040 モモンガがんばる

 排泄談義になってきたので精神的に休息したいと申し出てモモンガは寝室に向かった。

 街に入り、冒険者登録は終わり、明日は正式に冒険者となる予定まで終わった。

 メンバーカードは戸籍のようなもので身分証明として使える。

 他のメンバーも可能であれば取らせてやりたいが現地調査が済んでから考える事にする。急に街が吹き飛ぶような事件でも起きない限り。

 そういえば、宿屋の事を忘れていた。

 ルプスレギナが難色を示したので一人で夜を明かす事にしようと思った。

 少しは違う空気に我が身を晒すのも悪くない。

 転移により宿屋に戻り、汚いベッドに横たわる。

 日が傾きかけた時間帯で眠気などを全く感じない。完全に日が暮れるまでどこかの建物の屋上で風景を楽しむのもいいかもしれない。

 いきなり中から転移すると驚かれるから店主に挨拶だけして外に出る。

 初めて訪れる場所は様々な事を想像させる。

 序盤の街とて期待してしまうものだ。そして、後半は忘れていく。

「おっと、黄昏て連絡を忘れてしまった」

 とりあえず、何処かの建物の屋上に移動し、ナザリックに報告しておく。

 急に外に逃げ出したNPCノン・プレイヤー・キャラクターが居た、とかは聞きたくない。

 報告を終えた後は空を観賞。椅子でも持ってくれば良かった、と。

 疲労しない身体だからずっと立っていても問題はないけれど。

「………」

 街の喧騒をBGMとして聞き、ゆっくりと暗くなる空模様。

 日本では眺められない絶景かもしれない。

 街の風景も味わい深いものだ。

 そうして完全に暗くなる頃には所々の家の窓から明かりが灯り始める。だが、電気文化が無い都市なので街灯は殆ど無い。

 あるのは店先にとも蝋燭ろうそくや『永続光コンティニュアル・ライト』という魔法の光りだ。

 とても幻想的な風景にしばし言葉を発さず眺める。

 普通ならそろそろ邪魔するイベントなどが起きそうだが、一時間、二時間と経ったようだが何も起きなかったし、連絡も来なかった。

 定期連絡の約束をしていないせいもある。

 知らない世界の初めて見る風景。

「見知らぬ土地の風景は何かに残したくなるものだ」

 プレイヤーが見ている景色は動画などに残すものだが、便利なものは持ち合わせが無い。

 今しか見られない景色というのは貴重で貴いものだ。

 一部の魔法には過去の映像などを見られるが何かの媒体に保存する事は出来なかったような気がする。もし出来れば色々と残したいところだ。

 無ければ作るか、そういう発明品を探すしか無い。

 勿体ないし、それはそれで貴いものと感じられる。

「………」

 世間の喧騒が静まり、黙っていると精神的に落ち着いてくる。

 無理矢理の抑制より心地よい気分だ。

 それからどれくらいの時間が経ったのか。

 気がつけば空が明るくなってきた、ような気がした。

 黒から群青ぐんじょう。そして、青へ。

「……戻るか」

 思いのほかのめり込んでしまった。

 別に重要な用件は無いので朝まで居ても問題は無かったけれど。

 与えられた部屋に戻るとベッドで寝ている人影を見つけた。

 同室の挨拶はしなかったが仕方が無い。他人だし。

 ただ、汚い布団に包まるのは少しだけ抵抗があった。汚れはつかないとしても。


 寝た振りして朝まで大人しくしていると物音が聞こえてきた。

 それからしばらく黙っていたが特に声はかけられなかったのでそのまま黙っている事にした。

 無理して挨拶する事も無い。襲われたら返り討ちにするか転移で逃げる。

 転移疎外された場合は外部からシモベが襲撃する手筈てはずになっている。

