21章

 2016年5月9日10時20分ごろ、正平は日立駅にいた。旅も、このあたりまでくると計画の立てるのが相当に難しくなっていた。福島県に入ると海岸線と常磐線が大きく離れてしまうみたいなので、常磐線や高速バスや宿泊場所の関係を考えながら次の次の月ぐらいまでを視野に入れて計画しておかないと、一日の行程がやたらと短い距離になったりとてつもなく長い距離になったりすることになる。どうすればいいのか1週間前ぐらいまで悩みに悩んでいると、常磐自動車道の北茨城ICで乗れる高速バスの「いわき号」があることを見つけた。ただ北茨城ICに停車する便が少ないので、帰りの時間から逆算した東京駅始発の「ひたち号」でも十分に余裕のある日程だった。その結果、「おはようございます」なのか「こんにちは」なのかが微妙な時間のスタートになってしまった。


 日立駅を出ると要注意のポイントが直後にある。なにも考えないで歩いていくと行き止まりになったり国道6号線に出るしかなくなったりするけど、ストリートビューで見る限り国道6号線は歩道のないバイパスになっているから、かろうじて一本だけつながっている裏道で北上していかなければならなかった。やがてその裏道から砂浜の上に国道6号線が架かっている姿を見ながら進んでいくと、歩道のある国道6号線が北へと伸びているのでそこを歩いていった。しかし、その歩道を歩くのはわずかで、海沿いの道に出るために右へと正平は曲がって行った。曲がるとすぐに「滑川温泉スタンド」と書かれていた看板を見て「温泉スタンド」なるものがなんなのかに興味を抱きながらも、今日は「いわき号」の時間を逃すと帰る手段がなくなってしまうし、事前に調べていたときに磯原には展望風呂付のホテルで日帰り入浴ができるところがあったのであわよくば入浴したいと考えていた正平は、できれば磯原で温泉に入る時間も欲しかったから急いで先へと進んでいった。川尻海水浴場を過ぎると、北上できる道は国道6号線しかなくなった。戻った国道6号線の歩道は広く、ガードレールなり段差なりで車道と区切られていたので安心快適に歩くことができたから、正平は思いっきり飛ばした。


 高萩の町に入ると、ふと後ろから、

「こんにちは。どちらまでいかれるのですか?」

と声をかけられた。正平は歩くリズムとバランスを乱さないようにしながら振り返り、

「今日は磯原までの予定ですが……」

と僅かに視界に入った正平より少しだけ年齢が高そうなコンビニの袋を下げた男性に答えた。男性は、

「私も昔はいろいろなところを歩いていたのですよ。なんか嬉しいですね。」

と言った。ただ歩いて旅をしているだけなのに、男性と正平には共感するものが多かったようだった。先にある食堂で一緒に食事でもとどうかと誘われたし、ゆっくり話をしてみたい気持ちもあったけど今日はできるだけ先を急ぎたい正平は、彼の誘いを断って先へと進んだ。それにしても、正平の後ろにすーっとくっついて一緒に歩いているあいだも正平のペースに自然に合わせているあたりは相当の達人のようだったけど、なんにしても同じようなことをしている人に会うと勇気と元気を貰えるのはなぜだろう? そんな心地良い疑問を抱えながら、正平はどんどんと北上していった。


 高萩駅を超えてしばらくすると、正平でも知っているような有名な会社の建物がいくつかあった。思えば、先月から田畑の間を歩いていると思えば工場の脇を歩いてと、景色のアップダウンも意外とあった気はする。農業は全国でも三本の指に入り、工業は十本の指に入ると中学生の頃に地理の試験の前に必死になって覚えていた気がする。正平は細かく覚えないで大きく覚えて、そこからなんとなく答えを導き出すというよくも悪くもそんな記憶の癖がある。学生の頃、先生に「正確に記憶しなさい」と注意されても、しばらくしたら記憶は曖昧になるから同じことだと心の中で反論してやり方を変えなかった過去を振り返りながら現在の自分を思い、ちゃんとしておけばよかったかなぁという反省とまぁいいかという開き直りの狭間の中で、工業地帯と農業地帯が交錯し続ける国道6号線を北へと歩いていった。


 常磐線の線路が近づいたと思ったら離れていき、やがて見えてきた大北川を渡ると磯原の町だった。バスの時間までは1時間45分ある。行きたいと思っていた温泉施設までは2キロ、温泉施設から駅までの距離は3キロ、合計で5キロぐらいの計算だから1時間は移動の時間で見ておきたい。そうなると、お風呂に入れる時間は着替えなどもすべて込みで45分ぐらいしかない。北茨城ICに停まる上りの「いわき号」が全号停車する下りと同じぐらいあれば後のバスに乗るという手もあるけど、北茨城IC発の東京駅行きは18時15分が最終だったので乗り遅れるわけにはいかなかった。残念だけど、温泉は諦めるしかなかった。正平はがっかりしながら、磯原の町と磯原駅と磯原の田畑を横切るようにしながら北茨城ICに着いた。高速バスの待合室から見る磯原の町は、のどかな田園の風景だった。知らない町が夕日に照らされて暖かい色に染まる光景を持て余した時間に身をゆだねながら眺めていると、そこかしこから夕餉の支度をする煙が立ち上り美味しそうな匂いが立ち込めてくるような気がして、正平は幸せな空腹感に包まれていた。

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