第69話 横濱開港祭.2

 背後から聞こえてきた覚えのある声に、翔馬はさらなる状況の悪化を確信する。

 しかも、よりによってまた吸血鬼対策室だよ!


「おつかれさまなんだ!」

「うわっ!」


 軽快な動きでやって来た新垣友は、そのままの勢いで翔馬の背に抱き着いた。

 こうして奇しくも、吸血鬼逮捕の職務に就く機関員と吸血鬼、そしその封印解除者が一堂に会することになってしまった。


「クララとアリーシャちゃんも一緒だったんだね」

「……あ、あれ、二人は面識があるの?」


 観念して翔馬がたずねると、友は背から降りて「そうなんだ!」と元気に応えた。


「アリーシャちゃんとは、この前の魔法都市案内で一緒だったんだよ!」

「食べ放題から食べ放題をハシゴするのは、魔法都市案内でいいのかしら?」


 レオンに人質として捕らわれていた形になってはいたが、その内容は丸々半日かけて友に振り回されただけだったことを思い出して、アリーシャは息をつく。


「ですが今日はどうされましたの? 機関の仕事はお休みだったと思いますけど」

「追試の先生に追われてるんだよ!」


 そう言って友は、自分を追って来ている教師の姿がないか確認してから、手にしていた『ハレンチーナ』をグイッと飲んで「くーっ!」と息を吐く。

 その飲みっぷりに感心する翔馬。

 すると友は、飲みかけのハレンチーナをぐいっと差し出してきた。


「ショーマくんも飲むー?」

「ッ!?」「なっ!?」


 ――――クラリスとアリーシャに、衝撃走る。

 ついさっきまで行われていた金髪美女同士の対決。

 友は登場と同時にそれを上回ってみせたのだ。


「ああ、それじゃもらおうかな。あまりの展開にちょうどノドかわいてたんだよ」


 翔馬も特に意識することなくそう答えた。

 クラリスは「そ、そんなのありですの?」と目を見開く。

 しかしそんな状況の変化に気づかない翔馬は、何気なくペットボトルを受け取ると、そのまま口をつけた。

 クラリスの視線は翔馬の挙動に釘づけだ。

 アリーシャに至っては、顔は背けているのに目だけは離せないという状況。

 そしてそんな自然な間接キスを見て、いよいよ我慢できなくなったクラリスは――。


「わ、わたくしにも一口くださいっ!」


 高々と手を上げてまで名乗りを上げた。

 一方アリーシャは、クラリスを見て負けじと手を上げかけたものの、つい先日の赤レンガでの間接キスを思い出して赤面してしまったせいで、わずかに後れを取る。


「クララも飲むの?」

「ふ、普段は回しドリンクなんてしないのですが、とても、その、ノドが乾いていまして!」

「そんなに? ど、どうぞ」


 この機を制したクラリスは翔馬からペットボトルを受け取るとフタを開け、わずかに逡巡する。なにせ彼女は英国令嬢、回し飲みどころかペットボトル飲料自体が初めてのことだった。

 気づかれないよう小さく息を吸って覚悟を決めると、クラリスはそっと口を付ける。


「あっ、ねえねえクララっ!」


 いよいよハレンチーナを口に含もうとするクラリスを前に、友は「にひひー」と笑みを向ける。そして。


「じゃーん!」


 そう言って友は、そのまま制服のスカートをめくりあげた。


「ぶふうですわああああああああ――――ッ!!」

「今日は履いてるよ!」


 スカートの中にはスポーツタイプのスパッツ。再びざわつくバザー会場。

 むしろスパッツのおかげで太ももからお尻へかけての健康的なラインが強調されていて、翔馬は思わず視線をそらす。友は友でまた、クラリスとは違う健康的な身体つきをしているのだった。


「ごほっごほっ、なんでこのタイミングですの!? まるまる吹きこぼしてしまったではありませんの! ああ、もったいない!」

「あはは、ごめんごめん。ちょっと待っててね」


 そう言って友はガッカリするクラリスの足元にしゃがむと、唇を突き出して――。


「今吸い取っちゃうから」

「おやめなさい!」

「い、いやあ! でもカッコいいデザインのスパッツだったなあ!!」


 スカートめくりからのジュース噴き出し。いよいよ騒然とし始める会場の雰囲気をごまかすため、翔馬が的外れなことを叫ぶ。

 するとその場にしゃがみこもうとしてクラリスに襟首を引っ張り上げられた友は、もう一度自分の履いているスカートのすそをクイッと持ち上げて、翔馬にスパッツをチラ見せしながら首を傾げた。


「履いてみる?」

「履くわけないだろ!」

「…………九条」

「今のはどう見ても冤罪だろ!?」


 翔馬はもう頭を抱えるしかない。ああもうなんでこんなことにッ!?

