第22話「吉沢、瞳」―――姫紀side


 姫紀の宣告に会議室は凍り付く。


 彼らは前吉沢会長直系の子孫である恭子の存在の重要さを十二分に理解しており、信長死去後の彼の国のように超大規模なグループ企業の中で荒武者が列挙する吉沢で直系の者以外がグループ全体を平定するのには、その者がどれだけの能力と才を有していても不可能であり、現会長の姫紀を自らの軍門に降らせられない以上それを可能に出来るのは残された唯一の正当後継者である恭子という求心力を得なければならないということを知っていた。


 そして姫紀がそれを承知の上、こういった形で自分たちの前に見せつけるなど思いも寄らなかっただろう。


 それもよもや自らの腹を満たし幸福を与えた者だったとは考えもしなかった。


 

 しかし、そんな張り詰めた空気の中でたった一人、幸四郎だけが高らかに笑っていた。


「はっはっはっはっはっ!!会長、まるで我々が吉沢の簒奪を目論む輩のような物言い、少々意地が悪くはないですかな。前会長がご逝去なされた今、その失われたものの多大さを憂う者として正当後継者とその血筋のお方に対し、私どもが先代から学んだ吉沢の正しき道の在り方を示そうとしているだけ。言わば教師のような存在、指導内容がお気に召さないだけで地獄に道連れとは流石に心が痛みますな」


 彼の一言一言の言葉の重圧が一度は凍り付いた場の空気をゆっくりと崩していく。


「特に姪御殿はまだ学業を本分とする学生、だからこそ今の内に吉沢独特の帝王学を十二分に学んでいただきたい所存。確かに学生らしからぬその料理の腕前で手前共を感動させたのには感服しましたが、しかし、吉沢の正しき道を知り我々の上に立つ存在となり得て下されば、幾万倍の人間へ幸福を与えられる存在となるでしょう」


 それはやがて大半を占めていた反体制派の役員たちの拍手へと繋がり、一気に形勢は逆転しようとしていた。


「先ほどの会長の言葉はお互い忘れることにして改めて次期後継者殿をご紹介していただけませんかな。ああ、こんな大勢の年寄りを相手に年端もいかない少女に一人挨拶させるのは酷と言うものだ。ああ、そうだ、私が手塩にかけて育てている者を本日同行させておりました。この機会に先ずはそれに紹介を兼ねて挨拶させましょう。恐らくは同じくらいの年ではありませんかな」


 そう言ったのち、幸四郎は姫紀と同じように秘書へ電話を掛けると、数分も経たぬ内にその人物は会議室の扉を開け入室する。


 そして、それを見た恭子の驚く様は先の役員連中のそれを凌駕するほどだったかもしれない。


「瞳、吉沢会長たちと役員の皆々へ挨拶しなさい」


 恭子と年が近いだろうと幸四郎が語っていたその女の子はシックなスーツを着て、礼儀作法においても決して女子高生とは思えない有様であり、堂々とした態度と顔つきで深く頭を下げて短い挨拶をした。


「吉沢瞳です。よろしくお願いします」



「会長は元より皆へ紹介するのは初めてでしょう。これは数年前に不慮の事故で親を亡くしたことで私が養子にした遠縁の者でしてな。中々の才覚がありそうなので今の内に色々と叩きこんでいるところです。まあ、期待通りに育ってくれれば私の後継者にしても良いかと思案しているところなんですがね」


 ポンポンと2回幸四郎の手を頭に置かれたヒトミはもう一度深くお辞儀をする。


「皆さま、何卒お見知りおきを」



 役員連中には養子でありながら吉沢の実質のリーダーに重宝されているという事実が彼女が幸福に映っているようだったが、絶対権力者という人物に育てられてきた姫紀にとっては必ずしも皆と同じ感想を持っていたとは言えないだろう。


