ウェディングドレスは無垢な純白に守られてⅦ
火曜日の朝は空一面青色の夏晴れだった。ちょっと暑いけど、動物園に行くなら晴れていて悪いことはない。なんだか落ち着かなくて予定よりもずいぶんと早く起きてしまった。別に遥華姉と出かけるのなんて何度もあったことだ。それなのになんだかとっても久しぶりで、楽しみなことのように思えてくる。
「何か必要なものなんてあったっけ?」
まずはお財布。中にはすっかり机の肥やしになっていた給料がたっぷりと入っている。高校生とは思えないほどの充実ぶりだ。
「あとはなにかあるっけ?」
ハンカチとかそういうものを小さなメッセンジャーバッグに詰めるけど、お出かけするときって何を持っていくものだったっけ? 学校ならすぐにわかるのに。玲様といると何でも用意されているから着の身着のままで連れ出されることも多いし。
考えてもわからない。何かないと思ったらその場で買うことだってできる。なんとも便利な世の中だ。僕は考えるのを諦めて、ごろりと畳の上に転がった。部屋の中は全部畳だからどこでも転がれる。逆に言えば、僕の寝床はどこでもいいってことだ。
きっちりと機能を制限されたフローリング部屋とどっちがいいんだろう。そんな無駄なことを考えていると、部屋の襖が叩かれる。いったい誰だろう? お母さんとはさっきご飯を食べたときに話しておいたし。
「おはよう」
「遥華姉。早いね」
ちょっと遠出をするつもりだけど、夏の朝は早い。今から行っても開園時間より先に着いてしまう。
「いや、準備があるから」
「何かあったっけ?」
しかもわざわざうちに来てやらないといけないこと。そんなことあったような記憶はないんだけど。
「ほら、着替え。それとメイクもやってあげようと思って」
「え、僕、女装していくの?」
「当然だよ。私と一緒に出かけるんだよ?」
いや、男らしくおごりで連れていくって言ったんだから、そこは男として扱ってほしかったんだけど。確かにずっと遥華姉と遊びに行くってことは、つまり僕はロリータ服を着せられてアーケードに連れていかれるとほぼ同義語だったけどさ。
「動物園まで?」
「もちろん。だからバレないようにメイクもするんじゃない」
そんなところに力なんて入れてくれなくていいから。遥華姉はあんまり女装の出来にこだわらないから今までは服を着るだけでよかったのに。湊さんやこの間の佐原先輩に影響されて、妙な使命感を心に宿してしまったらしい。
「でも、この暑い中でああいう服は」
「だから、お嬢様からもらったやつがあるでしょ。あれでいいよ」
「それは、あるけど」
長袖のブラウスに長めの黒のスカートが僕のタンスの奥底に隠されるように入っている。まだ僕が玲様の彼女役だったときに必要になるかもしれないと渡されて、結局そのままになっているやつだ。返してもいいんだけど、玲様はいらないって言うし。
夏だけど日焼け防止と考えれば長袖でも変じゃないかな?
「じゃあそれ着てメイクしよっか」
「メイクは服にお化粧が落ちないように着る前にやるんだよ」
「へぇ、ナオって詳しいね」
詳しくならされたんだよ。毎回そうされていれば自然と覚えてしまう。そろそろお化粧の順番くらいは頭に入ってきそうだ。反復学習が推奨される理由もよくわかる。こうして嫌でも目の前で繰り返されていれば自然と頭に入ってくるのだ。ほら、そんなことわざがあったはず。
「もしかして自分でできる?」
「できないよ。ほとんど目をつぶってるんだから」
ただでさえ絵心がないのに、自分の顔に自分で色を塗るなんてできそうもない。
「そっかー。私もあんまり上手じゃないんだよね」
「っていうかうちでやったらお母さんに見られるんじゃ」
「この後買い物に行くって言ってたから大丈夫。その間にナオと出かけるって言っておいたから」
そういうところはちゃっかりとしている。なんだか遥華姉も玲様に似てきたような気がするよ。お母さんの鏡台を使うわけにもいかないから僕の部屋にあった小さな鏡を使ってメイクを整えていく。
真正面から見た顔と鏡を使ってみた顔。左右が反転しているからどちらでもきれいに見えた方がよりいいメイクなんだとか。なんとも難しい話だ。
さすがにモデルのときとは違って、そこそこの時間で解放された僕はまぁなんとか面影が残っているという程度の自分の顔を鏡で見る。やっぱりやる人によってちょっと個性が出るらしい。遥華姉はアイラインなんかはそのままだし、チークも薄い。ファンデーションもやや暗めのものを使っているみたいだ。
「どんな感じ?」
「遥華姉らしくていいと思うよ」
「いや、メイクの出来は聞いてないよ。絶対他の人の方がうまいし」
こういうのも女子力に含まれるんだろう。僕はみんな自然のままでも可愛いと思うんだけどな。こうして苦労してきれいにしてくれていることを考えたらやめた方がいいなんて言えないけど。
「じゃあ着替えて待ってて。早苗さんが行ったら迎えに来るから」
「なんで家でスパイみたいなことしなきゃいけないの?」
遥華姉が出ていったのを確認してから僕はタンスの中を開ける。あまり多くない普段着の中に隠れて、玲様からもらった服を取り出した。
「なんか夏のお嬢様って感じ」
前も同じような感想を言った気がする。僕の表現力は夏休みの宿題をこなしてもあまり成長していないみたいだった。
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