月に鳴いてみろ

 作蔵は捜していた。

 伊和奈を、伊和奈が何処にいるのかと駆けていた。

 途中で奇妙な出来事と遭遇するが、半ばほったらかしにした。


 今夜の月は、月の光は見るに浴びるに至って奇しく、妙な何かをもたらす事ばかりだと作蔵は思うのであった。


 これ以上はあってはならぬ。

 災いになる質や元を発見、或いは発生したとしても何としてでも食い止めなければならない。


 伊和奈がいなければ、事はおさまらない。

 どんなときでも、伊和奈がいたから事はおさまっていた。


 誰にも頼らず、伊和奈を見つける。

 作蔵の、硬い誓いだったーー。



 ***



 作蔵は、流れる大河の岸にいた。

 緩やかな流れをする大河の揺れる水面に月の光が照らされていた。


 ーー河を渡るには、舟に乗るしかないよ。


 低く、無気味な声色が聞こえた。


雲英きら、おまえが漕ぐ舟は誰でも乗れないのだろう。俺にそんなことを勧めるのは些かな何かを示していると、いうところだな」


 ーー作蔵、おまえさんは身体が特別だ。あっしにはおまえさんを拒めない。重ねて言うが、河を渡るには舟に乗るしかないよ。


「素直に『乗る』と、受け入れる」


 ーー助かったよ。あっしは舟を漕ぐが好きだ、おまえさんが最後の客でよかった。


「そうか」

 作蔵は寂しそうに口を突くと、桟橋の側で浮かぶ舟に乗った。


 ーーそっと、乗ってくれ。


 頭に竹笠を被せて紺色の法被を羽織り、足に履くのは白の足袋に藁草履。雲英きらと呼ばれた船頭は船尾で作蔵が渡し舟に乗ったのを確認すると桟橋の支柱と舟を繋ぐ縄を解し、舟を漕ぐ為の櫓べらを動かす櫓つぐを左手で握り締めた。


 ーー作蔵、ラジカセのスイッチを押してくれ。


 作蔵は思わず下顎を突き出した。

 雲英が指を差す方向へと目で追ってみると、カセットテープの音声を別のカセットテープに録音が出来る機能付きのラジオとカセットがセットの機具が舟底の上に置いてあった。


 ダブルラジカセ。


 今流行りの電化製品を雲英が持っていた。

 複雑なおもいをする作蔵であったが、今はそんな野暮な情況ではない。

 雲英の言う通り、作蔵はダブルラジカセの再生ボタンを押した。


 ~~はぁ~っ、きょうのおにぎりはなんてしょっぱいのだぁ~~っ。はらがうなっているからたべるしかないがぁ~、のどがかわいてたまらない。

『おやかた、これをのむのだ』

 でしがくれたずいぶんは、とてつもなくあまかった。あ・ま・かっあぁ~たぁ~~ーー。


 ぎっちら、ぎっちら。


 下手くそな歌声か、舟が波で揺れるためなのか。

 作蔵は、船酔いしたーー。


 ***


 舟が対岸の桟橋に着くと、作蔵は降りた。


 ーー作蔵、怖じ気づいてるのか。


 河原で四つん這いになって背中を丸めている作蔵は、顔を青くさせて雲英を睨んでいた。


「ちゃう、おまえとの船乗りが惜しいからだ」

 当然、出鱈目だった。

“船酔いした”と正直に言えばいいだろうに、作蔵は妙な威厳を誇示した。


 ーー嬉しいね、作蔵が最後の客でよかった。心配するな、おまえさんが事を成し遂げるまではあっしは此処でおまえさんを待っている。それまではあっしは消えはしない、行くべきところにも行きはしない。


