第52話・道草

 コムツカシイ話になってしまったが、まあ若僧なりに、そんな高尚なことを考えながら日々を送っている。まだまだたいしたものがつくれるはずもないが、ゲージツを志す、という気概だけはいっぱしに持っている。なにしろ、上級生になるにしたがって、いよいよ授業のコマ数における美術の割合は増していく。芸術系大学の受験では、学科と実技の重要度の比率が1対10などと言われる。漢字の書き取りや分数の計算を捨ててでも、デッサン力と芸術観を身につけなければならないのだ。早朝から自主的に石膏像のデッサン、授業では美術概論、専攻科目では制作の技術を磨き、デッサンの授業に、放課後も自主デッサン、さらに日が暮れてから、美大の予備校ともいうべき「美術研究所」に向かう者までいる。本当に朝から晩までゲージツ漬けの毎日となっていく。

 そんな疲れ果てた心とからだを癒してくれるのが、学校のすぐ向かいにある駄菓子屋「すゞや」だ。午前中に早弁をかき込み、昼飯どきに購買のパンをむさぼり、デッサン中に「消しゴム用」の食パンをほおばっても、放課後には、育ち盛りのワカモノの胃は完全なエンプティになっている。そんな身に、すゞやのせまい店内から漏れるほの明かりは、しみじみとやさしい。生徒たちはそれぞれに、チロルチョコや、あずきバーや、チェリオや、マミーに手を伸ばす。カップ麵を買うと、おばちゃんが巨大なヤカンから熱々のお湯をそそいでくれる。そいつをみんなで回し食いしたりもする。割り箸の同じ側を使って男子と女子が交互に食べっこしたりすると、昭和時代におなじみの「間接キス」的ひやかしがはじまったりして、痛くも楽しい時間となる。

 あまりにも腹が減りすぎた日の下校時には、「さつき」というお好み焼き屋に駆け込む。「イカ入りお好み焼き」が210円という、衝撃の安さだ。しかもこれは、田舎者のオレにとっては、はじめてのB級グルメともいうべきもので、その濃厚、芳醇なうまさたるや、筆舌に尽くしがたいものがある。

 新岐阜百貨店の屋上にあるゲームコーナーにも通うようになった。50円硬貨がいっこあれば、「ディグダグ」や「クレイジー・クライマー」などというテーブルゲームで遊べる。ゲーセンを不良のたまり場と軽蔑し、近寄ろうともしなかったオレだが、はじめて自分の手で画面上のキャラクターを操る感覚には、雷撃のようなカルチャーショックを受けた。時代がここまで進んでいたとは、まったくの不覚だった。面白い!面白すぎる!ところが、眼下の電子的な動きに、わが原始的な脳みそはなかなか追いついてくれない。ものの数分でポケットを空にしてしまい、その後には、岸やイトコンのあざやかな手さばきに見とれるばかりだ。これまでの幼い人生を、田んぼに囲まれたのどかな風景の中で過ごしてきたオレは、場慣れた振る舞いをする同級生たちに誘われるままに、社会におけるいろいろな作法を学ばされる。はやくやつらのステージにまでのぼり詰めたいものだ。

 遊び場といえば、学校から駅へと向かうまでの道のりに、最大級の魅惑的なポイントが存在する。数ブロックもの幅と厚みでひろびろと展開する、東洋一のトルコ(現ソープランド)街「金津園」だ。この大人の遊び場では、警戒が必要だ。薄暮が迫る頃にこの一角は、まるでまじないのようなめくるめく輝きを放ちだす。街をまるまるひとつ分をも支配する広大な光の王国は、ちょうどわがチャリの通過時に合わせるかのように、えげつない熱を帯びはじめるのだ。従業員(?)の送迎用に使われているベンツが次々と店に横付けされ、きらびやかな姐さんたちが降り立つ。「ぼーや、寄っていきなさい」「いーことを教えてあげるわ」「学割もきくわよ」・・・美しき彼女たちは、しなをつくって誘惑してくる。そんな危険地帯を突っ切りつつ、高校生たちは、世間の仕組みを観察する作業も忘れない。

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