第156話 ヨールデンの復讐


 ――軍事帝国ヨールデン皇帝 ヴィラシュ・フォン・ヨールデン視点――


 ……遅い。

 定期的に連絡を寄越すように、我が息子であるヴィジュユには言い聞かせてあった筈だ。

 いくら戦場からここまで距離があったとしても、ここまで連絡を寄越さないとは、何かあったのだろうか。

 我は執務室の窓から、帝都である《ラヴランチュア》を眺めていた。

 しっかりと区画整理がされており、無駄がない美しい街並みだ。我が帝都に鮮やかな色は要らぬ。我が求めるのは、規律と帝国精神、そして愛国心だけだ。

 何人たりとも逆らう事は許さぬ。それが帝国民の義務である。


 さて、サリヴァンから貰っていた情報の裏付けはしっかりされていた。情報戦で確実に勝った今、この戦は負ける筈がそもそもないのだ。

 武力に長けている我らが必勝、芸術なんぞに現を抜かしているレミアリアは必敗。

 その筈なのだが、何故か嫌な予感が払拭できぬ。

 確かレミアリア側には、齢十二歳程にして史上初の二刀流剣士として名を馳せた天才、ハル・ウィードがいたな。

 その名声は我が国にも流れてきており、八歳の頃にその剣でレミアリアの元騎士団長である《ヨハン・ラーヴィル》を撃破。さらに王族の命すら救ったという幼い傑物。

 音属性のユニーク魔法を自在に操るという話もあったが、まぁ所詮は音だ。特に戦争に有利な術なんぞ持たぬだろう。

 持たぬだろうが、見たことがない幼い傑物に対して、我は不安に思っている。

 だが、兵力では我らが圧倒的に勝っている。いくら奴がとんでもない力を有していたとしても、簡単に覆せる物量ではない。


 執務室の扉を叩く音がした。


「何だ?」


「陛下、戦場より兵が帰還しました!」


 ふっ、どうやら我の胸騒ぎは気のせいだったようだな。

 見事凱旋してきたようだ。


「おお、そうか! では早速兵士長を玉座の間へ呼ぶのだ!」


「そ、それが……」


 どうした、随分と歯切れが悪いな。

 

「何かあったのか、申せ!」


「はっ……。戻ってきたのは、役職がない兵士達です。しかも、全裸で戻ってまいりました……」


「なっ!?」


 つまり、一般兵士だけが戻ってきた。しかも全裸!

 これはまさか、まさか!!


「我が兵が敗けたというのか!! ヴィジュユはどうした、サリヴァンはどうしたのだ!!」


 我は机の上に置いてあった書類を、手で薙ぎ払った。

 書類は宙を舞い、ひらひらと床に落ちていく。

 我の問いに、扉の向こうにいる者からの返事はない。

 どうやら非常に言いにくいようだ。


「ええい、貴様では話にならん! 帰還した兵から一人代表者を選び、服を着せて我の前へ召還させよ!!」


「はっ、ただちに!!」


 我は、普段書類仕事をしている椅子に腰掛け、そして机を力一杯叩き付けた。

 今込み上げて来ている憤りを机にぶつけたのだ。

 そんな事をしても無駄なのはわかっているが、やらねば無駄に誰かに八つ当たりしてしまう。

 ならば、机には申し訳ないが、少し発散する手伝いをしてもらおう。

 何度も、何度も机を叩き、手の痛みと共にようやく冷静さを取り戻した。


「はぁ、はぁ……。よし、今ならまともに話が聞ける状態だろう。早く玉座に向かわねば……」


 あれだけの情報を手に入れておきながら負けてしまった。

 何故このようになったのか、聞き出さなければいけない。

 我は皇帝の証である、我が帝国の紋章が刺繍された黒いマントを羽織り、執務室を出て玉座へ向かった。












 我が姿を見せた瞬間、全員が我に跪いた。

 我が玉座に腰掛けた後、全員が立ち上がった。

 うむ、無駄のない洗練された動きだ。


 いや、今はそんな事はどうでもいい。

 敗走した原因を聞かなければならぬ。


「さて、おめおめと戻ってきた愚か者はどいつだ?」


 臣下達が整列している列の中から、若い者が我の前で跪いた。

 

「表をあげよ」


 我が命じると、若い者は我を見上げた。

 奴の表情に、我は一瞬息を飲む。

 明らかに疲弊していたのだ。そして、その瞳からは出立前に感じた力強い眼力が失せていて、弱々しい、何かに怯えたような眼だった。

 例えるなら、罠に掛かって動けずもがいている鹿型の魔物、《ウッドホーン・ディアー》が弱った時に見せる眼と何ら変わりないではないか!