「ああ」


 作蔵は立ち上り雲英の顔を見ながら頷くと、煙のような灰色の霧を見据え、何処から聴こえる奇声に耳を澄ませた。


「作蔵。命を散らすなよ」


 雲英は人の声をさせて、遠退いていく作蔵の後ろ姿に呟いたーー。



 ***



 景色は、灰。

 見える状、場、情。全てが燻って映っていた。


【朧街道】


 河原の土手を登りきって路が見える、作蔵がいる場所は関所だった。

 事を逐う為には、此処を通り抜けなければならない。

 作蔵の性分を代弁すれば“面倒臭い”の一言を突く。


 前置きが長くなってしまった。


 作蔵が今措かれている情況に戻ろう。

 作蔵は関所でまごついていた。

 番人が、作蔵の通行を阻止していた為にだった。


「おまえ、将来禿げるぞ」

 関所の門に吊るされている、路と周囲を照らす赤い提灯。

 作蔵は、赤い灯りで姿がはっきりとしている番人を睨んでいた。


「僕を動揺させたつもりだったでしょうが、無理なものは無理です」

「鼻の穴が拡がっている。おもいっきり動揺しているぞ」


 番人は顔を真っ赤に染めて、鼻を右手で覆った。

「どうしても行くと言うのであれば、僕と戦うをしてください」

「足腰をがったがたに震えさせているおまえとは勝負にならない」


「嫌です」

 番人は、護身用として右手で握り締めている木の棒の先端を、作蔵へと向けた。


 作蔵は目蓋を綴じて「ふう」と、息を大きく吐く。


「どうされたのですか、早くかかってきてください」

 番人は、棒の先を作蔵の一歩前で突いて見せた。


「ならば、しっかりと歯を食い縛っとけ」

 作蔵は両足を左右へと幅をさせた。そして膝を曲げて腰を落とし、左腕を脇に締めて右腕を真っ直ぐと前へと伸ばした。


 川岸から風が強く吹き、吊るされている提灯が煽られ中の蝋燭の火が燃え盛る。火袋は炎に包まれ火の粉となった燃えかすが、まだ止まない風に吹き飛ばされた。


 番人は目を瞑る。火の粉が目に入って、痛さのあまりに涙まで溢した。堪らず、右手の甲で目を擦ろうとしていた。


「この、馬鹿」

 作蔵が絶叫して番人に駆け寄り、右手を掴む。


「残念です。作蔵さんと戦うつもりだったのに、こんな結果で終わってしまった」


「最初に言っただろう。どっちみち、勝負にならない。だから、風の使いが止めに入った」

 作蔵は番人を河の土手に座らせて、河の水でまんべんなく浸した手拭いを差し出した。


「僕は、あなたを行かせたくない。それは本当です」

「それでもやらなければならない事がある、俺でないと成し遂げられない、おまえでもわかっている筈だ」


「これ、お返しします」と、番人は作蔵に手拭いを見せた。


「おまえが、持っとけ。俺が帰ってきたときの目印になるからな」

「僕が此処で踏ん張って待つをしなければならないを、意味しているのでしょうか」


「答がわかっているなら、訊く必要はないだろう」

 作蔵は、番人の鼻の頭を右の人さし指で弾く。

 そして関所の門へと真っ直ぐ歩き、潜り抜けて行った。


「必ず、帰ってきてください」


 番人は、作蔵の姿が見えなくなるまで手を振っていたーー。



 ***


 作蔵は路に下駄を鳴らして、ひたすら歩いていた。辺り一面は遠くが見えないほど、濃い灰色の霧が覆っていた。


 ーーおやおや、疲れているならば立ち寄って人や染みをされてはどうかね。


 茶店の側を通ると、招く声がした。

 呼ぶはわかるが、違和感があった。


「おい、おっさん。あんた何て言った」

 作蔵は立ち止まり、ぼやけて浮かんでいる紫色の貌に訊いた。


 ーー『人や染み』だよ。


「見ての通り“人”は、間に合っている。その上に俺に“染”を勧めるとは、ふてぶてしいぞ」

 作蔵の機嫌は悪かった。


 ーーおやおや、ずいぶんと不愉快な様子だね。だけどね、此処では『休み』何て無いのだよ。変わることを望む、望んでやって来る。だから“染”が、もてなす為にあるのだよ。


「笑って言うことなのかよ」

 作蔵は紫色の貌を睨み付けた。


 ーー此処を過ぎたら、今の自分でいるには相当な根気がいる。迷うはしないと、自信満々で行ったが変わり果ててしまった。そんな象を幾つも見た。


 紫色の貌は、作蔵に店の中に入ることを促した。


「見たくもないし、油を売る場合でもない」

 作蔵は、きっぱりと言い返した。


 ーーうひょひょ、そんな恐い顔をするのではないよ。いいかい、くれぐれも“月溜り”に見とれるはするなよ。まあ、あんたの性分からすれば大丈夫とは思うが一応、気にとめとくのだよ。


「親切な『忠告』は、貰っとく」

 作蔵は鼻息を吹いた。


 ーー足止めさせて悪かったよ。早く行って助けてあげなさい、あんたが道を拓いてやりなさい。帰りに此処に寄ることが出来たならば、熱々並並の緑茶とよもぎ団子をご馳走してあげる。


「10人前を二人分で頼むな」

 作蔵は笑みを湛え、再び灰色の霧の中で下駄を鳴らして行ったーー。





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