャは眺めていた。これもまた、彼女らしい失態としてマオにくすくす笑われるであろう。

</SCTE-ND>

</Remake Transcription-Ⅰ>


 僕の原作とはかけ離れた……それこそ登場人物達が度々口にしている可愛らしさ……甘いラブコメのストーリーラインに変化しているが、Iを追う設定を残存してくれたことには感心した。

「このオートリライトで、冒頭から読みたいって思えるような魅力はあります。<世界の頽落者>やロレッタ国、それに題名の意味など、ファンタジー要素を取り扱い乍ら、ラノベに適した男女のラブストーリーに異世界モノを複合した雰囲気は良好かな、と」

 研究所で<SCTE>の実体を見せてもらった時の第一作と比較すれば、読めるようになっている。『続・三位一体なる冥園』の特色も徐々に採用してもらい、Iは夜宮アイカにアイリーン、相川を経て、I其物での登場を<SCTE>は許してくれた。

 これには幾許か救われる思いをした。が、短期間でここまで被転写体の質を調整できる現実的科学を目の当たりにして、欲張りな願いを抑えずにはいられるだろうか。

「更にここから……シュルレアリスムとの融合に行けるのだろうか……」

「編集者側の感覚を言わせてもらうと、第三作……ライブハウスの世界観と文体は重めでしたね。今作のは舞台的には丁度良いレベルの柔らかさでしたけど、三人称の文体が少しぎこちないようです」

「成程。ファンタジーとラブコメの割合は木津さん的にはどうでしょう」

「世界背景次第でしょうか。やっぱり私も、このテイストで冒頭から見たいですね。増井さん……何度もお願いしてもらってすみませんが……増井さん?」

 僕と木津さんはオートリライトの方向性について早速談義していたのであるが、璃々亜さんは蚊帳の外で茫然と黙っていた。

「増井さん? 具合が悪いのですか?」

 心配そうに木津さんが声をかけると、白皙はくせきの頬がようやく脈打った。

「……ご、ごめんなさい。体調は普通なのですが、<SCTE>の調子にどうも不安で……菅野くんのセンスを無下にしている感じが纏わり附いて……」

 消極的でらしくない璃々亜さんの憂慮に、疑念の影がより色濃くなる。

「今はそうかもしれませんが、<SCTE>のリメイクは少しずつ改善されています。それは璃々亜さんが前に研究室でおっしゃってくれたようにND言語と<駆動者>……璃々亜さん御自身の脳波バランスを調整してもらって、試行錯誤を重ねた努力が成した業です。だから、まだまだ諦める状況では無いですよ」

 いつの間にか、諦める側と励ます側が逆転してしまっている。彼女は一体、何に限界を覚えてしまったのか。電車できみの優美に一瞬でも見惚れた時も、きみは毅然とした態度で僕の感性を大事にしてくれたじゃあないか、と訴えたかった。実際に言表されなかったのは、純玲ちゃんの姿が脳内で浮かんだからであろう。

 役立たずですみません、とネガティブな台詞を残した璃々亜さんは、御手洗いで席を外した。彼女が視圏より消えてから木津さんが小声で、

「庵君に聞かされていた彼女のイメージと、随分違う人じゃないの」

 率直な感想を僕に伝えたが、僕も混乱しているのだ。

「あんなに内気な女の子じゃなかったのに……編集者と会うことに緊張しているのでしょうか」

「そういう感じではなかったですけどねえ」

 自分で質問しておきながら、木津さんと同様に十中八九違うと感じていた。

「心変りがあったのかな。僕がいけないのだけど、アトウイオリの作風とライトノベルの面白さ……二つの良い処取りを情報科学に要求された重圧に、荊の道を改めて想起したのかもしれません」

「そうは云っても……現状のリメイクは全然悪くないですよ。庵君だって褒めていたように、まだまだ試行のチャンスはあると前向きに考えるべきです」

 溌剌はつらつとしていた過去の増井璃々亜の台詞を、木津さんが再現しているみたいだった。他人のフォローが無くても単独で障害を突破する強い精神を持っていそうだったのは、錯覚の二文字で片づけてよろしいものか。

 木津さんのノートパソコンを手許に引き寄せて、被転写体の出来具合を劈頭から再度確認し始めたその時。一点、彼女の異変に紐附く根拠を見つけた。

「……<指標>が、下がっている」

「どうしましたか?」

 木津さんより先日に預かった質問事項について未だ答えていなかった為、<SCTE-ND:-67.9>の箇所を指差して説明した。

「この前璃々亜さんから聞いたのですが、この数字……-67.9というのが試作段階的なパラメータを示唆しているとのことでした」

「ほう。マイナスってことは、良くないってことでしょうか」

 二人して思案していると璃々亜さんが戻って来たので、結局本人に質問をした。

「……ええ。本数値は-100から100迄の範囲で変動しまして、小さいほど<望ましくない結果>であると表しています」

 抽象的な解説に僕は補足敷衍を求めたが、彼女は実験段階のデータなのであまり……とそれっきり口をつぐんだ。

 若き研究者に依存するままでは、難しいだろうか。<SCTE>の不完全性と彼女の精神状態を考慮して、オートリライト実験を一旦中断することを僕と木津さんが決めてその日を終えた。

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