 一体、何があったのだろうか。


「さぁ、この場で戦場の報告をせよ。簡潔に、そして偽りなくな!」


「はっ……。そ、それではご報告、致します」


 奴の瞳が揺らいでいる。

 あの戦争で、一体何があったというのか。奴の心を打ち砕く程の何かがあったのだろうか。


 若い兵士は、たどたどしく、そして唇が重そうに戦争の内容を報告した。

 我や他の臣下達は、奴から聞かされた内容にただただ驚かされ、そして動揺を隠せないでいた。

 ま、まさか、たった三日で終結してしまったというのか!


「そ、それは、嘘偽りない事実、なのだな?」


「……はい、偽りは、御座いません」


 ……何という事だ。

 まさか音属性の魔法に、そんな使い方があったとは。

 常に不快な音を流す魔法も相当強烈だが、敵陣の指令室の話をそのまま盗み聞き出来る魔法なんぞ、あってはならぬものだ。

 いや、そんなものがあったら、何も太刀打ち出来ぬではないか。

 情報戦では必勝で、作戦に対する対応力も速攻で行える。これ程卑怯なものはあるか!

 戦争特有の懐の探り合いなんて、全く以て無意味!

 ああ、まさか、ハル・ウィードがそれ程の人物とは思わなかった。


「それで、現状、ヴィジュユやその他の者はどうした」


「……はっ。ヴィジュユ殿下や役職が付いている者に関しては、《リューイの街》で監禁されているものかと」


「……敵の手中か。して、我が軍の被害と敵の被害はどうなっている?」


「は、はっ。我が軍の犠牲者は、その、しっかりと数えておりませんが、自害等も含めたら、恐らく二万以上と、思われます」


「なっ!?」


 三万七千の兵力が、たった一万程度の兵力しかないレミアリアに半数以上も減らされたというのか!

 

「で、では、レミアリアの被害はどうなのだ!!」


「これも、正確ではないですが、恐らく、二百……未満、かと」


「……たった、に、ひゃく?」


 こちらは半数以上の犠牲者を払って、敵はたった二百だというのか!?

 数では圧倒的だったのに、その程度しか敵を倒せなかったのか!

 臣下達も膝から崩れる者、頭を抱える者、その反応は十人十色だ。

 恐らく自分の息子も、名を上げる為に参戦していたのだろう、ほぼ生きている望みを絶たれて絶望してしまったに違いない。

 だが、それは我も同じだ。

 息子を人質に取られ、多くの損害を出してしまったのだ。

 我が国では殉職した場合は、家族に対して相応の金額を支払う法律となっている。しかし、それだけの損害となると、しばらくは費用の捻出に頭を抱える事になりそうだ。


 国庫の事を考えて悲観していたところに、とある者が発言してきた。


「陛下、この後どうするおつもりでしょうか!?」


 この一言がきっかけに、臣下達の感情は爆発した。

 もう我に対して一切の遠慮がない、己の望みを叶えて貰う為に、なりふり構わず発言をし始めたのだ。

 とある者は「全兵力を以て、レミアリアに攻め込もう」、また別の者は「ハル・ウィードを晒し首にしよう」等。

 どの意見も、力で捩じ伏せようというものだった。

 ヴィジュユが人質になっている以上、正解は交渉の場を設けて休戦協定を結ぶことだろう。

 しかし、我が国は軍事帝国!

 我らは許しを乞う舌は持ち合わせていない、あるのは武器のみだ!

