ラボφ ~クリスマスの決闘~

私掠船柊

前編

  ──魔法使い──



「それでね、昨日もらったプレゼント。もう持っているものだったんだあ」

「大人は理解のある顔をしてみせるけど、本当は子どもだからってバカにして、わかっていないんだよね」

「うん、そうそう、まったく、がっかりだよね」

「じぁ、ぼくにくれない? まだ、攻略してないんだ」

「ええ!? どうしようかな」

「ね、交換しようよ」

 ランドセルをしょっている男の子たちが二人、土手の上を、合わせた歩調で歩いていた。夕陽の長い影をひきづりながら、彼らなりの取り引きに夢中になっている。


 それが、道すがらふと、足を止めてしまったのは、耳障りと言っても良いくらいな、とても奇妙な音のためである。


 会話を止めて、男の子たちは土手の斜面へ視線を移した。

 一人の女の子が、雑草のしげる斜面の中で腰を下ろしている。彼女はハーモニカを口にあてていた。

 天辺のとがった、しかもつばの広い帽子は黒一色。同じ色のマントは丸めた背中をつつみ隠している。足下には、先端に桃色の星形をはめいれた杖が一本置いてあった。アニメでもたびたび登場する魔法使いの装束。彼女は、緩やかに流れる川面の、モザイクきらめく夕陽の橙色を寂しく眺めているふうで、ハーモニカを吹いているのである。


 本当は、帽子の影の中で、ハーモニカが声の代わりに泣いている、のかもしれない。


 同じ夕陽が、少年たちの睫毛を通して回折し、色あせた虹色の丸い花弁となって黒衣装の彼女を囲み、印象的な絵画を描き出す。


 気になって仕方なくなった二人は、今までの話を忘れて彼女の背中を眺めつづけてしまいそうになる。しばらく目が戸惑い、ついに、一人が、確かめてみたいと一歩、足を踏み出した。

 だが、もう一人が袖をひっぱっる。

「ねえ、はやく行こうよ」

「う、うん……」

 男の子たちは、声をひそめて、土手の道を去っていく。


「こずえちゃーん!」

 男の子たちの姿がすっかり遠くなってしまったとき、その同じ方向から、女の子の、高い声が元気よく飛んできた。

「ん?……ああ……」

 呼び声を耳にした魔法少女は、ハーモニカを口から離して小声を発した。

 開いた唇は、寒さに乾いた薄いピンク色。深く被った帽子の影から丸く開いた目が覗く。

 彼女は急いでハーモニカをポケットに納めた。立ち上がって体についた草の埃をはらい、星が夕陽の中にきらめく杖をひろう。黒くにおうマントの下に白いシャツが見える。川から流れて来た夕焼けの風が、白いシャツの襟を結んでいる細いリボンを、鈴のように揺れさせた。


 その魔法少女が、頼りがいのない笑顔で、近づいてくる三人の人影へ手を振る。

「おひさしぶりです。みなさん」

「ごめん、待ち合わせに遅れて。こずえちゃん」

「こずえ先輩、おっす!」

「……待たせたね……」

「いえ、いいんです。付き合わせてごめんなさい」

 挨拶を交わす四人。しかし、魔法少女は、なぜか謝り、次に言葉が浮かばない。その代わり、伏し目がちな表情で、こぼれた自分の髪の先を指でからめとる。


「こずえちゃん、なんだよ、遠い昔に会ったきり、みたいな寂しい顔して」

「そうそう、会おうと思えばいつでも会えるじゃない」

「たまにだけど、手紙にメールも交換してるっすよ」

「会うのに特別な理由をつくることはないのよ」

「ほっとけないから、こうして来たっす」

「……うん、ごめんなさい……」

 三人は交互に魔法少女を励ます。それでも、こずえは、ただ恐縮して頭を下げるばかりである。

「いやいや、そう改まらないで。なんでそう一人でしょいこんで考えるのかな?」

「私たちの学園に転校してきたら?」

「理奈先輩、それは安易な提案と思うっす」

 用意もなく尋ねた理奈へ忠告したのは中学生のマユミである。理奈は舌を出して応じた。

「この小娘が、べえー。では、皆さま、バス停に行きましょうか。ささ、こずえちゃん案内してね」

「はい、それでは後に付いて来てくださいな……」



  ──ガールフレンズ──



 飛ぶ鳥の影姿が、寒い空の、山吹色の中に消えていく。


 長い影をアスファルトの道に落とす女の子は四人。てくてく歩く三人とは違って、一人だけ足取りに特別な重たさがある。

「はあ、ついてないなあ」

「カザカちゃん、そのつまらない顔はやめようよ」

「せっかくの誘いっすよ。先輩」

「……うん……」

 うつむき加減な顔のカザカを、理奈とマユミは戒めた。先頭を歩くこずえが、それを耳にして振り返る。

「何かあったんですか?」

「こずえちゃん、気にしなくていいのよ」

 不安げに尋ねたこずえに、理奈が目を細くして答えた。


 四人の少女たちはそれぞれ思い思いに趣向を凝らした服装である。


「今日の理奈先輩は、メイド服っすね?」

 一番年下のマユミは隣を歩く理奈の着こなしについ目が行き、ぽつりと尋ねた。


 理奈は黒を基調としたロングスカートのワンピースに、フリルのついた純白のエプロンを重ねていた。いわゆるメイド服。

 その着こなしで、スカートを摘まんでみせた理奈は白い歯をみせる。

「ふふふ、どうかしら、ヨーロッパの古めかしさをただよわせましたの」

「何かいつもとはだいぶ印象が違って見えるっす。首もとは慎ましくリボンを結んで袖も長いし。清楚なたたずまいに見えるっす。心変りっすか?」

「そうそう、そうなの。フフフ、あえて肌の露出をひかえた清楚な着こなし。まだ汚れを知らない可憐にさく一輪の花。殿方は、そそりますかしら? そそりますわよね? この戦略で、世の美少年どもを“さからせて”あげますわ。おほほほほ。おほほほほ!」

 後輩のマユミがけしかけた訳でもないのに、大仰に答えたメイド先輩は、口に手を上品なしぐさであてがい、狂気をかいまみせる笑いを続けた。

「黙っていれば良い人なのに、ああ、聞くんじゃなかったっす……」

 マユミは失意を募らせた。


 賑やかさをよそに、一番後方で歩くカザカは、たまに大あくびが出る。彼女は、長いパンツにダウンパーカーで、それは寝起きのついでに近所のコンビニへ買い物しに行く服装である。

「ううん、やっぱり、気持ちがウツウツ」

「また、そんなことを、カザカちゃんが、今朝からぼや~っとしていたから、遅れたのよ。ほら、またあくびして、聞こえているのかしら?」

「め、面目ない……」

 気が重そうなカザカの態度は、理奈の眉間にシワをよらせてしまった。そればかりか、先導して歩く魔法少女をも、ふたたび振り返らせてしまう。

「あの、もしかして、わたしのせいですか? カザカさん」

「いやいや、全然違うって、なんていうか、その……」

 こずえの心配する問いへ、カザカは手を団扇のように力なく振り、否定の意味を示した。が、理由を明かそうという意志もなさそうである。

「先輩は昨日家族でクリスマス・イブを過ごしたんす」

 カザカの代わりにマユミがこずえに訳を話し始めた。

「それで、そのとき先輩はクリスマス・プレゼントを弟のトオルくんに渡したっす」

「もしかして、トオルくんが受け取らなかったとか? 喜ばなかったとか?」

「喜んで受けとったんす」

「良いことなのに、それがなぜでしょうか?」

 今聞いた話と、ここで一緒に歩いているカザカが不調であることと、どう繋がりがあるのか、魔法少女はまだわからない様子だ。


「それがなぜ今ここにいるカザカになるのかというと……」

 そこへメイド服の理奈が、頼まれもせずマユミに代わって、面白そうに話を引き継いだ。

「弟さんの喜んだ反応が思っていたのとは違うとか言ってるのよ。笑っちゃうわよね。どうせ変なこと企んでいたのよ」

「すみません、まだよくわからないんですけど」

 理奈の報告を聞いても、こずえは首を傾げるばかりである。

「そうそう、分からない。わたしも分からないわ。それが正解よ。理解してあげたところでカロリーの無駄使い」

「カザカ先輩は、それで今はなんの工夫もなくこのパーカーっす。今日の先輩はパーカーを着ているゾンビっす」

 ついに、理奈とマユミは、それぞれ聞こえよがしに悪罵のハーモニーを奏でてから、息を合わせて後ろを歩くパーカーを一瞥した。

「プレゼントは何でしたか?」

 ここでまた魔法少女がたずねてみた。

「リスのぬいぐるみ、なんだそうよ」

「そうっすね? 先輩? 聞いてますか?」

「う、うん。はあ、………」

 このままだと、カザカの不完全燃焼な空気が四人全体に拡散しそうである。


「カザカ先輩は、トオルくんというお嫁さんから乳離れできない、まだまだ子どもっす」

「な、なんてことを!」

 隙をつかれて、マユミの酷評を聞いたカザカは思わず声をあらげた。が、そこでカザカの視界に理奈が割って入る。

「カザカちゃん、マユちゃんを見習いなさい。ネコ耳と尻尾が可愛いじゃないの」

 理奈に諭されたカザカは、ポケットに手をしまい込んで、後輩の中学生マユミの衣装を面白くなさそうに眺めた。

 マユミは、スカートが短い黒のワンピース、脚はワンピースの色と合わせたタイツ。背中にリュック。首には鈴を下げたチョーカー、そして、頭にネコ耳カチューシャ、お尻のところから尻尾も生えている。

