推理ゲームセット【リンゴと毒入りコーヒー】

「はい、アイスコーヒー」

「お、おう」

 どういう風の吹き回しなのか。

 瑞穂が自らカウンターに入り、アイスコーヒーを2人分淹れた。

 珍しいこともあるものだ。

 氷を入れないのは、たぶん薄く作ってしまったからだろう。

 グラスを手に取り、コーヒーを口にした瞬間、


「ぐはっ!?」


 ほとばしる甘味。

 予想外の甘ったるい刺激に思わず噎せ返る。

「お、お前なに入れた!?」


「ただの白い粉よ。今日は毒殺ゲーム! 推理して毒殺を回避してみせなさい」


「……また妙なこと始めやがって。だいたい推理も何も、両方に砂糖ぶち込んでるんだろ?」

「こっちには何も入ってないわよ」

 瑞穂がもう一つのアイスコーヒーを平然とした顔で飲む。

 俺も恐る恐る味見してみたが、たしかに普通のアイスコーヒーだった。


「マジシャンズ・セレクトってやつね」


「手品の応用か……」

 マジシャンズ・セレクトとは『自分の意思で選んだつもりが実はマジシャンによって誘導されていた』というテクニックだ。

 わかりやすいのは好物だろう。

 人は自分の好きなものを選ぶ。

 あるいは逆に苦手なものをそろえておいて、選択肢を減らすという方法もある。

 ただ今回はなんの変哲もないアイスコーヒーだ。


 利き手で取りやすい位置にあるグラスか、量の多いグラスを取るのが人間心理。


 だが俺は利き手から遠く、量も少ないグラスを取った。

 なぜなら、

「ねー、なんで量の少ない方取ったの? ねー、なんで?」

「……うるさい」

「あ、照れてる。かわいい」

 こいつに気を使って量の少ないグラスを取ったのが間違いだった。

「早く次の毒を持ってこい」

「はいはい」

 瑞穂が鼻歌を歌いながら再びアイスコーヒーを淹れる。

 さっきと違って量は同じ、ただし今回は氷付きだ。

「さあ、毒入りはどっちでしょう?」


「たぶんどっちでもない。毒が入ってるのは氷だ」


「じゃあ好きなグラスに氷入れて。それ飲むから」

「なに?」

 言われた通り右側のグラスに氷を入れる。

「ちゃんと混ぜろよ」

「わかってるわよ」

 カチャカチャと氷を混ぜ合わせ、瑞穂がそれを飲む。

「毒は入ってないみたいね」

「貸せ」

 念のため確認してみる。

 たしかに毒は入ってない。

 氷の表面を舐めてみたが妙な味はしなかった。

「はい、じゃあ次は左のグラスね。この程よく溶けた氷がいい感じ」

「あ、ちょっと待て!?」

「待ったなし」

「ぐ」

 やむなくコーヒーを飲むと、

「ぐああ!?」

 ほとばしる苦味。

 やはり毒が仕込まれていたのは氷だった。


「……水は冷気の触れる外側から凍る。だからまず外側を凍らせて、中に毒を仕込んだんだな」


「正解。だから毒入りの氷でも、中身が溶ける前にコーヒーを飲んでしまえば危険はないわけね」

「……不公平だ。次は俺が淹れるぞ」

「どうぞどうぞ」

 余裕ぶっていられるのもここまでだ。

 取っておきのブツを用意する。


「それ毒殺急須でしょ」


「知ってたか……」

 これは中国製の急須だ。

 中が2層に分かれており、そのまま注ぐとA層から、急須の上にある穴を指でふさいで注ぐとB層からお茶が出る仕組みになっている。

 毒入りのお茶とそうでないお茶を自由自在に操ることができるのだ。

「なら正攻法で行こう」

 カップにコーヒーを淹れてカウンターに置く。

「さあ、どっちだ?」

「んー」

 迷っている。

「じゃあ毒見してやろう」

 カップに口をつける。

「こっちは異常ないみたいだな」


「……なんで右利きなのに左手でカップつまんだの?」


「なんでって……。左手の方がつまみやすかったからだ」

「おかしいわね。カウンターにいるあんたが左手でつまんだってことは、カップの取っ手は私から見て右を向いてたってこと。でも今は左を向いてる。国によって違いはあるみたいだけど、基本的に取っ手は客の左にくるように置くのよね」

「……そうだな」

 伊達にうちでバイトしてないな。

「取っ手を左にするのは、左手でカップを固定して、利き腕の右で砂糖を入れてかき混ぜるから。そしてカップを回転させて取っ手を右にする。最初、取っ手が右を向いてたのは安全に毒見するため。つまり毒はコーヒーの中じゃなくて、右手で取っ手をつまんだ時に口をつけるカップの縁(ふち)に塗られてるってことよ!」

