第11話「これが純一のやり方」
『なんだ、純一また喧嘩で負けたのか』
当時不良ブームだったあの頃、男子高に通っていた俺は周りが野郎ばかりだったせいもあってか、ちょっとしたことで幾度か喧嘩を吹っ掛けられることがしばしばあった。
『お前が迷っている内は勝てねえよ。相手を怪我さえないだろうか?喧嘩が大きくなると皆に迷惑かけてしまわないだろうか?なんて、どうせ考えてたんだろ』
図星だった。
そんな俺はいつだって否定もできず不貞腐れるばかり。
「五月蠅い。俺は師匠みたくはなれない」
『俺みたいになんてならなくていいぜ。お前のそんなところは美点だ。でもな、これだけは覚えておけ。お前が迷っている内はな……覚悟を決めた奴には、腹を括った奴には絶対に勝てない。絶対に負けちゃいけない時だけはその美点を捨ててしまえ』
俺は中年と呼ばれてもおかしくないこの年になっても師匠の言ったように迷いを捨て切れるほどの覚悟を持てたことは一度もなかった。
恭子を引き取ったときも。
その後も恭子や姫ちゃんに色々あったときも、あの子の告白メッセージを聞いたときも、そして今もそうだ。
覚悟を決めたつもりでいて、実際は迷いながら進んでいるだけ―――
「―――んいちくん、純一くんってば!!」
「えっ?あ、ああ。真希先輩……どうしました?」
どうも俺は上の空だったらしい。真希先輩が俺の方をみて呆れた顔でため息をついている。
「どうしたもなにも、もうみんな先に予約した店に行ったわよ。……疑心暗鬼な面を揃えて、ね」
勤務時間変更により親睦会が業務時間中なったことで、皆も不参加を言い出せなかったのか、取り敢えずチーム一同集合してくれるようだ。
「もしかして、今更怖気づいているの?結局誰一人口も開かず終業時間を迎えて解散……みたいな不安かしら?どのみち賽を投げたのは貴方なのだからしっかりしなさい!!」
つい昨日までは立場は逆だったのになぁ。
別に気弱なわけじゃないけど、昔の事を思い出していた俺をそんな風に感じた真希先輩の俺への追い込み方はなんだかあの時の彼女みたいだった。
「いやいや、怖気づいちゃいませんぜ。一応腹は括っている……つもりです。それじゃ俺たちも行きましょうや!」
「え、ええ……いきなり元気になったわね。それより飲み会の費用どっから捻出したの?全部貴方の自腹なんて言ったらぶん殴るわよ」
「まだ昇進した分の給料や賞与を貰ったわけじゃないんで、そこまで裕福じゃないですよ。まあ、出張―――転勤前に立て直しのための特別会計みたいなもんを貰っただけですよ」
本当は出立の前日に会長が『どうせ向こうの職場では歓迎会なんて開いてもらえんじゃろうから、あっちに着いたらこれで女をはべらかせて美味いもんでも喰っとけ』と札束を1本くれたので、『歓迎して欲しいなら自力で頑張れ』っていう意味なのかな?と勝手に解釈して今回の費用としたのだ。
貰った時は分厚い封筒だったのでわからなかったけど、後になって開けてビックリ……椅子ごと後ろにひっくり返ったのは秘密にしておく。
何はともあれ、投げた賽を拾いに真希先輩の手を引いた俺は誰もいない職場を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「あー、えー、本日は私のためにこれほど盛大な歓迎会を―――」
誰もお前なんて歓迎してねえよ、と言わんばかりの皆のジト目にいきなり言葉が詰まらされてしまった。
居酒屋ではなく、ちょっとした持ち込みなら許してくれて大広間のある場所という条件で総務の佐々木さんに予約してもらった小料理屋だ。
「ごほん……すんません、嘘です。今日は全部会社の奢りなんで皆さんいくらでも飲み食いしちゃってください」
全員が全員歓迎してくれていない、というは些か悲観的過ぎたかもしれない。ポツポツと『マジか!いいのか!』みたいな若干ギラついた目を向ける人も見られる。
「まあ、皆で乾杯とか空気読めないことは言わないんで、今日は仕事抜きで各々楽しくやってください。盛り上がってきたら今までの仕事の不満とかもぶつけちゃってもいいですから。無礼講デス、それではよーいどん」
終わったらすぐ帰るアピールなのか、大半の人がノンアルだったこともあって乾杯の音頭も取り辛かったし、なんか間抜けな開始になってしまった。
