ロカニスタン島上陸

「一体どうなっちまうのかと思ったが、何事も無く着いちまうもんだな」

 目的のロカニスタン島が見えてきた事を船長が告げると、四人の冒険者が舳先の方へ集まって目を凝らしている。妙な感慨を抱いた船長は、彼らにそんな事を言ったのだ。

「普通でしょ? むしろ手の掛からない客だったんじゃない?」

「まあ、そうだがよ」


 その青髪の美貌がこの大型帆船アーオルエンに乗り込んできた時の、船員達の騒ぎようは只事ではなかったし、その後も仕事が手に付かない様子を見せていたのだが、同行者の黒髪黒瞳の青年に甘える様を見て、落胆しつつも自分の仕事には戻っていったので彼は安心した。最悪、怒鳴り付けて尻を叩かねばならないかと思っていたのだ。


「普通とは言えないな。あんたら、漁師も顔負けのメシの食い方しやがるし」


 アーオルエン号がホルウィンの港を出て沖合に出たと見るや、その美貌は嬉々として釣り竿を取り出し、海に向けて糸を垂らしたのである。船員達が呆然と見守る中、その辺りでよく見かける回遊魚をポツポツと釣り上げたかと思いきや、急に竿をしならせ実に三詩18分もの時間を戦い、100メック1.2m以上は有るゴジという回遊魚を釣り上げて見せたのである。

 それだけでも十分に珍事だったのだが、今度は黒瞳の青年がそのゴジを捌き始め、当たり前のように生で口にし始めたとなれば、さすがの船長もその異常事態に顎を落としたのだった。


「良いじゃない。生で食べても美味しいものなら生で食べるわよ? 漁師や船乗りの特権だとか言うんじゃないでしょうね?」

「そんな事は言わないって。だが、普通は内陸の人間はそんな事は絶対にしないだろうが?」

「あれは私達の日常なの。そこが海だろうが川だろうが魚が居れば釣って新鮮なまま食べるのよ」

 堂々と胸を張って言われれば返す言葉も無い。


 しかし、チャムにしてみればこれでも加減はしたのだ。甲板でお風呂リングを使わなかったのだから、奇異な目で見て欲しくない。彼らにしてみれば、そこがどこでもいつでも日常生活が出来る装備を持っているのである。

 もっとも停泊場所を模索し始めた頃に驟雨スコールが降ったので、装備を外して水浴びはさせてもらった。その時に張り付く服で身体の線が露わになり、船員達が落ち着かなげな様子で入れ代わり立ち代わり覗きにやってきた事くらいは見逃してやったのだ。


「案外でけえ島だな?」

 二日ぶりに拝んだ陸地にトゥリオは少し嬉しそうだ。内陸生まれの彼には、水平線しか見えない時間は不安感を誘ったのかもしれない。

「はい、山も高いですし煙も見えますぅ」

「緑も豊かなんじゃない?」

 山の裾には、かなりの面積が有りそうな森林が広がっているように見える。眺めていたカイは、その瞳に様々な期待を込めてひと言だけ口にした。


「火山島だね」


   ◇      ◇      ◇


ロカニスタン島には喫水の深い大型帆船が入れる港は無かった。有るのは住民も使用している桟橋だけである。そこへ渡し小舟で乗り付けるしかないのだ。

 四人にしてみれば、正直砂浜に乗り付けてくれて、そのまま海の中を歩いて上陸するのも乙なものだと思ったし、実際にそう口にしていた。だが、同乗していた商人や旅人、初めて来る真珠の卸し屋などは不平ばかりを口にしていたように見える。


