第44話 オー、ブラザーズ!メリークリスマス
その瞬間、サミーはデレクから手を貸してもらい、体を起こしたところだった。パンッという破裂音がしたかと思うと、先に立ち上がっていたはずのビリーの体が後ろへ倒れるのが、視界の隅に映った。何があったのかと振り向くと、そこにあるはずのビリーの姿がない。壁に空いた穴から吹き込んだ風が、ヒュウッと虚空を震わせた。
状況を理解したのは、デレクの声が響いた時だ。
「お前、なんでビリーを撃った!」
彼はルークへつかつかと向かっていった。ルークは、まだビリーを撃ったらしいその銃を構えていたけれど、手はガタガタと震え、赤く腫れた目の中で瞳も揺れていた。彼はデレクが迫ってくるまで引き金を引けないままだった。
デレクはルークから銃をひったくると、彼の胸ぐらをつかみ上げ、額に銃口を押し当てた。
「殺してや――」
止めたのはトミーだ。彼はデレクの襟ぐりの後ろ側をつかみ、後ろへ引き戻した。
「馬鹿なことすんじゃねえ! ビリーを撃とうとしたわけじゃねえだろ。狙いが外れただけだ!」
「だからなんだ!?」
デレクが叫んだ。
「こいつがビリーを撃ったことに変わりないだろ!」
「オレたちだってビンセントを殺した! オレらにはクソ野郎でも、こいつにとっちゃ恩人だ!」
トミーは乱暴に息を吐き出すと、デレクの手から拳銃を奪った。
「そんなにビリーを思うんなら、助けにいけよ。まだ間に合うかもしれねえだろ」
デレクは唇をぎゅっと噛んで、眉間を歪めた。やり場のない怒りを込めたであろう拳で壁を殴りつける。ジィン、と心臓にまで震えが伝わってきた。それから、デレクは何も言わずにドアへ向くと、走って出ていった。
やってきた静寂と共に、周囲の気配が強ばった。バードさんは肩が大きく上下するほど深く息をつく。
「良くやったぞ、トミー」
トミーは俯いて、そっと首を振った。
バードさんは今度は鼻から息をつくと、手にした無線機を耳に当て、もう攻撃するなと告げた。そうして、ビンセントの遺体を担ぐ。ルークの目がかっと開かれ、バードさんに飛びかかろうとした。けれど、後ろからトミーが首へ片腕を回し、動きを封じる。バードさんはトミーの腕の中でもがくルークと目を合わせ、表情を解いた。
「安心しろ。ビンセントはちゃんと仲間の元に返してきてやる。こいつが死んだって分かれば、みんな戦う気なんて失くすさ。ビンセントはそれだけの男だっただろう?」
ルークの目の表面は、みるみる内に涙に覆われ、てらてらと明かりを反射する。彼は唇がわなつき始めてしまったのを隠すように顔をうつむけた。
それからバードさんはサミーへ視線を向けた。
「ここはトミーに任せて、お前はデレクのところに行け。誰かついてやってた方がいい」
バードさんはそれでいいか確認するようにトミーへ目配せした。トミーは小さく頷く。サミーも、はい、とだけ答えて、すぐにデレクの後を追った。
*****
外に出ると、紺色の夜闇の中に一際黒い人影が見えた。デレクだ。
「デレク」
呼びかけて駆け寄るサミーに振り返りもせず、彼は言った。
「いない……」
「え?」
聞き返すと、デレクはようやくサミーの方へ体を向ける。
「この辺りに落ちたはずなのに、どこにもいないんだ」
サミーはすぐさまデレクの背後に視線を走らせ、それから戦車に空いた風穴を見上げた。確かに、この辺りだ。なのに――。
「ビリーの願い、覚えてるか?」
デレクの言葉に虚を突かれ、サミーは視線を下ろす。
「あいつは『でっかくなりたい』って言ってたんだ。『でっかくなりたい』って。ジョンよりも、オレよりも『でっかくなりたい』って」
言葉を繰り返す度に、はじめは力なかった声に悲痛な怒りが滲んでいった。そうして、彼はその場にへたり込んでしまう。頑なに地面を見つめながら、
「オレのせいでビリーは死んだ。ダンだって、そうだ。オレがもっとちゃんとしてれば――」
「待って、ダン? ダンがどうかしたの?」
思いがけない言葉に、つい声を上げてしまった。デレクは、そっと顔を上げてサミーを一瞥すると、再び俯く。
「首を撃たれた。ジョンがドクターを呼びに行ってくれたけど、たぶん間に合わない」
急に、全身を巡る血が冷たくなった。目の中に熱いものが溜まってくる。ビリーのこと、ダンのこと、目の前で打ちひしがれるデレクのこと、それにダンが死んだりしたらきっと立ち直れないであろうディッキーのこと。それら全部がサミーの胸を傷つけた。心が血を流すような痛みのせいで、彼はデレクにどんな言葉をかければいいか、考えられずにいた。サミーは立ち尽くし、デレクは地面を睨み続けた。すると、
奇跡が降ってきた。
どうすればいいか分からず、サミーが空へ視線を泳がせた時、冴える星々の間を何かが飛んでいるのが見えた。冷え切り、途方に暮れた心へ鋭く切り込んできた不思議な光景。訝しみ、目を凝らすとその姿は少しずつ、少しずつ大きくなり、動物が何かを後ろに引いているのが分かった。もっともっと近づいてくると――
