エプロンは身と心を引き締めてⅣ

 玲様のオムライスは最終局面に差し掛かって、これから最後の仕上げ、玉子で包むところだ。チキンライスは色鮮やかに出来ていて焦げついた匂いもしない。やや玲様には大きいフライパンにバターをたっぷりと落として、少し熱をとった後に粗くかき混ぜた卵を一気に流し込む。それからはスピード勝負。卵が固まってしまう前に均一に伸ばして形を整えたら、焦げ付く前にチキンライスを乗せてすぐにお皿へと移す。


 迷っていると焦げてしまう一瞬をためらうことなくお皿に移した代わりに少しだけ形が崩れてしまった。玲様はそれをしれっとした表情でお箸で整えると、ケチャップをかけて自信満々に眞希菜さんに差し出した。


「できたわよ」


 最後に失敗したのをごまかそうとしているんだ、と僕はすぐに感づいた。そんなことをしても眞希菜さんはずっと見てたんだからそんなことしてもバレバレなのに。


「まぁ、見た目は六〇点ってとこだな」


「う、それは認めるわ。でも勝負だから作り直すのはなしよ。これで勝負だから」


「はいはい、わかったよ」


 眞希菜さんは玲様からオムライスを受け取って、厨房にあるスプーンを手にとった。それを見ているだけで僕はなんだか胃が重くなってくるような気がする。自分が食べるわけでもないのに玲様の残した爪痕はそうそう簡単には癒えてくれないのだ。


 玲様はじっと眞希菜さんが食べようとするのを見ている。そのせいで眞希菜さんはなかなか食べられない。


「そんなに見るなよ。無駄に緊張させるな」


「いいから早く食べなさいよ」


「まったく。好き勝手言いやがって」


 眞希菜さんはようやく手に持ったスプーンで小さめにオムライスを切り分けると、そのまま口の中に放り込んだ。僕と玲様とそれから朱鷺子さんが眞希菜さんが何と言うのか、固唾かたずを飲んで見守っている。


「ふーん」


 それなのに、最初に出てきた言葉はあまりにもシンプルでどう捉えていいのかわからないものだった。こんなにこっちが期待しているのにそんなのってないよ。


「どうなの? いいの? 悪いの?」


「まぁまぁ。落ち着いてゆっくり待ちましょう」


 耐え切れなくなって急かす僕を朱鷺子さんがなだめてくれる。でもそのくらいじゃ収まりがつかない。二人は知らないだろうけど、僕は遥華姉や湊さんとともに玲様の生み出したオムライス軍団と戦い、蛮勇とともに本拠地へと向かってその悪行を止めるというヒロイックな物語を成し遂げなくちゃいけなかったのだ。これ以上引き伸ばされても困るし、ましてまた玲様に火がつくようなことを言われたらどうやって被害が広がる前に止めるかを考えなくちゃいけない。


 眞希菜さんはときどき意味のない言葉とも息遣いとも言えない声を漏らしているけど、まだ明確な答えは聞けないままだ。そのまま半分ほど食べ進めたところで、ようやく眞希菜さんは手を止めた。


「なるほどな」


「ど、どうなのよ?」


 これだけ溜められると最初の虚勢を張った自信の表情もすっかり崩れてしまって、玲様も声が少し震えている。途中でできなくなるなら最初からやらなきゃいいのに。そう言っても聞いてはくれないだろう。玲様は助けを求めるように僕の方を見て目で訴えるけど、僕だって早く言ってほしいし、どうしようもないよ。


「三〇点」


「……低いわね」


 ようやく口を開いたと思ったら、かなり厳しい点数が返ってきた。見た目の時点より点数が下がってるってことはあんまりおいしくなかったってことなのかな? がっくりと肩を落とした玲様に眞希菜さんは残った半分のオムライスを返す。食べてみればわかるってことなのかな。


「鶏肉の下処理が甘い。たまねぎはうまくなったが他の野菜はまだばらついてるな。それから鶏肉はもう少し大きく切る。味の核なんだから食ったときにわからねぇと意味がねぇ。玉子ももう少し手早くないと口解けが悪い」


 容赦のない指摘が並んでいく。思っていた以上に手厳しい。玲様は返されたオムライスをしょんぼりとして見つめながら、眞希菜さんの言葉を聞いていた。相手はプロなんだから嘘は言っていない。生意気に言い返すことすらできないみたいだった。


「うぅ。まぁ、その通りね。眞希菜には及ばないわ」


 返された自分のオムライスを食べながら、玲様は納得したように言った。


「まぁ、その、なんだ。店には出せねぇけど友達に食わせる分には満点だろ」


 玲様の沈んだ表情に負けたように眞希菜さんがたどたどしくフォローの言葉を並べる。その前にもうちょっと優しく言っておけばよかったのに。玲様はじっと黙って俯いたまま黙々とオムライスを食べている。眞希菜さんは金色の頭を乱暴に掻いて渋そうな表情でそれを見下ろしていた。


「わかったよ。修業すりゃそのうちできるようになんだろ。仕込みだけは手伝わせてやる。それでいいだろ?」


 眞希菜さんが折れたようにそう言った。その瞬間に玲様は目を輝かせながら勢いよく顔を上げた。急な変わりように眞希菜さんが一歩後ずさる。


「ふまり、わらしをみほめるってほとね」


「食べながら話すな」


 玲様は口の中を空にして口元にケチャップをつけたまま拳を高々と掲げた。


「厨房に入っていい、ってことは私を認めたのと同じよ。つまりこの勝負私の勝ちね」


「なんでだよ。点数もう一度言ってやろうか? 三〇点だよ。不合格だ」


「でもオーナーが」


 そう言って玲様はにこにこと微笑んでいる朱鷺子さんに視線を向ける。それを待っていたかのように朱鷺子さんは審判のように右手をまっすぐに挙げた。


「眞希菜ちゃんが厨房に入っていいって言ったので、玲ちゃんの勝ち」


「どういう理屈だよ!」


 必死の抗議もまったく朱鷺子さんには届かない。朱鷺の、ううん、鶴の一声で勝利は玲様の手に転がり込んできたのだった。

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