蜘蛛魔獣の糸

 気配を殺したところで、待ち伏せ型魔獣の鋭敏な感覚は誤魔化せないだろう。となれば、気付かない振りからの奇襲作戦に移行する。

 潜んでいる位置を事前に聞いていたチャムは射程距離内に入ったところでプレスガンの連射を浴びせた。当たれば儲けものという目暗撃ちなので効果は期待していない。しかし刺激するには十分だったらしく、しゃかしゃかと這い出てきた。


 実物の蜘蛛なので鳴き声など上げてはくれない。無音で足を蠢かし、近付いてくる様は逆に不気味である。

 腹部を逆立させてざっくりとした狙いで浴びせかけてきた糸が落ちてくる前に、一気に距離を詰める。だが、そこに待っていたのは鋭い爪の一撃だ。脚の長さだけでも300メック3.6mは有る巨体から伸びてくる攻撃は、間合いが長く脅威になる。


 それでも今陽きょうのチャムは一味違う。突き降ろしの爪をヒラリと躱してスパンと斬り飛ばす。そのまま懐に入ると脚を根元から斬り落とす。更にもう一本落としたところで背後から迫る牙を沈んで躱し、反対側に抜ける。追おうとした牙は飛び込んできたカイに掴み取られ、引き寄せられるままに逆を向かされ、牙と目の間に拳打が決まる。


雷槌サンダーフォール!」

 グシャという甲殻が割れる音が響き、たじろぐ水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーに、編み終わったフィノの魔法が炸裂して痺れさせる。

 動きの止まって痙攣している水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーの脚はチャムとカイによって全て落とされ、走り込んできたトゥリオが頭部を真っ二つに断ち割った。


 地響きを立て腹部を地面に打ち付けて事切れた水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーに、しばらく警戒を残していた彼らだが、完全に身動きしないのを確認して近付く。

 カイがチャムの斬り飛ばした爪を拾い上げて中を見ていた。

「まさか…」

「もしかして食べるとかおっしゃらないですよね? フィノも戦うのは平気ですけど、ベタベタ触ったりましてや食べたりはちょっとご遠慮したいと思いますよぅ、フィノは」

 懸念を示すチャムに続けてフィノが内心の動揺を表すように早口でまくし立てた。あまりの動揺に口調も変になってしまっている。

「蜘蛛ってさ、生物的に蟹に近いって知ってる?」

「マジか?」

「本当、本当、大真面目。外骨格の多脚生物って広い括りだけどさ、似たような体構造をしてるって事は体組織も似てる筈なんだよね」

「要するに同じ様な肉が付いてるって事かしら?」

「あくまで想像の域を出ないけどね」


 犬獣人の少女を除き、三人がゴクリと喉を鳴らす。この辺りはもう完全に毒されていると言っていいだろう。

 始めに毒は無いと告げられているが、念の為に加熱はする。担当がフィノなのは気の毒だが。カイがガントレットのまま差し出した蜘蛛の爪に魔法で火を通すと、中身がクツクツと煮えてきた。

 ここは言い出しっぺの出番で、まずカイが細片を口にした。目を見開いた後ににんまりと笑う彼に、結果を悟った仲間達も手を伸ばす。


「こいつは蟹とは違うな。だが…」

「「「美味い!」」」

 その唱和にフィノは慄く。後の運命が知れたからだ。

「はいはい、解ってますよ。フィノも食べます。自分で食べますからせっつかないでくださいねぇ?」

 ニヤニヤと笑う仲間に注目されながら、えいやとばかりに肉片を口に入れた。蟹の身のような水っぽさは無い分、肉量は少な目なのだが、濃縮された味は深く、特に甘さが際立つ驚きの味だ。


(あれ? フィノはこれ、すごく好みです)

