第十七話 「わたしの……変身を!」



「くっ……」


 無数に居並ぶ道頓堀の手勢を前に七緒は額に汗を浮かべていた。


 スケイルギアを使って最初に現れた第一陣をなんなく蹴散らした七緒であったが、全滅しそうになると道頓堀は第二、第三波と増援を追加して途切れさせることなく手駒を送り込んでくるのであった。


 相手の持ち駒は無尽蔵なのか? だとすれば変身時間に制限のある自分では相性が悪すぎる。


「限界か……」


 熱持った鎧の温度に耐え切れず変身を解く。


 変身後は高負荷の影響で体力がごっそりと削られる。敵前であるにも関わらず七緒は刀を支えにしながら膝を着いてしまう。


 この状況は自分一人ではどう足掻いても切り抜けられそうにない。もう一人の適合者、獅子谷レオさえいれば……。


 そう考えた後、七緒はすぐにその仮定を打ち消す。


(彼女を頼りにするなんて、私は相当参っているようだな)


 自嘲しながら苦笑する。

 自分で突き放しておきながら助けを求めるとは筋が通っていない。


 この間の出撃で彼女はその脆さを露呈し、戦力にならなかった。その甘さを七緒は厳しく叱責したし、当人も自身の不甲斐なさに落胆していた。


 さらにかつての愚かだった自分を盲信する彼女に七緒は一方的な恐怖を覚え、昔の自分を彼女の前で強く否定しても見せた。


 必要以上に強くあたったのは完全に自分のエゴで、八つ当たりだった。夢見がちな正義に憧れる少女にとって夢から覚めるには十分すぎる出来事だったはずだ。


 恐らく彼女はもう戦いには戻っては来ないだろう。獅子谷レオは貴重な適合者であるが変身できなければ力を持っていないのと同じこと。監視対象になることは間違いないが、今ならこれまで通りの生活に戻ることができると思う。


 自身の身に危険が迫っている中でこんなふうに他者のことを考えるなんて。どうしてこんな状況で彼女のことを考えてるのか自分でも不思議だった。


「最後にもう一度訊こうか。本当に俺たちの仲間になる気はないのか?」

「くどい!」


 道頓堀の最後通牒を七緒は跳ね除ける。

 絶望的な状況でありながら打開策があるはずだと心を強く持ち、決して屈しないという姿勢を見せつけた。


「ちっ……。救いようのない女だ」


 道頓堀は苦々しい顔で舌打ちをし、悪辣に吐き捨てる。そんな彼の姿を見て、七緒は道頓堀がこんな男だったのかと失望する。


「うおおおおおおおおおおおっ!」


 なんとか立ち上がろうとするが脚が言うことを聞かない。


「やれ」


 道頓堀の非情な声が静かに耳を打つ。

 七緒をぐるりと取り囲んだデウス……ダーナーの群れがにじり寄ってくる。



「ちょっと待ったぁああああああああああああああ!」



 どこからか響いたそんな声とともに爆音が轟いた。七緒の右側にいたデウスの列が吹き飛ばされ、包囲網の一部が崩壊、決壊する。


「何が起こった!?」


 道頓堀が驚嘆の声を上げると穴の開いた陣の隙間から砂塵を巻き上げて黄金に輝く鎧の騎士が目の前に滑り込んできた。


「お前、第四号……変身できたのか……?」


 獅子を思わせるその全体の絢爛なフォルム。

 直接見たわけではないが報告書にあった特徴通りの姿。

 獅子谷レオのスケイルギアで間違いない。


「はい。いろいろな人のおかげでどうにかなりました!」


 緑青色のバイザー越しのため表情は見えないが、気負った様子もなく彼女本来の暢気な調子でサムズアップをして答えてくる。


 ……どうしてだろう。


 その屈託のない雰囲気に懐かしさを覚えてしまったのは。かつて隣にいた奔放で不躾な誰かを重ね合わせて見てしまったのは。


「やれやれ、やはり私は相当参っているようだな」


 七緒はレオに気取られないよう僅かに口角を上げながら呟き、立ち上がった。

 身体の辛さは変わらないはずなのに。

 さっきまでは無理だったことができた。


(不思議なこともあるものだ……)


