番外編 文倉ひかりの恋路 後編

 日曜日というだけあって、街に出てみると大勢の人々が賑わっている。あちこちにいる親子連れや、カップルが休日を楽しんでいた。

 私達も、甲呀を挟む形で一緒に歩いていた。……こうしていると、ホントの親子みたい。


「こ、こうしてると、ホントの親子みたいだな」


 目を合わせずに、照れ臭そうに頬を掻きながら勇呀君も同じことを口にする。どうやら、同じことを考えてくれていたらしい。


「うん……」


 それにつられて……ではないけど、そんな態度を見てしまったら、やっぱり私も照れてしまう。

 そんな私達を見て、甲呀は無邪気に「ゆうがもママもてれてるー」と笑うのだった。


「……ん?」


 ふと、勇呀君の足が止まる。

 なにか見つけたのかな? と気になった私が彼の視線を追うと、そこはヒーローのおもちゃ売り場。

 耳を澄ませば、勇呀君が学園祭で歌った、「Union Heroes」のメロディが聞こえて来る。


 そこには、甲呀が持ってる物とはまた別の、「セイントカイダー」のソフトビニール人形が飾られていた。


 甲呀が持っている人形は厳つい鎧を着た人の形だったけど、あそこに並んでいる人形は、体のラインがクッキリと出たスリムな形状になっている。


「なるほど。舞帆がセイントカイダーを継いでからはコソコソ活動する意味も無くなったんだし、そりゃあ人気出るよなぁ」

「ええと、確かあれもセイントカイダーなのよね? 甲呀が持ってる人形とは……見た目が全然違うんだけど」

「ああ、甲呀が持ってる人形は『生裁重装』のセイントカイダーだな。あっちの店で扱ってんのは、重い鎧を外して身軽になった『生裁軽装』。一応、生裁軽装に初めて装鎧したのも俺なんだが……あの人形の形からして、モデルは舞帆だな」

「あんなに遠いのに、よくわかるのね。長年の経験ってとこ?」

「だな。それにあの胸の大きさと腰のくびれ……舞帆以外には考えられない。製作会社さん、いい仕事してるじゃ――あだっ!?」


 ――今、私達は散歩をしている。これはデートじゃない。それはわかってる。

 ……だからって、私の前で他の女の子の話なんて、しちゃダメッ!


 その旨をしっかり伝えるべく、私は勇呀君を殴り倒して近くの喫茶店まで連行した。甲呀はいきなりパパ(予定)がぶちのめされたことにポカンとしている。

 もちろん、そこからは地獄の説教タイムである。「女の子と一緒にいる時に、別の女の子の話をしてはいけない」。


 こんな当たり前のことを知らずに、臆面もなく舞帆さんに関してセクハラ発言をかましているところを見ると――どうやら彼は私と離れてから、あまり女の子とのお付き合いを経験してこなかったみたい。


 さっきの件は当然ながら許せないが、彼があっさり私を捨てて他の女の子とイチャイチャしていたわけではなかったのだと思うと、少しホッとした。


「……あのさ、ひかり。俺、話さなくちゃいけないことがあるんだ」

「えっ、どうしたの? 急に改まっちゃって」


 ふと、申し訳なさそうにこちらに目を向ける勇呀君に、私はキョトンとした顔になる。

 さっきの件とは違う話題なのだろうか。一体どうしたのだろう?


「俺さ、院長先生……加室さんから、いろいろ聞いたんだ。お前のこと」

「……」


 ――そっか、聞いちゃったんだ。たぶん、私が院長室に来るまでに聞いてたのね……。


「……苦しかったんだよな。苦しんだんだよな。俺の――ために」


 目を伏せて、気まずそうに絞り出された声に、私は深く頷いた。

 3年前。私は勇呀君のお兄さん――炎馬獣呀に強く迫られて、彼の子を、甲呀を身篭った。


 もちろん、最初は拒否しようとした。私は勇呀君が好きなのであって、そのお兄さんに好意があったわけじゃないから。


 だけど、彼は私に言った。


 「そんな重い女は、いずれ捨てられる」と。


 その瞬間、私は彼に逆らえなくなってしまった。


 花子のために、笑顔で頑張る勇呀君の姿を遠くで見てから、ずっと恋い焦がれていた。あの日、階段で彼と話す機会が出来た時は、運命だって思えた。

 その彼に捨てられる。そんなの、堪えられるはずがなかった。


 だから私は甲呀を授かり、産むことを決意した。

 初恋は叶わない、という話はよく聞くけれど……彼を手放してしまったら、もう二度と彼のような人に出会えないような気がしていたから。


 鋭美も院長先生も、はじめは反対していたけれど、そんな私の決意を目の当たりにしてからは、それなりに了解してくれた。

 それに、私は『母親』に憧れていた。両親がいない私にとっては院長先生が親代わりだったけれど、それでも……「家に帰ったら、暖かく迎えてくれる母親」という存在に、強く惹かれていた。


