縁台将棋セット【フルーツサラダとティーパンチ】

 別府竹細工の竹かごに様々な果物を盛って店頭に飾る。

「なにこれ?」

「今日のおやつを果物飾りにしてみた。茶道ならぬ煎茶(せんちゃ)道では、果物や野菜、他にも文房具や炭を飾ったりするんだよ」


「オー、Nature Morte」


「ね、ねいちゃー?」

「美術用語ですね。静物画のことです。Nature Morteは死せる自然、Still Life(動かざる生命=静物)とも呼びます」

「へー」


「カラヴァッジョの『果物籠』や若冲(じゃくちゅう)の『果蔬(かそ)涅槃図』、セザンヌ、デ・ヘーム親子、ファンタン=ラトゥールらの名画を果物飾りで再現してみるのも面白そうですね」


「そ、そうですね」

 若冲とセザンヌぐらいしかわからない。

 後で調べておこう。

「さて」

 果物を飾り終え、将棋の駒を並べていると、

「あれ、駒が足りない」

「油虫でも探せ」

「油虫って草に群がってる黄色い虫だっけ?」

「間違ってないが、俺が言ってるのはゴキブリだ」

「コックローチ?」


「『雨の将棋』って落語があってな。元は『笠碁』といって囲碁の話だったんだが。玉がなくなったんでゴキブリを駒代わりにするんだ」


「黒い碁石の代わりにゴキブリならわかりますけど。駒の代わりは無理がありませんか?」

「江戸時代では駒がなくなったら石とか貝で代用してたんですよ。基本手作りで今みたいに100円ショップで安く買えませんし。紙将棋だって珍しくなかったそうですから」


 ちなみに雨の将棋では対局中にゴキブリがいなくなったと思ったら、股の下から出てきて『玉だけに金の下に隠れてたのか』という落ちがつくのだが。


 さすがにそれを口にするのは憚(はばか)られる。

「……で、なくなった駒はなんだ?」

「歩なのデス」

「それならストックがここにある」

「そういえば駒の色がちょくちょく違うわね。どんだけなくしてるの。……ってよく見たら駒台の色も将棋盤と違うじゃない。どうやったらこんなのなくすの?」


「なくしたんじゃない。元から違う色なんだ。盤と駒台は同じ木ではそろえない。駒台は江戸時代にはなかったものだしな」


「江戸時代には懐紙に乗せていたんですよね?」

「はい。明治時代初期には扇子の上だったそうです」

「ふーりゅーデスね」

「もちろん縁台将棋では懐紙や扇子なんて上等なもんは使わない」

「縁台って縁側?」

「ああ。縁側とか室外の適当な場所で指す将棋だ。駒台がないから持ち駒を握ってることが多い」

「それだと相手がなんの駒持ってるかわからなくならない?」


「だがそれがいい。江戸時代の将棋に関する文献や句を読んでいると『手見禁』って言葉が出てくる。意味は二つあって『縁台将棋で相手に持ち駒を見せない』ことと『相手が指すのを見てから自分の手を変えるのを禁止する』ことだ」


