帰ってきた少年

帰還転移

 「ここは…、日本か…」


 夜闇に包まれた公園のベンチに腰掛けている自分に気付いた彼は隠し・・からスマートフォンを取り出し画面を表示させる。いささかの時間を置いてネットから反映された時刻表示に一瞬訝しげな表情を浮かべるも、悩んでいても仕方がないと言わんばかりに立ち上がる。


 一歩一歩確かめるように道を辿ると一軒の一戸建ての前に立ち、表札に『流堂』の文字を認めると安堵に顔をほころばせた。

 取っ手に手を掛けたが、考え直すとドアチャイムに手を伸ばす。扉の向こうから「はーい」とかすかに聞こえた懐かしさを覚える声。

 扉が開くと同時に「どなた?」と顔を覗かせた女性に彼は応えを返す。


「ただいま、母さん」 

「櫂っ!…櫂なの!?櫂なのね…」

 途端に涙を溢れさせた母の礼子の姿に罪悪感が櫂を押しつぶしそうになるが、押し殺して笑顔で母の肩に手を乗せる。

「ごめんなさい。ただいま帰りました」

 安心させるようにもう一度繰り返すのだった。


「あなた!あなた!櫂が帰ってきたわ!」

 櫂の手を引き、小走りにリビングに駆け込んだ礼子は彼の体を家長前に押し出す。櫂の顔を一瞥した父の修は静かに「馬鹿者が…」と告げる。

「身体は何とも無いのか?」

「はい、何ともありません。相当迷惑を掛けたであろう事は十分に解っているつもりです」

「説明しなさい」

「……」

「……」


 沈黙が重いが、修がここで激昂するようなタイプではないと櫂は知っている。吟味するように「覚えていないんです」と答える。

「ただ、事件事故の類で無いのは、痛むとこもないし持ち物が無くなっていたりしないんで間違いないと思います」

「そうか。ならまず母さんに手を突いて謝りなさい。一番苦しんだのは母さんだ」

 櫂の嘘には薄々気付いているが、修はそれを良しとした。

 櫂はその思いに甘える事にしたのだった。


 その後、目に赤さを残しながらも満面の笑顔を浮かべた礼子が用意した夕食に櫂は手を伸ばす。久しぶりに味わう母の味に櫂は目が潤むのを止められなかった。



 流堂櫂は今年十七歳の高校生。

 スマホの表示で確かめた、行方不明になっていた期間はおおよそ七ヶ月。春先から季節はもう秋になっていた。

 突然消えた息子の捜索願は当然出されていたが、警察は全く行方を掴めていなかった。


 じりじりと時は過ぎ、僅かながら両親に諦めの気持ちが首をもたげてきたところに彼の帰還だ。父の修も顔には出さないが喜びもひとしおだろう。

 ただ、明日にも捜索願を取り下げに、母と一緒に警察に出向かなければならないの必須だ。となれば、どうあれお小言の一つくらいは覚悟しておかなければならない。それぐらいの痛い思いはしなければ世間様に申し訳は立たないから我慢の二文字だ。


 専業主婦の礼子はともかく、修が家に居る時間が長いのは幼い頃の櫂には不思議だった。

 級友達の親は、父親はもちろん、母親でさえ家を空ける家庭が多い。

 その疑問が解消したのは小学校に上がってしばらくした頃。父の仕事が、先祖から受け継いだ遠方の山々で採れる松茸の販売だと知ったのだ。

 だから秋口になると家から父は居なくなる。父だけが知っている松茸のシロを巡って収穫、出荷して収入を得る。


 それだけでも贅沢を望まなければ暮らしていけるが、他にも椎茸を初めとしたキノコ栽培者に土地を貸していたり、陶芸家が窯を構える場所を貸したりして、いわゆる不労収入も得ていた為、裕福とは言わないまでも不自由をしない生活をして櫂は育った。


 それでも櫂の失踪は両親にあらぬ目を向けさせ、名誉を傷つける結果になっていただろう。近隣に無関心な都会ではないだけ、どうしてもその傾向は強い。

 そちらにも配慮が必要だろうとつらつらと考えていた櫂の耳に乱暴に玄関を押し開ける音が聞こえる。何事かと立ち上がった櫂は腹部に強烈なタックルを受けた。


 それは姉の礼美だった。

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