1.5-5 兆候

 互いの名を呼び合った二人は歩み寄り、互いの顔を見つめ合う。直前のこともあって、気恥ずかしさから塁は視線を逸らしてしまった。しかしその横顔を望の両手でがっちりとホールドされ、正面を向き直される。望は幼馴染の瞳の奥をじっと覗き、心配そうな声を上げた。


「生きてる? 幽霊じゃない?」

「あ、足を見ろ。ほら、ちゃんと地面についてる」

「怪我してるじゃん!」

「大したことないって」

「じゃあ、何? 頭を打っておかしくなったとか?」

「お前は何が言いたいんだ」

「だって、塁が宇宙人だって聞いたから」

「宇宙人? 俺が?」

「どうなのよ」


 望に病衣の襟を掴まれて、塁は体を揺さぶられる。彼女の言っていることに皆目見当がつかなかったので呆然としていると、望の後ろから咳払いが聞こえた。


「望、話が飛躍してる」


 紺色のスーツ姿の格好の男性を見ることよりも、冷静に二人の間に入り込むその自然さで、塁は彼が誰なのかを認識したのだ。ある程度、塁と望のやりとりを傍観して楽しむのが彼のやり方だった。


「泰紀もいたのか!?」

「まあね。というか二人とも、いつも通りなのはいいんだけど、少しは周りの目も気にした方がいいと思うよ」


 泰紀のその言葉で、塁は周囲の視線に釘づけにされていることに気がついた。しかも、周りの隊員たちは制服をバッチリ着こなしているのに対し、望は少々場違いな介護士の出で立ちで、塁に至っては病衣を纏っているだけだ。自分たち自ら見世物となっていたことに、二人は今さら恥ずかしさを覚えた。

 さすがに気まずくなって密着した状態を解いた二人に、泰記は質問を投げかける。彼らを茶化すような感じではなく、真面目で重たい口振りだった。


「それより塁、一体何があったんだ? 今日は入団テストで大七日スタジアムに向かっていたんだろ? おばさんも心配してたぞ」

「母さんと連絡を取ったのか?」

「それどころか、私たちさっきまでおばさんと一緒にいたのよ。塁のことすごく心配してたよ。ここに来る直前に別れちゃったけど」

「そうか……」


 ひどく落胆したような低い声で相槌を打ったのを、塁は自分自身で気づいていなかった。むしろ、その声の抑揚に反応したのは彼の横にいたある隊員だけだった。蓮見は情報収集に長けている人物である。それは端末から情報を引き出すだけに留まらず、こういった人が自然にする動作から何を思っているかを見抜いているのだ。妖しく光る眼鏡の奥に、洞察力を潜ませていた。

 その蓮見が、志藤塁の何気ない相槌に注意を引いたのにはわけがあった。陽気で物怖じせず、度胸があって健康優良男児である志藤塁が、唯一声を落とした瞬間。その時話題に上がっていたのは母親だった。家族を第一に気にかけることは決して不自然なことではない。むしろ家族想いで優しい人物だと評価される点だ。しかし、志藤塁がわずかに見せた感情の揺れは、もっと別の何かに見えた。蓮見は誰にも悟られることなく、そのような分析を続けていた。


「挨拶は済んだな」微妙な沈黙を破ったのは大和だった。大和は踵を返し、周囲の人間を促す。「場所を移そう。ここでは隊員たちの邪魔になる」


 号令後、各々の隊員が所定の位置に戻る。塁は小向に呼び止められ、自分が午前に来ていた上下のスポーツウェアを手渡された。トイレでそそくさと着替えた塁は、司令室に隣接した会議室へと連れられた。

 薄暗かった司令室とは打って変わって、会議室は眩しいくらいの明るさだった。シックな色合いの長方形のテーブルが部屋の大半を占めている。上座の方の側面にはスクリーンがあって、壇上には大和が立っていた。蓮見、望、泰紀の他に、望たちを連行した黒スーツの代表格二人が、上座に寄って着席している。塁はわざとらしく空いている蓮見の隣に腰を下ろした。


「さて、時間もあまりないので手短に伝える」教卓に手を置き、やや前かがみの体勢で大和は話を切り出した。「そこにいる彼――志藤塁は本日、現時刻をもって我々の組織〈ゼナダカイアム〉の一員となった」


 虚を突かれたのは塁だけだった。望と泰紀は同じようなことを数時間前に宣告されていたので、それほどの驚きは見せなかった。早く続きを聞きたいというような彼らの眼差しが壇上の大和を突き刺す。数瞬の間を置いて、大和は続ける。