「……えっと、どういうこと?」

「改めて言葉にするとややこしいが、要するに『待ったなし』ってことだ」

 なお『待った』とは形勢が悪くなったのを見て「今のなし」と動かした駒を元に戻して指し直すことをいう。

「この際だから手見禁でやってみるか?」

「面白そうデス」

「ああ、面白いぞ。色んな意味でな」

「対局前におやつー」

「……わかったわかった」

「この果物飾り、どうやって食べるんですか?」


「パイナップルを半分に切ってから中身をくりぬいて器にします」


 パイナップルの器へ、一口サイズにカットした桃、枇杷(びわ)、柿を盛りつける。

 これにヨーグルトと生クリームをかければフィリピンのスイーツ・フルーツサラダの完成だが、今日は生クリームの代わりにヨーグルトにした。


 お茶は煎茶にしたいところだが、フルーツと相性のいい紅茶のキャンディやディンブラの方がいいだろう。

 煎茶道では煎茶だけでなく玉露やほうじ茶、番茶も飲む。

 現代的に紅茶を飲んでもおかしくはない……はずだ。

 あらかじめ冷やしておいた紅茶を取り出し、残り物のフルーツをカットする。

「このままアイスティーで飲んでも良し、好きなフルーツを五種類入れて炭酸を注げばティーパンチにもなる」

「なんで五種類なの?」


「パンチってのはサンスクリット語で5を意味するからだ」


「へー」

「ちょっと小さいが残ったパイナップルの半分も器にしよう」

 パーティーでは大きめのボウルや、スイカの中身をくりぬいてティーパンチの器にするのが定番だ。

 当然パイナップルでも美味い。

「ロゼワインかリキュール入れられますけど、どうしますか?」

「ではリキュールで」

「あいよ」

 先生のティーパンチには香り付けにリキュールを少々。

「大人の味ですね」

 フルーツサラダに紅茶とティーパンチ、とても煎茶道には見えないが。

 たまにはこういうのもいいだろう。


「じゃあ縁台将棋にしよう。ルールはさっきも言った通り手見禁だ。ただし盤上の駒と自分の手駒を参照すれば相手が何を持ってるかわかってしまうから、参照する暇がないように持ち時間を短くするぞ」

「はーい」

 駒台を脇にどかし、チェスクロックをセット。

 サービスとして最初は手を抜いて瑞穂に攻めさせてやる。

「やった、飛車取り!」

「サービスはここまでだ」

 飛車をタダで渡した所で反撃に転じる。

「あ、やばいかも。あんた持ち駒なに持ってるの?」


「そういう時は『お手はなに?』って聞くんだ。まあ、聞かれても教えんがな」


「そこを何とか!」

「王が二枚」

「そんなわけないでしょ!」

 王が二枚は江戸時代の笑い話でよく使われるネタだ。

 ルールをちゃんと理解してない素人同士が見よう見まねで将棋を指し、


『お手はなに?』

『王が二枚』


 となる。

「わかったわかった。特別に見せてやろう」

「げ」


『手を開けば金銀山の如くなり』


 俺の予想以上の持ち駒に瑞穂が絶句する。

「……参りました」

「おいおい、盤上の駒と俺の持ち駒をちゃんと数えてみろ」

「え?」

「敵味方合わせて4枚しか存在しないはずの金銀が5枚ある」

「反則じゃない!」


「盤に打たなければ反則じゃない。俺はただ駒を握っていただけだからな」


「ぐぬぬ」

 ちなみにこの駒は対局前から握っていた。

「今の『参った』なし!」

 瑞穂が手に持っていた飛車を盤に叩きつけた。

「さすがお嬢ちゃん。『坊っちゃん』より行儀いいな」

「ぼっちゃん?」

「夏目漱石ですね」


『ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲(たた)きつけてやった』


 これは『坊っちゃん』が兄に飛車を叩きつけたシーンだが、初めて読んだ時は投げつけたのか、それとも将棋盤へ持ち駒を打つように眉間へ駒を打ったのかが気になった。

 投擲(とうてき)の擲だから多分投げつけたのだろうが、個人的にはピシっと眉間に飛車を打ってほしい。


「うう、参りました……」

 参ったなしでも結果は変わらなかった。

「もう一局指すか?」

「当然よ!」

 今度も最初は手加減して反撃に転じる。

 瑞穂は防戦一方。

「それ」

 挑発するように金を成らせて裏返す。

 本来なら金は成れない駒だから、金の駒の裏面には何も書かれていない。

 裏金でどんどん攻める。

 そして頭金で詰んだ。


「あ、金が多い!」


「いや、多くない」

「数えればわかるのよ?」

「裏返してみろ。この金は玉だ」

「え?」

 金と同じく玉の裏側にもなにも書かれていない。


「指した手を戻す時に盤上の端っこにいた自分の玉をすっと手に隠し持ったんだよ」


「あ、本当だ。玉がない! っていうかこれも反則でしょ!」

「盤上の駒を持ち駒にするのは縁台将棋でよくあるテクニックだ。駒台を使わないからバレにくい。……なにも泣かなくてもいいだろ」

「な、泣いてない!」

 慌てて瑞穂は涙を隠した。

「じゃあ手の下を見せてみろ」


「……手見禁よ」

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