囲碁セット【パウンドケーキとアールグレイ】

 ガチャガチャ。


「ん?」

 開かない。

 カフェのドアは硬く閉ざされていた。

 おかしい、瑞穂が先に来ているはずなのだが。

「なんだこりゃ?」

 そこでようやく異変に気付く。


『囲碁喫茶』


 カフェの看板(うちではまな板を使っている)が変わっていた。

 しかもよく見ると玄関先には将棋やジャズ、歴史系の本が山積みで、きつくヒモで結ばれている。

「……そういうことか」

 これまで何度となくカフェを片づけるようにいわれていたものの、片付けるどころか自分の部屋に置いておけなくなった本を持ち込んで余計に散らかす始末。

 とうとう瑞穂の我慢も限界に達したというわけだ。

 カフェの中を確認してみると、やはり一人で大掃除に励んでいる。

 意外に綺麗好きなのだ。

「片づけるからここを開けろ」


「ここは囲碁喫茶です。囲碁を打たない人はお帰りください」


「ぐ……」

 将棋ばかりで囲碁を打たないのもまずかったか。

 賭け将棋でカモりすぎたのかもしれない。

 ここぞとばかりに日頃の不満をぶつけてくる。


「パウンドケーキ作ってやるから開けろ」


ピタッ


 手ごたえあり。

 しかし瑞穂は何やらパソコンをいじり始めたかと思うと、今度は料理に取りかかった。

 レシピを検索したらしい。


 くたばれネット社会。


 パウンドケーキというチョイスも悪かった。

 パウンドは重さの単位だ。

 バター、卵、砂糖、小麦粉をそれぞれ1パウンドずつ混ぜれば簡単に作れる。

 無意識の内に料理の手間を惜しんでしまったのが悔やまれた。

 

「……生半可なことじゃ開けてもらえそうもないな」


 さながら平安貴族だ。

 平安時代、身分の高い女性は御簾(みす)の内側に引きこもって素顔を見せなかったという。

 御簾を上げてもらいたいのなら、恋の歌を詠んで自分をアピールするしかない。


 ここは貴族を見習ってみよう。


 といっても和歌なんぞ詠めないので、プリントの裏に線を引いて5路の囲碁盤を作る。

 本式は19路だから子供向けだ。

 そして交点に黒丸を描き、ドアの隙間からカフェへ投函。


 一種の郵便囲碁でもある。


 昔は手紙で遠く離れた相手と数ヶ月、時には数年単位で対局していたらしい。

 今はメールもネットもあるのでやっている人間は少ないが……。

 こういうのも風情があっていい。

 プリントは1分と経たずに戻ってきた。


 むろん白丸付きで。


 乗ってきた。

 こうなったらこっちのもの。

 黒丸を描いて再び投函。

 後はこれを適度に繰り返して……。


「参りました」


 時機を見て降参する。

 簡単なお仕事だ。


 パサッ


「……」

 新たな紙が送られてきた。

 しかも9路盤で。

「仕方ないか」

 やむなく足りない頭を悩ませて打ち始めたのだが、


 パサッ


「……」

 新たな紙が一枚。

 それも棋譜の記録用紙だ。

 つまり19路盤である。

 ……この様子だとこっちが勝たない限り永遠に続くだろう。

 ここはハメ手でいくしかない。


「陣取りをしよう」


「陣取り?」

「カフェの領土を決めるゲームだ」

 ドア越しにいぶかしんでいるのがわかる。

 俺が何かを仕掛けてくるのが丸わかりだ。

 それでも……

「わかった」

 瑞穂にも意地がある。

 初級者である俺の挑戦を拒むことは出来ない。


「じゃあ行くぞ」


 対局を開始する。

 瑞穂は慎重だった。

 大差の勝ちを狙いに行かない。


 19路盤は縦横の線を合わせて361の目(線と線の交点)がある。

 一局の平均手数は将棋の倍近い230手前後であり、目から手数を引けば131目になる。

 囲碁は陣地が相手より一目でも多ければ勝ちだ。


 つまり66目以上取れれば勝てる。


 80目、100目も取ろうと欲張ればろくなことにならない。

 特に初級者は。

 今回の瑞穂からは『一目でいいから俺に勝つ』という、本気の気迫を感じる。

 しかし悲しいかな。


 この場合は逆効果だ。


 手数が進み、さすがの瑞穂も俺に何の策もないことに気づいたようだ。

「投了する?」

「投了? このゲームにそんなもんないぞ」

「は?」

「だから言っただろ。これは『陣取り』だって」

「カフェの所有権を賭けた『争い碁』でしょ?」


「違う。この19路盤はカフェだ。俺たちは今、カフェの中を線引きしてるんだよ。取った目の分だけ土地を貰える。つまりお前が囲碁に勝っても意味はない。これが国境線を決める陣取りのゲームである以上、カフェの49%は俺のもんだ」


