第19話「吉沢サミット②」―――姫紀side


「えー、それでは、個別の議題への討議に際しまして、まずはお手元のアジェンダをご確認いただきたいのですが」


 司会進行の瀬野が指す資料にはこれから討議される内容の詳細が記されていた。


「まずは、輸入へのコスト増大が懸念される円安傾向対策と致しまして、こちらは経理総括の大井取締役からご説明を―――」


 司会の瀬野から紹介された大井が席を立つ為に少し椅子を引いた、その時だった。


「あー、その前にちょっと宜しいか」


 挙手をする訳でも無く、組んだ両手を上に顎を乗せた幸四郎はそう言って、進行を妨げる。


 瀬野を始め、会議に参加している面々は一斉に彼へと視線を向けた。


「ふむ、瀬野くん……今回の会議に見慣れぬ人物が参加しているようだが、これは一体どういうことなのか?ん?」


 彼の言葉へ連動するように、姫紀の後ろに控えた人物へ皆が視線を移していた。


「この吉沢大会議では社外へ一切漏らしてはならぬ重要な機密情報もある筈。そのような場において社外の者というだけでなく、只の三流企業の老人がこの場に存在するというのは些か理解に苦しむのだが」


 確かに常識的にはあり得ないことだろう。


 しかし姫紀が白井会長を同席させたのに無理があるのは彼女自身にとっても重々承知の上なのだ。


 寧ろ、今まで静観されていたことへ困惑しているくらいだった。


「えー、その件に関しましては、事前に提出された参加者名簿により当方も認識しておりましたが、吉沢会長直々の随伴者ということもあり、会議規約にも会議参加者する限定する要項もございませんでしたので受理致しました」


「馬鹿者!!」


 姫紀を庇おうとしてのことかはわからないが、瀬野が幸四郎の指摘に対し反論している最中、幸四郎の腰巾着の一人が大声を上げて怒鳴っていた。


「そんなこと常識で考えればわかる事だろう!!それを規約に書いてないということは、規約に書くまでもないくらい少し考えれば誰にでもわかることだからだ!!」


 机をバンバンと手で叩きながら言葉の節々を強調させ、これでもかと言う程に怒りをアピールしている。


「しかし、過去の議事録を確認しましたところ、先代の会長が個人的に同席させられた方たちの中には更に我が社との関係性が低い方もおられましたので、当方と致しましてはその慣例に習い受理したまでであります」


「ぬ、ぬ―――」


 彼は顔を真っ赤にして更に激高していたが、幸四郎に一睨みされたところで着席を余儀なくしていた。


 まさに役者が違うとはこのことだろう。絶対君主制だった先代の話を持ち出されては如何様にもできない。


 しかし瀬野が大勢の怒りを買ってまで正論を掲げ姫紀の立場を擁護してくれるのは何故なのだろうか。そのような思いが姫紀の脳裏に過る。



『中立の者は勢力の対立を維持し続けることで漁夫の利を得ようとする輩が多いのもまた、世の常ですからなぁ。用心に越したことはないですわ』


 勉強会で関久の関谷社長が姫紀に説いていたことが彼女の頭の中にリフレインする。



 それでも、瀬野が助けてくれている、、、と姫紀は思いたかった。


「先代は吉沢の基礎を築き上げられ、世界に通用するグローバルグループへと成長させられた偉大な方だ」


 幸四郎が瀬野に対する反論を姫紀に向かい投げかける。


「確かに、過去には我々からすると非常識と思うことをされていたことも在りはしたが、そのリスク以上の効果を発揮されていたのも事実。しかしそれは超越した知識や見識、カリスマ性があって故のこと」


「それらを都度確認しなかったのは、それまでの実績がその証明でもあったからこそ聞く必要がなかったのだ。その部分においてあらゆる点で実績を持たぬ就任まもない新会長としては、皆へ今回の一件への説明責任があると私は思うのだが」



 ―――私は戦いたかった。


 ―――誰かを守るためには戦わなければいけない。


 ―――誰かを守るために自分を守り続けるのは嫌だった。


 

 精神的にまだ幼い姫紀は白井会長の反応を確認することも忘れて起立してしまう。



「白井さんが会長職を就任しているアドレスは最近我が社が株を大量に購入して、大株主なったと聞いております。筆頭になるのも時間の問題との声もあるようでしたので、その縁もあり経営に疎い私が教えを乞うために同席していただいているのです」