 クラリスとアリーシャだけでも周りの視線が痛いのに、その上考えなしにスカートをめくる友。このままじゃいい見世物だ! とにかくなんとか流れを変えないとっ!!


「もしかして、九条様ではございませんか……?」

「ああもう! 今度は誰だよッ!?」


 さらなる呼びかけに翔馬が視線を向けると、少し離れた出店の前に、見覚えのあるエキセントリック衣装が見えた。


「オードリーか!」


 そこにいたのは馬車道の端にあるアイテム店『オレンジプラネット』のアルバイト店員、オードリーだった。

 翔馬はすぐさま彼女のもとへと走り出す。いや、逃走する。

 こんなの期待するしかない。

 彼女はこの窮地を脱するための、救世主になってくれるに違いない。

 そもそもオードリーは、魔法アイテムを愛しすぎる個性派店員だ。

 アイテムの話が始まれば、もうその口は止まらない。

 そうなればこの悪目立ちの流れも、一気に方向転換してくれるはずだッ!

 さあオードリー、その深すぎるアイテム愛でこの状況を変えてくれッ!!

 そんな期待を抱いてやってきた翔馬に、オードリーは迷わず声を上げた。


「今すぐペロペロさせてください!」

「よりによって一言目がそれかァァァァッ!!」


 よし! やっぱりこのまま早々に立ち去ろう!

 翔馬は即座に意識を切り替えると、そのまま立ち去ろうと踵を返す。

 するとオードリーは、さらにここで翔馬の足元にひざまずいて――。


「ペロペロ――――させてくださいッ!!」


 もう五段階ほどボリュームを上げて言い直した。


「頼むからもうやめてくれええええ――――ッ!!」

「見境なしかよ」「ここでペロペロさせるとか」「まさかエインズワースにもさせてるのか?」「……もしや、あれが九条か?」「とにかくACAに連絡だ!」


 案の定バザー客たちの攻めるような視線が、容赦なく翔馬に突き刺さる。


「ああああっ! またいらぬ誤解がああああッ!!」


 オードリーのモデル体型と目立つ衣装が、完全に裏目に出た形になった。

 次から次へと続く事態に、もはや翔馬は恐怖を覚える他にない。


「て、ていうかオードリーはどうしてここに? 店は?」

「はい。開港祭にはオレンジプラネットも参加させていただいておりまして。こうしてここに出店している次第です」

「だから今日は『耳』を付けてるのか」

「こちらですか? こちらは『ウサ耳バンド』でございます。Dランク下位のアイテムで、高い集音効果を持ちます。今日は異種のコスプレをされる方も多いですし、せっかくですので。ちなみに時給は810円でございます」