 カザカの前でネコ耳娘がジロッと冷たい視線を返した。


 矢のように飛んできた視線。カザカは、道からはずれた彼方の景色へ顔を背ける。そうすることで、やり過ごした。


 ここで、マユミはそれとなくケータイを取り出した。音楽が流れはじめる。ギターによるラテン・ヨーロッパの主調。ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』である。


「あ、理奈さん、胸が、それにココアの匂いがします」

「ふふん……こ、ず、え、ちゃん」

 不意に理奈が、こずえの肩を抱き寄せた。黒の衣装がくっつき合い、メイドの胸もこすれる。

「そこにいるゾンビ娘はともかく、ものどもよ。今夜は、このこずえちゃんの恩恵により、となり町の学園で開催されるクリスマス・パーティーにご招待していただいたのですよ。しかも参加費は五百円。はい、そうです。わたしたちは感謝しております」

「いえ、そんな大袈裟なものはないです。みなさんに楽しんでいただければ」

「うんうん、こずえちゃん、心遣いありがとう。どこにいても、いつまでも友達だよ。でも、五百円だからじゃないんだよ。五百円でいろんな物を食べることができるからじゃないんだよ。美少年を食べられるかもしれないからではないのよ。こずえちゃんの優しい顔が見たいからだよ。あ、お腹がなった」

 おどけた動作によって理奈は注目すべきところを変えた。それで堅いままな魔法少女の顔がゆるくなってきた。と、速やかに、こずえから離れた理奈は、次にカザカにまとわりつく。顔つきが豹変した。

「ということだからさあ、わかっているわよねえ? カザカちゃん? 今日の件はくれぐれもよしなに。聞いてるのかしら?」

「……わ……かったよ」

「き、こ、え、ま、せんわ」

「わかったよ! それに二人は、物見遊山が好きということも……」

 理奈の強迫まがいに笑っている目が、カザカの萎縮した唇から返事を引きずり出した。


 闇につつまれようとしているバス停で待つこと数分。カザカがまた、だらしなく大きなあくびをした。そのお咎めとして、彼女はメイドにこめかみの髪をひっぱられて、目尻に涙を浮かべた。


 そのとき、残り陽に浮かぶ車道の向こうから、バスのライトが近づいてきた。


 停車したバスのドアが開き、彼女たちはそわそわと乗車する。

「あら? 他にも仮装している人たちがいるわね」

「もしかしたら、同じパーティーかもしれません」

「そう? こずえちゃん、あの人たちは知っている人?」

「いえ、会ったことのない人たちです」

「他のパーティーかイベントかもしれないっすね」

 車内の乗客に目をむけた理奈は、自分たちと同じ趣向の服装が座っている事に注目した。その乗客たちへ声をかけることもなく通りすぎ、四人は一番後ろの席へ並んで座る。


 車窓の外は暗がりな風景。ガラスを指先で触れるとひんやりして冷たい。


 黙っていたカザカは、バスの中に貼られている様々な広告をなんとなしに見る。英会話スクールに語学留学、肩こりや腰痛のマッサージ、いかがわしい健康サプリメントの販売文句。

 その中で、カザカは一つのポスターに目が止まる。それは宇宙飛行士の募集。離着陸できるロケットに、有人惑星探査船、宇宙ステーション、星々がまたたく宇宙を背景に青く輝く地球、凛々しい笑顔で宇宙服を着ている女性。

「先輩……、カザカ先輩……」

 マユミがカザカに声をかけてきた。

「……うん?」

「バスの中は暖かいっすね」

「うん、眠くなりそうだよ……」

 瞼を重たそうにしてカザカは答えた。


 それに対して、バスの中で理奈は楽しそうだ。

「ところでところで、パーティーに金髪の美少年がいたらいいよね?」

「理奈先輩、ヨダレが出ているっす」

「金髪が好きなんですか?」

「うん、肌は、白くてすべすべえ、瞳は青くて小さな星がたくさん輝いているの。そういう人いるかしら?」

「ええ……いないことはないことも……」

「え、そうなの?」

「ううん、眠い……理奈には“原典”があるんだよね?」

「うん、だって、それがわたしにとって人生の羅針盤なんだよ。長い長い時の航海で、嵐が来たと思うと、そののち楽園に漂着し、BLの世界がかもしだされて……わたしの身も心も情熱の炎で燃え盛り灰になってしまうのよ。ああ、もう……風と木にいざなわれて……わたしはもう……」

「原理主義者……」

 理奈の語りが恍惚としはじめたところで、カザカは冷ややかにさえぎった。

「な、なにか言ったかしら!?」

 反射的に理奈の眉尻がつり上がる。

「二人とも騒ぐのやめるっす」

 争いはじめた二人へ後輩のマユミが、決まり事な振る舞いで注意した。


 一旦静かになったところで、マユミは、こずえに質問する。

「ところで、こずえ先輩。その学校は寄宿制の男子校でミッション・スクールなんすか? 本当にわたしたち他所の女の子が参加してもいいんすか?」

「はい、寄宿しているのは男子だけで、数は少ないけどわたしも含めて女子も通っていますから。それに、外国からの留学生も少しいます。今夜のパーティーは、生徒会主催で、できれば仮装という条件で、知り合いなら他の学校からも参加できます」

「礼拝堂もあるんすか?」

「ええ……古い建物ですよ」

「鐘をつくのよね?」

 魔法少女とネコ耳女の子の会話に、メイド服も加わってきた。

「はい、時計塔がありますね」

「うわあ、まるで、少女漫画によくある設定の所ね。それなら、私はきっとそこで素敵なカレシと出会って、日々密会を重ねるのね」

「どんな場所っすか?」

「そうね、『若草物語』のプラムフィールドのような所だったら素敵だわ。コンコードから馬車に揺られて訪れるの。白い服で同じお花のような白い帽子を被って。そして、野イチゴ摘みをしていたら、魔法少女のこずえちゃんが現れて、魔法をかけられて男の子になるの。それで植物園で、青い目の素敵な美少年に誘惑されてしまうのよ。その晩から官能の世界、ふふふ。ところが、髭をたくわえた怖い大地主が、美しいわたしを見て嫉妬するのよ。おそろしいわ。『良家の男子がこんな下層の庶民と付き合ってはならん!』と怒鳴って陰に陽に妨害されて、ついにクリスマスの夜、雪が深々と降っていて、わたしはさまよったあげく、アントワープの教会の礼拝堂で倒れてしまうの。そこにルーベンスの絵が壁にかけてあって、『ああ、わたしはなんて不幸な美少年かしら、床がつめたい。眠くなってきた』って。ふたたび目を開くと、頭上から『サザンの嵐・シリーズ』のロトさまが、『きみの身体は、おれが守る。死なせたりしないよ』とエメラルド・グリーンの優しい目で見つめながら言葉をかけてきたのね。それで私を抱き上げると天に登っていくのよ。でも彼の能力で瞬間移動したの。周りを見たらそこはBLの惑星。おほほほほ、ほほ……」