 力で奪われたのであれば、力で奪い返せ。これが我らヨールデンだ。


「陛下、ご決断を!」


「陛下!!」


 決断も何も、答えはすでに決まっている。

 我は左手を上げると、先程まで騒がしかった臣下達は大人しくなった。


「訪ねよう。明日までにどれ程の兵力を揃えられる?」


「はっ! 今待機している兵と近隣の在中兵を呼び寄せれば、恐らく五万程かと!」


「宜しい! ならば即刻その兵力を集めよ! 明日明朝、帝都を出発し、《リューイの街》を奪還せよ。そして、我の前にハル・ウィードの首を差し出せ!!」


『おぉぉぉぉぉっ!!』


 我の音頭に合わせ、臣下達は勝鬨を上げる。

 しかし、一人だけ違う反応を見せた者がいた。


「い、いやだぁぁぁぁぁぁっ、あの音は、もう、二度と聞きたくないぃぃぃぃぃぃっ!!」


 先程まで報告していた若い兵士が、突然蹲って頭を掻きむしり始めた。

 金髪の整った髪が形を崩し、終いには抜き散らかしている。

 それでも飽きたらずに掻き続け、どうやら頭皮を傷付けたようで血が顔面を伝っていった。

 復讐心に燃えていた臣下達は、この兵士の変貌を見て、士気を低下させてしまった。

 そしてついには奇声をあげ始め、額を床に擦り付けたまま動かなくなった。

 死んだ訳ではない、ただし発狂している。

 それ程の驚異なのか、ハル・ウィードの音属性魔法は。


「その者を休ませてやれ。もしかしたら帰還した兵士達も同様の状態かもしれぬ、帰還組は兵力の勘定に入れず、兵力を揃えよ」


『は、はっ』


 くそっ、上がっていた士気が完全に下がってしまった。

 まぁいい、この数の暴力ならば、どんな音であろうと覆す事は出来ぬだろう。

 力には力を以て、地獄すら生温いものを目に見せてやろう。

 敗者は、無様に崩れ落ちればいいのだ!


 翌日明朝、五万の我が軍は帝都を出発した。

 恐らく到着するのは早くて十日、遅くて十五日程。

 長い距離だが、あの街だけは取り返さなくてはならぬ。

 我は、兵達を信じて吉報を待つのだった。


 そこから一ヶ月経った。

 兵士が報告しに来たのだった。

 だが、あまりにも早すぎる報告だ。

 我の脳裏には、また一抹の不安が過った。


「報告します! 《リューイの街》を奪還しました!」


「随分早かったな! して、ハル・ウィードの首は!?」


「……それが、非常に、申し上げにくいのですが……」


「ええいっ、早く申さぬか!!」


「はっ! 我ら軍が街に到着した時には、レミアリア軍は、誰一人もいませんでした……」


「なっ!?」


 馬鹿な!

 元々リューイの街は、レミアリアから我らが奪った国だ。

 奴等とてこの街はそのまま取り返したい筈!

 それを、我が軍が迫っているのを察知して、撤退したというのか!


「な、何を考えている、レミアリア! ……いや、それよりも、ヴィジュユはどうした!?」


「はっ! 殿下や軍師閣下他、役職が付いている兵士は地下室にて監禁されておりましたが、無事救出出来ました!」


「そうか……それはよかった」


「しかし……、レミアリアは殿下や他の方々に対して日が届かず寒く、トイレがない牢屋に全裸で監禁していた為、極度の栄養失調に肺炎による高熱で重篤です……」


「なっ!! 少しでも遅かったら、死んでいたのではないか!?」


「……仰る通りで御座います」


 危なかった。

 我が息子で王太子であるヴィジュユが死んでしまっていたら、我が国は跡継ぎを見つけなくてはならない。

 そうなると、重役の席にいる臣下達が色々動き始めて内政どころではなくなる可能性があった。

 それを避けられたのは非常に大きい結果だった。

 だが、まさかレミアリアが撤退するとは、思っても見なかった。


「殿下も戦争中はハル・ウィードの不快な音によって酷い仕打ちを受けたようで、左手は思うように動かない程の傷を負っていました。どうやら何かしらの理由で自傷されたようですが……」


「あいつの利き腕は右だ、命が助かっているのであれば左手程度どうでもなかろう! いいか、絶対に死なせるな! 左手は無理でも全快に近い状態にせよ!!」


「……はっ! それと、もう一つご報告があります」


「何だ」


「どうやら、街の民がすっかりレミアリアの芸術に心酔してしまったようで、民家はどこもレミアリアの行商人から購入した物品ばかりでした。陛下の指示を仰がず申し訳御座いませんが、我々の独断でそれらを全て破棄し、逆らった者は切り捨てました」


「良い。何故敵国の物を残しておく必要がある。良い判断だ、後程その判断をした者の名前を教えよ。特別に褒美を出そう」


「はっ! さぞ、お喜びになるかと思います!」


 とりあえず、ハル・ウィードの首を討ち取れなかったのは非常に残念ではあるが、リューイの街は奪還できた。

 報告しに帰還した兵士には休暇を与えた。そして別の兵士に特段速い馬を貸し出して伝令を預けた。

 現状はリューイの街の防衛だ。

 そして英気を養い、頃合いを見計らって再度レミアリアに殴り込みを掛ける。

 このままで終わると思うなよ、レミアリア!!










 しかし、ヨールデンの再進軍は、結局なくなってしまった。

 これが、レミアリアが描いた終結だったのか……。

 我々は、眠っていた獅子を呼び起こしてしまったようだ。

 ああ、時を戻して、やり直したい。

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