第127話・卒展

 あのアホで悪童で関西人のマッタニが、こんなにもソフィスティケイトされた作品をつくるとは、本当に信じられない思いだ。見上げるそれは、まるでマストだ。風をふところ一杯にはらんで、高くはためくヨットの帆のようなのだ。無駄な装飾は一切排されている。シンプルにして、軽やか。順風を満帆に受け、極限までヤスられた薄い石の緊張感は、強さと同時に、危うさも内包している。よくぞここまで、と感嘆するしかない仕事っぷりだ。なるほど、この質を実現するためには、石ノミどころか、砥石も使えなかったわけだ。紙ヤスリが必要な意味をようやく理解した。

 ぺらぺらの大理石は、脆そうに見えながらも、全体が均一厚に仕上がっていて、ベルトにかかる自らの過重にも耐えきった。ついに立ち上がったそれは、均整が取れていて力強い。そこに、スポットライトの灯りが落とされる。薄闇に真っ白な姿が、ぽっ、と浮かび上がると、静かな静かな世界が完成した。作品が空間と完璧に調和したのだ。

「光が通り抜けてる・・・」

 誰かがつぶやいた。そ、そやねん、とマッタニはしたり顔だが、本人も予想だにしていなかったにちがいない。本当に、石自体が光を放っている。透き通った石目の綾は手の平の血管を思わせ、冷たいはずの大理石に、まるで血液が走り、体温を宿したかのように見える。裏側から当てられてた光と作品との間をひとが横切ると、石の表側にまで影が透過してくる。これほど巨大なのに、これほど儚く、またこれほど力強いなんて。

「はあ・・・」

 そこにいた全員が、声を失った。信じられないものを見せられている。漏れるのはため息ばかりだ。作者の、ここに至るまでのがんばりとか、石彫場でともに過ごした思い出とか、人間性とか・・・考えたくなりがちなそんな作品周辺の事情を全部取っ払って、ただただ混じりっけのない、美に対する感動だけが濾し取られる。ここまで純粋な美しさを感じ得たのは、人生で何度とない。それほどまでに、深く動かされた。年度明けには寿司屋を継ぐことになるマッタニもまた、細い目でぼんやりとその場に立ち尽くしている。満悦の薄笑いを浮かべかけた口のへりが、時間を忘れて永遠に固まっている。ああ、泣きそうだ。ひとは感動すると、熱く興奮するか、そうでなければ呆然と脱力するか、なのだと知る。いつまでもいつまでも、ぼんやりとみんなで見つめつづける。目の前に立ち上がった奇蹟を。

 翌日に卒展が開幕した。なかなかの盛況だ。来場した誰もが、エントランスを入ってすぐのところにふんぞり返る、オレの巨大石彫作品を見上げてから入場する。なかなかいい気分だ。しかし、主役はなんといってもマッタニの作品だ。ギャラリーとしての第一室であるエントランスホールから、ふと第二室のサイドギャラリーに目をやると、暗闇にほのかに灯るキャンドルのような作品が誘惑してくる。近寄ると、それは見上げるような大理石彫刻だ。誰もが驚いている。石全体が、淡い光を放っているのだ。いや、内側に光を抱え込んでいる、とでも言おうか。その薄明かりに誰もが魅入らされ、サイドギャラリーに飲み込まれていく。マッタニはすでに、しめしめうっしっし、の顔を取り戻している。

「見てみい。わいのが主役や」

 美を実現するための粘り強い仕事っぷりと、現実世界に戻ったときのそろばん勘定が、この男の二面性だ。寿司屋はちょうど性に合っているかもしれない。この男は、ひとを幸せにしようという気持ちが誰にも負けないのだ。春からの寿司修行でもがんばってほしいものだ。

 さて、卒制で、卒展ときたら、いよいよ卒業なのだ。が、オレはこれまで、まったく就職活動をしてこなかった。時代は、バブルの波が押し寄せ、狂乱のまっただ中らしい。周囲の学生たちは、いきたい企業に就職し、未来を自分の好きなように描いている。ところがこのオレときたら、これから先、なにをしていいものかまったくわからないでいる。ひとつの企業にも足を運ばなかったし、就職関連の人物と話し合うこともなかった。学生課のセクションに問い合わせることもなかったし、情報リストをひも解くということもなかった。将来の道について悩む、ということもない。ただただ、ぼんやりしていて、うっかりしていて、しかし自分は天才だと信じきっていて、つまり、明日のことはなんとでもなると思っている。

 そして、これが本当になんとかなるものなのだ。ある日、一本の電話がかかってきた。

「杉山さ、先生やらへん?」

 それは、わが地元である岐阜の高校で教員として働く、石彫科の先輩からのものだった。

「いや実はね、俺、今度、県の方の教員試験に受かったんで、今やってる私立校の後釜を探してるんだ。おまえ、教員免許持ってるだろ?」

「ええ・・・まあ一応、教育実習にはいきました」

「だったら、やってよ」

「ああ、はい。じゃあ」

 というわけで、一夜にしてオレは、高校教師になると決まってしまったのだった。わーい、ラッキー。

 ところが、これが奇妙な事件に発展していく。

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