「やっぱり、とことんBLの夢っすね? 理奈先輩、そこにパトラッシュはいないんすか?」

「そうね、シルバー・ウルフかしら」

「ううむ、この人は、いろんな名作を、妄想のシチューにして、我欲でかき混ぜているっす」

「おほほほ、それはわたしにとって誉め言葉ね」

「さっきからうるさいよ、少し眠らせてくれないかなあ、原理主義者……」

 理奈が主役に躍りでて、マユミと話を弾ませていたところで、首をウトウトさせていたカザカの口から不機嫌な一言が飛び出した。理奈はジロッとカザカを睨み付ける。

「な! なによ! そのレッテル貼り。私だって日々創作にはげみ進化しているのよ」

「それは進化とはいわない。進化とは世代を超えて生物の形や性質が変化することで、理奈の場合は、成長とか進歩、いや劣化という。言わないか……」

「くっ、どうでもいい揚げ足とりね。理科の講義なんか聞きたくないわ。カザカはどうなのよ? あなたも腐女子じゃないの?」

「……わたしはリベラル派」

「こ、こいつ!」

 理奈は、ああ言えばこう言ってくるカザカに我慢ならなくなり、声をあげて飛びかかった。カザカの頬を両手でつねる。襲われたカザカは、予想していたとでも言いたげに、とぼけた目で返した。煽られてしまった理奈は、つまんだ柔いほっぺたを、つきたての餅のように左右へ引っぱりはじめた。

「よくそんなことが言えたわね! いつも関わっておきながら、時にはいろいろとけしかけておきながら、なんか言ってみなさいよ!」

「は、はふ、はふー。はなひでえ……」

「離さないわよ! あちこちの女の子を、そそのかしてるじゃない。何がリベラルよ。あまつさえ、あらゆるところで糸をひいて、テロリストじゃなくて!? 黒幕じゃないの!? なんであなたは生きてるの!? 一度は死刑になったら? 何か言ってみなさい!」

「へ、へろりふとおお……」

「ああ、お二人とも、もめないでくださいな」

「他のお客に迷惑っす。先輩たち、行儀わるいっす!」

 魔法少女とネコ耳娘は、喧嘩になってしまった二人をなんとか止めようと四苦八苦するのであった。



  ──学校──



 それほど時間はたっていないのに、ここちよくバスに揺られていた為なのかもしれない。


 カザカは真ん中に座り、短い髪を前に垂れさせている。授業中の居眠りを思わせた。その左右に座る理奈とマユミも、カザカにくっついて心地よさそうに居眠りをしていた。まるで一串の団子である。カザカのいびきが大きい。理奈は肩を寄せて首をもたげている程度だが、マユミはパーカーに抱きついてヨダレを垂らしている。

「着きましたよお、みなさん。起きてくださいな」

 ずっと起きていたのは魔法少女で、目的地に着くなり、それぞれの身体をゆすって三人の目を覚まさせるのに一苦労である。

「え、えええ……?」

「ああ、……あ?」

「う、うん。……ここどこ?」

 ゆすられながら目を開いた三人はそれぞれ、まぶたをこすったり、両腕を伸ばした。マユミは口元のヨダレを拭き取る。


 バスから降りると、冷たい夜空に星がまたたいていた。月明かりに照らされた雲が、低い空で緩やかに流れているのも見える。


「寒いわねえ……」

「寝起きはそういうもんす」

「お腹がすいた」

 それぞれ呟く三人は、ふやけた寝起き顔であたりを見回す。

「では行きますよ。ここから少し歩きます」

 魔法少女の一声で、三人は案内に付いていく。静寂な町の中を入ったところでマユミが身震いした。

「マユちゃん、寒かったら、このパーカー貸すよ」

「大丈夫っす。あたたかいパーティー会場まで少しだけの我慢っす」

「わたしがあたためてあげるわよ」

「お断りします。理奈先輩」

 クリスマスの電飾を飾る建物が暗がりの中に見えた。通りすぎる民家の一件は、窓の中にクリスマス・ツリーの影が浮かんでいる。そして道をふらふらと歩いている人の姿。酔っぱらいのようだ。白髪頭の男性で鼻と頬が赤い。

「こずえちゃん、ハーモニカを吹くようになったの?」

 理奈がこずえにふと聞いてみた。

「ハーモニカ、聞こえていましたか?」

「遠くからちょっとね」

「聞いてみたいっす」

「いえ、とても人に聞かせられるようなものではないんです」

「そう、でも今度、できるようになったら、一曲おねがいね」

「……ええ……理奈さん」

 ハーモニカ以外の事へも話しは広がり、何げなく、寒さを誤魔化すように会話を続ける。そのうちに、多くの樹木が衛兵のように並ぶ通りへとでた。


 石畳の歩道を道なりにすすむ。四人の足が止まった。


「ここが、こずえちゃんの通っている学校ね」

 目の前に、大きな鉄門が現れた。訪問者を迎え入れるために開かれている。

「ここは、はじめて見るっす」

「これは、大きな学校だね? 洋風だね」

「日本じゃないみたい。向こうに教会が見えるわよ。あれは十字架よね?」

「カザカ先輩、向こうに高い塔があるっす」

「馬車が来そうな雰囲気だね」

 束の間ぼんやりしていると、敷地の向こうから一台の自家用車がライトをつけて、走ってきた。カザカたちの、見ている前を通りすぎていく。

 カザカたちは門を通り抜けて、方々をよそ見しながら魔法少女のあとに続いた。体育館らしき建物へすすむと、入り口の前で案内係が二人、腕章をつけて立っているのが目に入った。細い折り畳み式のテーブルに紙が何枚も並べられていた。

 こずえが案内係にカザカたちを紹介したところ、案内係は軽く会釈する。

「ここに名前を記入してください。参加費もこちらでお支払ください。会場は土足のままでけっこうです」

 案内係の指示でカザカたちがペンで淡々と用紙に記入していく。その間に、様々な仮装服を身につけた学生たちが出入りを繰り返していた。

「あれれ? こずえじゃん!?」

 最後にマユミがペンを置こうとしたときである。大きな声が四人の方へ飛んできた。男子の低い声だ。



  ──洗礼──



 マントの下の服装を直していたこずえは、かけ声に驚いて振り向いた。入り口の向こうに会場の賑やかな明かりがみえる。その明かりの中に二人の学生が影となって立っている。輪郭からしてやはり男子だ。二人ともこずえ達をじっと見つめていた。一人は髪を七三に分けている。その彼が自分の髪を、ここに存在しているぞと言ったふうの芝居がかった動作でととのえた。そして、彼ら二人はこずえに近づいてきた。


 優位な階級から見下ろしているような、男子学生の圧力を感じる微笑。


 こずえは唇をかみしめて、桃色の星をつけた杖をにぎりしめる。男子の口が間近で開いた。

「やあ、こずえ、こんな所にいたのか? 今夜のパーティーに参加するのかい?」

「……こんばんは、堀戸くん……」

「ふーん、おや、そこにいるのは、君の友達かい?」

「え……ええ……そうです……」

 質問される魔法少女は、複雑な顔そのままに答えた。

 ふと、カザカが手をあげた。

「はじめまして、こずえの友人です。村崎カザカと申します。このたびはご招待に預かりまして感謝申し上げます、です!」

「よっ、ようこそ、わが校のパーティーに、……君は背が高いね。何年生?」

「高一です!」

 カザカの含みある挨拶と返事の次に、理奈とマユミも差し障りのない自己紹介をする。

「へえー、きみは中学生?」

「はい」

「ふうーん。中学生ね。ネコ耳がかわいいね」

 彼は社交辞令でマユミと言葉を交わしているものの、視線はカザカにちらちらと向いている。察した理奈が、カザカの隣に寄った。

「ええっと、カザカは、この子は小さい時から空手を少々。それでこの通り成長率がわたしたちよりありまして……」

「へえ……強そうだね。ところでこずえ」

「あ、はい?」

「なんだいその服装?」

「え? ええっと、仮装パーティーだから、わたしの好きな……魔法の……」

「ここは、クリスチャンの学校だぜ。わかってるよな?」

「……でも……」

「異端の格好はどうかと思うよ。それでいいの?」

「……わ、わたし、悪いことしているわけではないですよ」

「着替えたら?」

「いえ、わたし、これが好きなんです」

 話しがすり変わって、こずえと男子学生が言い争いをはじめてしまった。そこへカザカが間に入った。

「まあまあ、どうも、これは、私のたってのお願いで着てもらったんですよ。ねえ? こずえちゃん、そうだよね? それで、魔法使いは全米が感動した映画の主人公になっていますし、原作はベストセラーの本で、他にも日本ではアニメや漫画もたくさんあって、広く庶民の表現文化として流通しておりますから、ここはわたしに免じて、どうか……どうか……どうか!」

