制服のスカート丈は校則遵守でⅦ

 もう疲れた、という玲様を部屋に置いて僕は自分の家に戻ることにした。疲れたというよりはあの部屋から離れたくないだけなんじゃないかって気はするんだけど。遥華姉が玄関まで見送りに来てくれたところで、ちょうど戻ってきた干将さんと鉢合わせになった。


 無表情を貫こうとしているけど、やっぱり顔には疲れの色が見える。体力もそうだけど玲様がこんなことをしているから精神的な疲れも相当だろう。仕事の関係上、責任もあるだろうし。


「場を離れてしまいまして失礼しました。玲様は」


「部屋で休むって」


「そうですか。玲様をかくまっていただいてありがとうございます」


 干将さんは深々と頭を下げて、僕らにお礼を言ってくれる。そこまでされると逆に恐縮してしまう。僕らがやっていることはせいぜいできることをなんとかやっているだけで、そんなに感謝してもらえるほどのことはできていない。


「実は奥様が」


 顔を上げて、干将さんが話を始める。


「あら、直。中条さんはどうしたの?」


 そこに様子を見に来たお母さんがやってきた。サングラスをかけた黒服の大男。それが、僕の前に立って何かを伝えようとしている。


 この状況から思いつく状況をいくつか浮かべてみるけど、どう考えても悪いことをしているか、何か事件に巻き込まれているようにしか見えない。干将さんも同じ考えに行き着いたみたいで、さっと体をまっすぐに伸ばすと、僕から数歩後ずさった。


「あら、その人もお友達なの?」


 それなのにお母さんから出てきた質問は思わず道路に倒れたくなるくらい豪快な解釈だった。


「いや、違うよ。まぁ知らない人でもないんだけど」


「あらそうなの? 立ち話が長くなるようならうちで話しなさいよ」


 それだけ言うとお母さんはどこを見ていたのか安心してまた家に帰っていた。


「あの、失礼ですが、直様のお母様は目がよろしくないのですか?」


「いえ、ちょっと心が強いだけです」


 強すぎるとは思っていたけど、こんなに動じないでいられると一周して不安になってくるよ。もううちの門を越えてしまって見えなくなったお母さんは戻ってくる様子もどこかで見張っている様子もない。


「それで何かあったんですか?」


 僕はもう何も起こらなかったような振りをして話を戻した。いちいち考えていたら全然話が進まなくなってしまう。


「それが玲様がすぐに根を上げると思っていた奥様が戻ってこないと拗ねているようで」


「あぁ、やっぱり」


 なんとなく想像ができる。あまり話したわけじゃないけど、玲様のお母さんはそんな雰囲気がしていた。びっくりした後も、平気な振りしてお茶を出すあたりとかも。


「どうやら頼れる友人などいない、と思っていたようで。直様と遥華様にはご迷惑をかけることになるかと思います」


 僕はそれを聞いて、遥華姉の顔を見た。渋い顔をして遥華姉は眉根を寄せている。あんなのが何日も居座られたらかなわない、という顔をしている。


「宿はなんとか当たりがつけられると思いますので、本日はよろしくお願いします」


「ほら、やっぱり私の勘が当たったじゃない」


「早く解決してくれると嬉しいなぁ」


 僕も少しくらいは頑張るつもりだけど、簡単じゃないだろう。


 まだ朝だというのにすっかり疲れてしまった頭をやれやれと振りながら、僕はきっとまだはしゃいでいる玲様がいる二階に目を向けた。




 怒涛どとうの日曜日をなんとかやり過ごした僕は休日がなくなったみたいで、少しも休めていない体を教室の机に横たえていた。やっと今日は金曜日だけど、やる気が空っぽになっている僕はもうちゃんと座ることもできそうにない。これで少しくらいは元気になりたいけど、たぶん叶わない願いだろうな。


 玲様は干将さんが言っていた通り、月曜日の朝、遥華姉が学校に向かう前に去っていった。それからホテルにに引きこもっているのか、それとも学校に行っているのか。何度か携帯に連絡をしてみたんだけど、最初に宣言した通り、一度の返信も応答もなかった。そんなところで意地を張らなくてもいいのに。


 予鈴にはまだ時間がある。一限目の数学の教科書を開いてみようと心は言っているんだけど、体は少しも応じてくれない。自分が二人になったみたいな不思議な気分だ。


 ぼんやりとしてまだまっさらな黒板を眺めていると、その視界が誰かの制服に遮られた。


「ねぇ、直くん。知ってる!?」


 あ、この声は湊さんだ。そう思って顔をあげると、やっぱり正解だ。まだ授業までは時間があるのに、かなり焦った顔をしている。


「急にどうしたの? それだけ言われてもわからないよ」


「三年、三年の教室にね」


「三年生の?」


 そう言われても僕に三年生の知り合いはいない。部活もやっていない僕にとって知っている上級生は二年の遥華姉くらいだ。


「三年の教室にね、玲が」


「玲様が?」


 その名前を聞いてはっとなる。確か玲様は高校三年のはずだ。でも玲様は誠心女子の制服を着ていたんだからうちの高校とは全然関係ないはずなのに。


「いるの?」


「うん」


 僕は今まで力の抜けていた体を奮いたたせて立ち上がる。大きな音を出したせいで教室の注目が集まってくる。そういうのが苦手な僕は青菜がしおれるように元の椅子に腰を下ろした。


「なんでいるの?」


「知らないから直くんに聞きに来たのに」


「僕が知ってるわけないよ」


 迷惑をかける、そう干将さんが言っていたのを思い出す。いくら何でもそんな迷惑のかけ方なんて想定してないよ。


「やっぱり何か知ってるの?」


「いや、なんでいるのかは全然わかんないけど」


 僕は教室の時計を見る。まだ予鈴まではちょっと時間がある。


「行ってみようか」


「了解」


 湊さんは不安と興味が入り混じった表情で不敵に笑うと、玲様のいるという教室まで小走りに案内をしてくれた。

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