夏
六歩目 子猫と初めまして
ドライトと一緒に過ごすようになって、どれくらいの時が経ったのでしょう。気がつけば、太陽は一層まぶしくかがやき、ふく風は熱気をふくんでいました。夏がやって来たのです。
マノルは、狩りがずいぶんと上手くなっていました。毎日狩りをするうちに、あんなに苦手だったミミズや虫も、今では平気で食べられるようになってしまいました。味覚とは変わるもののようです。
それでも、やっぱりためらってしまうことはありました。つかまえた生き物たちが必死にもがいているのを見ると、切ないような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになるのです。でも、そんなときは、初めての特訓のときにドライトから言われた言葉を思い出して「ごめんね」とツメを立てます。
ちょっとくらいまずくても、全部きれいに食べました。それが、命をくれたものに対する恩返しなのです。
一方、ドライトはマノルに狩りのテクニックを教えてくれたり、一緒に街へ出かけてくれたりしました。マノルの狩りの上達ぶりに感心しているらしく、出会ったころより、うんと距離が縮まった気がします。つい最近、ふたりで協力して鳥を狩り、わけ合って食べました。
森の動物たちには、
「地面かけずり回ってる生き物をそのまま食べるなんて、体に良くないよ」
と、しぶい顔をされることもありますが、毎日街へ行ってぜいたくなんてできません。猫たちにとっては、彼らが食べている木の実や雑草のほうが、よほどゲテモノに感じられました。
「ねえ、ドライト」
マノルはとなりで食事をするドライトに話しかけます。彼の今日の朝食は大ぶりのミミズでした。マノルが前足でおさえているのは、あざやかな緑色をしたバッタです。
「なんだよ」
ミミズをかじりながら、ドライトがたずねます。こんな日々が当たり前になってしまって。母さんが見たら泣くでしょうか。
「今度、街に行ってもいい?」
「おう。また近いうちに連れてって――」
「ううん。そうじゃなくて、ひとりで」
マノルの言葉におどろいて、彼はミミズを食べるしぐさを止めます。
「ほら、ドライト、前に言ってたでしょ? 困ったときに助けてくれる人間を見つけておくといいって。あれ、結局見つけられてないし……」
街へ出かけるときは食事をとることが主な目的なので、なかなかそこまで手が回らないのです。やっかいな人間や小さな子供に目を付けられ、食べものを手に入れるだけで日が暮れてしまうこともあります。初めて街に行った日は、よほど運が良かったのかもしれません。
「もう何度も行ってるから、道は覚えてるし……ダメ?」
最初は歩くだけでヘトヘトだった町への道のりも、今では走って行けるくらいです。いのるようなまなざしを向けると、ドライトは少し困ったような顔をしました。
「確かにこの先、オレなしでも出歩けるようになっておいたほうがいいとは思う。けど、いきなりひとりでってのは、ハードルが高すぎやしないか? 街ってけっこう遠いし……」
彼は考えるようにしばらく遠くを見つめた後、
「よし、じゃあこうしよう」
と言い、ミミズを急いで食べてしまいます。そしてマノルをふり返りました。
「街まではオレもついていく。そんで着いたら別行動」
「いいの!?」
うれしそうに聞き返したマノルに、彼は笑ってうなずきます。
「ただし、集合する時間と場所をきちんと決めること。いいな?」
「分かった!」
マノルは元気に返事すると、バッタを丸ごとほおばりました。
数日後、二匹はそろって街へ出かけました。
人間たちが行き交う広場の真ん中で噴水がしぶきを上げ、辺りをすずしげにしてくれています。
「日が暮れる前に、またここに集合。目印はこの噴水だ」
ドライトが目の前の噴水を見上げながら言いました。暑さに火照った体を、さわやかな風がなでていきます。
「分かりました!」
ぴんと背筋を伸ばして答えたマノルに、彼はクスッと笑い、
「じゃあまた後で」
と走っていきました。
マノルも勇んでかけ出します。せっかくなので、ドライトとは反対の方向に行ってみようと思いました。いつもは、彼が向かった先にある魚屋か八百屋で食べられそうなものを見つけています。けれど今日はちょっと冒険してみましょう。たまにはめずらしいものも食べてみたいです。
しばらく歩くと、なんだか香ばしくていいにおいがしてきました。そのにおいに引き寄せられるようにして、あるお店の前で足を止めます。
中をのぞきたくて立ち上がってみますが、マノルの身長では入り口のガラスまで届きません。なんとか開けられないかと、木で作られたドアをツメでカリカリひっかいてみます。
「あら、猫ちゃん。こんなところでどうしたの?」
ふと、後ろでやわらかい声が聞こえました。ふり返ると、そこにはひとりの女の子が。
くるくるした長い黒髪が、優しく風にゆれています。紺色のきっちりとした服に、チェックのスカートをはいていました。
胸にかかえられた紙ぶくろから、お店と同じにおいがただよってきます。
それ、なあに?
紙ぶくろを見つめながらたずねてみましたが、女の子には鳴き声にしか聞こえないようで「何?」というふうに小首をかしげられました。それでもあきらめずに鳴き続け、足にそっとすり寄ってみます。
「……もしかして、パンが欲しいの?」
やっと分かってくれたようです。「パン」というのは、ふくろの中身のことでしょうか。
女の子はしゃがみこんでマノルと目線を合わせると、ふくろから何かを取り出しました。茶色くてふわふわしたものです。それを小さくちぎると、手のひらにのせてマノルに差し出しました。
少し、なめてみます。
――あちっ!
熱さにおどろいて舌を引っこめると、女の子はおかしそうに笑いました。
「そんなに熱かった? たしかに焼きたてだけど、買ってからずいぶん経ってるのよ? さすがは猫ちゃんね」
そう言って、パンのかけらにふーっと息をふきかけると、もう一度マノルに差し出します。
「今度は大丈夫だから」
おびえるマノルに言い聞かせるように、女の子はつぶやきました。その言葉を信じて、パンを食べてみます。
これは――なんと言ったらいいのでしょう。ぴったりな言葉が見つからないけれど、ふわふわしていて、あったかくて、この女の子みたいに優しい食べものです。
もっとちょうだい、とねだろうとしたら、女の子はすっと立ち上がってしまいました。
「じゃあ、私ちょっと急いでるんだ。ごめんね、猫ちゃん」
言うなり、マノルに背を向けて走り出します。後ろ姿をさびしく見送っていると、女の子がくるりとこちらをふり向きました。そして、きれいな髪を夏の風になびかせながら、
「また、会えるといいね」
と、ほほ笑んでくれました。
マノルはうれしくなって、大きな声で答えます。
女の子は手をふって、再び走り出しました。ベージュの大きな紙ぶくろを、大事そうにかかえながら。
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