 咄嗟に出たカザカの言い訳と強い要望に、男子学生は、一歩下がって、目が畏まった。

「む、村崎さんだっけ? まあ、今日のところは、いいかな? ところで、村崎くん、君は神さまがいると信じているのかな?」

「さあ、わたしのような一般庶民には、難しいことはどうも……」

「ま、そうだろうね。さて……こずえ、生徒会長のスピーチも終わってるよ。じゃ、村崎さん、ここで失礼。……Christmas comes but once a year.……」

 最後にそれとなく英語を含ませた彼は、薄ら笑いの目を別れの挨拶に使い、お供の男子を連れていく。そのまま会場から離れてどこかへ歩き去った。

 マユミがうたぐりぶかい目で見送る。

「……なんか、感じ悪いっす……」

「カザカさん、みなさん、ご迷惑をおかけしました」

「いや気にしなくっていいって」

「そうそう……いいのよ。こずえちゃん案内して」

「ではみなさん、入りましょう」

 魔法少女は、気を取り直して三人を導き入れた。


 未踏の地に足を踏み入れたカザカたちは、それぞれの感心を胸に、別々の方向へ目が行く。

「クリスマス・ツリーが大きいわ」

「うんうん……天井が高い」

「金をかけてるっす」

 様々な色のリボンや幕、紙で作った星形などで壁は装飾されていた。そして会場の中央に大きなクリスマス・ツリー。電飾も星のように輝いている。

「うん、広い空間だなあ。バロック建築を想わせるものが隅々に」

「でも、何か中途半端に見えるっす」

「大昔の職人が造ったものではなくて、現代人がそれらしく似せて造っているだけだからじゃない?」

「そうなの? 理奈ちゃん」

「たとえば、もっと昔の、古代ローマの人達が立てたコロッセオは、アーチの技術とその時代に発明したコンクリートを材料に建てて、二千年も持ちこたえているけど、ここのはどうかしら? 百年先なんて考えていないんじゃないのかしら」

「おお、理奈ちゃんは詳しいね」

「だてに二次創作を書いてるばかりじゃないのよ。ときどき調べるから小道具なんかの知識が付くのよ」

「みて、先輩たち、灯りはシャンデリアではなく普通の電灯っすね。それに、人がたくさんっす」

「三百人くらいかな?」

「皆さんよそ見してないで、あそこがちょうど良いかな。さあどうぞ、奥へ」

 眺めてばかりの三人へ、魔法少女が繰り返し声をかけて招き寄せる。

 いくつもの大きなテーブルが備えられている。染み一つとしてない白いテーブルクロスがかけてあり、その上に様々な料理が並べられていた。

「あらあら、すごい! マユちゃん見て、美味しそうだこと」

「豪華絢爛っすね! われら貧乏人には縁の遠い“宴”っす」

「うん、でもマユちゃん、そのオヤジのダジャレ、面白くないぞ」

 カザカたち三人は、思うところを口々にした。


 ロースト・ビーフや子牛のスペアリブ、チキンパイなどの肉料理、サーモンのマリネにマグロの網焼きなど、魚の料理。他のテーブルへ目を移せば、モナコ風サラダ、トマト・マリネなどの野菜類。ティラミス、フルーツのクレープなどのお菓子類、生ハムメロンに、握り寿司もある。色とりどりの飲み物。イタリア料理にフランス料理、中華も少しばかりある。


 ただし、イギリス人が直々に作ったものは見られない。


 テーブルの周りは、取り皿やコップを手に歓談する人々の熱気であふれている。

「ぼく、来年はドイツに留学しようと思うんだ」

「まあ、加藤くんすてき」

「ねえ、上野君のヨットはどこで買ったの? また、乗せてくれないかな」

「カリフォルニアの別荘でいただいたスモーク・サーモン、とても、おいしかったわ」

「これはこれは、神父さま」

「フランソワくん、楽しんでいるかね?」

「……どうだね。今夜は私のところで……」

「あの絵は素敵ね。高かったのでしょう?」

「父の友人からいただいたものだけれど……大したことないよ」

「今度は乗馬につき合ってくれませんか? 名取先輩」

「資産はあるけれど最近は負債も増えてしまってね。車を二台売ろうと思うんだ」

 パーティーの華やいだ雰囲気が、学生たちの口を勢いづかせていた。


 クリスマスと言うのにサンタクロースの姿はあまり見られない。

 

 あちらこちらに見える衣装は、テレビや映画、コミックなどに登場する正義のヒーロー、おどけたゾンビ、お姫様、王子様、ルイ十四世時代のフランスの貴族、十九世紀の上流階級、いわゆるゴスロリ、刀を腰にさす侍。中性の騎士。宇宙服姿。有名芸能人の滑稽な扮装。高価な日本の着物を着ている女性。チャイナ・ドレス。

 しかし、クトゥルフ、ラーマ・ヤーナの系譜は見られない。そして、囲いの中で作り上げた彼らの“世界常識”からすれば、この場に限らないが、アメリカ・インディアンの英雄シッティング・ブルとクレージー・ホースはいるはずもない。


 人だかりの外へ視線を移してみれば、壁際に、火のくべられていない形だけのマントルピースが設置してある。その上に木彫りの像が立っていた。燭台を一つ像の前にそなえてあり、ローソクに火が灯されていた。炎の光りは、その木彫りのマリア像をお供として照らしている。


 カザカの眠気は解けたらしい。

「お腹がすいた」

「わたしは、ちょっとその辺を歩いてみますわ」

「いってらっしゃい、理奈先輩。では、カザカ先輩……」

「うん、いやまて」

「なんすか?」

「われら武道をたしなむ者は、日々の食事も稽古のうちだ」

「つまり、筋肉を造るためにはタンパク質が不可欠っすね?」

「それだけでは筋肉にならない。合わせてビタミンと無機質もバランスよく食べなければらない」

「おっす!」

 理奈は、これといって料理に飛びつこうとせず、意味ありげな態度で散策しに行った。

 テーブルを前に、喉をゴクリと鳴らすカザカとマユミ。二人は魔法少女の顔をうかがう。魔法少女は瞼を閉じたように微笑を返してきた。

「ふふ、いつまでお話ししているのかと思いましたよ」


 カザカたちは、取り皿と割り箸を武器に、様々な料理を取り分ける。

「あ、でも、ちょっと待ってくださいな」

 食べ始めたそのとき、カザカの背中を魔法少女が指でつついた。

「カザカさん。せっかく来たのだから、その私服のままではもったいないですよ」

「このままでいいよ」

「いえいえ、そう言わず、隣の校舎が衣装室になっていますから、着替えましょう」

「ええ、どうしようかなあ……」

「ルールですから、ついてきてくださいな」

「うあっ! 引っ張らないで!」

 魔法少女は、戸惑っているカザカの手をにぎると、強引に会場の外へ連れていった。



  ──魔性──



 バロック風の柱がある。その灰色の柱に背中をあずける一人のメイドが、周辺を眺めていた。両腕を前に組んでから、たまに自分の髪をいじったりする。

「ネットの出会いなんて所詮は邪道なのよね。足を運んで美少年を探すのがいいのかも。とも思ったけど、創作のネタは二次元にしか……」

 そのままの姿勢で独り言を口にするメイド嬢理奈。悩んだように見えて、身体から出ているフェロモンは、アフリカの草原で、ウブな草食動物を獲物として待ち構えるメスライオンである。

 ちょうどタイミングよく、いや、運悪く一人の正装に身をつつむ少年が理奈に近づいてきた。

「やあ、君、どこから来たの? メイド服がとても似合っているね。一緒に話さない? ぼくはアメリカから帰ってきたばかりなんだ。パパがワシントンに新しいホテルを建てたお祝いで行っていたんだ。家にもメイドがいるのだけど、君は特に可愛いから特別にはからってもいいよ。ぼくのことはマロンと呼んでいいよ」

 誘われた理奈は、彼の姿を上から下まで値踏みするように見つめた。それから、彼女はポケットから光沢のあるシガレット・ケースを出した。蓋を開くとタバコのようなものが揃っている。中の一本を、親指と人指し指でつまみ出す。


 彼を眺め続けながらその一本を口に加えた。


 メイドの甘い香りが少年の身体を包む。


「うふふ……ぼうや……わたしのエサになりたいの? それとも、あやつられたいの? いいわよ、でも、一度だけでも“味”を知ってしまったら、もう元の世界に戻れないわよ」

「こ、これは、失礼……失礼しました!」

 同い年に見えていたが、少女の返した態度は、少年を怯えさせてしまった。彼は歯を震わせて立ち去ってしまう。メイドは、加えていたタバコを口から離し、巻いてある紙をちぎりとる。中からチョコレートが現れた。


