ウェイトレスはフリルのエプロンで包み込んでⅨ

「ちょっといいか?」


 眞希菜さんは遥華姉の隣に立って緊張した様子で声をかけた。ちょっと声が振るえているようにも聞こえる。僕より少し背が高いくらいの眞希菜さんだと座っている遥華姉とあまり背が変わらないように見えた。


「私? 何かな?」


 ちょっと見た目は怖い眞希菜さんがいきなり来たっていうのに遥華姉は少しも動揺した風には見えなくて、きょとんとして話を聞いている。そんな風だから巨神兵なんて呼ばれちゃうんじゃないのかな。


 眞希菜さんはぐっと口を結んだまま何を言い出すのかと思ったら、ものすごい勢いで遥華姉に頭を下げた。


「ずっと礼を言いたかったんだ。ずいぶん前にケンカに加勢、いや助けてもらったって言った方がいいな。あの時の恩をオレは忘れてない」


「遥華姉、そんなことしたの?」


 遥華姉がケンカとか争いごとが嫌いなことも、そういうのを見ると物理的に解決しちゃうことも知ってはいたけど、知り合いですらない眞希菜さんまで助けていたなんて。感心した方がいいのか呆れた方がいいのかわからないまま、僕は真顔のまま遥華姉に目を移す。頭を下げられた当の遥華姉はというと首を捻った考え込んだまま眉根を寄せて唸っていた。


「どれのことだろう? ごめんね、ちょっとすぐには思い出せないかも」


「わからないくらいあるの!?」


 そりゃいつまで経っても『夕陽ヶ丘の巨神兵』の異名が消えないはずだよ。人助けはいいけど暴れまわっていたらどうしようもない。


「だって悪即斬、って鉄海さんがいつも言ってるし。そういう場面にたまたま居合わせたときだけだよ?」


「普通は一生でもそうそうないよ」


 どんな道を選んで歩いてたらそんなところに出会えるのか不思議でならないよ。僕だって玲様みたいな人につかまっただけにあんまり強くは言えないけどさ。


「いや、覚えてなくてもいいんだ。オレが勝手に恩義を感じてるだけかもしれねぇ。今日の分はオレが出すってことにしといてくれ」


「そんなの悪いよー。ナオの面倒見てくれてるんだからそれで十分だよ」


「こいつ、弟なのか?」


 驚いた顔で眞希菜さんが僕に振り向いた。少しも似てない、と顔に書いてある。まぁ実際兄弟じゃないから似てなくて当たり前なんだけどさ。


「本当の弟じゃないけど、お隣同士なの。仲良くしてあげてね」


「なるほど、舎弟か。なかなか仕事ができる奴だぜ」


 そう言いながら眞希菜さんは僕の体を強く叩く。舎弟、っていったいどんな環境で過ごしていたらそんな発想にすぐ結びつくのか。僕の周りの女の子はみんな得体のしれない生活を送っている人ばかりだ。


「なんか納得いかない」


 結構頑張っているつもりなのに、何だか遥華姉の威を借りているみたいだ。話を終えて厨房に戻ると眞希菜さんの仕事を引き継いだ朱鷺子さんが日替わりディナーの準備をしていた。もうほとんど出来上がっている。さすがはオーナーってことなのかな?


「眞希菜ちゃん、ホールに行くのは禁止でしょ」


「ちょっと昔馴染みがいたんだよ。何もしてねぇって」


「へぇ、珍しい。あ、直くんはこれよろしくね」


 出来上がったディナーセットを二つ持って、僕はまたホールに逆戻り。ちょっと話しただけだったのに、意外に余裕がなくなってきている。うーん、働くってなかなか難しい。


「ありがとうございました」


 ドアの向こう側でお客さんが階段を下りるまで見送ってから僕は大きく息を吐いた。なんとか今日もピークは過ぎたみたいだ。これからまだ遅めの夕食に来るお客さんはいるけど、席がいっぱいになることはたぶんないだろう。


 テーブルを整えて一つひとつ拭いていると、カウンターにもたれたまま眞希菜さんが僕を見ている。ちょっとやりにくい。


「うーん。そうだな」


「どうしたの?」


 一人で納得したように眞希菜さんは僕の方へとゆっくり歩いてくる。立ってるだけなら手伝ってくれてもいいんだけどな。別に大変なほど数があるわけじゃないんだけどさ。


「お前、あの玲ってのに迷惑かけられてるんだろ?」


「別に迷惑ってわけじゃないよ。玲様は勢いがあり過ぎるだけだよ、いろいろと」


 最近は玲様の行動パターンがだいぶ読めてきたから最初の頃よりは付き合うのも楽になってきた。最近はちょっと楽しくすらある。今までの僕の周りにはまったくいない存在だったから、玲様は初めて見たおもちゃみたいな感動がある。本人言ったらなんて言われるかわからないけど。


「よし、オレがあいつに一発かましてやるよ」


「だから、僕は別に困ってないって」


「オレは受けた恩は返すのが流儀なんだよ」


「それならちゃんと遥華姉に返してあげてよ」


 遥華姉としては眞希菜さんみたいなタイプは着せ替えさせるにはどうなんだろう? 僕にしかやったことないはずだけど、他の女の子でもいいのかな? 嫌だと思っているはずなのにいざ他の人が変わると思うとなぜか納得がいかないと思ってしまうのは僕のわがままだ。


「ま、任せとけって」


「その前に僕の話を聞いてってば」


 玲様が持ってきたバイトの話なのだ。何もなく終わるはずはないと思っていたけど、まさかバイト先にまで爆弾が置いてあるなんて思ってもいなかったよ。僕は玲様の堪忍袋が爆発しないように管理するだけでせいいっぱいなのだ。


 テーブルを拭き終えると、少し残った水滴に光が反射して僕は目を強くつむった。

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