第45話 原材料名は裏面に記載

「で、どうよ? ぶっちゃけた感想は」

「何て言うか……とりあえずヤバいっすね」

「だろ? 絶対ヤバいよなぁ。コレとかもう、完全にアウトくさいし」

「こりゃ確かに、ぶっちぎりアウトな感じっすね」


 巨大な男性器を屹立きつりつさせた、デフォルメされた人型に仕上げられた五十センチほどの彫像を指差して言う櫛田くしだ先輩に、曖昧な笑顔を浮かべて応じる。

 僕らがいるのは、自宅から車で一時間半くらい離れた山の中にある、何だかよくわからない建物だ。


 パッと見は公民館とか市民センターとか、そういうパブリックな雰囲気なのだが、入口には『大山田ファッション総合本舗』と丸っこい字体で書かれた看板が掲げてある。

 そして、建物の周辺には赤地に白抜きでSALEと書かれたのぼりも立っていて、ここが何らかの店だとアピールしていた。

 しかし外観からは何の店だかわからず、中に入ってもやはりよくわからない。


 古着や昔のオモチャなども置いてあるが、店内の大部分を占めているのは謎のオブジェや不気味な人形、それとシュールに振り切ったスタンスが目立つ多数の絵画。

 もう少し点数を絞ってディスプレイを工夫すれば、美術館の類に思えなくもない。

 先輩がしばらく前、無目的ドライブの途中で見つけたというそんな店に、休日に映画を観に行こうとしていた僕は問答無用で連れて来られたのだった。


「この辺も、かなりキてるよなぁ」

「そうっすねぇ。マジでどういうことなんすかね」

「コラージュがベースなんだろうけど、発想が突き抜けてるっつうか」

「センスがヤバいっすね……この発想はかなりアレっすよ」


 無意味な会話を成立させてしまう『ヤバい』とか『アレ』って言葉の便利さを噛み締めながら、僕は先輩に同意し続ける。

 廃墟となったビル街を半透明のとろけた脳髄が包み込んでいる、という主張があるんだかないんだかハッキリしないモチーフの、やけに写実的で精密な油彩画。

 先輩はだいぶ心惹かれている様子だが、僕の感覚はそれを『陳腐』と斬り捨てていた。


 バイトの先輩である櫛田は、美術系の専門学校を出ているそうで、独自の美的感覚の所有者であるのを隙あらばアピールしてくる。

 ただそれは基本的には悪趣味で、一般的に言うならセンスが悪い。

 先輩はそれを勲章のように思っているようだが、そういうので喜ぶのは中高生で卒業してくれ、というのが正直なところだ。


「しかし、作者名もタイトル名も何もないのな」

「そういや、そうっすね。値札すら付いてないっす」


 先輩の言葉で、飾られている品々の違和感に気付く。

 売り物にせよ非売品にせよ、作品名くらいはないとおかしいのではないか。

 そんなことを考えつつ、目玉が七個ある少女を描いたアクリル画を眺めていると、粉っぽい化粧のニオイが僕と先輩の間に割り込んできた。


「いぃいトコに、目が行ってるねぇえ」

「ふぅはっ? えぁ、誰?」

「めぇがねのお兄さぁん、作品の情ぅ報がなぁんもない、コレってどぉいうことだか、わかりますぅ?」


 唐突に現れた、変なアクセントで喋る年齢不詳で厚化粧の女は、僕からの質問を無視して先輩に訊ねる。

 急に話しかけられた先輩も面食らっていたが、数秒で気を取り直して女に応じた。

 

「えぇと……余計な情報を削ぎ落とすことで、作品そのものをフラットな視点で鑑賞させる、みたいなコンセプトなのかな」

「そぉうなの! まぁさに、それ! 有ぅ名な作家が描いてぇる、だぁからいいモノにちぃがいないとか、なぁん十万なぁん百万って値段、だぁからいいモノに決まってぇるとか、そぉいうアホみたいな見ぃ方をね、否定したぁいのよぅ。つまぁりね――」