まあ、やるだけのことはやってみるさ。
仕事中なのに仕事の話も一切なく何が何だかわからないが、取り敢えず食うだけは食っておくかみたいなウーロン茶集団を見つけた俺は、わざとらしく陽気に入り込む。
「えー、何で、みんな飲めないん?これお茶じゃないか」
あざといくらいに馴れ馴れしく割り込んだせいか、ちょっとみんなにドン引きさせてしまったが、そんなの構うもんか。
「いや、自分車なんで」
「私もこの後に予定が……」
左右の若い男女が口を揃えて言う。
「っあー、そうかっ。それはしまった!」
もうヤケだ。俺はわざとらし過ぎるくらいにアイターとおでこを手のひらでついて、ドンと座敷のテーブルの上へ持参した木箱を置いて開封した。
「せっかく関久の社長が是非みんなに飲ませてやってくれって出立前に持たせてくれたのに、これじゃあ無駄になっちまう」
社長はそんなこと一言も言ってないが、一人で飲むのも気が引けたのでそういうことにしておいた。
「関久って……あの関久物産の?」
「社長って……係長、どうしてそんな人と」
ジト目で引いていた奴らも流石に驚いていたが、その中に一名これでもかと言わんばかりに驚愕している人がいた。
そいつの視線の先から察するに、クリスタルボトルに入ったこのブランデーを知っているのだろうか。
多分高い酒なのだとは思うのだけれど。
「こっ、こ、こここっ、これっ、これっ、一本ン百万はするブランデーじゃないですか!!店とかで飲んだらグラス一杯で50万のヤツだよ……」
「えっ、マジで!?」
持ってきた俺が何故か驚いてしまった。
ワングラスで俺の給料より高いとか……ありえんだろ。
「ぜっ、ぜっ、是非1杯だけでも、いや舐めるだけでもいいんで味見させてください!……お前らも今飲んどかなきゃこんなの一生飲めねえぞっ!!」
「えっ、え、えっ、でも、でもっ、私、車で来ちゃってるし……」
「おっと、そんな貴女に朗報です。本日に限りなんとっ代行運転料金を会社の負担とさせていただきます。これなら車で来ちゃった貴女も安心だネッ♪」
「えっ?本当ですか?あ、ありがとうございます……じゃあ是非」
そして俺は酒マニアなのかキャバクラとかのクラブマニアなのかは知らんが、この酒の価値を知っており見事に皆に火を点けてくれた彼の瓶ビール用のコップに皆で分けてくれと言わんばかりになみなみと溢れん程のブランデーを注いでやり、満面の笑みでサムズアップしてやった。
すると、まあ、『お前の方が多い』だの『いやそっちが多いだろ』だの、コンマ1ミリ単位でコップに分け合ったりしてやんややんやと騒がしくなっていた。
一部の集団がそんな風になると、やはり周りの皆もそれはそれは気になるのは無理ならぬワケで―――
「なんだか知らんけどこの高い酒!1本在庫限り、早いもん勝ちだよ~」
一瞬にしてなくなってしまった。
そして、一瞬にして皆が出来上がってしまった。
開始30分たっていないのに瓶ビールが5ダースは空いているんだけど……九州の人たちって本当に酒が強いんだなあ。
ふと、遠くを眺めると真希先輩と平野とかいう元副主任が揉み合いになってるし、いい加減誰かが割って止めに入らんと―――
「―――係長!ちゃんと聞いてますかぁ?アタイも仕事が別に嫌だってわけじゃあないんですよっ!でも、会社のやり方があんまり酷いんで、そんなんじゃあ頑張ってる人が頑張ってるだけ損するだけじゃないですかぁぁぁぁぁ……けふっ」
アタイって誰だよ今時、とか思っていたら昨日残業無視して帰ろうとしていた幸薄そうな小柳さんだった。
けふっって可愛いなおい。
「はい、すんません。それは会社が間違っていると思いますであります……あっ、はい、お代わりですね?」
「ロックでー」
「はい、ロックでよろこんでー」
霧島ロックを何杯飲むつもりなんだろうか?このお嬢ちゃんは。
「なべ係長!!ジブンも今の状況がイカンっつーことくらいわかってはいるんすよ!でも、平野サンが立ち上がった以上後には引けないっつーか―――」
平野の兄ちゃんは兄貴分なんだなぁ。
「いやぁ、わかりますわかります、ハイ。―――おっと、お代わりですよねえ……霧島じゃなかったこっちは薩摩だったけか」
「ロックで!」
「はい、ロックよろこんでー」
飲み放題じゃないんだけどなぁ、まさか万束1本超えることは無いだろうが……超えないよね?
