作蔵は、じっとした。


 秋名井あきない紅葉もみじが“依頼”の理由に口を開くことを待っていた。そして、顔をしっかりと見つめていた。


“能弁婆”と、いう渾名あだなで呼ばれているわりには、年齢不相応な顔立ちが気になった。


【霜月家】に時の捻れと歪みがある。と、敷地内に踏み込んだ瞬間に承知はしていた。

 実際に屋敷へと案内したのは秋名井紅葉。

 おもてなしをうけている最中でも、屋敷内で生きるものを見ることはなく、動く気配さえ感じられなかった。


 だから、作蔵は待っていた。

“生きる証し”から近付く瞬間を捉えると、じっとした。


 臆測は、確信に変わる。を、作蔵は待っていたーー。



 ***



「『蓋閉め』さん、わたしがあなたのことを“お名前”で呼ぶことにお許しをお願いします」


 身構えてた作蔵は、秋名井紅葉の嘆願にがっかりしたのか、顎を突き出して口を大きく開いて右肩を下げ、同時に膝に乗せる右の掌を座る座布団と畳の淵の間に押し付けた。


「大袈裟ですよ、相手を受け入れる為に名前を呼ぶ。ただし、失礼な呼び方は相手に受け入れられない。意思の疎通をはかる基本は名前を呼んで、呼ばれる。挨拶を交わすも、ですよ。それからーー」