 彼女の顏も仕草もそうせざるを得なかった過去の自分とどこか重なる部分があったのだ。


 全体への挨拶が済んだヒトミが今度は直接姫紀達のほうへ体を向ける。


「吉沢会長、恭子さま、どうかよろしくお願い致します」


 まるで赤の他人のような素振りだが、実際のところ恭子は学園のクラスメートで、姫紀に至っては担任の教師であり前会長が死んだ後で情緒不安定になっていた彼女の精神安定剤的な役割をしていたので、恭子たちにとってはこの挨拶自体が何よりの茶番だろう。


「吉沢さ―――」


 困惑と混乱の最中にあった恭子がようやく声を上げようとした瞬間にヒトミは対面していた恭子と姫紀にしかわからないように小さく、とても小さく首を横に振った。


 そしてその彼女の目はまるで『今は彼に絶対逆らっては駄目』と諭されているように恭子は感じていた。


 そんな二人の微細なやり取りだったが、それを見た姫紀が漠然とした不安を覚え、ひょっとしたらヒトミもまた自身のコントロールを奪われた旧体制派の犠牲者なのではないだろうかとの疑問を持つと同時に今までの彼女の自立した能動的な行動とのギャップに違和感が拭き切れずに感じたその不安をより増大させていく。


 無理やり従わされていたのか、それとも自らの意思で幸四郎の傀儡に成り下がっているのか。


 姫紀は不安的な時期にあった自分へ聖母のように包みこんでくれたヒトミだったからこそ、ただ単にそこに付け込まれてだけだったとはどうしても思いたくなく、彼女の慈愛がそんな邪悪じみたものだったとはどうしても思えない。


 そんな自問自答が永遠に続くかと思えた姫紀だが、幸四郎の次の言葉に対するヒトミ反応により明確な答えが見つかった。


 それは姫紀にとっては幸四郎の傀儡と知らされた後もずっと信じ続けてきたヒトミの姿であり、


 それはヒトミにとっては大切な人を守るために絶望の淵を一人でずっと歩いていた証拠でもあった。


 

「そうそう、もう一つ大事な報告があったのを失念しておりました。これの弟の一人を大物代議士の門田氏のところへ近々養子に出す予定でしてな。これで政治家との太いパイプが出来て吉沢の安泰もより大きなものとなるでしょう」


 その発表に役員たちは「おぉー」とった様々な感嘆の声が相次いだ。



 しかし、その中でヒトミだけはまるで禁忌の呪言を耳にしたかのように顔から血の気を引かせフルフルと体を震わせる。


「お、お父さま……お、弟と妹は自由にさせる、って、や、くそくを……」


「私が言うことを聞けば、弟たちには手を出さないって……」


 一切何も知らされていなかったヒトミが僅かな苦言を絞り出そうとしただけで、飼い犬に手を噛まれたかのように受け取った幸四郎は重い言葉で彼女を叩きつけた。


「何を言うか、お前たちの家族のような前会長に捨てられた名も無き一族が再び吉沢に戻れただけでなく、弟の一人が門田というの超名門の家に名を連ねることが出来るというのに何の不満があると言うのだ!!」


「で、でも、それでは……」


「もう、用は済んだ出ていけ」


 退出を命ぜられたヒトミは光を失った闇の中を彷徨い歩くようにしてフラフラとその場を離れていく。


「吉沢さん!!」


 恭子は只事ではないそんな彼女の姿を見て前のめりになりながら声を発するが、隣りからスッと手が伸びてそれを制止された。


「恭ちゃん、私が行きます。それは私の役目です。ここは私を信じて、私に任せて。大丈夫、きっと大丈夫だから、何も心配しないで。貴女は今晩の飛行機に乗らないとでしょう?そんな顔を渡辺さんに見せちゃダメよ絶対」


 恭子は姫紀の穏やかな諭しに一杯にギュッと目を閉じてコクリと頷く。



 そして姫紀は役員たちに一言言い放ちヒトミの後を追った。


「もう私にはこれほどまでに腐りきった吉沢を救うことなんて出来そうにありません」



 その言葉を姫紀の敗北宣言と受け取った役員は少なくなかった。


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