「そ、そんなルール聞いてない!」

「ちゃんとルールを確認しなかったのは迂闊だったな。俺の提案したゲームを受けた以上、知らなかったは通用しない。一目差を狙ったのも仇になった。まあ、一目勝ちを狙わなくても一・二割は俺のもんだったろうが。さすがに狭すぎる。というわけだから、早く開けろ」

「嫌よ!」

 瑞穂は頑なにドアを開けない。

 怒らせてしまったようだ。

 カフェを散らかして追い出された身でありながらが、ハメ技を仕掛けたのはまずかったか。


 アプローチを変えよう。


 ノートを綺麗に破って一筆。

 きちんと折り畳んで封筒に入れ、ドアの隙間からカフェへ投函。

 待つこと数十秒。

「な、なによこれっ!?」

 瑞穂が真っ赤な顔してカフェから飛び出してきた。

 震える右手に持つ手紙にはこう記されていた。


『好きです。付きあってください』


「なにってラブレターだよ」

「らららラブレターっ!?」

 囲碁はお気に召さなかったようなので、初心に戻って恋文にしてみた。

 和歌は詠めずともラブレターなら書ける。


 さすが平安以来1000年の伝統がある手法。


 見事に御簾ならぬドアを開かせることに成功した。

 瑞穂が動揺している内に本を抱えてカフェに入り込む。

 さて、だまし討ちに苦し紛れのラブレター。

 何と言い訳すれば、この瑞穂を整理せずにすむだろう。

 灰色の脳細胞を総動員し、108の言い訳を頭に列挙しておく。

 これで何と言われても対応できる。

 だが予想していた言葉はこなかった。


「不束者ですが……」


「は?」

 言葉の意味を計りかねていると、瑞穂が丁寧に三つ指ついた。

 予想外の反応に戸惑う。

 どうやら、このやっつけの恋文を本物のラブレターと思っているらしい。

「いや、ちょっと待て。こういうのはもっと段階を踏んでだな……」


「ふふん。やっぱり女子高生たる者、彼氏の一人もいないとね」


 聞いちゃいない。

 しかもこの口ぶり。

 相手は誰でもいいから彼氏を作りたかったというように聞こえる。

「……告白されたことないのか?」

「一度も話したことない男に校舎裏へ呼び出される恐さ。わかる?」

「今わかった」


 ようするに顔見知りに告白されたことはないということらしい。


「じゃあ掃除しましょ」

「お、おう」

「始めての共同作業ね」

 瑞穂が鼻歌混じりにカフェを片付ける。

 どうやら機嫌も直ったらしい。

 立てこもりがこんな事態にまで発展するとは思いもしなかったが。


 心なしか距離が近い。


 肩の触れ合う近さだ。

 付き合いたてのカップルならこんなものかもしれないが……。

 背中に何とも言えないむず痒さを覚えながら掃除を続けていると、半ば存在を忘れかけていたパウンドケーキが焼き上がる。

「ベルガモットの香りがするな」

「紅茶のパウンドケーキなの。……でも私の知ってるグレイ伯爵(アール)と違う」

「それはアイスティーだろ?」

「あー、そういえばそうかも。なんで?」

「日本のアイスティーはだいたいアールグレイだからな」

 紅茶は下手に冷やすとにごる。


 いわゆる『クリームダウン』という現象だ。


 アールグレイではこのクリームダウンが起こりにくいのだ。

「アイスティーじゃフレーバーも出にくい。これが本当のアールグレイなんだよ」

「フレーバーって? これアールグレイの匂いじゃないの?」


「アールグレイはベルガモットで香り付けされた紅茶のことだ。よく使われるのは中国のキーマンだな。香り付けすればなんでもアールグレイになるわけだから、ダージリンのアールグレイなんてのもある」


「へー」

「お茶はアールグレイにするか」

「あんた、アップルパイとリンゴジュースみたいに、同じ味をそろえたがるわよね」

「同じ味を重ねるのが好きなんだよ」

「ふーん、そういうのが好きなんだ」

 ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくる。


「私のどこが好き?」


「……答えにくい質問をするところが嫌いだ」


「そういうとこ好き」

 と言ってはにかんだ。


 ……初めてこいつのことを可愛いと思った気がする。

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