「いや時給は聞いてな…………10円上がった?」

「ドヤァでございます」


 得意のどや顔を披露するオードリー。


「ハッ!」


 しかしその目が、突然怪しい輝きを放つ。

 視線は、翔馬の後を追ってきた機関組へと向けられていた。


「そちらは英国製のアイテム、魔法剣アンタークティカでございますね! ああ、そちらはリフレクトスニーカー隼足! ぜ、ぜひ、その、ペロペロさせてください!」

「やめとけ」


 翔馬は二人のアイテムを見るや否や飛びかかっていくオードリーの『耳』をつかむ。


「で、ですが!」

「アイテム置きっぱなしで店を離れたら本末転倒だろ」


 翔馬の言葉に、ようやくオードリーは我に返る。


「そ、そうでした……すみません。つい興奮してしまいました」


 見れば出店にはDランク下位からFランクまでの、比較的安価なアイテムが並んでいた。

 どうやらこの場でも、魔法アイテムの試用やパフォーマンスで場を盛り上げているようだ。

 事実すでに友は、展示されていた『魔法の箱庭』にその目を輝かせていた。

 そこには山や森林の一部を縮小して抜き出してきたかのような、不思議な風景が閉じ込められている。紅葉の美しい秋山と雪深い冬山は、小さくとも非常に美しい。


「そう言えば九条様、その後ガントレットはいかがですか?」

「ああ、ええと……無事動いたよ」

「そうでしたか」


 そう言ってオードリーは、うれしそうに微笑んだ。

 ガントレットは起動方法が分からず、長らく放置されていたアイテムの一つだった。

 そんな『ガラクタ山』のアイテムたちのことを、翔馬が『カギを失くした宝箱』と表現したことを、オードリーは忘れていなかった。


「やはり九条様は素敵なお方。アイテムもその思いに答えたのでしょう」


 オードリーの発した『素敵』という言葉に、またもアリーシャとクラリスの眉がピクリと反応するが、翔馬がそれに気づくはずもない。


「では、記念にその素敵なガントレットをペロペロさせてください」

「なんの記念だよ」


 近づいてくる顔を、冷静に制止する翔馬。

 するとオードリーは、そんな翔馬のベルトに目を付けた。


「おや、もしや……そちらは」


 視線の先にはあるのは、エメラルド製の魔封宝石。


「ああ、風花の物を一つ借りてるんだよ」


 そして今度は『風花』という言葉に、アリーシャとクラリスが明確に反応する。


「風花様は自身の魔術特性を踏まえて、上手にアイテムと組み合わされていますね」


 やっぱりオードリーからしても、風花は優秀な魔術士として認識されてるんだな。


「魔封宝石はDランクですが、ためた魔力を自由に開放できるという点で非常に優秀なアイテムでございます。解放の強弱だけでなく、時間の長短まで自由自在となっておりますので、前髪を揺らす程度の弱く短い開放も可能なのです」

「そうなのか、それはすごいな」


 驚く翔馬。一方アリーシャは、見覚えのあるアイテムに真剣な眼差しを注いでいた。

 吸血の最初のチャンスだった大さん橋。

 あの時はこの、たった一つの魔封宝石が決め手になった。

 そしておそらく今回も、この一個の魔封宝石が――。


「この魔封宝石は、風花様がご家族から譲り受けた大切なものとお聞きしました。それを貸与するということは、信頼されているのでしょうね」


 続くオードリーの言葉。気がつけばクラリスも、どこか厳しさを感じさせる目のまま沈黙を貫いていた。

 そんな複雑な状況下で、一人楽しそうにしていたのは新垣友だ。


「ねえねえショーマ君、これ扇いでみて」


 不意に翔馬のところへやって来ると、手にしたアイテムを差し出してきた。


「なんだ、これ?」

「あ、そちらはレプリカ芭蕉扇でございます。扇げば――」


 話題はすっかりアイテムのことになり、状況は落ち着いて来ていた。

 どこか気が抜けていた翔馬は、言われた通り渡された派手な装飾の団扇を、少し強めに扇いでみる。


「――突風を」

「えっ?」


 オードリーの解説。時、すでに遅し。

 Dランク下位の『レプリカ芭蕉扇』はとにかく強弱の調整が難しく、非常に使い勝手の悪いアイテム。

 吹き出す風に容赦なし。

 突然の強風は、見事にアリーシャ、クラリス、友のスカートをめくり――。


「く、九条!」「きゃっ」「あはは」

「うわごめん!」


 あやまる翔馬。だがそんなものでは終わらない。

 さらに付近のスカートというスカートを全てまくり上げ、運送業者が運んでいた段ボールを吹き飛ばして中身のコスプレ用白ウィッグをまき散らし、それに驚いたクリスマスに『モテない男女で集まって遊ぶ』とかいう文句を普通に使って、そもそも異性の友達すらいない友人を愕然とさせた極悪非道の男たちとその後結局カノジョになったアホな女たちを軒並み噴水に突っ込ませた。


「あ、あ……あああああっ!」


 方々から上がる悲鳴に翔馬、完璧な白目を発動。


「あいつマジかよ!」「もう誰でもいいのか!」「いたぞ間違いない九条だッ!」「魔法の使用も辞さない!」「やっちまえ!」


 ついに翔馬は、その場の人間全てを敵に回すという奇跡を起こしてみせたのだった。


「も、もう嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!」

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