 瑞穂は左手でカップの取っ手をつまみ、俺が口をつけたところからコーヒーを飲んだ。

「ごほっ!?」

「残念だったな」

「な、なんでよ!?」

「推理は悪くない、だがそっちは俺の用意したトラップだ。正解はコーヒーと牛乳の比重だよ」

「ひじゅー?」


「水と油は混ざらないっていうだろ? それは水より油の方が軽いからだ。重い水は下に行って、軽い油は水に浮く。その応用だよ。わかりやすいようにグラスに淹れてやろう」


 まず重い牛乳に重いガムシロップを混ぜて更に比重を重くする。

 そして比重の軽いコーヒーをちょろちょろと、牛乳と混ざらないように少しずつ垂らしながら入れていくと……。

「あ、すごい! 綺麗に分かれてる!」

 グラスのカフェオレは牛乳の白とコーヒーの黒の二層に分かれていた。


「つまり毒見で俺が飲んだのは上のコーヒーだけ。俺がコーヒーをほとんど飲んでしまえば、残るのは大量のガムシロで甘ったるくなった牛乳だけってことだ」


「……ひどい目にあったわ」

 お前が始めたんだろうが。

「口直ししよっと」

 瑞穂が果物ナイフでリンゴの皮を剥き、豪快にかじる。

「俺にもくれ」

「自分で剥けば」

「ちっ」

 仕方ないので自分で皮を剥き、シャリッと一口。

「ぐおお!?」

「かかったわね」

「くそ、リンゴにまで毒を仕込んでやがったか!」

「リンゴに毒は仕込んでないわよ」

「なに?」

 恐る恐る齧ってみる。

 甘い。

 苦いのは表面だけだった。


「古典的なトリックよ。果物ナイフの片面にだけ毒を塗ってたの。私は右利きだけど、碁を打つ時は左だから、わりと両手が使えるのよね」


「パリサティスか」

 ペルシアの王アルタクセルクセスの母パリサティスは、ナイフの片面にだけ毒を塗って鶏肉を切り、王妃スタティラを毒殺したという。

 毒殺で有名なメディチ家の当主フェルディナンド一世も、同じ方法で桃を切って兄を毒殺したという。

 今回はその応用だ。

 果物ナイフで皮を剥く場合、右利きはナイフの右面が、左利きは左面がリンゴに触れる。

 パリサティスのようにリンゴを2つに切らなかったのが肝だ。

 これは古典的で有名なトリックだから俺が気付く可能性が高い。


 自分で皮を剥いたものは自分一人で食べ、あくまで相手には与えず食慾を刺激し、相手が自ら毒を塗りたくるように誘導したわけだ。


「皮が無事なのが幸いだな」

「皮なんてどうするの?」

「天日(てんぴ)干しにすればお茶になる。健康茶だ。それに吸っても美味い」

「吸う?」

「正岡子規の作品に『くだもの』ってエッセイがあってな。これだ」

 パソコンで検索する。

 著作権が切れてるのでこういう時ありがたい。


○くだものの旨(うま)き部分


『一個の菓物のうちで処によりて味に違いがある。一般にいうと心(しん)の方よりは皮に近い方が甘くて、さきの方よりは本の方すなわち軸の方が甘味が多い。その著しい例は林檎(りんご)である。林檎は心までも食う事が出来るけれど、心にはほとんど甘味がない。皮に近い部分が最も旨いのであるから、これを食う時に皮を少し厚くむいて置いて、その皮の裏を吸うのも旨いものである』


「アイスクリームのフタの裏ね」

「……」

 なんとなく合っているような気がしないでもない。

 正岡子規も草葉の陰で苦笑しているだろう。

「じゃあ最後の問題ね」


 瑞穂が奥に引っ込み、もぐもぐと何かをつまみながらコーヒーを淹れた。

「なに食ってんだ?」

「後のお楽しみ」

 最後の二杯がカウンターに並ぶ。

「さあ、どっちが毒入りでしょう?」

「……まったくわからん」

「じゃあ味見ね」

 瑞穂が二杯ともちゃんと口をつけて飲む。

「ん、甘くていいコーヒーだわ」

「くそ!」

 重要なのは片方に毒が入っているのか、両方に毒が入っているのかということ。

 コーヒーの淹れ方は両方とも同じだった。

 片方だけに毒が入っている場合は見分けるのが難しい。

 思い切って両方に毒が入っていると仮定しよう。

 その場合、瑞穂はどうやって毒を防いだのか。

 かき混ぜてみた限り比重ではない。

 すると怪しいのはさっき食べていた何かだ。


 あれは解毒剤だったのではないか?


 あらかじめ解毒剤を服用しておいて、毒の作用を打ち消すのだ。

 今回の場合、毒の種類は甘味か苦味。

 瑞穂は甘いといっていた。

 甘い毒なら甘いコーヒーとはいわない。

 なら苦味だろう。

 苦味はどこに消えた?

 ピコンッと閃く。


「ミラクルフルーツか!」


「正解」

 やはり瑞穂が抓んでいたのはミラクルフルーツだった。

 ミラクルフルーツはミラクルベリーとも呼ばれる果実で、実そのものに甘さはないが、これを食べた後に苦味や酸味のあるものを食べると、なぜか苦味や酸味が甘味に変化するのである。

「ヒントが露骨すぎたな」

「そうね」

 ミラクルフルーツを受けとり、コーヒーの苦味を甘味に変える。

 なかなかお目にかかれないタイプの甘味だ。

 ミラクルフルーツをメインに据えて、変わり種のメニューを作っても面白いかもしれない。

「今までのもついでに処理するか」

 ミラクルフルーツ効果で飲みかけだった苦い毒入りコーヒーを無事に処理し、グラスとカップを片付ける。

「そろそろ帰らないと」

「なら送ってくぞ」

「うん」


 瑞穂に気づかれないよう、何食わぬ顔でカウンターから毒を調達し、自宅まで送っていく。


 家につく頃には完全に日が沈んでいた。

「じゃあまた明日ね」

「待て」

「なに?」

「大事なこと忘れてるぞ」

 瑞穂のアゴを指でクイッと上向かせ、ゆっくり顔を近づける。

「ふああっ!?」

 瑞穂は頬を赤らめながらも目を閉じた。



「苦っ!?」


 やはり毒殺は口移しに限る。

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