 ただ、アンデッドの身体というものは睡眠不要なのは分かっていたが眠気が起きないのは凄いと改めて思う。

 元々の肉体の影響は絶対にあるはずなのに。どうなっているんだろう、と。

 目が冴えた、といっても眼球は無く、赤い光りのみが灯っているだけ。

 それで物が見えているし、不思議な身体だなと改めて驚いた。

「……時計を手に入れるんだったな」

 手持ちの資金だとまだ足りないかもしれないので、忘れないようにメモに残しておく。

 時間を気にしない生活も悪くはないのだが、約束の日時を知るためには必要なアイテムだ。

 それにしても急に自由になると不安になるとは思わなかった。

 自分はかなり近代社会の従僕だったのだな、と。

 今は無限に近い時を使える。それをみすみす消費するのは贅沢ではある。

 自分はいつから余裕の無い世界に振り回されてきたのか。そんな事を考えるのも大事かもしれない。

 それからしばらく経ってベッドから降りる。

 既に相部屋に居た何者かは居なくなり、自分ひとりになっていた。

 宿屋の主人が来ないところを見るとモーニングコールは頼まないと駄目なのか、それとも最初からそういう文化が無いか、だ。

 追加料金を請求されない内に下に降りることにする。

 降りる時、ギシギシと鳴る階段は本当に踏み抜きそうで怖かった。今は弁償など出来る余裕は無い。だから『飛行フライ』で誤魔化した。

 主人に挨拶した後、小言を言われる事が無かったから安心して外に出た。

 昼間でまだ少し時間があるので街を散策する事にした。

 敵対プレイヤーの影に怯えていたモモンガは少しだけ気が楽になった事を自覚する。だが、だからといって油断するわけには行かない。

 ナザリックには多くの仲間とNPCが居るから。あと、大量の大事なアイテムとか。

『モーニングコールだよ。モモンガお兄ちゃん』

「うわっ」

 甘ったるい声で連絡を寄越してきたのはぶくぶく茶釜だった。

 むさい男所帯のギルドには毒な声だ。

「急にそんな声を出さないで下さい。びっくりしました」

 アンデッドだけど。

「おはようございます」

『ずっと起きてたんでしょうけれど……。眠気が無いって辛い?』

「そうでもないです。なんか……、人生を見つめなおす時間ができたって気がします」

『精神が抑制されるようだから気持ち的には瞑想の時間が貰えたって気がするわ。慌てる人も居ないようだし』

 それはモモンガのような睡眠を必要としないメンバーにも言える。

 普通の人間ならば眠れない日々は不安を覚える。最初のうちはアンデッドでも不安になるけれど。

 種族の特性というものが働いているので、設定では人間的な不安などは感じないものだ。だが、元々人間であるモモンガの根源的な自我の部分では大いに不安を覚えていた。

 肉体から離れているはずなのに。

 いずれアバターに意識や自我が統合された場合は『自分』という存在はどうなってしまうのか。

 難しい事は分からないが、訳の分からない問題にあたふたする自分はとってもかっこ悪い。


 時間まで散歩していると入れ替わりでギルドメンバーから連絡が届いた。

 元気なのか。困った事が無いか、など心配する言葉が多かった。

 ずっと引きこもって外を怖がっていたせいかもしれないけれど。連絡が来るたびに無事を伝えると安心された。

 思った以上に仲間達に心配をかけていたようだ。

 勇気を出して行動しないと駄目なんだろうなと思った。

 時間の確認の為に時計屋が無いか、通行人に尋ねながら移動する。

 引きこもってはいたが話しかけられない程、末期の駄目人間だとは思っていない。少なくともサラリーマンだった頃の感覚は失っていない。というか、実質まだ一ヶ月も経過していない。

