ナイトゲームセット【猫鍋】

「アユ太強すぎ。つまんない」

 久しぶりの本将棋(普通の将棋)で、瑞穂が早々に匙を投げだした。

「なら駒落ちで指すか」

「えー」

 露骨に難色を示す。

 駒落ちは駒落ちで面白く、初段を取るのに避けて通れない道なのだが……。

 駒落ちを嫌う人間は多い。


 自分が格下なのはわかっていても、駒を落とされる、ハンデを付けられるというのは屈辱なのだ。


 しかも初級者が相手だと駒を落としてもまだ足りず、よほど手加減しないと上手が『勝ってしまう』。

 負けるのも一苦労なのだ。

 その心遣いがなおさら初級者には腹立たしい。

 わざと悪手を指したのがバレようものなら怒って帰ってしまう。

 なので、


「誤解すんな。獅子王と同じ変則将棋だよ、下手が駒を落とす」


「え、私たちがですか?」

「はい。俗にいう『八方桂』ですね」

 棋聖・天野宗歩の弟子・市川太郎松が考案した駒落ち将棋だ。

 映画で有名な坂田三吉の棋譜も残ってて意外に歴史は深い。


「手合いは四枚落ち。つまり飛車・角と両サイドの香車を落とす。その代わり桂馬は八方桂、いわゆるチェスのナイトと同じ動きになる」


「オー、ナイトゲームですネ」

 ナイトの意味が違う。

 ちなみに本来のナイトゲームとは、野球などの野外スポーツで夜に試合を行うことだ。

「ただ下手の桂馬は普通の桂馬で。上手の桂馬を奪っても普通の桂馬としか使えない。ただし上手は奪った桂馬を八方桂で使える」

「桂馬のままだと紛らわしくありませんか?」

「それなら桂馬じゃなくて、これを使いましょう」


 『馬兵』という駒を取り出した。


「なにこれ?」

「『広将棋』の八方桂だ。『騎総』になると2回行動できるようになる。ただ1回目こそ八方桂で飛べるんだが、2回目は1回目に飛んだのと同じ方向にしか桂馬飛びできない」


「1回目で前に飛ぶと、2回目は横や後ろに飛べないの?」


「ああ。ただ元の位置に戻る場合は例外だ。騎総が『天馬』に成ったら八方桂で2回行動できる」

「? 馬兵が騎総に成るんなら、もう成れないんじゃないの?」

「広将棋は初期配置で馬兵が8枚、騎総が2枚いるんだよ。だから騎総は天馬に成れる」

「……八方桂が盤上に20枚ですか」


「悪夢(ナイトメア)!」


「誰が上手いこと言えと」

 海外では人に悪夢を見せる黒い馬、もしくは悪夢に現れる黒い馬をナイトメアと呼ぶ。

 夜(Night)と騎士(Knight)、そして霊(Mare)と雌の馬(Mare)をかけて馬の姿なのだろう。

「じゃあ馬兵と騎総を一枚ずつにしよう。オーダーは?」


「猫鍋」


「は?」

「……お金がないのよ」

「うちでバイトしてんのに何で金ないんだよ」

「あんたが巻き上げるからでしょ!」

 それは盲点だった。

「ふな~ご」

 テーブルに鍋を置くと、早速ちはやがやってきて丸くなった。

 なぜ猫はダンボールや鍋の中を好むのだろう。

「かわいい」

「きしゃー!」

 瑞穂が撫でようとすると牙を剥かれた。


 お触り禁止らしい。


「金欠なら今日は家治ルールにしよう」

「イエハル?」

「徳川家治だ」

「将棋好きの将軍ですね」


「はい。自作の詰将棋も残してる将棋狂です。『翁草』によると勝ったら相手の耳を引っ張ってたんだとか」


「微笑ましいわね」

 馬兵・騎総を盤に並べ、三面指し(三人と同時に対局)をする。

 跳ね駒がこちらの陣形を次々と食い破っていく。

 駒落ちとはいえ、3人同時にここまで攻められるのは初めてかもしれない。

「参りました」

 最初に俺に土を付けたのは瑞穂。

