第十一話 「それはあなたも変だからよ」
※※※
わたしに救いの手が差し伸べられたのはもう何もかもが手遅れになった後でした。
そう、その手でわたしが救われることはなかったのです。
なぜなら、手が差し伸べられたのはわたし一人だけだったからです。
アパートの部屋で死と隣り合わせの中、孤独と飢えに震えるわたしの前に現れた人たちは亡くなった当主の遺言で迎えに来たとそう言い、わたしを西洋のお城かと見まがう豪奢なお屋敷へと連れていきました。
どうやら母はとある名家の当主の妾で、わたしはその当主の娘だったらしいのです。
遺言状には当主の死後、わたしを家に迎え入れるようにと書かれていたとか。
そこでわたしは今までの自分を捨てる代わりに、いろいろなものを手にしました。
新しい家族に専属の使用人。
綺麗なお洋服に大きなお部屋。
食事は見たこともない高価な食材で作られたフルコース。
わたしの生活は見違えるように華やかなものになりました。
……上辺だけは。
そこは豊かであっても温かみのない、冷たい世界でした。突如現れたわたしに屋敷の人たちは心無い言葉を吐き捨て、忌み嫌う視線を容赦なく向けてきました。
なくなったものは返ってこない。
挙句、嫉妬や軽蔑に塗れた氷の牢獄に閉じ込められる。
死ぬことはないけれど、永劫続く生き地獄。
誰も助けてはくれない。
そこでわたしはこの世界に希望というものはどこにもないのだと悟りました。
そうして世界を見限ったわたしは他人事のように自らの目に映る景色を眺め、死ぬこともできず、抜け殻同然にただ生き長らえていました。
それはまるで時の流れに身を任せ、虚無を巡る旅のようでした。
暗い闇に覆われた道を目的も生きがいもなく歩むだけの日々。
……そんなわたしに本当の救世主が現れたのはもっとずっとずっと先のこと。
いえ、日付にしてみればほんの少し先である程度ですが。
当時のわたしにはその時間は永遠のように感じられたのです。
※※※
レオと里香が去った指令室で、大鳳と英美はノートパソコンの画面とメインモニターを交互に眺めながら対話を交わしていた。
「それにしても驚いたな。レオ君があっさり引き受けてくれたこともそうだが、彼女の過去の検査結果では鎧装表皮は検出されていなかったんだろう?」
「そうだね。念のためもう一度データベースを漁ったけど小学校中学校高校、いずれも入学時に行う検査では引っかかっていなかったからレオちゃんが先天的に持っていたわけじゃないのは間違いないよ」
「実に考えにくいことだが、高校に進学した数か月足らずの間に変化が起こったということになるのか?」
大鳳も首を捻りながら言ってみるが、現状それしか考えられる可能性はなかった。
「どうだろうねぇ。今までも一縷の望みにかけて未成年者は各教育機関で定期的に検査してたけど、後発的に鎧装表皮が確認されたのはこれが初めてのケースだしね。スケイルシードが体内に吸収されたことも含めて彼女はわからないことだらけ。初物づくし。まあ、じっくり時間をかけて調べていくつもりだよ」
研究者としての血が騒ぐのか、英美はキキキと不気味な笑い声を漏らしながら答える。
「そのことなんだが。彼女はあまり気にしていなかったみたいだが、スケイルシードが体内にある状態というものに危険はないのだろうか」
大鳳は報告を受けてから気になっていた事項を確認した。もしもそのことが彼女の生命に害を及ぼすというのなら何かしらの対策を講じる必要性がある。
「一応、今のところ異常はない。ただ、未知の力を体に取り込んで何もないってことはありえないと思うんだけど……」
英美は言葉を濁しながら思案顔になる。
「さすがにデータを取って数時間じゃ検証しきれないし、今は様子見ってところだね」
「そうか……。何事もなければそれが一番なのだがな……」
司令部のドアが開き、レオを送り届けてきた里香が戻ってきた。
「おかえり、里香。あれ、どうしたん? 浮かない顔をして」
英美は俯き加減な里香に気が付き、声をかける。
「……獅子谷さん、ちょっと変わっているなって思って」
「変わってる? どんなふうに?」
「いえ、彼女、何かに病的に突き動かされているというか。正義というものを盲信しているような気がして少し怖いなって……」