 

  ──コーディネイト──


 

 校舎は、四角の影となって星空の下に浮かぶ。その校舎から、たびたび、仮装した学生たちが出入りしていた。それぞれの窓はカーテンで閉じられ、中から灯りが煌々ともれている。

「あっきぁ~。これはなんとしたことか!」

 一つの教室に入ったとたん、カザカは声を大きくしてしまった。

 部屋いっぱいに様々な衣装がハンガーにかけられている。試着室が用意され、姿見も数台立ててあった。デパートの婦人服売り場か、スレイヤー御用達の店内にも似ている。そこいら中で、女子が衣装を選んでいる。笑い声が聞こえた。試着室の前で女子が一人立っている。カーテンが開き、中から十八世紀フランスの、ドレスを着こなす貴族が現れた。

「ほおお……きれい……」

 その女の子をカザカはしばし見とれる。彼女の隣に、こずえの笑顔があらわれた。

「カザカさん、見とれてないで、これを着てくださいな」

 パーカーの目前に、一着の衣装がきらめく。

「ええ、これを着るの?」

「ささ、はやく、お願いします」

 こずえは、カザカを試着室へ強引に押し込んだ。



  ──宴──



「あら、見てみて、あの人、すてき!」

「誰あれ? 可愛いわ!」

 たけなわな会場の入り口に、一人の少年が姿をみせた。服の上下は目の覚めるような青。詰め襟と袖に金色の細やかな刺繍。細く長い脚に銀色のブーツ。腰のベルトは、鞘に納めた剣を帯びている。古めかしくも、由緒の正しそうな王子様の服装である。背中の白いマントは風もないのに波をうちそうだ。

 特に場内の女子らは一斉に注目しはじめた。

「きゃあ! すてき!」

「かっこいいー!」

「ねえねえ、誰なのあの人」

「やだ、胸がドキドキしちゃう!」

「この学校の生徒さんよきっと」

「違うわよ」

「誰なの?」

「誰かあの王子様をわたしに紹介して!」


 王子様は、口を引き締めたまま、ブーツで軽やかな音をたてながら歩く。凛々しい振る舞いで、なぜかマユミの前に立った。

「なんすか? その格好は?」

 マユミは王子様に向かって怪訝な一言をかけた。

「な、なんだよ。そういう目でみるなよ……」

 見つめられた王子様は、両手を前にもじもじとからませて恥じらう。

「え? 誰? カザカちゃん? うわあああ!……」

 急に、近くで叫んだのは理奈である。戻ってきた理奈は、王子様を見るなり、さっきの怖い顔から豹変して、眩しい物にひれ伏す表情になった。

「理奈ちゃん、ど、どうかな? 似合う?」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 ただただ、王子様を見つめる理奈の息が荒い。王子様の後から魔法少女が姿を見せた。彼女は、鼻を高くしてご機嫌がいい。

「それではあらためて紹介させていただきます。カザカ王子様ですよ。特とご覧くださいませ。ささ、王子様、ひとこと!」

 こずえに指示された王子様カザカは、メイド服の理奈へ、礼儀正しくすすみ寄る。

「あ、え? なによ、カザカちゃん!? え? なになに? なにするの?」

 頬を赤らめ、うろたえるが何もできないメイド。彼女の右手を軽く握り取った王子様は、悩ましげな視線をかけた。


 王子様はメイドの指先へ唇を寄せる。しかし、わざと紙一重で止めた。


「ぼくの、メイドどの、一緒にダンスを踊りませんか?」


 艶のある声がかかった。とたん、メイドの唇が敏感に震える。


「ぎょっひいいい!! ズッキューン!!」

 カザカ王子様に誘惑された理奈は、風船が割れたように叫んで、鼻血を噴射した。その勢いでその場に倒れてしまった。


「……絵になる、醜態っす……」

 王子様に悩殺された末、苦しそうに横たわる理奈へ、マユミは哀れみの言葉をかけた。

「さて、この哀れなメイドはほっといてっと……カザカ先輩、こちらに注目っす」

「え? なに?」

 気分をかえたマユミは、肉料理を乗せた小皿をカザカへ向けた。

「先輩、この焼き豚どうっすか? 黒こしょうが中まで染み込んでおいしいっす」

「え、ああ、そうかい。じゃぼくも」

 王子様を気取るカザカは、マユミにすすめられるまま一枚の取り皿を手にした。テーブルに用意された様々な料理やお菓子の中からネコ耳娘と同じ肉料理を選ぶ。

 そこへ微妙に距離をとり、声をかけようか、それともどうするか迷い、ヒソヒソ話しを続ける女の子たち。その存在にカザカは気付く。王子様を包囲しようとする数、十人は超えてきた。ギャラリーが気になり、カザカの箸は止まってしまった。束の間案じて、カザカは彼女たちに笑顔を向ける。

「やあ、君たちもぼくと一緒にこのご馳走をどうかな? そのあと、フランス革命のころに命をかけた女性衛士についてお話ししようか?」

 王子様の笑顔は、紅いバラの花に囲まれて宝石のようにきらめく。のように女子たちの目に写った。

「うっきゃあー!」

「あたし、死んじゃうかも!」

「ひいー! 胸がドキドキしちゃう! 破裂しそう!」

 狂信的な悲鳴が一斉にあがり、半分は失神した。横たわっている理奈へ、新たに仲間が加わる。会場は男子が多数を閉めているが、このときばかりは女子の欲情にむせ返りそうだ。

「三文芝居っす」

 そばで見ているマユミは小さな声で結論した。



  ──美少年と王子様──



 一時のこととはいえ、カザカ王子様はパーティーの注目の的となった。


 カザカたちとは離れた別のテーブルで、一人の男子が、飲み物を手にしながら注目されている美しい王子様を眺めていた。彼は、ブレザーに長いパンツで、この学校の制服を着ている。金糸の髪はふわりと柔らかくまとまって耳を隠すほどに長い。前髪で隠れぎみの大きな目は、睫毛が長く、青い瞳に影をおとしていた。上品な顔だちは、うす赤い唇が映える。

 隣に立っている連れ添いの男子学生が、下心な、なまめかしい目差しでその金髪の少年に話しかけていた。だが、カザカを見つめる彼の耳には入っていないようだ。ふいに、彼は、コップをテーブルに置いた。

「ちょっと、失礼するよ。あとでまた一緒に」

「ああ、どこへ行くの? フランソワくん……まって……」

 引き止める男子の声に振り返りもしない金髪少年は、カザカたちのところへ真っ直ぐに近づいていく。


「きみ、ちょっといいかな?」

「え、はい? わたし、いや、ぼくのことですか?」

 チヤホヤされて忙しいカザカは、女子とは異なる低めの声が耳に入り聞き返した。


 二人の目と目が見つめ合う。


「うん、きみに話しかけたんだよ。そのまま動かないでいてね」

 フランソワは、ポケットから純白のハンカチを取り出した。ハンカチは、カザカの目の前で、白い花びらが風に吹かれでもするように舞う。

「あ……え?」

 カザカは口をあけたままに身体が固まってしまう。花びらは、カザカの右肩に触れた。


 少年の瞳は、心が吸い込まれてしまいそうに青い。その奥に知らない世界がありそうな青。


 フランソワは、ハンカチで丁寧にふきはじめた。

「赤いソースがついていたよ。きれいな衣装が台無しになるところだったね」

 少年に笑みがあらわれると、彼の周囲に白いカーネーションが妖艶に咲いた。と、カザカにはそう見えた。

「あ、あは、いやどうも、ありがとうございます。ぼくとしたことが」

「まるで血がついていたように見えたからね。きみ、名前は?」

「え、ええっと、村崎、村崎トオルです……」

「ぼくの名はフランソワ。村崎くん、よかったら、ぼくの部屋で話しをしないかい?」

「え? ええっと……」

 少年から申し出に、カザカは迷ってしまう。

 一方、すぐ近くでジュースを飲むマユミは、反射的に出たカザカの嘘を聞き取り眉をしかめた。

「なに言ってるんすかね? あんな嘘っぱち。ひとこと注意してやってくださいよ理奈先輩。あれ? 理奈先輩?」

 すでに息を吹きかえしてチョコレート・ケーキを口にしていたはずの理奈。マユミはいくらか心配して側についていたのであるが、容態がまた急変した。

「はあ……はあっ、はあ! び、美少年……に、二次元でしかお目にかかれない美少年」

 少年の姿態を見るなり真っ先に化学反応したのは関係のない、いや、“その分野”で関係している理奈である。 息も荒くうわ言を繰り返し始めた理奈。彼女の眼は、らんらんと輝きながら充血している。

