割烹着は台所で躍動してⅣ

「やっぱりこっちもオムライス地獄になってるの?」


 遥華姉の口から出る話題は当然のように決まっていた。というかここ最近僕たちが気になっているのはいったいどうして玲様は狂ったようにオムライスを作り続けているのかということばかりだった。本当は一度学校で玲様の教室を見に行ったんだけど、真剣に料理のレシピ本を穴が開くほど読み込んでいてその気迫に押されている間に上級生たちに囲まれてしまって、なんとか逃げ切ったことがあった。


「そうですねー。母も最初は玲が料理をするって言うし、楽できていいって言っていたんですけど、最近は無言で淡々と食べてますね」


 どうやら下川家もそうとう参っているみたいだ。まぁ当然か、なんて言ったって毎日同じものを食べ続けなくちゃいけないんだ。僕もじいちゃんも同じように食事中無言になることが増えた。お母さんだけは全然平気そうなんだけどね。


 今回のはご飯が硬く炊けているとか玉子が焼き過ぎだとかと毎回食べながらしっかりと批評している。残念だけどその場に玲様はいないし、どれがいつのものかなんて持ってきた干将さんも知らないんだからフィードバックのしようがない。


 より自分の料理でオムライスを美味しくできないかと研究を始めたみたいで、サラダやオニオンスープを作ったり、オムライスに合う和食を試している。そう考えると、二人よりも僕はかなりいいオムライフを送っていると言えるかもしれない。


「それにしてもあの玲が料理を始めるほどってそうとうなケンカだったんじゃない?」


「せっかくやる気になってるんだから変なこと言わないであげようよ」


 本当に玲様って怒りが原動力だと思われてるなぁ。家出してきてあれだけのことをしたからみんなの頭の中に強く残っているんだろうけどさ。でも確かに今回どうしてあんなにやる気になったのかは見ていた僕にもよくわかっていない。なんだか聞きにくいけどやっぱり聞いてあげた方がいいのかなぁ?


 それじゃ出発、となったところで僕は湊さんが何か紙袋を持っていることに気がついた。バッグでもないしちょっとしたお土産には大きすぎるように見えるんだけど。


「それって何が入ってるの?」


「玲への差し入れ。結構気に入ると思うんだけどね。あ、中身は秘密だよ」


 湊さんは僕の当然の疑問をさらりとかわす。こういうときって僕にとってあまりいいことに繋がらない印象があるんだけど大丈夫かな。せめてヒントでも聞き出そうと思っていると、もう歩き出していた遥華姉が遠くから手を振って叫んだ。


「早く行こうよ。こうしている間にも人々の笑顔は奪われていってるんだよ」


「別にオムライスは兵器じゃないからね」


 すっかり勘違いを起こしている遥華姉を追って、僕たちは玲様の家へと向かって歩き出した。




 どこまでも続いていそうな囲いをぐるりと回ってようやく玄関へと続く門扉まで辿り着いた。これだけで十分ランニングコースになりそうだ。チャイムを鳴らすと時間を知らせていたからか干将さんが出てくれた。心なしか声に疲れが見える。どんなときも澄ました表情で仕事をこなしている干将さんが、と思うと事態は深刻なのかもしれない。


「お迎えにあがりましょうか?」


「湊さんがいるんで大丈夫ですよ」


 この家は庭に入ってからもそれなりに遠いのだ。ちゃんと歩道になって石が埋められてはいるけど枝分かれしているし、なにかの拍子に迷い込んだら帰ってこられないかもしれないのだ。いつもは玲様たちと一緒に入るから何の問題もないんだけど僕一人だと心配になってしまうと思う。


 湊さんの案内で大きな庭をゆっくりと歩いていく。玲様のご両親の趣味なのか、庭とは思えないほどの大樹がそこらに植えられていて、どれも自由奔放に枝を伸ばして夏に向けて葉を青く蓄えている。そのおかげで視界が悪くなって迷いやすくもなってるんだけどね。


「あいかわらず広いなぁ」


 そりゃ急に狭くなってたら、そっちの方が驚いちゃうけどさ。ビルばかりの都会ならまだしもちょっと外に出れば田んぼと畑と山ばかりの田舎でこんなに木を育てなくても、と僕は思ってしまう。庶民とはきっと考えていることが違うんだ、と勝手に納得することにしよう。


「それで、遥華姉は何してるの?」


 さっきからきょろきょろと顔を動かしながら遥華姉は歩いている。物珍しいのはわかるけど、玲様の家は一度来ているんだからなんとなくわかっているはずだ。前来た時は夜だったし、押し入ったようなものだから覚えてなくても仕方ないけど。


「どこかからオムライスが飛び出てきそうで」


「野生の猛獣じゃないんだから」


 そういえばお金持ちの家って警備を兼ねて虎とかライオンとか飼っているところがあるらしいけどここにはいないよね? いても困るけどさ。


「猛獣なら勝てるかもしれないけど、オムライスは無理だよー」


 いやいやさすがに勝てないでしょ。ちょっと勝てちゃうかもって思わせるくらいに強い遥華姉も問題だけど。当然オムライスが飛び出してくることはなく、無事に玄関まで辿り着く。いつもなら玄関の前で干将さんか莫耶さんが待っていてくれるんだけど、今日はどこにもいないみたいだ。


「どうしたんだろう?」


「さっき向こうでちゃんと話してたよね?」


「うん。ちょっと元気はなさそうだったけど」


 普通の人なら出てこなくてもおかしくないけど、あの二人は鍛え抜かれた中条家のお付き。その上一人娘につけているとびきり優秀な人なのだ。


「もしかして、急性オムライス中毒……」


「そんな病気勝手に作らないでよ」


 深刻そうな表情で湊さんがわけのわからないことを言い始める。冗談を言っている場合じゃないけど、たぶん二人はもうかかってるんだろうな。特に遥華姉は相当重症みたいだ。


 鍵のかかっていない玄関の引き戸を勢いよく開け放って、僕たちは湊さんの先導で台所に真っ直ぐ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る