正義の物差し

 櫂はいつも不思議に思う。報道という職種の人々はどれほどの情報源を持っていて駆使しているのか?

 相手が被害者にせよ加害者にせよ、いとも簡単に自宅を割り出して集まってくる。情報源が警察で無い事を祈りたいが、そうでもないと不可思議な状況が有るとつい思ってしまう。

(あ、そうか!事件が有ればそこに警察関係者が向かうし、家宅捜索をするなら加害者宅にも向かう。証拠の収集の為に被害者宅にも向かうだろう。後を着いて回るだけで全部解っちゃう訳か。しかし、それをやるには張り付いていないといけない訳だし、労力もお金もとんでもなく掛かっちゃうんだろうな)

 そんな感慨を抱きつつカーテンの隙間から表をチラリと覗くと、どこの竹林かと思わんばかりに三脚が並んでいるのだ。

(ご苦労様なんだけど、ご迷惑様なんだよね)

 そう思われても仕方ないくらいには迷惑だ。


 修ならその気になれば自宅に籠るのも可能だが、彼以外はそうもいかない。礼子が買い物に出掛けてくれなければ家族は飢えてしまうし、礼美も出来れば大学には行っておきたい大事な時期だ。櫂はこんな状況なので登校を控えているが、いつまでもとはいかない。女性陣が出掛ける度にレンズとマイクが集中する中を掻き分けなければならないのはあまりに気の毒だ。どうもそろそろ自分が出て行かねば収まりそうにも無い。覚悟を決めねばいけないらしい。

「大丈夫なの?」

 立ち上がって出掛ける準備をすると礼子が心配げに声を掛けてくる。

「頑張ってみるよ。これはどうにも埒が明かない。ちょっと散歩してくるね」

 そう言って櫂は玄関に向かう。


 家を出ると一斉にカメラの砲列が櫂を狙ってくる。

(これは穴だらけにされちゃうな)

 苦笑いを隠しようがない。だが、そうも言っていられないのでこちらからお願いする。

「ここでは近所迷惑になってしまうので、少し歩きます。どうなさいますか?」

 驚くほど整然と三脚が片付けられていき、皆がTVカメラを肩に担ぎ始めた。

(プロだなあ)

 つい笑みが零れると、それに合わせるようにシャッター音が煩いくらいに鳴り響く。

(全然反省していない様子だ、とか書かれちゃうんだろうな)

 まあそれも仕方ないと思う。それだけの事をやってしまったのだ。


 住宅街の中では遠慮してくれるように頼みながら進んで、河原まで出た所で「順番にどうぞ」と告げた。

「君は世間ではヒーロー扱いされているが、それについてはどう思っている」

 争う雰囲気も無く当然であるかのように一番手が選ばれる。どうやら彼らにも特有のヒエラルキーが有るらしい。

「今のところ、ネットのほうは遮断しているのでどれほどかは報道番組程度の情報しか知らないんですけど、少なからずそう思われている認識はあります。ですが、それは大きな誤りだと思っています。僕は人助けや社会貢献の為にあの行為を行ったのではありません。決して英雄的行動ではないのです。僕の行為を端的に表すならば、それは皆さんが思っている通りの復讐です」

 報道記者たちは、櫂が驚くほど理路整然と話し始めたので驚いているようだった。さもありなん、彼らは動画内の櫂の行動か、有るとすれば級友にインタビューした程度の知識しかないだろうから。激情に駆られて暴力行為に及ぶ子供の姿と、目の前の少年の姿が合致しなくても仕方ない。