「あたしにはそんなふうには映らなかったけどな。驚きはしたけど」
「それはあなたも変だからよ」
里香の容赦ない断言に英美はうへえと舌を出した。
「隊長はどう思われました? あっさりと状況を受け入れて協力を受諾するなんて。正常な思考を持っている人間ならまず考えられないことだと思うのですが」
「正直、私にはレオ君が異常かどうかはわからん。だが、彼女が危険なことにも迷いなく踏み切れるのは恐らく何か指針にしている心の拠り所があるからだろう。むしろ私はその信じているものが揺らいだときの危うさを懸念している」
「信じているもの……。そういえば憧れている人がいると言ってましたね。それが彼女の拠り所なのでしょうか?」
「……レオ君の資料の備考欄に四年前にデウスの襲撃に巻き込まれ、重傷を負ったとあるだろう? 君たちはまだ対策本部にいなかったから知らないだろうが、私はよく覚えている」
「隊長は獅子川さんと面識があったということですか?」
「いや、会うのは私も初めてだ。だが報告は受けていた。レオ君はあの日の関係者だからな」
大鳳は当時を思い返すように目を閉じる。
「あの日というのは諸星さんが負傷し、三人目が行方不明になったという四年前の……?」
「確証はないが、レオ君の憧れる人物とは七緒君のことかもしれん」
「憧れ、ね。他人にそんな気持ちを向けるっていうのはあたしにはわかんない分野の話だね。なぁ、里香」
「なぜ私に振るのかしら」
「や、あんただから振ったんだけど」
「……そういうのは今、関係ないでしょ」
里香は憮然として口を尖らせる。
「確かにねー。今重要なのはどうして第一級高等安全区域にデウスが現れたのかっていうことだし」
「……っ、そうよ。その通りよ」
あっさりと流された里香は納得いかぬ様子でそっぽを向いた。
「それについてだが、私は十中八九、やつらが動いているということで間違いないと思うのだが。君たちはどう思う?」
大鳳は意見を求めるように英美と里香を見て訊ねる。
「……『黄昏の夜明け』ですね。私もその線が濃厚だと思います」
「デウスが単体で世界樹を無視した行動をするとは考えにくい。レーダーにかからなかったことも連中が噛んでるなら説明がつくね」
二人はそれぞれの見解を述べ、大鳳に同意した。
「黄昏の夜明けが出てくるとなればこちらも警戒を強めなくてはいけないな。七緒君と連絡はついたのか?」
「はい、先程返信があって後一時間ほどでこちらに帰ってこれるそうです。獅子谷さんについてのデータも同時に添付しておいたので、すでに目を通していると思います」
「ならばなるべく早急に二人を引き合わせ、連中との戦闘に備えた対策を練らなくてはいかんな」
「では諸星さんが到着し次第、そのように手配しましょうか?」
「いや、二人とも今日はゆっくりさせてやろう。特にレオ君は初陣だったからな。休息がいるだろう」
「……そうですか。なら後日、ゆとりを持たせて召集をかけましょう」
何だかんだ言いながら、適合者たちの身を第一に案じている大鳳にらしさを感じ安堵する里香だった。
日本海上空を飛ぶ高速ジェット機。
その機内を一人占有して座席に座っていた諸星七緒はメールに添付されていた資料を確認する。
資料に載っていたのは新たな適合者の名前と容姿。簡単な個人情報。
『適合実例体第四号、獅子谷レオ』
『江田園学園の高校一年生』
『獅子谷財閥の前総帥、獅子谷真羽の長女』
七緒は記載されているそれらの情報を次々と脳内にインプットしていく。
「……純正培養のお嬢様が正義の味方に、ね」
デウスと戦っていくことがどれほどのことか、彼女はわかっているのだろうか。
すでに一体討伐していると報告にはあるが、怪しいものである。
お遊び気分で参加されては迷惑だ。
人類の存亡を己の双肩にかけている自覚を持っているのか。実際の戦場で、この目で確かめさせてもらうとしよう。
共に戦う仲間と認めるのはそれからだ。
七緒は窓の外に映る朝焼けの空を冷ややかに眺め、そっと目を閉じた。
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