 馬兵や騎総に慣れているだけに一発貰ってしまった。

「……ほ、本当に耳引っ張るの?」

「遠慮するな」

「じゃ、じゃあ……」

 遠慮がちに耳を引っ張られる。

 というか触られる。

 撫でられる。


 ……手だけじゃなく耳も好きなようだ。


 まあ、最初の一人だからこれでもいいだろう。

 こういうのは後になるほど痛くなる。

 このままなら残りの2人にも耳を引っ張られるかもしれない。

「不思議ね。八方桂は古将棋でもチェスでもこんなに強くなかったはずなんだけど」

「八方桂が弱いんじゃなくて、他の駒が強すぎるんだよ。そもそも世界中のチェス類を見ても桂馬に相当する駒は八方桂で。将棋も昔は八方桂だったはずなんだ。たぶん持ち駒制度が生まれた影響だろう。八方桂を好きな場所に打てるとバランスが崩壊するから、桂馬は二か所にしか跳ねられなくなったらしい」

「へー」

 口は回るが手が回らない。八方桂に着実に追い詰められていく。

「……やっぱり八方桂だと分が悪すぎたな」


「ソコでサイマーチャオなのデス!」


「さ、さいま?」

「塞馬脚と書きマス。中国将棋シャンチーのルールですヨ?」

「塞翁が馬ね」

 微妙に違うような気もするが。

「そういや昔プロ棋士が『日本の将棋のルーツを探る』とかいう趣旨の本でシャンチー指してたな。確かその本では『馬にくつわをはめる』とか言ってたが」

 くつわは馬の口に噛ませる口輪であり、手綱に繋がっている。

 馬を操るのに絶対に必要な馬具だ。

「イエス! シャンチーのマーはピースをジャンプすることができまセン」

「どういうことですか?」


「隣に並ばれるとその方向へ跳ねられなくなるんです。八方桂は『前後左右の二か所に飛べる』わけだから、一方向に飛べなくなるっていうルールは意外に大きいですよ。ただ飛びこせないのは前後左右の四マスに並ばれた場合だけなんで、斜め四マスに駒を置いても動きを封じることは出来ません」



 ● ●

●   ×

  馬○

●   ×

 ● ●


右に相手の駒があるので右方向の2か所には跳ねられない



「味方の駒は飛び越えられるの?」

「敵味方の区別なく飛び越えられない」

「『四面楚歌』の場合は?」

「ソレは塞八方馬サイパーファンマー、ノットムーブですネ」

 四方を囲まれると動けなくなるということだ。

「くつわをハメられたぐらいで、跳ね駒の進撃を止められるとは思えませんけど」

「止めます」


 馬兵の右脇に歩を打つ。


「あ」

「シャンチーと違って将棋には持ち駒制度があるんで」

 アリスの盤にも歩を打つ。

 ただし駒の隣ではなく、一見すると浮いた駒に思えるのだが。

「ぬ? きそーをジャンプさせても、サイマーチャオでセカンドアタックができまセン!」

 あらかじめ八方桂の着地点の隣に駒を打って置き、行動を制限する。

 跳ねられる場所をコントロールできればこっちのものだ。

 なまじ八方桂が強すぎるだけに、八方桂だけに意識を集中させれば脆い。


「あ、負けました」「とーりょーデス」


「耳出してください」

「いたたたた!? 痛いです!?」

「こら、逃げんな。罰ゲームだぞ」

「のーーー!?」

「はっはっは。……って痛!?」


 二人の耳を引っ張って悦に入っていたら、なぜか瑞穂にまた耳を引っ張られる。

「なんでまた引っ張るんだよ!?」

「知らない!」

 勝ったはずなのになぜ怒っているのか。


「ああ、これが馬のくつわなんですね」


「誰が馬ですか」

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