第9話「下ろされた幕の外での衝突」―――都華子side


 渡辺家マンションの屋上で行われた奇妙なクリスマス行事が終了し解散した参加者たちはそこで得た土産を持ってそれぞれの帰途につく。


 帰り道が同じ方向のものたちは暫しの時間、体を並べて歩いていたものの、経路の分岐点に差し掛かる度『良い聖夜を』などと別れ文句を言ってはその集団の数は減少していった。


 都華子も半ば意識してつくった笑みを浮かべては別れの挨拶をする。そして、渡辺家を一緒に出たクラスメートも今はヒトミだけとなっていた。



「ん、あれ?相葉ん家ってこっちだったっけ?」


 ヒトミの風貌にはいかなる時も他人を安心させることのできる特徴がある。それは彼女の表情や性格、全身から滲み出ているオーラのようなものかもしれない。事実、出会って間もない人が短期間でヒトミに心を許すことも多かった。


 だから、まるで獣のような目を都華子から向けられているのは彼女にとって、とても新鮮であっただろう。


「ヒトミ、あんたオジサマに何を言った?」


 荒んだ目をしてヒトミを下から睨み込んだ都華子は小さく首を振る。


「なんで、オジサマにを言った?」


 普段の都華子からは想像もできない程の尋常ならざる気迫が感じられる。

 

「あー、あれ?だってさー、神海って宿に対してちょっと依存し過ぎじゃん?やっぱこういうのって大人の人からキチンとした距離を設定してあげなきゃさー」


 都華子は更にヒトミへにじり寄った。


「それらしいこと言っても私は誤魔化されないから、吉沢瞳」


「フルネームで呼ぶなんて、ちょっと他人行儀に過ぎんじゃない?相葉都華子ー」


「前からやたら姫ちゃんに構うと思ってたけど……ヒトミはあの吉沢なの?」


「えー、吉沢なんてたくさんいるじゃん。それこそウチの学校にも4~5人はいるしさ。……まあでも、うちの吉沢はあの吉沢に最も近い吉沢なんだけどね」


「直系の分家……それで、あんたはオジサマとキョウをどうするつもりなの」


 ヒトミは下唇に人差し指を当て答える。


「んー、やっぱりさー、神海は……恭子さまは姫紀さまの元――本来在るべき場所へ行くのが当然だと思わない?吉沢を早々に裏切った相葉家には別の思惑もあるかもだけどさ」


 問い詰めても緊張感なくふわりと答えたヒトミに対して怒りを露わにした都華子は彼女のコートごと胸倉を掴んだ。


「家は関係ない!!父親も母親も私に対しては一切吉沢の話はしてこなかった、今も昔も!!」


「ふうん。それにしては恭子さまが転校してきたばかり時の相葉の距離の詰めようは些かあざと過ぎじゃない?流石に偶然仲良くなった相手が本家の正当後継者である『反吉沢が最も憐れむ直系の犠牲者、悲劇のヒロイン』だったなんて虫が良すぎることを言わないよねえ」


 ヒトミの言葉により険しさを増す都華子。


 胸元を手を放した際にコートのボタンのいくつかが千切れ、アスファルトに跳ねる音がシンとした空気に広がった。


「違うッ!五月蠅いッ!」


「姫紀さまの失踪の際もあの方のことを何も知らない顔をして探していたようだけどさー、今になって考えると相葉もかなりの狸だよねぇ」


「違う、違うッ!!姫ちゃんのことは本当に知らなかったんだッ!!」


本当に、ってー……やっぱ、恭子さまのことは前もって知ってたんじゃん。まあ、姫紀さまに関しては本家もかなり神経を使って実子ということを隠していたようだから今でも知らない人が多いみたいだしねー」


 簡単にボロを出した都華子にヒトミは笑いを溢す。


「キョウのッ……こともッ、お母さんに『今度転校してくる子は―――だから仲良くしてあげて』って頼まれたくらいでッ、キョウの家のことなんて、それに姫ちゃんのことだって全部後から知っただけだからッ」


 都華子の言った『―――だから』と、声にならなかった部分もヒトミには容易に想像がついた。


「相手が知らないのはフェアじゃないから恭子さまにもちゃんと教えてあげなー、『私が貴方と仲良くするのは母親から”可哀相な子だから仲良くしてあげて”って頼まれたからだよ』ってさー」


 ヒトミの越えてはならない一線を越えた言葉が、都華子を辛うじて抑制していた僅かな理性全てを弾き飛す。



 ―――ガブリ。



 都華子が噛み付いたヒトミの右手の皮膚から滲み出る赤。



 それでもヒトミは悲鳴のひとつも出さずに、反対の手で都華子の頭を優しく撫でていた。



「そだよねー。あの子は親友だもんね。相葉はそれでいいんだよ」



 未だに噛みついたまま『ウ゛ーウ゛ー』と唸る都華子をヒトミは自分の右手ごと胸に抱き寄せて言葉を続けた。



「相葉のすることを邪魔はしないよ。でもさ、うちだっていつまでも亡霊に動かされている訳じゃないんだよ。今までが歪だってことはわかってる。それでも昔の吉沢のままで修復できるんなら、それを壊してしまうよりも良いってうちは思うから――」



「姫紀さまの元へあの子が行くのが一番全てが救われると思うから――」



「今は周りが見えてない部分も多いあの子に、ちゃんと色んな道筋を見せてあげた上で進む道を選ばせてあげちゃいけないかなぁ?ねぇ相葉」



 薄暗くなった空から降り始めた小さな雪の粒が、ぶらりと降ろされた右手の赤へ優しく染み込んでいった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る