「リアルにいたなんて! あう、あん、あああああ!」

 チョコレートが関係しているのかどうかはともかく、理奈はまた鼻血を吹き出して倒れた。


 吹き出た少女の血液が宙を舞う。


 ネコ耳少女が死に体のメイドに寄りそい、しゃがんで顔を除きこむ。

「ちっ、しょうがないなもう、こずえさん、メイドがまたおかしくなったっす。こずえちゃん? あれ? どこに?」

 困って舌打ちもしたマユミは、近くにいたはずのこずえを探すが見当たらない。

 こずえは、こずえで、遠く別のテーブルで人混みの中に混ざっていた。つばの広い帽子は、彼女の顔を影の中に隠している。しかし、その影から案じた目をカザカたちに向けていた。


 その惨状が展開している一方で、カザカとフランソワは会話を続けていた。

「あの、その、フランソワさん、わたし、ぼくは、友達を連れているんだよね。ほらほら、一人は鼻血を出しちゃって。ぼくのお付きのメイドは体が弱いんだよね」

「うーん、そうか、じゃあまた、あとでどこかで会わない?」

「ええ、そうですね……時間があれば……」

「うん、あとでね、村崎くん、君は綺麗な目をしてるね。忘れないよ」

「はは、ありがとうございます。フランソワさん」

 フランソワはハンカチをポケットにしまうと、妖艶な微笑を残して、もといたテーブルとはまた別のところへと去った。周辺で事の成り行きを見ていた女子らは、何やら嫉妬を浮かべている。


 王子様は、ネコ耳少女へ声をひそめる。

「マユちゃん、嫌な気配がする」

「ど、どうしたんすか? 先輩。BL好きにとってよい設定じゃなかったんすか?」

「しーっ! それは黙っていろ。あのさ、何かよくないものを感じたんだ……」

「あの金髪からっすか?」

「いやいや、この会場全体から彼にむかってだよ」

「女子のことっすか?」

「それもあるけど、ちょっと違う。女の感ってやつ?」

「それなら、格闘家の嗅覚にしたらどうっす?」

「ああ、それカッコいいね。なんか弟のことが頭に浮かんで違う種類の存在を感じたんだよ」

「それは村崎トオルという弟の名前を無断拝借した後ろめたさではないっすか?」

「……そうかも……」

「それで、その感、わたしも分かりました。この会場に入ってからずっと、八人がわれわれの行動を一部始終、観ているっす。しかも、そのうちの六人は、衣装を変えていますがバスで見た顔っす」

「な、ん、だ、と!?」

 不思議な話しをマユミから聞いたカザカは、刹那、料理に伸ばした箸の動きが止まり、眼は大きくなる。ところが、すぐに疑り深い視線を後輩に注いだ。

「……いやまて、それは『鋼鉄都市』のロボットじゃないのか?」

「け、分かりましたか。ところで出血多量の理奈先輩はどうします?」

「灰になるまでほっとけ、原理主義者にふさわしい死にざまだ」

「でも……このままでいいんすか? 先輩」

「しかたない……ここは王子様の役目だ」



  ──百合──



 メイドの黒いワンピースと白いエプロンが、床で乱れていた。


 カザカは、床に横たわる理奈の背中と太ももに手をまわして、そっと抱き起こした。それは、しおれかけの花束が、冷たく透き通る池の水面をただようにまかせて浮いているのを、形をくずさないようにすくい上げるしぐさに見えた。

「あ、ああ! みてみて服部くん! あれを!」

「まあ、なんてこと! あたしもああされたい!」

「すごい、すごいわよ! お姫様だっこだわ!」

「誰だい? あの王子様は?」

「やだ、見て、お姫様だっこよ。夢に出てきちゃう」

 観ている女の子たちがまた騒がしい。

 衆目の中で抱き上げられたメイドが、目を弱々しく開く。

「あ、あれ、カザカちゃん、なにしてるの? わたし、宙に浮いてる……」

「気にしない気にしない」

「ええ、でもでも恥ずかしいわ……降ろしてよ。恥ずかしくないの?」

「え、これくらい、なんでもないよ。眠れる森のメイド様」


 メイドの瞳は、あふれてきた水液で、揺れてきらめく。


「い、いやん……」


 王子様とメイドが見つめ合う。


 まだ、体内に血液は残っているらしい。理奈の顔がみるみる赤くなっていく。

「いやよ! なんでもあるの。あら? 王子様のにおいがするわ。あっ、楽チンでキモチイイ。なんだかわたし、混乱してきちゃった。胸の奥がキュンキュンするの。変な気持ちになっちゃった。このままでいたいよー」

「ふふふ………」

 そのまま昇天しそうなメイドへ、笑顔で返したカザカは、近くの絵がかけられている壁のところへ彼女を運んでいく。


 こぼれたメイドの髪がゆらゆらと揺れる。


 絵の下にソファーがあり、王子様はそこへメイドを寝かせた。

「ああ、王子様。この絵はルーベンスなのね。きっとBLの神様が願いをかなえてくださったのだわ」

「いや、これはたぶん印象派の摸写かな」

 やわらかい声で答えた王子様は、こずえを呼び寄せた。

「理奈は、軽い持病があるからね、すぐ復活するよ。こずえちゃんそばにいてあげて」

「ええ……あの、カザカさん」

「うん、なに?」

「いえ、なんでも、理奈さんを見ています」

 カザカの願いを受けたこずえは、杖を壁に立て掛けると、容態を確かめるように理奈の手をとった。

 そのカザカたちを見ているだけのマユミは、たんたんとジュースを一口。そこで所見。

「ううむ、この光景は………百合に見えるのはこのパーティーで、わたしだけっすか……」


 そのしばらくのち、テーブルの前で、王子様のマントはひるがえる。


「マユちゃん! これはひょっとしてオマール海老だぞ!」

「耳にしましたがフランス産らしいっす。食べたことないんすか?」

「わたしのような低所得家族の食卓に生涯上がるものか」

「そうっすね。右に同じっす」

「おお! なんと分厚いハム・ステーキではないか!」

「このブイヤベースは、もしかしてアンコウっす!」

 ソファーの理奈をよそに、カザカたちは、テーブルの豪華な食べ物にありつく。

「でね、マユちゃん、わたしのこの格好はこのままでいいかな?」

「え? なんで? テーブルを代えて取り巻きから逃げたし。他にかっこいい男子もいるから彼女たちはそちらの方へ……」

「……でも……やっぱり、王子様は恥ずかしい」

 弱々しいカザカに顔をしがめたマユミは、理奈に付き添っているこずえを手招きした。

「どうしました?」

「先輩はこの格好だと、気になって食事ができないということっす」

「うーん、だったら、お色なおししましょうか?」

「え? また着替えるの?」

「わたしにまかせてくださいな、カザカさん」

 そつなく着替えを進めたこずえは、戸惑うカザカの手首をつかんでふたたび外へ連れ出していった。

「先輩は昨日に続いて災難っす。哀れむっす」


 一人になったマユミは、また料理に箸をつける。

「ふうむ、ロースト・チキンはやわらかいっす。あわせて香ばしいフライド・ポテトも」

 しばらくすると、談笑する男子たちが、口を止めて会場の入口を振り向いた。二人、四人、十人とその数は増えていく。女子も足を止めた。驚いて大きく開いた口を両手で隠す。入口ぎわに次々と視線が集まった。

「きゃ~! なになに!?」

「え、さっきのあの王子様? うそ、信じられない!」

「あたし、もうだめええ!」

 場内からまた女子の狂喜に満ちた悲鳴がちらほら上がる。

「わああ! なんてかわいい“男の娘”だこと」

 食い入る歓喜がどこまでも広がる。ガールフレンドを見つけたい男子ならば、不安になるほどである。



  ──男の娘──



 可憐な花が一輪咲きほこっている。


 中世ヨーロッパの貴族が着るドレス。それを身にまとうカザカは頬をあからめていた。スカートは長く、小さな肩の素肌があらわに。細い首には銀細工の飾りをかけていて、中央のターコイズは本物かどうかは分からないものの、白く肉感的な肌の中で光彩を放つ。純白の手袋は指の細やかさを強調しているが、なにより、会場にいる他のドレスを着こなす“お姫様たち”とは違って、王子様のときと同じ、やはり細い腰にベルトをしめて剣を下げていることだ。