「……時計は……商店街か……」

 小物などを売っている店が無いと異世界ファンタジーとして冒険できない。

 冒険者組合があるのだから武器屋は絶対にある筈だ。

 魔術師組合というものもあると聞いているので、触媒などを売買する店が無くては色々と困る。

 頭からローブを被っている人間が歩いても平気なところは安心できるのだが、現代社会では奇異の目を向けられるところだ。

 一人で街の中を歩いていて気付いた。

 外敵に注意を払わない自分に。

 神経質だった自分はどこへ行ったのか。

「……とはいえ油断は出来ない……」

 異世界ファンタジーと言えば事件が付きものだが、何も起きないというのは物足りなさを感じる。

 一般的なゲームの常識が判断を鈍らせているのかもしれない。

 本来の日常とはの筈だ。

 時間的に開店前なのか、準備に奔走する人々の活気で満ち溢れている。

 薄暗い自分達の世界とは違う。

 生きている人間、という光景だ。

 いつまでも眺めていたいところだが、調査に来ている自分は次に移行しなければならない。

 街の喧騒は程よいBGMとして耳に届く。

 その後、建物の屋根に転移したりしながら時間を潰す。

 街独自の警備体制はそれほど強固ではないようだが、見回りの兵士の姿は確認した。

 治安維持は大事だから居ないと困る。

 そうして二時間、三時間と過ぎていった。

 時計が無いと不便だと思うのは近代化の弊害のようだ。


 ◆ ● ◆


 昼の少し前に冒険者組合に向かうと多くの人々の姿が見えた。

 仕事を求めているのか、ただ情報共有の為に集まっているのか。

 見えているだけで三十人以上は居た。

 殆ど複数人のパーティのようだ。単独で活動していそうな雰囲気はほぼ皆無。

 ソロプレイヤーが居ないわけではないし、モモンガも最初は一人で冒険していた。だから、それ自体は特に恥ずかしいとは思わなかった。

 受付は行列が出来ていなかったので今の内に向かっておく。

「おはようございます。モモンガ様ですね」

「はい」

 昨日の今日で同じ受付嬢の前に行ったのだから覚えていても不思議は無い。

 同じ格好の人物が居なかった、ともいえる。あと仮面を被っている事に何の指摘も受けなかったのはやはり意外であり、驚きだ。

 同じ名前が複数人居るようだが、他のモモンガというのはどんな奴らだろうか。嫌な噂を立てられるととばっちりが来る可能性が高くなるので気になる。

 名前がたまたま一緒だからとて腹を立てるのは筋違いかもしれないけれど。

 受付嬢はカウンターに名刺のような小さな長方形型の金属板のようなものと五センチメートルほどの金属プレートを置いた。

「こちらがモモンガ様のメンバーカードです。依頼を受けたり、検問所などでの身分証明として提出してください。紛失の場合は再発行に銀貨十五枚ほどかかりますので、無くさないように」

「はい」

 駆け出し冒険者には大きな出費だ。

「こちらのプレートが冒険者の証しです。カッパーから始めていただいて昇進試験の資格を得て上を目指したり、安全な仕事で街に貢献するのも自由です。こちらはランクによって紛失時の弁償額が変わりますので、お気をつけてください」

「分かりました」

 二つのアイテムを受け取った時点でモモンガは冒険者と認められる。

 早速、銅プレートを首から提げる。

「今日からモモンガ様は冒険者です。あちらのボードから依頼書をお選び下さい。ただし、今のランクより上の依頼は規則でお受けできませんのでご注意を」

「頑張ります」

 懇切丁寧な対応に条件反射的にモモンガは頭を下げた。

 とにかく、これで街への入場に支障がなくなる。

 戸籍の代わりとして使えるので他の街でも通用するという。

 いちいち街ごとに冒険者登録する必要は無い、と。

 早速、依頼書を眺めるがあまり読めなかった。

 銅プレートはいきなり危険な仕事にありつけないと言われているので、地味なものしか選べないのはもどかしい。

 試しに自分の実力を認めさせようかという考えが過ぎったが、それはそれで目立ちそうなので却下する。

カッパーに成り立てなら警備の仕事にしておくんだな」

 と、話しを聞いていた冒険者が話しかけてきた。

「警備?」

「あんた魔法詠唱者マジック・キャスターだろ? 荷物運びとか無理だろう」

 確かに見知らぬ冒険者の言う通り、魔法詠唱者マジック・キャスターは筋力が低いのが通説だ。だが、レベル100ともなればそれなりの物理攻撃力があるし、筋力も自信が無いほど、とは言えない。