「そもそも、規約規約と申しますが、吉沢グループの運用であの量のアドレスの株を購入するのには至って高額な資金が動かされたのは間違いないでしょう。最も基本的な規約を辿れば、一定の金額を超えた決裁は会長の私に属するはずでしたが、まずはその説明をしていだたきたく存じます」



 幸四郎からまるで人を馬鹿にしたかのような笑みが零れた。


「なるほど、なるほど。そこのお方は会長の保護者ということですか。なるほど。それなら結構。よろしい、皆もよもや会長が保護者同伴での出席とは思いも寄らぬことだっただろう。明確な理由を聞けて各々納得されたことでしょうな」


 周囲からクスクスと笑いが漏れる。


「ああ、そうそう。決裁権のことでしたな。私は先代が無くなられる前に前会長から直々に吉沢の将来の安寧を委ねられております。それ故に、こと経営に関しては、先ほど会長自らが仰っていたとおり、右も左も解らぬ内はこのような大きな取引、現会長を混乱させまいとの親心を以て全権委任されている者として代行決裁をしたまで」


 一度始まった彼の反論攻勢はより勢いを増す。


「経営を学ばれるまでのことと思ってはおりましたが、周囲からの反対の声に耳を貸さず学園の教師などという戯れを続け、今や皆が周知納得し丸く収まっている経営方針へ無用な横槍を入れる始末。前代から摂政として吉沢を托されているこの身としては心を痛める所存」


「会長も今一度、吉沢の将来と全従業員の未来を憂うのでしたら、そこの保護者の方と十二分に相談していただき、いっそのこと会長職を辞しては如何ですか?それこそ、貴女が想って止まない学園の生徒の為に、聖職を全うできるではありませんかな?はっはっは」


 幸四郎の言葉の終わりに、漏れた笑い声と拍手の音ががあちらこちらへと響き渡った。



 (して、やられた)


 姫紀が瀬野の顏を見ると、苦い薬を口に含んだように眉間に皺を寄せていた。


 ―――私は若かった。


 ―――未熟だった。


 ―――幼稚だった。


 姫紀は幸四郎の狙いが彼女に恥を掻かせ、自己の正当化を周囲にアピールすることにあったということを悟る。


 結局姫紀は白井会長の反応を見ることすらせずに起立し彼の誘いに乗ってしまった。


 彼女の脳内は白井会長がどんな顔をしているだろうかという懸念で一杯だった。


 呆れを通り越して、自分のことをゴミのようなものを見る目で見ているかもしれない。そう思うと、彼女は白井会長の顔を見るのが怖くなっていた。



『総帥、一番大事なことは総帥自身がどうしたいか、なのです。儂や関久の社長が何を言おうと、何を教えようと、それは飽く迄も助言に過ぎませぬ』


『白井会長……私は、ご承知の通り只のお飾りに過ぎません。しかし、私には自分の身に代えても守らねばならない人がいるのです』


『私は、渡辺さんと出会ってから気取ることを辞めました。何がどうあろうと、誰がどう言おうと、押し負けられることが解っていても、全てのことに全力でぶつかっていきます。彼の行動がそのことの素晴らしさを私自身に教えて下さったのです。だから―――』



 ―――私は気取って王位に座してなんかはしてやらない。


 ―――だから、私は形振り構わず恥も捨てる。


 ―――彼と彼女の大事なものを絶対に守り抜く。



 姫紀は一度目を瞑り、掲げた意を再確認した後に白井会長へと顔を向けた。


 そして、ゆっくりと瞼を開けると、そこには―――


 

 とても、とても穏やかで優しく微笑んでいる初老の白井会長の顏が彼女の瞳に大きく映し出されていた。



「皆さん、先ほどは大変申し訳ございませんでした。非礼を詫びることになるかはわかりませんが、吉沢の中枢を支えて下さっている皆様へ今の私が出来る精一杯のことを準備しております。私の要らぬ発言もあり、会議が長引いておりますので、一旦ここで昼食をお出しさせていただければと存じます」


「どうか、未だ未熟な私からの本日最後の我儘だと思ってご賞味くだされば幸いです」



 幸四郎を始め彼の派閥と思われる人たちの既ににやけている顔から一斉に花が咲いた。


「お心遣い大変に有難い、これで毒が盛られていなければ更に結構ですな」



 嫌味の一つもあったものの、彼女の言葉が反省の意として受け取られ、殊勝を感じてくれたようだ。



 最後に姫紀はもう一度白井会長へ目を向ける。



 ―――コクリ

 



(さあ、行こうか、、、恭ちゃん)


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