 立ち上がりながら握りしめた刀の側面を見つめ、変身を解いて走り寄ってくる子犬 のような少女を横目で視界に捉えつつ七緒はそう思った。




 デウスたちはすぐさま円陣を狭めて空いた隙間を補填し包囲網を再構成する。

 せっかくぶち空けた通り道も塞がれ、意気込んで助けに来たレオも同じ穴のムジナとなって取り囲まれてしまった。


「諸星先輩。大丈夫ですか?」


 レオは変身を解き、ふらふらと立ち上がろうしている七緒に駆け寄る。


「ふん……昨日の真っ青な顔からは想像もできない立ち直りぶりだな」

「正義の味方として、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきませんから!」


 七緒自身も満身創痍で辛そうな顔をしている中で言う台詞だろうかと心の中で思いながらレオは言った。


「なぜ戻ってきた。ここへ来たということは考えを変える覚悟ができたのか?」

「それは……」


 七緒の問いかけに答えようとレオが口を開きかけると、


「貴様、この間俺たちが回収に失敗したスケイルシードの適合者だな!」


 デウスの壁の向こうから腕組みをしたマントの男、道頓堀がよく通る明瞭な声で叫んだ。


「えっ、誰ですか?」


 デウスに囲まれる七緒しか目に映っていなかったレオはその存在に初めて気が付いた。


「ふっ……俺は黄昏の夜明けが一員、道頓堀た――」

「あっ! ローブを着た変質者!」


 レオは加藤の言っていた近頃近隣で目撃されているという不審者の特徴を思い出し、ついつい叫んでしまう。


「誰が変質者だ!」


 道頓堀はクールな相貌を崩して怒鳴る。


「あなたのせいでわたしは警察に変態扱いされたんですからね!」


「何の話だ?」


「あなたここ最近、その格好でここらをうろついてましたよね。お巡りさんが言ってましたよ!」


「ちっ、見つかってたのか……。オレは泳がされてたってことか?」


 道頓堀は思案顔になって呟く。


「貴様、この辺りに潜伏していたのか」


 七緒の凍りつくような声音にレオは自分が対象ではないにも関わらず背筋が震えた。


「あ? そりゃあ、作戦前に下調べは行うものだろ? あの人だって下準備の重要性は口を酸っぱくして言っていたはずだぜ」


 ……あの人? 七緒とこの男の共通の知り合いだろうか。


「それより何で彼はここにいるんです? 避難は済んでいるんじゃ?」

レオは平然と佇んで危険地帯のど真ん中にいる道頓堀に純粋に驚きながら訊く。


「あいつは敵だ。このデウスたちは全てそいつの指示で動いている」


 淡々と七緒は言った。


「人がデウスを操っているってことですか?」


 デウス側に人間がいる。事態に複雑さを覚え、レオはこめかみを押さえる。


「詳しいことはあいつを捕まえて、じっくり聞き出せばいい。今は気にするな」


 頭を抱えるレオを見かねたのか、七緒は間を取らせるように配慮の言葉をかけてくれた。やはり本当は優しい人なのだと思う。


 温かい心を持っていて、困っている人を見過ごせない人なのだ。

 なら、やはり……。


「あの人と諸星先輩はお知り合いなんですか?」


「いや、知らん。あんなただの悪党以上のものでない、取るに足らない人間は知らん」


 知らないを繰り返し、無理やりそう思い込もうとしていることが見て取れる低音の声で七緒は答えた。


「おうおう、随分なことを言ってくれるじゃねえの!」


 茶化した横やりが飛んでくる。気安い態度で七緒に接するところから、かつてはそれなりに近い距離にいた人物なのだろうか。


 それがなぜデウスを率いてレオたちの学園を襲いにかかっているのか。わからないことだらけでこんがらがりそうだ。


「実は諸星先輩に聞いて欲しいことがあるんです」


 切り出すタイミングが掴めなかったのでレオは無理やりそう言ってきっかけを作りだした。


「それは今話すべきことか?」


 七緒の表情は変わらず、能面のようなままだ。


「はい。私の覚悟についての話です」

「…………」


 レオの揺るぎない瞳を見て何かを察したのか。七緒は一瞬目を見開き、黙して聞き入る態度になった。


 レオは自分の想いを届かせるため思いの丈を語る。


「……私は昔、家のこと、家族のことなんかでいろいろ塞ぎ込んでいて、世界に絶望していました。この世に救いはない。誰も助けてはくれないと抜け殻のように生きていました。でも諸星先輩はあの日、希望がないと思っていたこの世界でわたしが初めて見つけた希望だったんです。


 何の接点もない、見ず知らずのわたしたちを守るために颯爽と現れて必死になって戦っているその姿にわたしは憧れ、自分の未来に、この世界に価値と可能性を見出せた。だからあの日の先輩にわたしは理想を描いて、その理想像に近づこうとして。