 こずえが“お姫様”をマユミの前に連れて来た。

「マユちゃんどうかしら。カザカ伯爵令嬢ですよ」

 衣装を選んだこずえは、にこやかな笑顔である。おそらく、今日会ってから一番の笑顔だ。それに対してカザカを一見するマユミは違う。尻尾が横に振るえている。

「この運動現象は初期条件を間違えているっす。 誰も“女の子”と気づいてないっす。ファンタジーで脳内世界が病んでいるっす…… 」

「ど、どうしようか、マユちゃん。でもこのドレスは良いと思うんだよ。ねえ、マユちゃん、なんだよその顔は?」

「どうするも何も、こずえ先輩が選んだことだし。 まあ、なんというか……胸がさびしいから、“男の娘”で通りよさそうっすね。 わたしには関わりのないことで……」

「え? なんて言ったの?」

 ドレス姿の男の娘が、赤面してそわそわと白い手を伸ばしきた。手が手に触れかかる。

 マユミは赤面し、あわてて手を引っ込めた。彼女が首に巻いているチョーカーの鈴が、警告するように鳴った。

「さ、さわるな! 上流階級! あっ、あっちへ行け! 行ってくださいっす!」

「な、なんだよ、冷たいよ。こういうとき助けてくれないの?」

「ふぅふぅ、もう……ふむ、とにかく先輩、まずはこのジュースを」

 魔法少女を余所に、文句をかけあう二人。

 汗がにじみ出たマユミは、グラスに注いだジュースを“男の娘”に差し出した。

「おお、ありがとう! やさしい後輩をもってうれしいよ」

 気持ちを落ち着かせたいカザカはグビッと飲み干した。ところが、それを見た周辺のギャラリーが反応して熱を上げてしまう。

「きゃー! やっぱり男の子ね! 豪快な飲み方!」

「わたし、あんなに美しい男の娘を見ていると、生きているのがつらくなってしまうわ」

「あの子、あたしのお嫁さんにしたい!」

 騒ぎのやまない女子たちの、エネルギーは無尽蔵である。

 カザカは、男子学生たちからの言葉にならない目も気になってくる。マユミはカザカにそっと耳打ちしてきた。

「これは、こうなると、集団の感情は危険っす。エネルギーを持って一つの方向に流れると、止めることはできないっす」

「あるいは熱力学第二法則にしたがい制御できない無秩序へと進行しそうだな。このまま、やり過ごそうか? 理奈が動けるようになったら、撤退だ」

「おっす!」

 カザカの指示を受けたネコ耳の後輩は、胸の前で両手を使い、たすき掛けのように十字をきった。キリスト教の神を崇めるための厳かな十字ではない。空手という武道をたしなむ者が“押して忍ぶ”心得である。


「あのう、お二人さん。わたし、また理奈さんのそばにいますね」

「そうそう、理奈先輩を忘れていたっす」

「ほっといてもいいけど、よろしくたのむよ、こずえちゃん」

「はい」

 カザカにも頼まれ、壁際のソファへ歩いていくこずえは、影ながら頼りになっている。

 カザカとマユミはまた別のテーブルへ移動していたが、頭にピンクのウィッグでフリルの派手なドレスを身に付けた女の子が近づいてきた。

「あ、あのう、お名前を聞いていいですか?」

「む、村崎トオルです」

 あい変わらず、懲りずに偽名を名のり通すカザカである。


 しばらくして、フランソワと名乗っていた少年がふたたび歩みよってきた。小さな星をきらめかせた青い瞳でドレスのカザカに微笑む。

「うん、村崎くん、今度はドレス、とても似合うよ。かわいい“男の娘”だね?」

「ぼくは小さい時から“女の子”のように育てられまして、えへへ……」

 答えるカザカは、身を守るように肩をすくめてみせる。少女の白い肌がこわばっている。

「言ってることが、それぞれ逆っす」

 マユミの事実を評する声は二人に聞こえない。


 金糸の映える少年は、話題を絶やさない。

「ここの宿舎はとても古くてね」

「そうなんですか?」

「うん、ダイニング・ルームに素敵な聖母の油絵もそろえてあってね。ちょっと覗いてみない?」

「え、でも……」

 ドレスのカザカは、肌を露出した肩の後ろを少年に向けて、恥ずかしくて迷った気持ちを示した。彼女の横顔が少年の視線を浴びる。

 これはともすれば、野に咲く花が、甘い蜜で蝶を呼び寄せているのと似ている。

「温室の植物園もあるけど、そこは君も気に入ると思うよ」

「でもクリスマスだから礼拝があるのではないのですか?」

「ははは、今夜は、このパーティーの時間に合わせて、礼拝はすでに夕方すませたんだよ。パーティーが終わったあとに、深夜、自主的な礼拝が再びあるけどね。じゃおいでよ」

 物の言い方に艶のあるフランソワが、ドレスをまとう“男の娘”の手をにぎった。

「ああ、でも。どうしよう……」

 戸惑ってみせるカザカ伯爵令嬢。


「おい! フランソワ! また品定めかよ! いちゃいちゃしやがって」

 そこへ忽然、太い男の声がフランソワの背後へ飛んできた。



  ──勇者──



 カザカたちは、和やかなパーティーにはとてもふさわしくない、野蛮な声を耳にした。声の方向へ目を向ける。体格の大きな男子がこちらを射すくめた表情で歩いてきた。彼の服装は、十八から十九世紀の東欧の王公貴族を想わせもするが、どちらかといえば、ロール・プレイング・ゲームでもお馴染みの、異世界を舞台にした創作上の登場人物から着想を得ているらしい。特に、ロング・ソードを背中で斜めに下げているのは、いかにもファンタジー世界の勇者という雰囲気がある。腰のベルトに、いわく有りげな“角笛”も帯びていた。

 その勇者が金髪のきらびやかな少年の前に迫って止まる。

「フランソワ、上物を見つけたようだな?」

「ふふ、君には関係ないだろ」

「俺を避けた上に、その態度はないだろう」

 異世界の勇者が問うても、フランソワは、含み笑いを返すばかり。そのフランソワが視線を変えて、つかまえていた“伯爵令嬢”の手を離す。次に軽くお辞儀をした。

「では、村崎くん、あとでね」

 フランソワは、また会うことを告げてカザカの元から歩き去った。


 勇者を気どる男は、面白くなさそうだ。フランソワの背中を目で追ったついでにカザカを陰気な顔ですがめる。

「へえー、男の娘ね。女の子と間違えそうだよ。ほう……悪くはないな」

 勇者のくちはしに意図のあやしい白い歯がみえた。そこへ、ネコ耳女の子が割って入る。彼女は尻尾と目尻を吊り上げた。爪があれば飛びかかって引っ掻きそうな気迫である。

 勇者は肩をひそめる。

「けっ、なんだよ。俺が何かしたか? 怖いガキだな」

 彼は、ひとたびマユミを睨み返し、踵を返した。彼の歩き方は悠々としており、周囲の参加者が身をちぢこませた。家来が主君へ通り道をあけるように、次々と身を下がらせていく。

「……感じ悪いっす」

 マユミは不快に一言を送った。


 テーブルの前に立ったカザカは、暖かい飲み物を一口してから、軽くため息をついた。

「ねえ、マユちゃん、ぼくは、じゃなかった、わたしは、昨日に続いて今夜も悪いことが起きる気がする」

「先輩らしくないっす。それだったら、そろそろ私服に着替えて帰る用意をするのはどうっすか?」

「そうだね。誘ってくれたこずえちゃんには悪いけど、君子危うきに近寄らず。わたしは女の子だけどそうする………」

 マユミの提案を受けてカザカは一人で会場の外へ出ていった。



  ──訪問者──



 一人になったマユミは、近くにこれといって話し相手もいないことから飲み食いを続ける。

 一つのサラダに目が止まった。

「んん? この黒いのはなんすか?」

 疑問を口にするマユミ。そのとき彼女の隣りへ、一人の男子が身をよせてきた。

「ああ、それなるは、トリュフと言われし名と聞きしる」

「えっ!? な、なんと!?」

 現れた一人の男性に教えてもらったマユミは仰天した。親切にも彼はサラダを小皿に取り分けてマユミに手渡した。

「ささ、娘よ、つづしろふがよい」

「では、お言葉に甘えて……」

 マユミは割り箸を使って一口。

「………」

 ネコ耳娘の目はまっすぐ前を見て、口は機械的に咀嚼を続ける。

 ネコ耳がしだいに萎れていく。

 勧めてみた男子は彼女の顔色が気になった。

「さように、いかなる味と感じいるや?」

「ううむ。んん? んんん……」

 聞かれてもただ黙って何もないところを見据えるマユミの顔である。例えると、黒板に書かれた初めて見る問題を前に、鉛筆を持ちながら、解き方が分からず悩んでいるのと同じである。