 ここで重い荷物を持つと騒ぎになるかもしれないので相槌あいづちだけ打っておいた。

 警備の仕事は現場の監視と移動して治安の善し悪しの確認がおもだと思われるけれど、出来れば移動する仕事が望ましい。

 街の様子を見るのに最適だし、何がしかの情報が得られるかもしれない。

「街を巡るような仕事はどれがいいですか?」

 話しかけてはいけない規則は無いので尋ねてみた。

「賃金が低いのしかないぞ」

「構いません」

「なら……、これかな」

 と、ボードから一枚の依頼書を剥ぎ取る冒険者。

 ここで素直に受け取って受付嬢に渡すと銀プレートの依頼とか言われて笑いものにされるかもしれない。

 仮にそうだとしてもイベントだと割り切って押し通すのも悪い手ではないと思っていた。

 多少、上のランクでも受ける自信がある。ここはゲーム的に気が楽だった。

「この都市はモンスターの生息地から離れているから討伐系は少ないぜ」

「ありがとうございます」

 親切な冒険者に一礼して受付に向かう。

 提出した依頼書は警備の仕事だった。

 残念な気持ちと人を信用しない心の狭い自分に辟易したり、様々な感情が渦巻いた。そして、精神が抑制される。

「………」

 人の親切が無い前提というのはゲームに染まりきっているせいなのかな、と思わないでもない。

 いや、むしろこの程度の仕事を押し付けて満足するイベント、とも言える。

 疑えばキリが無い。

 自分が納得する着地点を見つけなければ延々と悶々とした気持ちを抱えたままになる。


 折角の好意なのだから仕事を請け負ってみようと思った。

 まずは経験しない事には前に進まない。

「指定された場所に居る担当者に書類を渡して説明を聞いてください。仕事が終わったら確認の書類を貰って戻ってきて下さい」

「はい。報酬はここで受け取るんですか?」

「基本的には冒険者ギルドでお支払いします。確認の為もありますので」

 依頼人との個別交渉は低ランクの冒険者には認められていない。

 確かに理屈ではそうだが、不正防止の観点でもあるのかもしれない。

 いきなり不審な行動をする気は無かったので了解の意を示しておく。

 世界を把握する前に悪の限りを尽くしても仕方が無い。

 慎重な今までの行動が無に帰してしまう。

 モモンガは素直に指定された場所に向かい、担当者と面会する。

 この辺りは一人でも平気だ。

 敵に対して慎重な性格だが、普通の仕事まで神経質なわけではない。そうでないとサラリーマンなど出来はしない。

 見た目が奇異なところは不可抗力ではあるけれど。

「他の冒険者と共に巡回してくれ」

 淡々と説明する担当者。

 エ・ペスペルに常駐している警備員で武器を携帯した兵士と差ほど変わらない。

 冒険者という肩書きは広義の意味で使われるようで、モンスター討伐以外は何でも屋と変わらない。

 一般人より能力が高いから色々と仕事が回ってくる。

 建築や料理など専門職の仕事はさすがに来ないようだ。

 淡々と街を巡回するモモンガ。合間に街の様子を見学したり、仲間と連絡を取ったりする。

 襲撃イベントが無い平穏な時間だった。

「………」

 弱そうな冒険者を襲うようなやからが現れたりしない。

 ナザリック勢を使えば色々と出来るかもしれないが自作自演は少し抵抗があった。

 わざとらしいとデメリットになるので。

 しばらく素直に時間を費やす事にした。

 NPC達が見ていたら大慌ての大混乱に陥る可能性がある。

 ナザリックの統治者が地味な警備の仕事をしているのだから。

 帰るのが少し怖い。

「……ルプスレギナが今頃絞られたりしてないよな?」

 部屋が臭いと文句を言って帰ったので。

 気になったので連絡を取ってみる。

『モモンガさんの仕事はNPC達には見せてませんよ』

「……ルプスレギナがどうしているのかと思って」

『第九階層でメシ食ってますよ』

 気楽な声は自分の精神状態で色々と感じ方が変わる気がした。

 今は特に苛々したりしていないためか、今の言葉をすんなりと受け止められた。

 慌てているようであればもちろん心配になる、きっと。

「地味な仕事をしているのでNPC達には内緒でお願いします」

『仕事は仕事です。犯罪以外は文句を言ってはいけません』

 差し障りの無い言葉に感心したり、聞き流したり。

 一人で考えている時より精神的に落ち着く。

 自分一人だけの転移はあまり考えたくはないが、きっとNPC達に対して上位者を意識した振る舞いを演じ続ける筈だ。というより仲間が素で対応しているのが信じられない。