「彼は今日午前、β―Ⅴ型〈ヤタガラス〉と呼ばれるヨルゴスに遭遇し、我々の有するZレガシーを操り、是を撃退した。Zレガシーは、特別な力を持った人間にしか扱うことができない。即ち――」複数の息を呑む音がしたが、大和の言葉は止まらなかった。

「志藤塁は、地球外生命体ヨルゴスから地球を守る運命を背負った人間――ゼトライヱの適合者だ」


 締めつけるような胸の痛みが望を襲った。この基地に連行された時から薄々感づいていたとはいえ、改めて告げられる衝撃に望は動揺を隠せなかった。望は反対側に座る当の幼馴染に不安な眼差しを向ける。閉口して大和の方をじっと見つめる塁。何とも言えない複雑な面持ちを浮かべていた。

 それでも望は本人に確認するまで諦めなかった。何もかもが嘘っぱちのでたらめであってほしかったのだ。


「じ、じゃあ今日、大七日市に現れたゼトライヱって塁だったの?」

「まあ、その……うん」


 申し訳なさそうに塁が小さく頷いたことで、何もかもが本当であることが証明された。

 黙りこくって俯いた望に替わり、今度は隣の泰紀が口を開く。


「自分がゼトライヱの適合者だというのは知っていたのか」

「そんなはず、あるわけないだろ。でもあの時――」滅多に聞くことのない幼馴染の神妙な声音が、望の顔を上げさせた。「スタジアムに飛行機が墜落しそうになった時、このままじゃ絶対ダメだと思ったら、何だか急に力が湧いてきて……」


 塁は右の手の平を見つめ、そこで言葉を止めた。ヨルゴス撃退をやってのけながらも、依然としてその事実を受け止めてきれていなかった。その点において、塁と望は同じ場所にいた。夢じゃないかと訝しんで、事実から遠い所に置き去りにされていたのだ。

 けれども、事実は常に傍にある。客観的な蓮見の発言が塁たちをこちらに舞い戻らせた。


「理想点到達への強い欲求による事象歪曲。ゼトライヱ発現の際に起きる、兆候の一つとして認められています」

「おそらくだが、以前にもこのような常識では考えられない事を、この男は引き起こしているはずだ。そう、誰の目にも奇怪に映るような現象を」


 大和の心無い言い方に望は不快感を示した。新人介護士による鋭い視線攻撃が大和を襲うが、彼女は気にする素振りすら見せずに話を続けた。


「志藤塁の場合だと……。例えば野球の試合で、何か信じられないプレーをしたりだとか、そういった覚えはあるか?」

「信じられないプレー? まさか……」


 そう発した望は息を呑んだ。塁、望、泰紀の三人に共通する鮮烈な印象を残す記憶が存在したのだ。しかもそれは一つだけではなかった。

 彼らが小学六年生の頃、塁たちの所属するチームは順調に支部予選を勝ち抜き、あと一試合勝てば全国大会出場というところまで迫っていた。そしてその重要な一戦で事は起こったのだ。三点ビハインドで迎えた最終回の攻撃、少女ながら選手として出場していた望の安打と、チームメイトのしぶとい繋ぎで最後のチャンスが塁少年にまで回ってきた。その打席で塁は甘く入った球を強振し、打球は右中間へ。走者一掃の三塁打でなおサヨナラのチャンスと誰もがそう思ったことだろう、ただ一人、志藤塁を除いては。

 塁は三塁を蹴って、そのままホームへの生還を試みたのだ。ボールは既に内野手が持っている。何て愚かな暴走なのだと望は憤慨した。しかし塁は止まらない。内野手は冷静にワンバウンド送球を行なった。不可思議な現象はその送球が地面に付いた時に起こった。ボールは捕手のミットに収まるのを嫌がるかのように、一塁線側に跳ねていったのだ。それでも相手捕手は懸命に飛びついてキャッチし、反転して塁を刺そうと、塁はそれを避けて本塁生還を果たそうとした。両者の意地が交錯する中、主審の判定はセーフ。歓喜と落胆が球場に渦巻いた。その後、整列して相手チームと挨拶をする間、泰紀は密かに最後ボールが跳ねた地面を確認したが、特に硬い石ころがあるわけでもなく、イレギュラーバウンドの謎は解明されなかった。

 事象歪曲という言葉が泰紀の頭を過ぎる。あの時の送球が、文字通り捻じ曲げられたものだとしたら――。泰紀の憶測は時空を超えて、次の記憶に移り変わる。


 それは五カ月ほど前の、大学野球春季リーグでの出来事だった。塁の所属するチームは1試合目を勝ち、次の相手は伝統ある強豪チームとの対戦だった。下馬評では相手側が順当に勝つだろう予想された中での一戦。望と泰紀は既に現役から退いていたので、応援スタンドからセンターを守る塁の勇姿を見守っていた。