そりだった。トナカイが大きなそりを引っ張っているのだ。そして、そりに座って手綱を引いているのは、赤い外套を着た白ひげの老人だった。片手に何かを抱えている。
サミーはすっかり面食らってしまって、ただ、ただ、目を瞬くことしかできなかった。さすがにデレクも気づいたらしい。横で彼が立ち上がる気配がした。
老人は二人の目の前でそりを止めた。地面に接しているはずのソールは宙にふわりふわりと浮いている。トナカイもそうだ。疲れた足を回すように、蹄で虚空を掻いている。目を見張るデレクとサミーをよそに、老人は穏やかに話した。
「空を走ってたら何かが戦車から落ちるのが見えて、慌てて捕まえたんだ。見たら子どもじゃないか。びっくりしたよ。君たちの友だちだろう?」
彼は片腕に抱えていた少年を、そっと差し出した。ビリーだ。あまりに呆然として、瞬きすら忘れてしまったらしいデレクが、促されるままビリーを胸に受け取った。
「かわいそうに。相当怖かったんだろう。気を失ってしまっているよ」
その時、はじめてデレクの表情に疑問の色が差した。
「でも、こいつ、撃たれて――」
「そうなのか? 怪我はしてないようだったが」
老人がビリーの胸元を調べると――小さな人形が出てきた。藁で編んだ馬の人形。真ん中に銃弾がめり込んでいる。
デレクがはっと目を見開く。瞳の円い輪郭が分かるほどに。
「だって、こんなの……ただの藁なのに」
老人は目を弓なりに細め、ハッハッハッと伸びやかな笑い声を上げた。
「いやあ、驚いた。奇跡っていうのは本当にあるものなんだなぁ」
それから彼は少し申し訳なさそうに声を落とした。
「悪いが、今はあまりプレゼントもなくてな。せっかくのクリスマスなのに申し訳ないよ。でも一つだけ」
彼はデレクをじっと見つめた。
「君はいいリーダーだよ」
老人は再び手綱を取ると、トナカイを走らせた。駆け上がっていくトナカイとそり。彼らは空高いところで一度立ち止まると、
「兄弟たちよ、メリークリスマス! 君たちに素晴らしい未来が待っていますように!」
その瞬間、サミーはデレクの目の縁からキラリと滴がこぼれるのを見た気がした。けれど、すぐに彼は目元を腕で拭うような仕草をし、大きく手を振った。
「メリークリスマス!」
そしてサミーへ振り向く。
「そう言うんだろ? よく分かんねえけど。お前も言えよ」
デレクの目にはもう涙の名残すら見えず、サミーは自分の見たものが本当だったのか分からなくなった。ただ、今のデレクの目の中では、吸い込まれた星明かりがらんらんと輝いている。彼の無邪気さをはじめて目にして、サミーの心の奥底で眠っていた、子どもらしい部分もむくむくと起き上がってくる。
「メリークリスマス!」
声の限り叫んで、両手を振る。その時、
「どうしたの?」
ジョンが駆け寄ってきていた。デレクははっとしてジョンを見る。
「ダンは?」
ジョンはにっこりと笑った。
「大丈夫。戻った時は、呼吸も分からないくらい浅くて、もうだめかと思ったけど、ドクターが『まだだ』って。処置が全部終わってから、ここまで持ったのは奇跡みたいなもんだって言ってた」
ジョンは一度言葉を切ると、真剣な目をデレクへ向けた。
「ぼくがドクターを連れて戻るまで、ディッキーはすごくがんばってたんだ。ダンの体が冷えないように自分の着てたシャツを脱いでかけてやって、ずっと抱いてたんだよ。治療をしたのはドクターだけど、そこまで持ちこたえられたのはディッキーのおかげだよ」
サミーは驚いた。あれだけ体の傷を気にして、肌を隠していたディッキーがそんなことをするなんて。デレクも同じ気持ちだったらしく、目を丸くして、それから表情を解いた。
「ちゃんと褒めてやらないとな」
彼はため息交じりに、できるかな、とつぶやいた。ジョンは可笑しそうに笑う。
「できるよ。ぼくも一緒なんだから」
そうして彼は、なんとなしに空へ目をやる。途端、目と口をぽっかりと開けたまま、彼の表情は固まった。
「あれ、何?」
ジョンの指し示した先では、もちろん、まだあのトナカイとそり、そして白ひげの老人が飛んでいた。
デレクは苦笑いを浮かべて、かぶりを振った。
「よく分からないけど、空飛ぶトナカイの引くそりに乗ってて、白ひげで、赤い服きてるから、たぶん――」
ジョンの目がキラキラと輝いた。
「サンタクロースだ」
トナカイの引くそりは夜闇を奥へ奥へ走っていき、ちらちらと震える星々の一つとなった。星明かりがひときわ強まり、少年たちを照らした。
〈エピローグへ続きます〉
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