第26話 ビンセントの申し出
ジョンは大広間にデレクを残して、特に行く当てもなくぶらぶらと廊下を歩いていた。静寂を壊すカン、カン、カンという自分の足音が耳の奥を引っかくように響いてくる。
「ジョン」
ちょうど先ほどのハッチの辺りで、ビリーに呼び止められた。振り返ったジョンと目が合うと、ビリーはちょっと口角を上げた。
「デレクはどんなだった?」
どんな風だっただろう? 考えようとして彼の顔が頭に浮かぶと急に全身の毛が逆立ち、ジョンは思考をそこから引き離した。
「別に平気だよ。ディッキーの様子は?」
聞き返すと、ビリーはやれやれと言いたげに肩を落とした。
「相変わらずだよ。『ダンは泣かない』って、そればっかり。言いながら自分が泣き始めちゃってさ。正直、訳分かんないよ。もっとずっと酷いこと言われてたのに、なんであんなことにこだわんだろう?」
さあ。そう言ってジョンは肩を竦めてみせた。きっとディッキーにとっては大切なことなのだろうけど、やっぱりジョンにはよく分からなかった。
「まあ、もう寝に行ったし、後はサミーが何とかしてくれるよ」
ビリーはため息交じりにそう言った。
少年たちは一般人用として使われていた寝室一つを二人で使っていた。もともと、ディッキーはダンと同室だったのだけれど、湖での喧嘩以来、彼はサミーとビリーが使っている部屋に無理矢理割り込んでいた。それで仕方なくビリーが部屋を変えてダンと共に使っている。
「とりあえず、あの掃除兵の子を何とかしなくちゃ。ちゃんと弔って――」
ジョンが言いかけた時、爆音が響き渡り、ハッチの蓋が揺れた。
ジョンは咄嗟にハッチの蓋を開けようとした。が、同じくハッチへ手を伸ばしたビリーとぶつかってしまう。
「いってえ……」
「ごめん」
「いいから早く!」
ビリーはハッチへ手をかけ押し開けた。
びゅうっと風が吹きつける。一緒に夜の気配が戦車へなだれ込んできた。あの音は一体何だったのか? ジョンはじっと暗闇に目を凝らした。けれど目が暗さになれるよりも前に、再び銃声が鳴り響き、夜闇にぴかりと閃光が走り、人影が浮かび上がった。二人の黒い影が寄り添うようにして立っている。いや、寄り添うというよりも……。
三度目に空へ向けて銃弾が放たれた時、その明かりが照らし出した姿が、ジョンの目にはっきりと映った。一人はトミーでもう一人は――ビンセントだ。
皮膚と、髪の根元と、心の表面がいっぺんに粟立っていくのが分かった。手がガタガタと震え始める。
「トミーだ!」
すぐ脇でビリーが叫んで飛び出していこうとしたのを、ジョンは慌てて止める。
「だめだ!」
「なんだよ」
ビリーの眉間に疑問と不満の色がさした。
「一緒にいるのはビンセントだ。出てったら危ないよ」
言いながら、ジョンは自身の臆病な心を見抜こうとする視線を感じた。あるはずのない視線を。
「ビンセント……」
ビリーがつぶやいたのに続けて、その顔が見る間に青ざめていった。
「じゃあ、トミーは――」
ビリーが口にしかけると、二人の背後から、
「人質ってことだろうな」
驚いて振り返ると、そこにはデレクの姿があった。
「オレが行く」
デレクは言い切るより前に、外へ出ようと両手をハッチの枠にかけていた。
「デレク……」
ジョンの声にデレクは振り向き、僅かに片頬を上げた。
「ビンセントは話の分からない奴でも、卑怯な奴でもない。大丈夫だ」
ジョンはビリーと並んで、戦車を降りていくデレクの背を見つめるしかなかった。彼の姿は、すぐに闇に呑まれて見えなくなった。
*****
デレクはゆっくりとビンセントたちへ近づいた。
「用件はなんだ?」
自分の声がまっすぐに砂漠を走っていくのが分かった。歩を踏み出す度、その先にある二人の影の輪郭がはっきりとなる。
「ランディたちを襲撃したガキに会いたいんだよ」
ビンセントはトミーの頭を小突いた。
「こいつに聞いても、居場所を教えてくれなくてな」
進むにつれて、彼らの姿が見えてくる。トミーは両腕を後ろに回した状態で髪をビンセントに引っ掴まれていた。後ろ手に縛られているようだ。ビンセントはトミーを捕まえていない方の手を横に下ろしていたが、そこにはきらりと黒光りするものが握られていた。
「会ってどうする?」
デレクの質問に、ビンセントは声を上げて笑った。
「そうマジになるな。別に何もしない。ただ、どんなガキなのか知りたいだけだ。一人で四人も
言い切ると共に、ビンセントはまたトミーを小突く。
「こいつも誘ったんだが、断られちまった。残念だよ」
「ここにはいない。傷が深いからな。手当のために別のとこに連れてった」
「じゃあ、バードのとこか。当てが外れたな」
ビンセントの口元に、ふうっと白い煙が漂い、闇を上っていく。
「じゃあ、もう一つ」
ビンセントの口調が、急に改まった感じになった。首元にぞわりと鳥肌が立つ。こいつには何か考えがあるんだ。
「お前らと勝負してやることにした。三日後の夜七時、お前の仲間がランディたちとやり合ったところで決着をつけよう。早めに夕飯食っとけよ。バードたちと一緒でもいい。オレもランディたちには好きにさせるつもりだ。あいつ、ガキは放って戻ってくるように言っても、しばらくグズグズ文句垂れやがっててな。相当悔しかったらしい。喜んで参加してくるだろうよ」
予期せぬ申し出に、デレクは瞠目する他なかった。
「なんでそんなこと……?」
また、ビンセントの野太い、夜を震わせるような笑い声が響いた。
「オレはお前らのやってることが嫌いじゃないんだよ。オレも昔はそうやって、大人相手に虚勢張ったもんだ。だから真っ向から受けてやるんだよ」
ビンセントはトミーの頭を乱暴に押して突き飛ばした。解放されて前のめりに倒れたトミーへデレクは駆け寄る。するとビンセントの低く静かな、けれどいかめしい声が降ってきた。
「叩き潰してやる」
デレクは顔を上げてビンセントを見た。目が合う。ビンセントは、にっと笑い、拳をデレクへ向けた。すると、
パンッという音がし、殺気が頬をかすめた。一瞬遅れて、痛みと頬の上を血が垂れる感触がする。銃弾だ、と咄嗟に悟ったが、ビンセントはこちらへ手を構えてはいても、そこには何も握られていなかった。トミーへ突きつけていた銃はどこにも見当たらない。
ビンセントは再びにたりと笑った。歪んだ口元に不気味な気配が漂う。彼は「待ってるぞ」と言って背を向けると、夜の中へ消えていった。
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