 敵対とか全く想定していないのはある意味、凄いけれど。


 仲間への連絡を終えて仕事を継続する。

 今日がたまたま平和なだけかもしれないし、騒動イベントは突然起きたりする。

 それが一般的な日常だ。

 絶対に毎日騒動が起きるとは限らない。

「………」

 平穏は敵なのか。

 平和が一番では駄目なのか。

 ふと自分に問いかける。

 異世界転移自体が既に大きな事件だけれど、今のところは静かだ。

 遠くに『アインズ・ウール・ゴウン魔導国』があるようだけれど。

 物思いにふけりつつも警戒は怠らない。

「もっと気楽に冒険出来たらいいのに」

 折角の異世界なのだから。

 ゲームの延長線上である必要性は全く無い。

 とは思いつつもゲームの経験が思考や判断の邪魔をするのか。

 何処かで事件を熱望してはいないか。

 仕事中に余計な雑念をするようではいけないと思い、周りに気をくばる。

 石造りの外壁はとても高く、それが都市を一周している。

 上方に上がって監視している兵士の姿も見えることから、階段や中に部屋などがあるはずだ。

 侵入するのはおそらく難しくない。ただ、破壊したりするのは勿体ないなと思う。

 ギルドメンバーの中には破壊魔が居るかもしれないけれど。モモンガ自身は自分から壊そうという気持ちは湧いてこない。

 必要なイベントなら壊すかもしれないけれど。

 などと思っていると規定の時間になり、仕事はあっさりと終わった。

 何も起きないと退屈かもしれないが何か起きて騒動に巻き込まれるよりはマシだ。

 好き好んで騒動に巻き込まれたいとも思わない。特に今は情報収集をメインに据えたいので。

 淡々と仕事が終わったので拍子抜けではあったが冒険者として一歩は踏み出せた。

 僅かばかりの報酬。それは初任給と一緒。

 依頼のイベントは始めてではないが、初心者になった気分だ。

「随分と長い時間を費やしてしまったな」

 警戒とは裏腹にイベントはとどこおりなく終わった。

 本当にゲーム時代は何をしてきたのかと疑問に思うばかりだ。

 めげてばかりはいられない。少しでも世界に慣れておかなければ。

「……ということで、しばらく仕事に専念したいのですが……」

『頑張って』

「何か必要になったら連絡を。後、カルネ国は任意で」

『了解』

『ついに冴えない主人公が本気出した』

『……いい兆候だ』

 それぞれ好印象だった。

 ギルドマスターとして必要な事柄が無いうちは数日はこもろうと思った。

 NPC達は気になるけれど連絡役のシモベを用意しておけばいいだろう。


 ◆ ● ◆


 モモンガが奮闘している頃、外で植物の調査をしているマーレと護衛のアンデッド兵『死の騎士デス・ナイト』達の所に赤い粘体スライム『ぶくぶく茶釜』は向かった。

 自分が設定したNPCは確かにで最初は驚いたものだ。

 まさか自我が芽生えるとは誰も思っていない筈だ。想定できたら凄いが、それはただの願望に過ぎないものだ。

 好き勝手書いた設定が反映されると異形の身体とて恥ずかしさを覚えるものだ。

 見た目は可愛いから気にするのは野暮かな、とか思ったこともある。

「……これで●●とかするのかな」

 見た目は血の通った人間種の闇妖精ダークエルフ。だが、森妖精エルフなどは幻想の存在でしか無い。

 本来はゲームデータだ。だからこそ●●まで設計されているとは到底思えない。

 確認したい気持ちが湧いて来るがマーレのキャラクターとしての尊厳が失われてしまう気がする。

 ゲームキャラに尊厳云々うんぬん言うのは滑稽かもしれないけれど。

 声変わりとかするのか、という事も脳裏を過ぎる。というか粘体スライムの何処に脳があるのか。

 騎士ナイト職を持つぶくぶく茶釜は一応、全身鎧フルプレートなどを装備できるが、見た目がエロそう、という気がしないでもない。

 まだ数日しか経っていないが人間的な感情とアバターとしての設定がせめぎあっている節を感じていた。

 感覚的には人間と変わらない。

 第十階層に安置されていた巨大モンスターにも動じない心臓。

 異常事態に対して自分を含めて多くのメンバーは冷静を装っていた。だが、内実はそれぞれ驚いていたのかもしれない。

 まさかとは想定していないから。

 もちろん予想はしていたぶくぶく茶釜とてまでは想定していなかった。

 驚きは一瞬。

 その後は納得している自分が居た。

 世界に最適化された、とぷにっと萌えや死獣天朱雀達は言っていたようだけれど。

「ぶ、ぶくぶく茶釜様っ」

 と、頼りない足取りで駆け寄ってくる小さな身体のマーレ。