 女は珍妙なテンポでもって、自前の芸術論らしきものをまくし立てる。

 普通ならばドン引き不可避というか、現実問題として僕はかなり引いていたのだが、先輩はその話を深々と頷きながら聴いていた。

 そして語りが一段落したところで、先輩は女の手をとってガッチリと握手しながら勢い込んで言う。


「わかる! マジでその通り! 知識は大切なんだろうけど、その総量がある線を越えると途端にノイズになるっていうか――」

「うんうぅん、だぁね。だかぁら、名のあぁるアーティストぉも、無名のアーティストぉも、むしろ幼稚ぃ園児でぇも――」


 ヒートアップする二人の会話は、猛スピードで暗号文のようになっていく。

 基本的には日本語のハズなのだが、専門用語というかアート界隈語というか、とにかく特定のコミュニティにしか通じない何かが混入しすぎていた。

 ちょっとついていけないし、ついていきたくもないので、僕はキラキラした目で語り合う二人から離れ、単独で店の中を見て回ることにする。


 結構な広さがある店内だが、客は僕たちの他に二人か三人といった雰囲気。

 そんな少ない客の中にも、さっき話に割り込んできた女のような、店員っぽい立場の人間も含まれていそうだ。

 流れているBGMがどこかの民族音楽のような耳慣れなさで、オマケに音量がかなり絞られているのも、寂しい雰囲気に磨きをかけている気がする。


 にしても、先輩のハートにはこの店のスタンスが激しく響いているようだが、やっぱり僕の琴線に触れてくる何かは発見できない。

 理由は色々あると思うが、最もつまづかされるのは一点。

 この場に並べられているものは、全てにおいて『わざとらしい』のだ。


 感情の赴くまま形にしたようでいて、意味を汲み取りやすく仕上げてある造形。

 悪夢の情景を描き写したようでいて、整頓された筆運びと色使いが見える構成。

 閃きと衝動だけで生み出されたフリをした、計算と妥協との下世話な混合物――

 そんなものをどれだけ見ても、僕の心は冷えていく一方だ。

 なのに、ある絵を横目で眺めて通り過ぎようとした瞬間、身動きができなくなった。

 

「うぉ、ぅ……」


 無意識に、小声の呻きが漏れた。

 映画のポスターくらいのサイズの、額装されていない抽象画。

 様々な色調の赤を重ねてた中に、何かが渦巻いているのが見て取れる。

 技法も技巧も、そう大したレベルではない。

 だが、そういう次元ではなく素通りできない要素が、その絵からは滲み出していた。


 いや、滲み出しているというか、はみ出しているというか、飛び出しているというか。

 物理的に、絵の中から何かが出てきていた。

 五本の細い何か――その配置は、左手の指がカンバスを突き破っているかのようだ。

 顔を寄せて確認するが、絵と指のようなものは一体化していて、後から付け足した不自然さは感じられない。


 手を意図しているのだとすると、子供サイズになるだろうか。

 細く節くれ立った指のようなものは、骨やミイラを連想させる。


 不穏で不吉。

 不躾ぶしつけで不快。


 観る者の心を乱してくるのは、芸術作品として優れているあかしなのかもしれないが、これはそういうのとも少し異なる気がする。

 絵と立体物の合成だろうか、とカンバスの裏を確かめてみるが、接合の痕跡のようなものは見つからない。

 木枠の右端にカタカナで書いてある、『ナナミ』という三文字は――


「気になりますか、それ気になりますか」

「え? あ、ええ、まぁ」


 フラフラとこちらに歩いてきた中年男が、早口でもって質問を投げてきた。

 僕が曖昧に答えると、太ったおっさんは笑っているのか困っているのか判断に迷う眉の寄せ方をして、ウンウンと何度も頷いた。


「時々ね、時々その絵を気にしてる人がいたんだけど。ワタシ的には微妙な出来としか思えないんだよね。何でだろう、それのどこが気になりますか」

「どこ、って」


 一つしかないでしょう――と答えて話を終わらせたくなったが、もしも相手が作者本人なら流石に失礼か。

 そう考えた僕は、ふやけた体型をしたおっさんに感想を述べようと、赤い絵にもう一度目を向ける。


「……あれ?」


 描かれているものが、変化していた。

 いや、基本的に変わっていないのだが。

 カンバスから突き出ていた指――みたいなものが消えている。

 どういうことだ、と凝視していると今度は中心部から何かが盛り上がってきた。


 その凹凸おうとつと輪郭は、子供の顔をイメージさせた。

 絵の裏から顔を押し付けると、こういう形に浮き出るのだろうか。

 出現した顔のようなものは、ゆっくりと首を横に振る動作を見せ、絵の形をジワジワと変えていく。


「は? いっ、今の」


 見ましたか、と訊きたくて声を上げておっさんの方を向く。

 すると、うるんだ目で僕を見据えてくる視線と、予想外の近距離でカチ合った。

 何なんだ、こいつ。

 一体どういうつもりで――


「見えましたか、アナタ見ましたか、動いてましたか」


 意図を確かめようかどうしようか躊躇ためらっていると、おっさんの方から早口で切り出してきた。

 予想外の流れで返事ができずにいると、おっさんは更に舌の回転数を上げて続ける。

 

「時々ね、時々この絵が動いて見えるって人がいたんですけど。ワタシ見たことなくて、どんな風なのかわからなくて」

「どんな、って」


 やはり作者だったらしいおっさんは、まぶたの弛んだ目を爛々とさせ、唾の飛沫しぶきを散らしながら言い募る。

 強すぎる圧に困惑しつつ、僕はおっさんの問いに対するリアクションを考える。

 まともに答えるべきか、適当に誤魔化すべきか、キレ気味に全否定するべきか。

 どれも選べないでいる内に、半ば無意識で質問に質問を返していた。


「それより、動く理由に心当たりは」

「ないんだよね、うん、全然ないんだ。使ってる道具は多少なりとも高級だけど、特別製じゃない。絵具は顔料から作ってるけど、素材はどこにでもいるものだし」

「そう……なん、ですか」


 おっさんは歯茎を剥き出して、トロケた笑顔を見せてくる。

 相変わらずの早口で色々と語っているけれど、まるで頭に入ってこない。

 先輩と厚化粧女の笑い声が聞こえるが、随分と遠くから聞こえてくるようだ。

 見たくないのに、視線はまたあの絵へと吸い寄せられる。

 赤い渦から突き出した左手――その人差し指の先は僕に向けられていた。

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