と、まあ、皆への酌&愚痴を聞いていると大体の事が掴めてきた。
やっぱり、みんな仕事が嫌で嫌でたまらなくなって放棄したわけではない。そりゃ本当に嫌なら辞めるだろうし。
結局は落としどころが見つからず、無言の抵抗を続けているということなのだろう。
「主任とジブンたちとの間をギリギリまで繋いでくれていた平野サンを焚きつけたのは、まあ結局ジブンらなんで……本当に平野サンには悪いとは思ってんすよ」
やべえな、俺の中で平野の好感度がグングン上昇してるんだけど。
その言葉の後に俺と愚痴を言い合っていた奴らが真希先輩たちのほうに目を向けると、先輩と元副主任の平野の揉み合いは沈静化されており、スッと二人が立ち上がって皆の集まるこちらの方にゆっくりと歩いてきた。
「ねえ、純一くん。ひとつだけ教えて頂戴。貴方は前の職場でこのふざけたデスマーチの中でどうやって皆のモチベーションを保たせていたの?」
なるほど。
主任と元副主任は落とし前のことで今まで揉み合っていたんだな。
「正直に言います。あくまでもウチの場合の話になるんですが、残業に関しては半分はその日にキッチリつけてました。流石に短期間に全部はつけれなかったですけど、残りの半分はデスマーチが終わった後に誤魔化しながら上乗せしてました」
真紀先輩は下唇を噛みながら俺の言葉の続きを待っている。
「あと、期間内での作業完了を条件に5日間の休暇と家族とかにバレないような明細につかない一時金を一人につき10万を役員一同に約束させて、無事それらを提供できました」
破格の報酬だったのだろうか?俺の言葉を聞いていたその場の全員が言葉を失っていた。
「それって、本社全員……?」
「それはわかりませんが、部署によって作業量も違いますし、特別報酬に関しては完全に内密にと重々言いつけらましたね。俺の部下たちだけへの個人的な請求になっていた可能性もあります」
「個人的にって……そんなの、どうやって……」
「どうやっても何も、新入社員の俺は当時の指導担当の先輩に喧嘩のやり方を教わったんですよ」
真希先輩は暫くポカンとした後で、クックックっと口を鳴らした。
「そうね……そうだったわね。いいわ、平野、あとみんな!」
そして彼女はグルリと周囲を見渡してから大声で叫ぶ。
「昨日も言ったように私は今までの事を謝るだなんて野暮なことは言わないし、そんなことはしない。でも、もう間に合わないかもしれないけど、今ウチが受け持っている作業を期間内に終わらせたらっていう条件でさっき純一くんの言った特別報酬をウチの役員共へキッチリ取り付けてくるわ!一度降ろされたチーフの身なんだから死ぬか生きるかくらい自分で決着つけてくるわよっ」
その言葉を目を閉じてジッと聞いていた平野がゆっくりと口を開いた。
「俺もいちいち謝ったりはしませんぜ。でも主任がそこまでの覚悟を本気で見せてくれるんなら、俺は何も言わんです。……皆もそれでいいかっ!?」
凄い光景だった。その場の全員が例外なく同時に頷いている。
「それ以上の要求があるなら遠慮なく今ここで云わんかっ!本当にそれで良いんかっ!?」
続けた平野の言葉に、全員が再び深く深く頷いた。
結局終業時間を大幅に過ぎてしまった後での解散となった。
まだ取らぬ狸の皮算用なのだが、それでも主任のその決意を以って平野が行った静寂のなかパシン響く一本締めはそら見事なものだった。
「もうみんな帰りましたよ、真希先輩」
貸し切りにしていた小料理屋の部屋の座敷に二人だけになった真希先輩が、俺の背中にコツンと頭をつける。
「たった、たったこれだけのことだったのにね。ちゃんと腹を割って話せばもっともっと前から分かり合えてたかもしれなかったのに」
真希先輩は泣いていた。
「まだ終わっていませんよ。本当の決着は明日なんでしょう?」
「うん……そうよ。……だから、少しだけ私に勇気をちょうだい」
すると、真希先輩の両手によって俺の頭は強引に振り向かされ―――
俺は不意にも唇を奪われてしまった。
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