 ーー斯々然々かくかくしかじか……。


「『紅葉』さん。承知致しましたので、先ずは“ご依頼”の経緯となった理由をお願いします」

 秋名井紅葉の特技である“能弁”を、作蔵は『名前』を呼んで止めた。


「では……。さっそくーー」

 秋名井紅葉は、咳払いをして【霜月家】に纏わることを始めにして(やっぱり能弁で)作蔵に語ったーー。



 ***



【霜月家】のご当主と奥方は、仲睦まじい間柄で、子宝に恵まれないを除けば本当に夫婦円満。幸せで溢れているおふたりを、隣保は羨ましいと囁きあったものでございます。


 季節が何度も巡ったある日でした。

【霜月家】に待望のお子さまである、お嬢様がご誕生されました。

 愛くるしくて、堪らない。と、ご両親は大切にされました。


 お嬢様はすくすくのびのびと、成長されました。勿論、ご両親のあたたかい愛情に包まれてです。


 でも、それは突然訪れました。


 お嬢様が、目を開けない。

 身体はあたたかいのに、動かない。


 名医を何人も呼ばれましたが、お嬢様のご容体にさじを投げる。に、ご両親の身も心も限界状態だった筈です。


 ところがーー。



 ***



「ふう」と、作蔵は溜息を吐いた。


「作蔵さん、どうしましたか」

 秋名井紅葉は、作蔵の息の使い方に気付き、堪らず訊いた。


「紅葉さん、依頼となった理由を話したつもりだが突拍子とっぴょうしなさ過ぎだ。俺には理解ができない」


 秋名井紅葉が見る作蔵の顔は真っ青で、息は吸っては吐いてを繰り返していた。


「何かを感じとった、そんな様子に見えますよ」


 癇に障る言い方をする。と、作蔵は歯痒かったが、呼吸をととのえた。


「口が過ぎてしまいましたわ。わたしの癖は、本当にまわりを不愉快にしてしまう。ごめんなさい、作蔵さん」


 作蔵は秋名井紅葉が割烹着の裾で涙を拭う仕草を見た、突く言葉にも耳を澄ませた。


「俺。いや、私こそ失礼致しました。私は仕事中であるにも関わらず、感情を剥き出しにしてしまった」

 作蔵は、秋名井紅葉に深々と頭を下げた。


「作蔵さん、少しばかり息抜きをしましょう。あなたは今いる座敷から1度も出ていない、場所を変えるはいかがですか」


 秋名井紅葉は作蔵に負荷をかけたと、いう責任感で頭の中をいっぱいにした。出任せではない誠意を表す意味で作蔵に声をかけた。


「お気遣いありがとうございます。場所は引き続き此処で大丈夫ですが、お手洗いに行きたい」


「あらあら、わたしとしたことが肝心なことに気付いていませんでした」

 秋名井紅葉は顔を赤くした。



 ***


 方角からすると北の位置だろう。薄暗い廊下をまっすぐに歩いて着いた〔厠〕の扉を、作蔵は手前に開いた。

 古風な内装の部屋は、芳香の爽やかな薫りが充満しており、壁ばかりでなく窓際にまで緑を彷彿する小物が掲げられ置かれていた。


 作蔵は“用事”を済ませて洗面台の蛇口をひねり手を洗い、左側の壁に吊るされている手拭いで濡れた手を拭った。


 今のところ《屋敷内》に変わったところはない。しかし、秋名井紅葉以外の“活きる”がいっこうに見えない、聴こえない。


 想像以上に蝕まれている何かがある。証拠は、秋名井紅葉の【霜月家】に纏わる語りに作蔵が“許否反応”を示してしまった。


 恐怖。


 作蔵が、これまでこなした『仕事』で気にしなかった感情だった。


 ーー無駄に頑丈。それが、取り柄でしょう。


 突如思い出された伊和奈の口癖は、夜空に打ち上げられる花火が咲き誇った、炸裂したような感覚だった。


 ーー作蔵、作蔵、作蔵、作蔵……。


 頭の中で繰り返される伊和奈の声。

 まるで、伊和奈が傍にいる気がした。


 さて、戻ろう。と、作蔵は座敷へと向かうために廊下へと一歩前に踏み込んだ。


 ーー通せんぼ。おじさま、ここから先は行ったら駄目です。


 二歩目のところで作蔵は声を聴いた。


「悪いけど『お兄さん』は、お家の誰かと大切なお話の最中なんだ。学校に通っているならば宿題、予習、復習。と、いった勉強をしなさい」


 聴こえた声は、少女だろう。

 姿はわからないが、作蔵は立ち止まって“声の主”に呼び掛けた。


 ーーおじさま、駄目といったら駄目です。


 作蔵は、少女の言い方に少しばかり怒りを膨らませた。

 すると、真夏の陽射しに照らされたように暑くて堪らない、汗が滴るほど全身を火照らせた。


「『お兄さん』は、こう見えても“仕事中”なんだよ。冷やかすをしないで、おりこうさんにしなさい」


 ーーわたしはずっと、おりこうさんだったです。お母様がいなくなった時も、お父様がどこかにいったきりかえってこなくなった時でも、おうちから出なかったです。


 今度は寒気がする。いや、まるで猛吹雪のなかにいる。汗で濡れた身に着ける上下の衣類さえ、凍りつくのがはっきりとしていた。


 強い眠気、重石を背負うような感覚。足元は粘着材を踏みつけた感触に似て、一歩も動くことが出来ない。


 ーー作蔵……。


 作蔵が朦朧とする意識でおもうことは伊和奈。

 伊和奈の姿と声が何度も繰り返していた。こうしている間でも伊和奈はきっと、絶対に、必ず……。


 作蔵は「すまない、伊和奈」と、声を振り絞って目蓋を綴じる、筈だった。


 ーー瑠璃るり様、悪戯いたずらにも程があります。もう、限界です。いえ、あなたへのしつけを今まで甘くしていた責任は、秋名井あきない紅葉もみじ。すなわち、わたし自身にあります。直ちに作蔵さんを解放しなさい、あなたはすべてを受け入れて罰を、罰をわたしと受けなさい。


 作蔵がやっとのおもいで視たのは、いきりたった、荒々しい顔つきや態度の秋名井紅葉だった。


 姿が伊和奈と被る。


 ああ、こんなときにも伊和奈がちらつく。

 待っていろ、ちゃんとおまえの傍に戻るから待っててくれ。俺の、俺のーー。


 作蔵は、やさしくあたたかい春の陽気に包まれたような感触とともに、目蓋を綴じたーー。



「作蔵さん、ごめんなさい。あなたを【霜月家】に捲き込ませてごめんなさい」


 作蔵は、秋名井紅葉の腕のなかにいた。秋名井紅葉は、寝に落ちた作蔵の身体を腕で支えて手繰り寄せ、作蔵の髪を何度も手櫛した。


 ーーあきない、飽きない、秋なんて来なくていい。春を這って、夏に捺。冬は負が勇。嗚呼、喜がない。呆れて、愛生あきがない。


 くすくす、ふふふ、うふふ……。


 少女の嘲笑あざわらいが、暗くて冷たい廊下で木霊こだましていたーー。

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