 試合は思わぬ投手戦となった。中盤、塁の一打で1-0としたまま、八回裏の相手チームの攻撃。試合が動きそうな雰囲気が漂う中、1アウト満塁というピンチを迎えた。カキンという音が鳴り、打球はセンター定位置よりも深いところへ飛んでいく。三塁走者が犠牲フライのスタートの構えを取る。望と泰紀は幼馴染を信じて祈った。ここぞという場面で神懸った活躍をしてきた塁が、また奇跡を起こしてくれると。助走しながら捕球した塁は、帽子が脱げる勢いで白球を投げた。矢のような送球がアンツーカーと野手の頭を超える。走者と返球、帰ってくるのが早いはどちらか。緊張の一瞬の迎えようとしたその時だった。

 皆が瞬きもせずに凝視していた白球が、歓声と共に消えてしまったのだ。不覚にも見失ったと望は思ったが、彼女以外の人たちにも同じ事が起こっていた。そして、パァンという音が球場に響き渡る。紛れもなくそれは、ボールがミットに収まる音だった。滑り込む走者にタッチして左腕を掲げる捕手。ミットの中にボールが入っているのを確認した主審は、二呼吸ほど置いて「アウト」と宣告した。望たちのいた応援席は大いに盛り上がったが、直後に不穏な空気が流れた。奇跡のバックホームを演じた中堅手が膝をつき、右腕を庇うような態勢で蹲っていたのだ。その後、負傷交代となった塁にダメを押すように、彼のチームはサヨナラ負けを喫した。

 このプレーの顛末は動画サイトに複数投稿されて話題となった。何せどの角度、どの視点からの映像でも塁の投げた送球が見事に消えていたからだ。不正を働いたなどという意見もあったが、それを確定させる証拠が挙がることはなく、画質の問題もしくは稀有な錯覚だろうという結論で未消化のままに終わった。

 だが、今にしてみれば、塁の強い欲求が物理法則に干渉したのだとすれば――。荒唐無稽な仮説に過ぎないが、一応の説明はつく。もしかして、と望の仮説は一人歩きをする。これまで志藤塁という人間が野球の試合の中で起こしてきた活躍は、ゼトライヱの力という突拍子もない所以がそうさせてきたのではないのかと。望の首筋に鳥肌が走る。

 三人を代表して、消えた送球の件については泰紀が整然と語ってくれた。その日の日付と場所を、泰記は電子端末にある日記帳を見て告げると、蓮見がそれを基にある波形データをモニターに映した。


「これはゼトライヱの力が発現された際に可視化されるものですが、ご覧のように、不安定な力のゆらぎのようなものが観測されています。しかもかなり大きい」

「なぜ報告されなかった?」大和が怪訝な表情を浮かべる。

「この二日前に、付近で震度4の地震が計測されています。おそらくですが、その地震の一部として解釈されたのでしょう。地震動とゼトライヱの力には、似通った部分がありますから」

「わかった。もういい」


 蓮見と大和のやりとりを、望は半分聞き流していた。普通の人間、普通の幼馴染だと思っていた人がゼトライヱである証拠が次々に挙がっていく。逃げ場がなくなっていく喪失感に、望はある種の哀しみさえ覚えていた。塁が自分からどんどん遠ざかっていく、そういう想像を望はしたこともあった。けれど、それは彼がプロ野球選手として名を馳せるといったもので、この現在の有りようは考えもしていなかった。塁がプロとして活躍して素敵な女性に言い寄られるようになり、いつしかその人と結ばれる。そういう遠ざかり方のほうが、まだ良かったのかもしれない。


「あの、そろそろ教えていただけませんか」望が物思いに耽っていると、泰紀は丁寧な口調で、されど毅然たる振る舞いで壇上の大和に訊ねた。「ゼトライヱとは、何なんですか?」


 氷柱のように冷たく鋭い視線が泰紀に注がれる。鈍感な塁でも、室内に張りつめた空気が漂うのを感じた。蓮見が音も立てずに眼鏡に触れ、黒服の男の片割れは唾を呑みこんだ。

 泰記の問いは具体性に欠けてはいたが、一連の出来事の核心に迫りうるものだった。メディアは一様に彼を正義の味方として位置づけているものの、その存在を訝しむ声を少なくない。ゼトライヱもヨルゴスも、実際のところ出自は同じなのではないかという説もある。もしその仮説が正しければ、志藤塁は地球人ではなくなってしまうのだが。

 大和の返答は、三人の予期せぬ意外なものだった。


「可能性だ」

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