第17話「私、とて……」―――姫紀side


 渡辺家を後にしてから、吉沢本家へ急ぎ戻った姫紀は当主執務室の扉を勢いよく開けた。


樋本ひもと、樋本はいる?」


「はい」


 その呼び声に返事をしたのは、体制が変わった吉沢における現在の首席秘書だった。


 姫紀が脱いだロングコートを投げて渡す。


「以前に話していた計画をすぐに実行して頂戴」


 秘書の樋本は渡されたコートを丁寧にハンガーへ掛けながら対応をする。


「その件ですが、私が調べましたところ公開買い付けを行ったとしてもあの企業をコントロールできるほどの必要な株式数には届きそうにもありません」


「……そう」


 樋本に引かれた執務室の椅子へ腰を下ろした姫紀は、足を組みながら短くそう答えた。


「申し訳ございません、敵の動きを察知しておきながら打たれた先手を防ぐことは出来ませんでした」

  

「貴方の責ではないわ。事前にあなたから教えられたにも関わらず、その対応を後に回した私の失態よ」


 姫紀はカツカツと指の爪で机を叩く。


「目をつけていたところは既に旧体制派に抑えられたようです」



 暫く考え込んでいた姫紀は、何かを思いついたかのように指の動きを止めた。


「じゃあ、別のアプローチとして主要取引先をこちらで抑えるのはどうかしら?」


 樋本は想像していなかった、姫紀の打診に目を見張る。


「なるほど、確かにそれは不可能ではないかと。しかし、複数の企業を抑えるとなると今の新体制派ではメイン銀行を思うように動かせませんので、それに必要な莫大な資金を調達できるかどうか……」


「構わないわ、旧体制派に対抗するために備えておいた実弾を全て使いなさい」


「さ、流石にそれは……」


 姫紀の無謀とも言える、思い切りの良さに樋本も戸惑いを隠せなかった。




 その時だった。


 キィと扉が開く小さな音と共にひとりの女の子がその部屋に入ってきた。


「せんせー、そのお金を使っちゃうのは、それこそ相手の思うツボだと思うなー」


 入ってきたその女の子はいつものように軽いノリで会話に割り込む。


「え!?なっ、何故吉沢さんがここにいるのですか!?」


 ヒトミは姫紀に返答はせず、ニコリと笑うだけ。


「樋本!どうして、私の生徒が勝手にこの館に入って来れるのですか!?」


 次にもう一人の秘書に視線を移して疑問に答えさせようとする姫紀。


「その……この方は、幸四郎―――様のご令嬢でして……私には……」


 樋本は言い辛くも無視するわけにもいかず、複雑な顔をしていた。


「吉沢幸四郎……。あの、死んだあいつ旧当主の腰巾着……旧体制派の筆頭―――」


 その名に思い当たった姫紀はポツリと言葉を溢した。


「せんせ、うちのパパをそんな風に呼ぶのは余り関心しないねー」


 色んな疑念が頭に過る姫紀はブルブルと身体を震わせている。


「三者面談のときも違う人が来ていたはずよ!書類上でもそうだったわ、貴方は保護者を偽造していたとでもいうの!?」


「そんなことを言っちゃたら、神海―――様だって植松の人が来なきゃいけないじゃん。あの学校はがまかり通ることくらい、先生は良く知ってると思うんだけどなー」


 姫紀は更に顔を曇らせて、疑心暗鬼を露わにしていた。


「じゃあどうして?貴方が私に優しくしてくれたのは、そういう理由からだったの?ねぇ、ねえ、どうしてよ」


 そんな姫紀をいつものように豊満な胸へ優しく抱きしめるヒトミ。


「違うよ、うちはいつだって先生の味方だからね。だから今回のことも邪魔しないから先生の思うようにやってみていいよ」


 ヒトミは諭すように言葉を続ける。


「色んな人が色んなことを考えて、行動して、その結果たくさんの選択肢が目の前に現れた時、神海様やあの下宿先のオジサンは一体どれを選ぶんだろうね?」


「そして、先生は……本当は何を選んで欲しいのかな。このまま進めば神海様は必ず先生の元へ来るのは疑いないことだとと思うのに」


 ヒトミが言おうとしていることに対しては、姫紀も既に自身のなかで決着をつけていた。


 若しくは、そう自分に言い聞かせていたことだろう。


「私、とて……願わくばそうありたいとも思っていました。けれど、それでもあの子にはあの人が必要で、あの人にはあの子が必要なんです。だから2人を引き離してまで手に入れられる未来なんて私は……要らない」



「そっか。先生は欲張りなんだ、ね」



 彼女が唯一欲している未来を彼女自身の手でより困難にしているのだと、ヒトミは理解していた。


 姫紀の描く未来予想図が、自分の隣に並ぶ純一のとの間に恭子が満面の笑みで収まっている―――そんな青写真なんだろうな、と。



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