 いつか幸せな家庭を築いて、自分の子供を優しく包んであげられるお母さんになりたい。そんな夢を抱いているのは、今でも変わらない。

 ……そう、命を授かったことは望んだわけではないけれど、甲呀を産んだのは私の意志。


 だから、私は勇呀君のために自分を捧げている今を、後悔なんてしていない。それだけに、私のことを気に病んでいる彼の姿を見ているのは、心苦しい。


「お前は、俺のためにそこまで尽くしてくれたんだよな。……なのに、俺は」

「勇呀君……落ち込まなくてもいいのよ。これは私が望んだことなんだから。それに、あなたが私を忘れないでいてくれたことだけでも――」

「――いいや、俺は、忘れようとしていたんだ。お前のこと」


 その言葉に、今度は私の表情が不安に包まれた。

 ――忘れようと、していた? とにかく、話を最後まで聞かないと……。


「俺はお前と離れた後、お前を守れなかった自分が許せなくて――不良になった。俺みたいな奴が、女の子と幸せになれるわけが、なかったんだって」

「でも……舞帆さんに助けてもらったんでしょ? 元に戻れるようにって……」

「ああ。……俺は、『元の自分だったらこうする』って思うことを、片っ端からこなしていったさ。いつかまた、お前の時みたいに『女の子と一緒になれる』ようになる……って、信じて」


 ――やっぱり勇呀君、私のこと、ちゃんと見てくれてたんだ。嬉しいな……。


「だけど、少しずつ周りの評判とか、自分自身が昔に戻っていくのがわかってくると……不安になるんだ。お前のこと、思い出してさ」

「……!」

「また、どこかで間違えるんじゃないか。なにかを間違えるんじゃないか。そう考えだしたら、不安な気持ちが止まらなくなってたんだ。だけど、そんなことじゃあいつまで経っても前に進めないってこともわかってた。だから、俺は――」


 甲呀の頭を優しく撫でながら、彼は死刑判決を受け入れたかのような、全てを諦めた顔になる。


「――お前を、忘れようとした。舞帆や、平中に興味を持とうとして、お前の記憶を、拭い去ろうとしてたんだよ」

「……でも、勇呀君は忘れられなかったんだね」

「ああ。忘れられなかった。どれだけ何もなかったかのようなそぶりをしたって、お前の顔が頭を離れることはなかったよ。むしろ、お前を忘れようとするたびに、俺はお前のことが心配になってた」


 何の事情も知らず、無邪気にセイントカイダーの人形で遊ぶ甲呀を見つめながら、勇呀君は自嘲気味な口調で、自分自身の行いを振り返っていた。


「俺はそのことを、『忘れないように努力しているんだ』なんて、都合よく解釈してたよ。でも、加室さんからお前の話を聞いて、気づかされた」

「勇呀君……」

「『忘れたくても、忘れられなかった』んだ。俺自身の意志なんかじゃどうにもならないくらい、お前の存在が俺の中で大きくなってたんだ」


 彼は遠い目で青く澄み渡る空を見上げ、ふぅ、とため息をつく。自分の心とは裏腹に綺麗な青空が眩しい……とでもいいたげな顔をしている。

 あなたは汚れてなんか、いないのに。


「それがわかった以上、俺はなにがなんでもお前に尽くすべきなんだって思った。でも……お前のことを見捨てようとした俺に、そんな資格があるわけないよな」


 彼はそこで言葉を切ると、断罪を待つかのような目で私を見据えた。


「だから、俺はその資格が欲しい。お前に償える、資格が。許してもらえるなんて思っちゃいないけど、それでもお前のために、なにかがしたいんだ」


 ――やっぱり、わかってないんだなぁ。この人は。「資格」なんていらないし、そもそも償うようなことなんて、ないのに。

 忘れようとしていようが、いまいが、結局は私のことをちゃんと覚えてる。それで、十分なのに。


「本当にそんな資格のない人間が、わざわざ自分の間違いを人に話すのかな」

「……え?」

「そんなに欲しいなら、いますぐあげます。貰っちゃうのは、むしろ私の方なんだけど――ねっ!」

「――!?」


 ――でも、そんな奥ゆかしい勇呀君も、私は大好きよ。

 不意を付いて重ねた唇が、それを証明してる。これで、鋭美とは引き分けね!


「じゃあ、私のためにしてほしいことが一つあるの。これから週1回、孤児院のみんなと遊んであげて! 約束よっ!」


 私にしては、珍しくノリノリの口調だった。勢いとは言え、勇呀君と念願のキスを果たしたんだから、当然よね。

 何が起きたか判断出来ず呆然としている勇呀君と、「ママとゆうが、チューしたー!」と大喜びの甲呀の手を引いて、私は帰路につく。


 この時、私はきっとものすごく真っ赤な顔になっていただろう。あれだけ大胆なアプローチを初めて試みたんだから。

 でも、不思議と恥ずかしさはあまり感じなかった。「勇呀君と距離が縮まったように感じた」……という、恥じらいを超える喜びに包まれていたからに違いない。


 この日以来、勇呀君は度々孤児院に足を運ぶようになり、子供達ともすっかり仲良しになってしまった。

 甲呀がいろいろと言い触らしたせいでしょっちゅうからかわれているようだが、それを含めて、私も彼も幸せな時間を過ごすことができた。


 院長先生や子供達に囲まれている今でも十分幸せだけど……いつかきっと、勇呀君と――


「けっこーん! ゆうがとママ、けっこーんっ!」


 も、もう甲呀っ! いいところなのにからかわないでよ〜っ!

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