第38話 ビンセントという人間
トミーは最上階を目指していた。まだ十歳そこそこの少年の頭に銃を突きつけて。
ルークという名のこの少年は、いくら聞いてもビンセントの居場所を吐かなかった。子どもらしいひたむきさで、彼はビンセントへの忠誠を誓っているのだ。幸いだったのははじめに人質にとったあの男が、仲間の安全より自分の命を優先するくらいには汚れていたことだ。彼の話によれば、ビンセントは最上階の戦車長用視察口から指示を出しているらしい。
「ビンセントを殺すつもりなのか?」
前を向き、歩を進めたまま、ルークが背後のトミーに話しかけてきた。
「そうだ」
「返り討ちに合うに決まってる」
胸に引っかかっていた疑念を裏打ちするような言葉。トミーは胃にぐっと重いものを感じた。
「てめぇはビンセントに気に入られてるっていうから、人質にしたんぞ」
ルークは顔をまっすぐ前に向けたままだったけれど、僅かに歩調が乱れた。
「良くはしてもらってる。でも、ビンセントは誰に対しても平等だ」
「みんなに良くしてるってのか?」
「そうだ。信用も信頼もできる奴ならな。エドにも良くしてやってたけど、あいつは自分の命のために、あんたにビンセントを売った。そういう奴をビンセントは許さない」
妙に腑に落ちる話だった。あの時、ビンセントがトミーを捕らえた時、なぜ殺されなかったのか、なんとなく分かった。ビンセントというのは自分なりのルールを持った男なのだ。そのルールに見合った行いをする者はそれなりに扱うし、そうでない者に情はかけない。誰もに同じルールを適用するという意味では、誰に対しても親身で、同時に残酷なのだ。
「じゃあ、お前を人質にしても他の奴と大差ないってことか?」
「そうだよ。いくら良くしてくれたって、それとこれとは別だ。ビンセントは特別扱いなんてしない。必要があれば誰だって見捨てるし、はじめからみんなにそう話してる」
「なら、なんでデレクの野郎はお前のことを『特別』だと思ったんだ?」
答えは返ってこなかった。バラバラのリズムで床を叩く靴音が、いやに耳につく。汗で湿った金髪の後頭部には無言の気配が漂っていた。だが、
「ただの勘違いだ。オレは特別なんかじゃない」
トミーは深く息をついた。
「ああ、そうか」
どういうことかは分からなかったが、これ以上聞いても何も出てきそうにない。それならば、とトミーは別の話をすることにした。
「でかくなり過ぎた掃除兵は、殺して臓器を売っちまうんだろ?」
ビンセントがどういう人間なのか、もう少し探ろうと思ったのだ。そうすれば仮にルークが使えなかったとしても、何か手立てが見つかるかもしれない。
「そういうこともあるけど、」
再び話し始めたルークの口調は、ちょっとだけ軽くなっていた。
「――でも、それは仕方がない時だけだ。それに掃除兵に限ったことじゃない。裏切り者とか治る見込みのない怪我した奴を殺して、臓器を売る。でも、そうやって殺した奴は、そいつがどんな奴でもちゃんと葬ってやるよ」
「ランディとかいう野郎とは違うわけだ」
そこで初めてルークは振り返った。眉が険しく歪み、目には怒りが鋭く光っていた。
「あんなクズとビンセントを一緒にするな」
「歩け」
トミーが言うと、ルークは眉間を不快そうに寄せたまま前を向く。
「ビンセントはあいつを嫌ってる。今は利用できるから生かしとくけど、用が済んだらすぐ殺すって言ってた」
「気に入らなきゃいくらでも殺していいと思ってやがんだな。それだって王様気取りのクズじゃねえか」
ルークの足が止まる。俯いて頭が前に傾くと、うなじ辺りの細い髪にできた汗の玉がきらきらと光った。
「勝手に言ってろよ。ビンセントはお前のことだってすぐに殺す。あの人は――あの人には、人を殺すだけの理由があるんだ」
「他人を殺すのに理由もクソもあるか。それが偉そうだって言ってんだよ。いいから歩け」
言われた通り、ルークは歩き始めたが、気分を害したのかそれからは何を聞いても答えなかった。
砲塔階へ続く階段に差し掛かる。
「上には何人いる?」
トミーが尋ねると、ルークは乾いた笑いを漏らした。
「教えるわけないだろ」
ルークの頭へ突きつける拳銃に、ぐっと力を入れる。頭がカクリと前に傾いた。
「お前、この状況分かって言ってんのか?」
「今オレを殺したら、人質にとった意味、ないだろ?」
トミーは銃口でルークの後頭部を下へなぞる。
「別に殺す必要なんてねえよ――」
うなじまで来ていた銃口の進路を変え、耳下へ滑らせた。
「耳を吹き飛ばすとか」
銃身の先は、ルークの首筋や耳元に浮いた汗で濡れ、キラリと明かりを照り返している。しかし、緊張や恐怖で張り詰めているだろうルークの声は、平静さを失っていなかった。
「撃てるもんなら撃ってみろよ。その瞬間、お前を撃ちに大勢が降りてくる」
肝の座ったガキだ。それに頭も悪くない。トミーは少し嬉しくなった。誰の力も借りず、砂漠を自力で生き抜いてきた本物の孤児はそういうものだと、知っていたから。それに、彼ならビンセントも気に入りそうだった。こいつは十歳そこそこで殺していい奴じゃない。
「負けたよ。のぼれ」
トミーが言うと、ルークは無言で階段をのぼり始めた。
予期せぬ自体が待ち受けているなんて、この時のトミーには知る由もなかった。
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