 見た目がかなり違うのに全く動じないNPC。

 マーレの後ろから腐った死体同然の騎士『死の騎士デス・ナイト』達もついてきた。

 ゲーム世界では平気だったアンデッドモンスターだが、今は何だが静か過ぎて不気味だ。

 BGMが無いせいもあるかもしれない。

 無音の雰囲気は少し苦手だ。

 ゲームではなくリアルであるという事実を感じてしまうので。

「ただの散歩よ、マーレ。このあたりをウロウロするだけ」

「分かりました」

「……表情豊かに動くようになったわね」

 無味乾燥なNPCはどこへやら。

 扱える能力はゲーム時代のままのようだが成長するのか。

 基本的にNPCは成長しない。いや、レベルアップとか経験値を積めない、が正確だったか。

 レベル100だし、当たり前かもしれないけれど。

「ちょっとその杖で私を叩いてごらん」

「ええっ!? そ、そんなこと出来ませんよ! い、いくら、ご命令とはいえ……」

 命令に抵抗するNPC。普通ならばありえない。

 レベルが100だからダメージはおそらく受ける筈だ。

 粘体スライムとて無敵ではない。

「一撃死はしないと思うし、ちゃんとダメージを受けるか知っておかないと……。ささ、軽くでいいから」

 一撃で死ぬようだったらそれはそれで怖いけれど。

 挑戦は必要だ。

 なにせ、自分は騎士だ。相手の攻撃を受ける役回りを今まで演じてきたのだから。

「命令。やらないと下着を脱がすわよ」

「ひえっ! ご、ご命令なら……、でも、いいんですか?」

「いいって言ってんだろ。ちゃっちゃっとやる!」

「は、はい! でで、では、失礼します。ぶくぶく茶釜様……」

 マーレが肌身離さず持っている黒檀こくたんに似た黒い木の杖は『シャドウ・オブ・ユグドラシル』という神器級ゴッズアイテムだ。

 それを武器として奮うのは本来は敵だけ。それを自分の創造主に向けて奮うのは混乱の極みであった。

 だが、命令は絶対。

 様々な葛藤かっとうの後、マーレはぶくぶく茶釜に一撃を入れる。

「えいっ!」

 ぶにゅ、という音がした。

 頭頂部と思われる部分が凹んだ程度。

「おいおい、手加減したら分からないだろ。もっと腰を入れなさい」

 先ほど『軽くでいいから』と言った事など綺麗さっぱり忘却している卑猥な粘体スライム

「は、はい!」

 という返事の後、その気弱そうな顔からは想像できない事が起きる。

 勢いを付ける為に一歩だけ下がったマーレの足というか靴が地面を抉るように沈み込む。そして、大上段から振りかぶられる黒い杖は風を切る音を響かせて迫ってきた。

「たあっ!」

 掛け値なしの本気の一撃。


 びちゃっ。


 音としては間抜けではあるけれど、その後にドゴン、という地面に激突する音が響く。

 辺りに土と共に飛び散る赤い粘液。

 元々が何であったのか分からない。普通ならば原形を留めていない、と比喩するところだが相手は粘体スライム

 原型は最初から無いに等しい。

 ペロロンチーノ達が目撃していれば股間を押さえる事態になっているところだ。

 ●●を杖で叩き潰すのだから。

「あ、ああっ! ぶくぶく茶釜様っ! ご、ご無事ですか!?」

 現状を見て無事だと確信する人間はほぼ皆無だ。

 だが、相手は人間ではなく粘体スライムだ。

「……おお、意識が飛んだような……。すげー痛い……」

 アバターなのに痛覚があった。

 確かに粘体スライムは核となる部分があり、基本的にダメージを受ける異形種だ。

 ゲームであれば不思議な事は無いが、身体に感じる痛みはゲームの設定では擬似的なものでショック死するほどにはならない。

 今は自分の身体は粘体スライムなので、想定していたより大きく痛みを感じた、気がした。

 感じた、というより敏感になった、が正確かもしれない。

 脳震盪のうしんとう寸前、とまではいかないけれど、と。それが彼女の感想だった。

 飛び散った身体はゆっくりと一つにまとまり、元の大きさに戻る。

「ポイントで言えば50を超える程度かしら」

 ユグドラシルのダメージポイントは元々のステータス基準で言えばインフレを起こすほどではないので数字は小さいものだ。

 大技で100ポイント行けば凄いというレベル。

 即死攻撃というものがあるので数字はあくまで目安に過ぎない。

 それでも50という数字はプレイヤーからすれば大きい方だ。もちろん、ぶくぶく茶釜のステータスによる補正があってだが。

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