「えーっと、という事は自分が行ったのは犯罪と思っていると?」

「一般論だとそうなる筈ですよ?それともあなたは客観的に正当性が有れば暴力も肯定するタイプですか?」

「いや、そんな事は無い。すると君は肯定派だと言う事だね?」

「違います。僕は主観的な正当性を感じただけで暴力も厭わないタイプです」

 記者は一瞬、何を言っているのか解らなかったらしい。言葉が続かないでいる。

「じゃあ、何か。お前さん、自分が正しいと思ったら平気で殴りかかってくる訳か?」

「あなたは?」

 横入りに質問してきた人のほうを見ると、他の記者とは一線を画するカジュアルな格好をした男が居る。皆が迷惑そうにしているところを見ると、それはやはり横紙破りな行為だったらしい。


「悪いな。こういうもんだ」

 差し出してきた名刺に目を移すと、そこには「フリージャーナリスト 北井俊介」と書かれていた。

「北井さんですか。あなたの質問に答えるならば、それは僕の中では是です。あくまで僕の中では正義が全てです」

「おー、聞いていた通りの猛獣だな」

 そういう事を言いそうな人間に心当たりは有るが、とりあえずは重要な事ではない。

 しかし、櫂を取り囲んでいる記者たちは違った。彼がいきなり怒り出すのではないかと一気に緊張感が走る。

「勘違いしないでくださいね。僕は何にでも噛み付くわけじゃないですよ。そこには僕なりのボーダーラインが有って、そこを踏み越えない限りは何もしませんから」

「お前さんだけの正義か。或る意味便利な言葉だな」

「そう思うならそれで構いません」

 それは櫂の本心である。万人に理解できる理屈だなんて思っていない。


「ちょっといいかな?」

 別の記者が方向転換に質問してくる。

「今、君は正義を口にしたが、それは自身の行為の正当性を主張する発言だと思っていいのかな?」

「それは大きな勘違いです。僕は僕の行為が社会的に認められるなどとは欠片も思っていません。こうして釈放されてここに居るのは、偶然が重なって幸運を得たからに過ぎません。普通であれば当たり前に罰せられている筈なんです」

「それでも君は自分が正義だと思っている?誰もが正義に従って行動すべきだと?」

「それは僕の中だけでの結論なんです。他の人が僕の真似をするなんて絶対にお勧めしません。そんな野蛮をしないから平和な現代で生きていられるのです。これだけは間違ってはダメです」

 自分では守れもしない理屈を滔々と語る白々しさは十二分に理解している。それでも現在の熱狂ぶりを見ると模倣犯が出て来ても全くおかしくないと思ってしまうのだ。そこはきちんと主張しておかないと今度は自分が悪者に逆戻りしてしまう。櫂自身は構わないのだが、家族にはこれ以上迷惑を掛けられない。

「聞いていると君の理屈は変だと思えるんだが理解しているんだろうか?」

「そうですね。解り易く説明すると、僕は皆がそれぞれにもっと正義を自覚して欲しいとは思っています。ただし、それはあくまで判断基準として向き合って欲しいと思うだけで、声高に主張したりぶつけ合ったりするようなものではないような気がします。それを大事にし過ぎて暴力に直結させてしまうのが僕の一番悪いところだと自覚しています」

「なるほど。それなら理屈が通っていると感じられるな」

 やっと少しは賛同が得られたようでホッとする櫂。


(本当に面白い奴だなこれは)

 北井は櫂を見直していた。諏訪田に聞いた範囲ではただの暴力に忌避感が無いだけの子供みたいに思っていたが、どうもそれには中らないように見える。

(これはもう、考え方とか感性とかそういうレベルの代物じゃないぞ。こいつは生き様だ)

 櫂という少年は頭でっかちに考えて、世の理不尽を正そうとか思っている訳じゃない。自分の中の正義の物差しに従って在るがままに生きているだけだ。

(だが、頭脳明晰な猛獣ってやつほど質の悪いもんは居ねーな。一度こいつが牙を剥くと決めたら、生半可な人間は逃げきれねーぞ)

 それだけは簡単に解る。

(虎の尾を踏むってのはこういう意味か)


 北井は今になって諏訪田が言った意味を正しく理解した気がするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る