 何とか桟橋に引き上げられた彼らは文句を言いながら、拓けた場所を目指して列を成していく。

「ご苦労様。ありがとうね。帰りも時期が合えば宜しく」

「はい、ぜひ!」

 小舟から桟橋にふわりと舞い上がり、声を掛けてくるチャムに渡しの船員は眩しげに答える。一部で彼女の信奉者が増えてきたようだった。

 定期船であるアーオルエン号は大陸への客を待って乗せたら、ホルウィンに向けて出港する。そんな定期船が三隻有るので帰りもまた彼らに当たるのかは不明なのだ。


 驟雨スコールが去ったばかりの空は夕暮れの赤に染まり、それが反射するオレンジ色の海が非常に美しい。

 それを二人並んで溜息を吐きながら眺めているチャムとフィノを急かして人家のある方に向かう。彼らも宿を求めなくてはならない。幾ら何でも初めて踏んだその地で、現地の状況を把握しないまま夜営に踏み切るのは避けたいものだった。

「大丈夫な気もするのよ」

「フィノもそんな感じがしますぅ。何か危険なものが潜んでいるような気がしませんですぅ」

 フィノの獣人の本能に従うのはやぶさかではない。

「いっその事、その辺の木立で小部屋リングを使って本拠地にしない?」

「それも悪くはないと思うよ」

 この島では、果たしてパープル達が雨風を凌げるような場所の有る宿屋があるかは分からないのも本当だ。放っておいても彼らは平気だろうが、どうにも申し訳ない気分になる。

「人里離れたところで暮らしちゃったら距離を詰めるのが大変だよ?」

 必要なのは情報収集である。情報に触れにくければ何の為にやって来たのか分からない。

「確かにねぇ」

「気持ちは分かるけど行こうか?」


 チャムのように見た目そのものが時にトラブルの元になるタイプが、こんな人気ひとけに乏しい場所に飛び込めば大抵の場合はあっという間に噂が流れてしまう。そして、要らぬ騒動が向こうからやってくるのだから、人目を避けたくもなろうというものだ。


「どうし…、ん?」

 スッと離れたカイを不審に思って声を掛けようとしたが、彼が足を向けたの木陰に人の姿を認めるチャム。

「何か有りましたか?」

「…っ! ううん、何でもないの」

 青年の姿に気付き驚いた様子を見せたが、すぐに顔を伏せる女性。

「何でもなくはないわよね? そんなにグズグズになって」

「あっ!」

 遠慮なく距離を詰めたチャムは手巾を出して彼女の顔を拭う。辛そうな顔は涙で濡れていたのだ。

「余所者に出来る話は少ないかもしれないけど、初めて会った他人だからこそ言える話も有るんじゃない? 良かったら聞くけど?」

「……」

 見上げる赤くなった瞳には強い苦悩が宿っている。

「何だったら男には外してもらう?」

「いえ、大丈夫です。その…、何て言うか…、もうこれからどうして良いか分からなくなってしまって…。それなのにロルヴァはあんなに明るく笑うから、あたしが涙を見せる訳にもいかなくて…」


 少し離れたところにあった倒木に彼女を掛けさせて、話し易いようにチャムとフィノで挟む。

 彼女はミーザと名乗った。


 それが起きたのは一巡6日ほど前。

 彼ら若夫婦はカンム貝養殖の傍ら、燐珠りんじゅ獲りにも精を出す、島では平均的な暮らしをしていた。

 そのもいつもと変わらずミーザは、カンム貝の簾囲いすがこいを調べに行き、餌をやっていたと言う。ところが、そこへ村の者が呼びに来たらしい。夫のロルヴァが大怪我を負ったというのだ。

 確かに燐珠りんじゅを食んだカンム貝が獲れる辺りは、ユラルジャと呼ばれる大型肉食魚の巣とも言える海域である。しかし、ロルヴァはそれもよく心得ていて、今まで上手に避けてきた筈なのに。それなのに、こんなにいきなり怪我を負ってしまうなんて思ってもいなかったらしい。


「さっき笑うって言ったわよね? それなら命に関わるような怪我じゃなかったのよね?」

 親身に話を聞いているチャムは、彼女の言葉の一つひとつにしっかり耳を傾けている。

「ええ、出血がひどくて、二ほどは危ない状態でしたけど、今はもう持ち直しています」

「でしたら後は良くなるだけなのではありませんかぁ?」

 だが、その後に続いた言葉に彼女らは息を飲む事になる。


「右足の足首から先が食い千切られていて、もう…」

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