 それを道標にここまで歩んできました。でもそれは先輩に勝手に理想の姿を押し付けていたんですよね」


 レオは四年前に救ってもらった過去を話した時の七緒の様子がずっと気にかかっていた。そして思ったのだ。


 七緒はかつての自分とは違う自分を見られることに罪悪感を覚えていたのではないか。過去と今を比べられることに気まずさを感じていたのではないかと。


 大鳳は言っていた。七緒は変わったと。

 人は変わる。それは良くも悪くもだ。

 レオだって変った。

 七緒も変わった。

 大鳳も自分は変わったと言っていた。


 だからレオは七緒が変わったことを責めない。もう戻って欲しいとも言わない。それは言っても詮無きことなのだから。


 彼女が自ら変化を求めたのなら、レオが自分の願望押しつけるのはナンセンスだ。


「諸星先輩に正義への考え方を問われてわたしは気が付きました。わたしは正義の味方になりたい。でも、その夢は漠然としていて具体的なものはなかったんだって。だから何が大事で、何のためにわたしは戦うのかよく考えてみました。それはあの日あなたの姿を見て、わたしのなかに宿った正義への志が導いてくれたもの。


 その正義を志すことで手に入れることができたもの。わたしはその手に入れることができたものを守っていけるようにしていきたい。わたしはただ、ようやく掴めたこの安寧の日々を大事にしていきたいんです。わたしはわたしが大好きな人たちがいる小さな世界を守ってみんなが笑っていてくれればそれでいいんです。


 ありきたりで平凡な日々が守れればそれでいいんです。でも泣いている人を見ない振りをしていくのはわたしの目指す正義じゃない。それはわたしの大事にしている日常をその人から奪うことになるから。だから、わたしは先輩と同じ道は歩めません。世界を守るという目的は一緒でも同じ正義では戦えません」


 そこまで言ってからハッとする。これはひょっとして七緒に宣戦布告を申し出ているのと同じ意味合いではないか?


 自分が感じたことをダイレクトに言葉にしたが、よく考えればそんなふうに捉えられてもおかしくはない。


 だがレオはもう七緒を目指さない。


 自分自身の中に宿る正義で道を切り開いていくことに決めたのだ。ならはっきりと伝えるのは間違いなかったはずだ。


「先輩が大きな平和のために目の前の人を救い切れないのなら、その人たちを救う人間も必要じゃないかってそう思います」


 また彼女はレオを怒鳴りつけるのだろうか。

 戦場へ立つなと罵るのだろうか。

 何を言われても構わない。

 だけど。できることなら……。


「やはり似ているな……」


 ふっ、と目尻を下げ七緒はそう言った。


「え?」


 想定外の柔らかな表情にレオは当然動揺する。


「昔いたんだ。日常を守っていければいい。小さな目の前の世界を守っていくことができればそれでいいと言っていた……そんなやつが。君は彼女に似ている。昔の私に似ていたと感じたのは勘違いだったようだ」


「それってどういう……?」


 七緒の唐突な言葉にレオは訊き返す。


「君は漠然と正義という言葉だけを振りかざしていたわけじゃない。無意識だっただけだ。かつての私とは違った。……君も同じだったんだ。大事にしたいもののために自分の意志で戦う者だった。それは私が持つことのなかった正義の形だ」


「先輩……」


「私はずっと義務感で戦ってきた。力のあるものとして、矢面に立って戦うのは当然のことだと。国防のために身を粉にするべきだと。特に自我もなく疑問も持たずにだ。そして君を救ったあの日からはなおさら強く自らの罪を雪ぐためにそう思うようになった」


 贖罪と義務感。


 その二つを柱にする七緒の正義はレオのものとは違う。だけど、だからって七緒が大切なもののために戦う正義がないわけではないはずだ。


 持つことがなかったなんて言わないでほしい。

 だって、自分はそんな彼女に救われたのだから。


 しかし、今の自分ではそのことを七緒に上手く伝えられることはできないだろう。だからいつか七緒にも知って欲しいと、わかって欲しいと。そうレオは思った。



――今は何もできない。だけど、せめて今できることで何かを伝えたい



「諸星先輩。先輩は私に覚悟の話をしてくれましたよね? あの時はどう返せばいいかわからなかった。けど、今ならその言葉に答えられます。だから、やっと見つかったわたしの返事を見て下さい。わたしの……変身を!」


 レオは大きく一歩前に踏み出して足を肩幅より若干広めに拡げ、構えを取った。

右腕を対角線上に高く掲げ、半円を描くようにしながら腰へと回す。そして、あらかじめ当てていた左手とで骨盤を挟み込むようにして抑える。


「来た!」


 腹部から目映い光が放たれ、オレンジ色の宝石が埋まるベルトが姿を現した。

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