外伝第3話 とある旧庁舎にて

 翌日、ダイス2番街に建つ、ウォレスとバジーリの厳重な警備態勢が敷かれた、ケーレス自治領旧庁舎。その会議室にて、キリアンだけを連れたシンシアが、バジーリ・ファミリーのドンや幹部たちとの会談を行っていた。

 ガラスの天井から見える空は厚い雲に覆われ、最低限の松明と魔鉱石によってのみ照らされた会議室には、円卓を囲むバジーリ一派の笑顔が浮かぶ。対してシンシアは、帽子で顔を隠し、表情を見せようとしない。代わりにキリアンが、バジーリとの会議を進める。


「――そのシマを我々ウォレスに譲る、ということでよろしいのですね?」

「ああ、それで良い。俺たちバジーリ一派が、ウォレス・ファミリーに忠誠を誓ったことの証だ」


 ウォレスとの友好を願い、忠誠を誓うための、バジーリ一派が浮かべる笑顔。これがシンシア暗殺を企む者たちの笑顔だというのだから、薄気味悪い。


「もうひとつ、忠誠の証として、贈り物がある」


 ドン・バジーリがそう言うと、細長い箱を持つ、どことなく緊張した面持ちの男が、シンシアのすぐ側までやってきた。男は「我々バジーリからの贈り物です」と言って箱を開く。箱の中にあったのは、金に装飾された柄が美しい、鋭く輝いたナイフ。

 バジーリからの贈り物を前にして、それでもシンシアは帽子で顔を隠し、尻尾を少しも動かさない。隣にいるキリアンは、贈り物などに興味はなく、贈り物を運んできた男の殺意を見逃さなかった。


「俺はウォレスに忠誠を誓うつもりはない! ドン・ウォレス! ここで死ね!」


 贈り物を運んできた男は、そう叫んでからナイフを手に取る。そして、鋭いナイフの刃は、シンシアの心臓の動きを止めようと、勢い良く振り下ろされた。これこそが、バジーリ一派からシンシアへの贈り物・・・なのである。

 ケーレス領主でありケーレス最強のマフィアのボスが、死を目前にしている。この状況に、ドン・バジーリは喜びを隠しきれず、ついニタリとした笑みを浮かべてしまった。その笑みに、ウォレスとの友好を願う気持ちは微塵もない。


 ところが、次の瞬間には、ドン・バジーリの笑みは消えてしまった。というのも、シンシアを殺そうとしたナイフはシンシアに奪われ、贈り物を運んだ男は、そのナイフに心臓を突き刺されていたのだ。男は口から血を吐き、絶命する。

 男を刺し殺したシンシア――いや、彼女はシンシアではない。青い帽子は床に落ち、帽子の下から現れたのは、栗毛色の癖っ毛に、無愛想で、しかし力強い表情をした女性。ヤクモだ。


「お、お前は誰だ! シンシアではないのか!?」


 ドン・バジーリは、ヤクモのことを知らない。彼はただただ、シンシアだと思っていた女性がシンシアでなかったことに驚き、また、暗殺が失敗したことに狼狽しているだけである。


「ねぇ、もうバレたんだから、この尻尾外して良い?」


 偽の尻尾を掴み、キリアンにそう聞いたヤクモ。キリアンが頷くと、ヤクモは偽の尻尾を引き抜く。


「勇者様、シンシア様からの伝言を」

「……あれ、そのまま言わなきゃダメ?」

「はい」


 キリアンに言われ、ヤクモは仕方なく口を開く。だが、照れを隠すため、彼女の言葉は棒読みだ。


「……シンシアちゃんからの伝言。『あんなチンケなゴブリンを幹部にするバジーリ一派が、シンシアを暗殺しようなんて100億年早いニャ! 地獄で後悔するニャ!』だって」

「計画がバレた……!? クソ! てめえら、こうなったら自棄だ! そこにいる2人を殺して、ウォレスに宣戦布告するぞ!」


 計画の完全な失敗に唇を噛むバジーリ一派。窮地に立たされた彼らは立ち上がり、せめてキリアンとヤクモを殺そうと、数人の幹部と護衛、合わせて十数人が2人に襲いかかる。


 その時だ。会議室は小刻みに揺れ出し、ガラスの天井の上に、1機の飛行魔機が現れた。飛行魔機はハッチを開け、そこから巨大なが落ちてくる。岩はガラスの天井を豪快に突き破り、個性豊かなガラスの破片と共に、会議室の床に着地した。

 岩に続き、飛行魔機からロープが垂れ、黒い制服を着たアイギスの警護隊も、会議室に続々とやってくる。


 飛行魔機の正体はスタリオンであり、岩の正体はダートだ。彼の肩にはムーニャが乗っており、彼女はすでに剣を手に取っている。ダートとムーニャ、そしてアイギスの警護隊4名に囲まれ、焦りと恐怖から腰を抜かさないようにするのがやっとのバジーリ一派。

 

「な、なんだ! 今度はなんだってんだ!」

「お前ら、シンシアさん、殺そうと、した。許さない」

「シンシア様に楯突くとかぁ~、まぢウケるんですけどぉ~。キリアンさん、やっちゃって良いよね?」

「ああ。敵は倒す。それがウォレス・ファミリーのやり方だ」


 キリアンの許可が下りると、ムーニャは早速、ドン・バジーリに向かってジャンプをした。だがムーニャの剣は、ドン・バジーリを守るため盾となった、バジーリ一派の護衛の喉元を掻き切っただけ。護衛の喉から吹き出す鮮血は、ドン・バジーリの顔を汚す。