 その思いが面に表れてしまったか、チャムが肘で突ついてくる。

「み、見た目で決めつけちゃいけませんよねー。あははは…。ごめんなさい、美味しいですぅ」

「回収で決定ね!」

 彼らの美味しいものリストに蜘蛛が加わる。

「ただねー、胴体部分の肉量は期待薄だから、こんな図体でもあまり楽しめなさそうなのが難点だね」


「はっ! 違うわ! 蜘蛛を食べに来たんじゃないの! 糸を取りに来たのよ!」

 やっと本旨を思い出したチャムがパシパシとカイの背を叩く。

「ははは…。それなんだけど、ちょっと不安なんだよね」


 魚まで捕食する種の蜘蛛魔獣が張った巣だ。水中でも粘着性の落ちない糸を出しているのだろう。そうだとすると、強度に問題無い糸でも手で触れられないでは釣り糸には向いてないという結果になってしまう。

 そんな不安を口にしたカイは川岸から水中の糸に触れて試している。やはり相当な粘着性がありそうだ。最悪、徒労に終わるかもしれないと解ると、チャムの顔も曇ってしまう。


「その辺に糸玉は無いかな?」

「糸玉?」

水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーが巣に掛かった獲物を糸で巻いたやつ」

「見た事有るな、普通の蜘蛛のやつなら」


 水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーが潜んでいた辺りを探ると、すぐにそれは見つかった。その気になればトゥリオでも中に入れそうな大きさの糸玉である。

 糸の先端を見つけ出すのは困難なので、表面の一本を引き出してオリハルコンナイフで切る。それでも抵抗を示したほどの強度なのだから、これを使いたいところなのだが塗り付けられている粘着液はいただけない。

 解いた糸をクシャリと丸めて一握り分くらいにすると、変性魔法で糸本体の組成だけ引っ張り出すようイメージする。すると分離した粘着液がカイの手から流れ落ちていく。


「成功かな?」

「どう? どう?」

 早く結果が知りたい彼女の問い掛けを手で制止し、川の水で洗い流してみる。軽く水を切って糸に触れるが、ベタ付きはもう無い。更に糸を両手で持って引っ張ってみると、身体強化付きの人間の渾身の力を持っても引き切る事は出来なかった。強度も落ちてはいないようだ。

「合格」

「よし!」

 後ろから覗き込んでいたチャムはカイに背後から抱きついて喜んでいる。

「釣り糸、確保ー!」

「おー!」


 今のところは元気がいい。しかし、この後大変な作業が待っているのをカイは教えていなかった。


   ◇      ◇      ◇


 糸玉を三つ確保して密林を出る。明るいうちに糸口くらい掴んでおきたい。きっかけ・・・・のほうでなく、まさに糸の先端・・・・のほうだ。解きやすいよう、先に粘着液を抜く。軽く水洗いして乾燥させてから、どうしたもんかと悩む。巨大な糸玉のどこかに糸口が有るのだが、探す方法が思いつかない。


「あ! これ、もう粘着していないんですよね?」

「その筈だけど」

「じゃあ、こう、撫で撫でしたら先端だけピンて出てきませんかね?」

「それよ!」

 フィノの提案は理に適っている。摩擦を加えれば、どこにも繋がっていない先端は飛び出して来る筈だ。

 結果、大の大人が糸玉に群がって撫で回すというシュールな光景が展開される。リドも小さな手で撫でているのが救いになろうか?


「ありました!」

「でかしたわ、フィノ!」

 しっかりと掴んだ糸の先端を翳すフィノにチャムが抱きつく。今日はハグの大安売りだ。


「じゃあ、後はお任せで」

「あれ、どうして?」

 途中離脱を宣言するカイに皆が疑問を呈する。

「僕は糸巻きのほうの作業に入るよ。それ、解いて適当な木の棒かなんかに巻いておいて。何十ルステン何百m有っても良いから」

「マジでか?」

「さあ、気合い入れていくわよ!」

「お、おう…」

 チャム班長から号令が掛かれば作業開始せざるを得ない。釣り具タックルは人数分作るつもりだから頑張っていただこう。


(さて、こっちはどうしたもんだろう?)

 日本で使われているような糸巻きリールを作るのはさすがに難しいし、作ったところでメンテナンスが普通の人には無理になる。簡易式であっても、前のよりは使い勝手の良い物にしたい。


(まずはアレに挑戦しなきゃなんだよな)とカイは思っている。

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