 食レポとしては失格のようだ。


 トリュフを彼女に食べさせてみた男子は、自分の小皿を眺めて神妙な顔になる。

「しかすがに、私も、これなる食べものをあぢはふことは、はじめてとも……」

「……ほほう」

 マユミは、話しかけてきた男子の姿をそれとなく上から下まで観察する。つつましさがあり、髪は両耳のわきに“美豆良”としてまとめている。上着は筒袖のある“衣”をまとい、胸元はヒモで結び、翡翠色のネックレスをかけている。下はズボンのような“はかま”で、膝のところに“足結ひ”があり、“皮履”をはき、腰には真っ直ぐな太刀をおびている。


 凛とした佇まい。


 古代日本の邪馬台国があったころの時代に生きていた男性そのままである。


 だが、仮装にしては着こなしが細かいところまであまりに嘘がない。

「これらの品々、許しを得れば、故郷に持ち帰りたく、願うなり」

「なぜ、こちらに参られたんすか?」

「異国から渡来の他宗、仰信とは、いかなるものかと今日のこよい、せうさうなよはいなれば、聞きをひろむために来たりけり」

「……なるほど」

「おお、あれなるまかなひも、ためつ物と見ゆ」

「色々と食べてみてくださいっす。ところで、あなたのお名前は?」

「……ワカタケルなり。ははは、彼は二百年ほど後の代。さて、この時代の、たまかぎる天の、事こまやかなるふるまひを、観る技は、うるはしきなり。なぜといわれ、望遠鏡という名の、かなたを観ることができる細工に、人工衛星と呼ばれたる人の手により作られし小さな星。それゆゑ、人の病を治せず、自然の災いを神の行いと偽わってきたカビくさき仰信よりは、そのへんに興味をかしがる。すなはち、神を信じても頼ってはならぬのだ。さて、友や宮仕えらに聞かせる土産話も作りたき順序にて。ではさらば」

 様々に話した彼は、群衆の中へと消えていく。

 後ろ姿をマユミはじっと見送った。

 高校生にしては風格もありすぎるその邪馬台国の男子は、周辺の人々の目にはまったく入っていないようだ。

「今の人、巫女になっても似合いそうな、美しい人っす」

 淡々と呟いたマユミの前に、代わってミニスカートの赤い服が現れた。



  ──サンタクロース──



 上下の衣装はサンタガール。とんがり帽子の先に白い玉。ミニスカートで黒いブーツ。顔は、仮面舞踏会でよく使われる漆黒のアイマスク。

「マユちゃん、メリー・クリスマス」

「な、なんすか? 先輩すか!?」

「エヘヘヘ、どうよ?」

「私服に着替えたんじゃなかったんすか?」

「いや、その、これを見つけたから、可愛いかもと思っていたらいつのまにか着替えちゃって、エヘヘヘ。これなら正体隠せるでしょ?」

「なんの正体すか?」

「“男の娘”という設定を……」

「わけが分からないっす。でも、わたしには先輩とわかりましたよ」

「もう、ぷうう……」

 カザカの顔が膨れっ面になる。

「先輩、でもそのブーツ……そう、それっす」

「あ、これは、これしかなかったから」

「かわいい、というより、ちょっと、かっこいいような……」

「でしょう? だよね?」

 仏頂面から笑顔に戻ったカザカは、なんとなしに、マユミの取り皿へ視線が移った。

「マユちゃん、なにを食べてるの?」

「トリュフっす……」

「うお! ここは金持ちだな!」

「やっぱりこういうところは、どこからともなく金が集まるみたいっす」

 高価な料理を口にする暇もなく、遠くで、ガラスがはげしく割れて散る音が高く響いた。



  ──魔獣──



 カザカとマユミは、さっきの件と同じ動作で視線を移した。

 フランソワが顔を苦痛に歪めている。男の太い腕が彼の胸ぐらをつかんでいる。やはり、さきほどフランソワにからんでいた異世界の勇者が、今度は腕力を使っていた。

 フランソワの身はテーブルの隅におしつけられていた。

「なに、あれ?」

「またはじまったよ」

「かまうことないさ、ぼくらには関係ない。向こうで話を続けよう」

「留学先に友人がいてね」

「あら、そうなの?」

「フランソワもやっかいものだな」

「いい余興かもしれないぞ」

 周辺の人々は、争いを目にして歓談を一度止めたが、また飲食を再開する。全てが無神経とは言わないまでも、頭の回転が早い者ほど、知らぬ顔を作るのがうまい。


 その空気の中、ひねくれた顔が二人、勇者の背後に控えていた。彼らはフランソワの様子を笑って見ている。三人の立ち位置が芝居じみてもおり、白州にかまえる悪代官が、与力を両脇にひかえさせているふうを思わせた。その悪代官にも見える勇者はフランソワの胸元をぎゅうぎゅうと握りこぶしで締め上げていく。

「てめえっ! オレがいながら」

「ふふ、だからなんだい? ぼくの白い肌が忘れられないのかい? どうしようか? でも、もう君とは寝ないよ。君は乱暴にするからね……」

「こ、このやろー! あっちこっちで、校長に神父まで、ベッドで小細工しやがって!」

「みんな一度、味わったら、ぼくを忘れることはできないのさ」

フランソワの不適な挑発は、勇者のこぶしを放たせた。

「あうっ!」

 パンチを受けたフランソワは、背中から床に倒れてしまった。

「やめたまえ!」

 そこへ、大きな声が止めに入る。この学校の制服を着ている髪の黒い少年が間にたった。

「君たち! 乱暴はやめるんだ」

「おや、正義の味方のお出ましか? 生徒会長さん、おまえもこいつの宝石のような肌で今夜は暖まりたいのか?」

「な、なんてことを! ぼ、ぼくは、ただ……」

 止めに入った生徒会長は、初めに勢いはあったものの、勇者の脅し文句でうろたえてしまう。

「か、勘違いしないでくれ。ぼくは、た、ただの友達だよ。何も知らない……」

 口を閉じてしまった生徒会長。

 勇者は、戦意の萎んでしまった彼を力まかせに突き飛ばした。

「だ、だれか、先生を!」

 離れて見ていた学生の一人が我慢できなくなり助けを求めた。が、他に止めに入る者など不在である。むしろ会場の空気は、関わりを避けたい雰囲気だった。


 勇者の背後で控えていた一人が、テーブルのコップを取る。ペットボトルから白い乳酸飲料をコップへ丁寧にそそぎ入れた。それを倒れているフランソワの前に持ってきた。

「喉がかわいただろ? フランソワくん……」

 邪悪な口調で話しかけた彼は、自分の口元にコップを近づけて、ペッと唾をはき入れる。その汚したコップの中身を、金髪の頭へ注ぎ落とした。

 白濁液は、金糸の髪から悲しく見せる青い目、白い肌の首へとつたい落ちる。

「くくくっ、いいぞいいぞ。ぶっかけだぜ!」

「ひひひ、夜な夜な男を相手にする美少年が、聖夜、ぶっかけというのがまたそそらせるよな」

「さて、次は何をしてやろうか? ふはは!」

 残忍な言葉を吐いた三人は、身を反らして高笑いした。


 次に、もう一人が小瓶を手にフランソワの前に立った。濡れた少年の体に赤いソースを垂らしていく。フランソワは声すらあげない。むき出しの暴力に身をゆだねている。

「あらら、血だらけだよ。王子様。傷をなめてあげようか?」

「もっと、やさしくしてえ、とか言わないのかよ!?」

「あは、おもしれえ! こんな楽しいパーティーは久しぶりだぜ!」


 勇者たちの爆笑がこだまする。


 だがここで、フランソワは、濡れた睫毛の下で反抗的な目を無言で返した。

「な、なんだその目は!?」

 機嫌を損ねた勇者のこめかみに青筋がむくりと立つ。

「それなら、フランソワ、今夜は、今度こそ」

 欲望を口にした勇者は、倒れているフランソワをまた捕まえようと一歩踏み出した。

「おまえたち! 悪辣なことはそこまでだ!」

 いじめの現場へ高く澄んだ声が飛んできた。

 黒光りするブーツが床に音を鳴らしながら、勇者たちへ近づいていく。



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