 ムーニャに続き、今度はダートが敵に突っ込んだ。ダートは武器も魔法も使わず、バジーリ一派の幹部を、体重のみで踏み潰す。踏み潰した瞬間、肉が潰れ骨が砕ける音が会議室に響き、ダートが足を上げると、そこには原型を留めぬ幹部の肉片が転がっていた。

 この調子で、ダートは1人1人、丁寧に幹部を踏み潰していった。彼が動くたび肉と骨が潰れ、彼が通った後には、先ほどまで生物の形をしていた肉片だけが残る。


 バジーリの幹部が踏み潰される間、アイギスは敵の護衛を切り裂き、ドン・バジーリへの道を開いた。ムーニャはゆっくりと、あたり一面が血に染められた地べたに座り込む、ドン・バジーリに近づく。

 ドン・バジーリの目の前にまでやってきたムーニャは、ニタリと笑った。そして、彼女の持つ小さな剣は、ドン・バジーリの首に食い込み、大動脈や頚椎を胴体から切り離す。ムーニャの剣が振り切られた頃には、ドン・バジーリの首は床に転げていた。


「終わりましたね」


 勝利したにしては、無感情なキリアンの言葉。会議室で息をするのは、ウォレス・ファミリーの者たちとヤクモだけ。あとは全て、血に浮かぶ肉の塊だ。バジーリのドンは死に、幹部たちも肉片となり、シンシアはダイス城に健在。ウォレスの完全勝利である。


「シンシアちゃんが味方で良かった」


 血なまぐさい会議室を前にして、ヤクモの感想は、たったそれだけであった。


    *


 バジーリ一派を壊滅させて数時間。ヤクモはいつもの格好――軽鎧に陣羽織――に着替え、シンシアと共に、ある店にやってきていた。3番街に建つ、小さな武器屋。おっちゃんと肝っ玉母ちゃんの、あの武器屋だ。


「父ちゃん! 母ちゃん! ネコみたいなお姉ちゃんと怖い顔したおばさんが来た!」

「ネコのおねえちゃん! こわいおばさん!」


 お菓子を食べながら、店内で大騒ぎする男の子と女の子。2人がおっちゃんと肝っ玉母ちゃんの子供たちでなければ、ヤクモは今頃、「誰がおばさんだ!」と声を荒げていたことだろう。


「あれ? もしかしてこの昨日の娘かい!? そんな格好してるから分からなかったよ!」

「お嬢さん、結構な美人さんだったんだな」


 おっちゃんの言葉のおかげで、機嫌を良くするヤクモ。おっちゃんは続けて、疑問を口にした。


「で、隣のお嬢さんは……」

「はじめましてニャ。シンシア・フォレスですニャ」

「ウォ、ウォレス!?」


 目の前に、ケーレス領主でありケーレス最強のドーニャがいる。そのことに、おっちゃんと肝っ玉母ちゃんは体を震わせ、頭を下げた。シンシアは気にせず話を続ける。


「この武器屋でヤクモさんがゴブリンを逮捕したらしいニャ。おかげでシンシアは、天国に行かなくて済んだニャ。ありがとうニャ。これはお礼ニャよ」


 そう言って、頭を下げるシンシア。同時に、ヤクモが体の半分ほどもある大きな袋をおっちゃんに渡した。袋をのぞくおっちゃんと肝っ玉母ちゃんは、顔を黄金色に光らせ、驚く。


「こんなにたくさんのお金……良いんですか!?」

「シンシアの命よりは安いニャ。それでレストランでもやったらどうニャ?」

「あ、ありがとうございます!」


 満面の笑みを浮かべ、シンシアに何度も頭を下げるおっちゃんと肝っ玉母ちゃん。2人は金がもらえたことに感謝しているのではない。シンシアと、そしてヤクモの優しさに、感謝しているのである。


「ヤクモちゃんっていうのかい? あんたに会えて、本当に良かったよ」

「妻の言う通りだ。お嬢さんは、俺たちの勇者みたいな人だな」

「勇者のおばさん!」

「おばさん!」


 なんだか褒められているのか貶されているのか分からぬヤクモ。それでも、期せずして勇者として感謝されたこと、そして武器屋の家族が浮かべる幸せそうな表情に、いつもは無愛想なヤクモも、照れから顔を赤らめ、笑みがこぼれてしまう。

 ヤクモとシンシアが武器屋を後にしても、武器屋一家は何度も感謝の言葉を口にし、2人を見送ってくれた。


 武器屋をあとにしてしばらく。シンシアとも別れたヤクモは、魔王オーラ漂うダイス城には帰らず、ダイスの街をぶらぶらと歩く。そんな彼女に、杖を片手に右足を引きずる1人の老人が、千鳥足で近づき、酒臭い口を開いた。


「なあ嬢ちゃん。すっからかんの俺様に、金を貸してみないか? 投資だと思ってさ」


 明らかに怪しいジジイ・・・。ヤクモは完全に酔っ払いに絡まれてしまったのだ。だが、機嫌の良いヤクモの返答は、なんとも気前の良いものである。


「ああ、ちょっとだけなら貸してあげる」

「うおお! 嬢ちゃん太っ腹だなぁ! 面白い! これで俺様、新しい酒が買える!」


 そう言って大笑いし、街に消えたジジイ。武器屋での一件で気を良くしているヤクモが、金を盗まれたと同然であることに気づいたのは、それから数分後のことである。ただし、あの老人の正体が何者であるのかをヤクモが知るのを、さらに先であるのだが。

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